小倉董子
昭和50年(1975年)朝日カルチャーセンター(ACC)新宿「女性のための登山教室」が開講された際、私は主任講師として、平成4年(1992年)の閉講まで18年間、山仲間の協力を得て山を愛する女性たちに、山登りの基本や山の怖さ、素晴らしさを伝えながら、事故のない、生涯楽しめる山登りをめざしてきた。
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小倉董子講師
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修了生の熱意でACC登山同好会紫蘭会が誕生したのは、開講の年であった。閉講後も会員の意思により、紫蘭会は存続され、平成14年現在で27年目を迎えた。
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自己紹介
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現在の会員数は170名。山行計画と実行、会報「紫蘭の四季」年3回発行などは、幹事会を中心に、会員の交替制で、運営されている。 |
会員全員がリーダーを経験するという方式が取り入れられ、その積み重ねの結果、自分の責任において山行に参加するという、よき伝統が受け継がれている。
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この方式を次代に伝え、会の発展を願い、平成7年(1995年)より「小倉董子の山歩き教室」を定着、後輩の育成につとめている。 |
準備体操
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平成14年度の新入会員のための机上講座と実技講習をご紹介しよう。
机上集中講座は、5月19日(日)10:00〜17:00まで、小倉宅にて行われた。
内容は登山の基本、地図の読み方、装備と服装、山の安全対策、健康管理、登山計画の立て方など。
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快晴の戸隠連山
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新人4名、先輩会員の協力で、昼食会では、紫蘭会の生い立ちや山での失敗談などを混じえ、おしゃべりに花が咲き、紫蘭会の雰囲気を味わってもらった。又、自分で行ってみたい山を想定し、計画を立ててみるという宿題を実技参加後に提出するようお願いする。 |
一週間後に行われる実技の準備について説明後、実技の行われる戸隠へ夢をふくらませ、再会を約束し机上講座終了。
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5月25日(土)〜26日(日)、戸隠越水高原アオランギ・ヒュッテにおいて、新人5名(前回机上講座のみの1名含む)、講師小倉、助手(会員)4名、会員2名、計12名。10坪(33平方メートル)の狭い小屋、ランプ使用という条件を考慮に入れ、定員12名とする。
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アオランギ・ヒュッテ
(H14年5月4日撮影)
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24日(金)小倉と会員の助手3名は、食料調達後、20:30東京発、車で中央高速から長野道で長野へ。一般道で戸隠越水高原のアオランギ・ヒュッテへ、25日(土)1:30着。
ヒュッテを開け、利用法を説明、ベッド作りなどする。
閉め切った部屋は湿気が80%、温度は12℃なので、石油ストーブをつける。さすが先輩会員は、不自由な山小屋生活にすぐなじみ、今晩だけは、ゆっくり眠れるとベッドで3:30には就寝。
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料理の仕度
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25日(土)晴、先発隊の食料担当助手は、お釜でご飯を炊くことに不安だったのか、おけいこのためと、7:30には朝食の準備をはじめている。昔とった杵柄なのか、全員の知恵を結集した成果なのか、大成功。 |
運転手の私はゆっくり眠り、おふくろの味?を堪能させてもらう。幸せなひとときを過ごし、新幹線組の到着を待つ。
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10:00長野よりチャーターした車で、新人5名、会員3名、計8名が予定通り到着。あまりにも古く小さな山小屋にびっくりした様子はないが、さて内心はどうだったか? |
アオランギ・ヒュッテ(夕刻撮ったもの)
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原始的な山小屋生活を楽しむことが、今回の一つの目的でもあり、朝一番の新幹線のため、寝不足にも考慮し、足ならしという意味もあり、初日は森林公園、鏡池、奥社参りと散策を楽しむ。
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奥社入口
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昼食
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晴天に恵まれ、戸隠連峰を間近に見られた。私が40年前、戸隠に山小屋を建てた気持ちがよくわかりました、と全員大感激してくれる。 |
峨々たる、この山を見て、小倉講師は
ここに小屋を建てたいと思われたそうです
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7:00アオランギ・ヒュッテ帰着。 狭い部屋での荷物整理、寝場所の確保へと新人は大忙し。先輩の手際よい夕食作りで、ランプの下で鍋物を囲み、話もはずむ。
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ランプの下での夕食、カンパーイ!
