沿線案内 飯田線(豊橋〜三河槇原) 静岡鉄道管理局

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静岡鉄道管理局



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 昭和54年5月26日、愛知県南設楽郡鳳来町の「愛知県民の森」で「第30回全国植樹祭」が開催され、昭和天皇・皇后両陛下がお召し列車で飯田線(豊橋〜三河槙原)を利用されましたが、その時に作成された、「沿線案内 飯田線(豊橋〜三河槇原)」という冊子(絵図)です。最終ページには「御行幸啓記念」とありますので、昭和天皇・皇后両陛下も列車内でご覧になったのでしょうか..



豊橋市
豊橋は、遠州灘と三河湾とに面した、温和な気候風土に恵まれたところです。その昔は、城下町、東海道五十三次「吉田の宿駅」として発展し、現在は、面積257.57ku、人口29万余を数える全国有数の都市です。特産物には、ちくわ、かまぼこの他、伝統工芸品の筆があります。



吉田城趾
吉田城は、はじめ今橋城と称し、永正2年(1505)牧野古白によって築城されました。以来、東三河の要衝として、今川、武田、徳川ら戦国武将の攻防を経て、天正18年(1590)池田照政が入封し、15万2千石に及ぶ城地を確立したものです。いまも、清流豊川にのぞむ城跡には、苔むす石垣と隅櫓が往時を偲ばせています。



菟足(うたり)風神
創立は古く、白凰15年(687)。御祭神は、穂の国(東三河の古名)の国造(くにのみやつこ)であられた菟上足尼命(うながみすくねのみこと)です。この神社のお田祭の行事は、風祭りとして知られ、県の無形文化財となっています。



うなごうじ祭り
毎年4月7・8日に行われる牛久保八幡社の奇祭です。神幸の行列が、長時間ウナギのようにゆるゆるとねり歩き、そのしんがりで、百余人の「ヤンヨウ神」が泥の中でもかまわず、寝たり起きたりする、まことにのんびりとした、ユーモラスな祭りです。



豊川市
豊川市は、人口約10万。北に木曾山系、東西に紺碧の三河湾国定公園を臨む、大自然の恩恵を受けた観光と商工業の中堅都市であります。



三明寺
702年に建てられ、霊験顕著の妙音天女が祀ってあります。国の重要文化財に指定されている三重塔をはじめ、本堂、内宮殿は禅宗建築の粋と言われています。



豊川稲荷
日本三大稲荷のひとつであり、商売繁盛、家内安全の守り神として、全国数百万の信者に崇敬されています。本殿は、明治から昭和にかけ実に30有余年の歳月を要し、昭和5年に完成したもので、総けやき造り。その壮麗さは全国無比の木造建築であります。



砥鹿(とが)神社
大巳貴命(おおなむちのみこと)(大黒様)を祀る、東海地方の総鎮守で、五穀豊穣の神として有名です。昔は本宮山にお祀りされていましたが、御神託により、文武天皇大宝元年に三河一宮にお迎えし、里宮本社と本宮山奥宮の二社となりました。社殿は、樹齢3〜500年の境内木で造営した総ひのき造りの荘厳な建物であります。



本宮山(ほんぐうさん)
樹齢千年といわれる杉やひのきの巨木が林立する神山で、海抜は789mあります。頂上には、砥鹿神社の奥宮が鎮座し、ここからの眺望は、富士の霊峰、南アルプスの勇姿など、絶景です。



新城(しんしろ)市
愛知県の東北部に位置する、人口約3万5千の、東三河山間地域唯一の都市です。市の中央を貫流する豊川は清冽な水をたたえ、その沿岸は肥沃な耕地をなしているところから、原始時代から人が住みはじめ、縄文、弥生の遺跡も多く見られます。代表的な特産物は柿と木材です。



桜渕(さくらぶち)公園
千数百本の桜の古木が豊川の両岸に咲き乱れるところから、この名があります。寛文2年(1662)、時の城主菅沼定実が、遊歩の地にしようと桜を植えさせたのが始まりだと伝えられています。いまでは、三河の嵐山として、花見に紅葉狩りに、市民いこいの場であります。



火おんどり祭り
三河東郷駅から歩いて10分の、震源部落の信玄塚で旧暦7月15日の夜行われる、武田軍戦死者の供養祭です。アシとシダで作った直径50cmもの大タイマツ数十本に点火し、笛、太鼓、鐘のハヤシに合わせて踊り狂うもので、無形文化財に指定されています。



放下(ほうか)踊り
奥三河の奇祭のひとつで、寒狭(かんさ)川流域から大海(おおみ)にかけて、毎年旧暦7月14・15日の夜行われています。背中に高さ3mの大うちわを背負った踊り手3人が笛や太鼓のハヤシに合わせて、踊りながら新盆の家々を供養して回ります。県の無形文化財になっています。



鳥居強右衛門(すねうえもん)の墓
強右衛門は城主奥平貞昌(さだまさ)の命(めい)を受け、落城寸前の長篠城を脱出、寒峰山(かんぽうさん)でのろしをあげ、岡崎に走って家康と信長に援軍を頼みました。引き返したところを武田軍に捕らえられ処刑されましたが、西軍の勝因となったその勇気と責任感は、後世に語り継がれています。



鳳来町(ほうらいちょう)
国道151号線の長篠橋を越えると、面積265km2、人口1万7千余の鳳来町です。この町の中央部には、北東から南西方向に、日本最大の断層帯「中央構造線」が走り、交通に林業に深い関係をもっています。しいたけをはじめ、山の幸に恵まれ、また、黒沢田楽、鳳来寺田楽など、民俗芸能の宝庫でもあります。



長篠城趾
天正3年(1575)長篠城主奥平貞昌は、武田勝頼の大軍に囲まれたが、織田・徳川の援軍を得て、これを破った−世に言う「長篠の戦」であります。織田・徳川の勢力を絶対的なものとしたこと、伝来した鉄砲(火縄銃)が、初めて大量に使われたことで日本の戦史上、重要な意味をもつ戦いでありました。



鳳来寺(ほうらいじ)
鳳来寺山は、海抜684mの死火山で、断崖絶壁の山です。全山うっそうと茂る杉・ひのき・かし等の老樹で、昼なお暗し、という状態です。5月から9月上旬にかけて、天下に名高い仏法僧の鳴き声が聞かれます。山頂に近い鳳来寺は、真言宗五智教団の本山であり、また、本宮近くの東照宮は、徳川家光の命(めい)により建立されたものです。



田峰田楽(だみねでんがく)
豊川流域の田峰部落に伝わる祭りで、慎重な祈願、農事をまねたしぐさ、面形が出る点に特色があります。旧暦1月17日に行われる、豊年祈願の素朴な舞楽で、無形文化財になっています。



鳳来峡(ほうらいきょう)
湯谷・三河槇原間の車窓に展開する渓谷は、鳳来峡(ほうらいきょう)とよばれ、岩と川水の調和した眺めが、すばらしい。独特の乳灰色の杉板模様の川底であることから、別名を板敷川と言います。



花まつり
天竜川の支流、大入川と振草川の流域一帯で行われる、農民の信仰生活から生まれた祭りです。天災や病気をもたらすという「鬼」の鎮魂のため、30種類に及ぶ舞を夜通し舞い続けるもので、無形文化財に指定されています。



愛知県民の森
明治100年を記念して作られた施設で、森林や清流の美しさと県民とのふれあいを目的としたレクリエーションの場です。キャンプや自然探勝、保養や研修に、年間通じて、多くの人々が利用しています。


昭和54年5月26日
愛知県民の森記念植樹祭
御行幸啓記念



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