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新人は明日の登山を考え少々、緊張気味なのか20:00頃には、狭いベッドにおさまったのだが、先輩会員のFさんがわずかのお酒でご機嫌になり「このところ歌を詠みはじめたの」と「戸隠山…」とか「アオランギ…」など大声で歌作りに夢中の様子。
「みんな寝ているから静かに、静かに」といっても、いっこうに歌がまとまらない。とうとうベランダに連れ出す。寒い。シュラフを持ち出し先発隊の4名が、歌詠みにお付き合いする。 |
木の間がくれに満月が冴え渡る。4名は思いがけない満月に出会えたことに、すっかり感激。歌作りに協力することとなった。Fさんは大声で「満月や…」を連呼する。「黒屏風の戸隠山を入れたいのよ」ともいう。出来ない限り寝てくれそうもない。 |
「合作にしましょうね」と何とかなだめてまとまったのが、「満月や戸隠山は黒屏風」。南に満月が、そして北には、峨々とした戸隠連峰が、黒屏風のように立ちはだかっていた。全員満足し、Fさんも納得したのか、やっとシュラフの中に落ちついてくれた。
Fさんの知られざる一面を知ることになり、また一つ、山仲間の絆が深まったような気がした。 日帰り登山だけでは得られない、人との出会いの面白さかも知れない。
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ヨーロッパの山小屋の写真と
すごく似ていました。
ベット上下2段、快適です。
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26日(日)晴のち曇 今日も快晴だ。 |
たくさんの小鳥の声
すばらしい空模様
チュンチュン
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鳥の声で目をさます。 |
登山装備の準備、朝食のあとかたづけなどで、出発は8:00になってしまった。 |
トイレが一個というのもちょっと心配だったが、新人もすっかり山小屋生活になじみ、段取りよく進行、小屋前でストレッチ体操、元気いっぱいで出発する。 |
お化粧しなくっちゃー
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新人5名がグループを作り、リーダーとサブリーダーを交替しながら、歩くペース作り、バテない歩き方などを体験してもらう。 |
スキー場の横を瑪瑙山へ
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休憩のとり方、地図の読み方などは、展望のよい場所で行う。 |
ブナ林では聴診器を太い幹の根元近くに当て、水を吸い上げる音を聴いたり、ねまがりだけを見つけては採集したり、山の恵みを体験する。 |
新人グループ
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ここも湿地帯
大きなおたまじゃくしの卵のかたまりがいっぱい
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第一の目標、瑪瑙(めのう)山(1748メートル)に到達したのは12:15。
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360°の展望がほしいままだ。後立山から戸隠連峰、高妻山、黒姫山、妙高山が。そして真向かいの手の届くところに、飯綱山がある。 |
瑪瑙山山頂
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今日の第二の目標は飯綱山(1917メートル)往復だったが、15:00には小屋へ戻り、小屋閉め、そして神告温泉で入浴、おそばを食べるという盛りだくさんの行事が残っていた。
ひとまず瑪瑙山頂で昼食。
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地図を広げて遠くの山を確認
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新人の訓練とはいえ、飯綱山往復には、いったん下り、急坂を登り、同じコースを戻るには、1時間半はかかるだろう。
私は張切る新人たちに、時間的に無理なので、訓練の一つとして、飯綱山への下りの部分だけの往復を、できるだけ早く下り、そして上るかを体験してもらうことにする。 |
登山担当助手の2名に、リーダーとサブリーダーをお願いする。「ではいってきま〜す!!」新人はすこぶる元気だ。 |
リーダーのRさんは「さあ上半身の力を抜いて、こんにゃくのように柔らかく、ひざをクッションにして…」という号令に素直な新人は全員リーダーを真似て、こんにゃく踊りよろしく、急下降していく。こんにゃく歩きが気に入ったようだ、30分ほどで戻ってきた。 |
斜面を登る
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新人の感想では「リーダー、サブリーダーの体験をしてみて、本格的な山登りは協力し合い励まし合い、楽しく登ることが大切であることを学びました」と結んでいる。
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山登りを終えてベランダでティータイム
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アオランギ・ヒュッテ帰着は予定より少し遅れ、15:20。 荷物を整理し先輩には掃除、小屋閉めをお願いし、中社の神告温泉まで歩く。 |
入浴後戸隠そばに大満足、チャーターした車で新人を含む会員8名は、17:00中社発、長野へ。21:00には東京着。実技登山は無事終った。 |
私の車同乗者3名は19:30中社発、真赤な月が見事だったが、予感通り長野道に入ると雨、雷雨のどしゃぶりの中2時間ほど走る。
結局東京に入ってようやく雨があがる。実技登山中、雨にあわず、なんとラッキーなことだったろう。 |
戸隠連峰 高妻山
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雨の中の訓練も役に立つが、やはり初めての山との出会いは天候に恵まれ、多くの見知らぬ山々に出会い、その感動があって次のステップへとつながっていくのかもしれない。紫蘭会の近未来に光が見えた実技登山だった。
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