豊川線鳳來寺鐵道沿線風景

豊川線鳳來寺鐵道沿線風景

 ここに掲載する画像は、昭和5年(1930)以前に撮影されたと思われる「豊川線鳳來寺鐵道沿線風景」という絵葉書をスキャニングしたものです。約70年前と同じ場所からファインダーをのぞいてみましたので、時代による沿線風景の変化をご覧ください。画像をクリックすると、大きな画像をご覧いただけます。

豊川鐵道と鳳來寺鐵道の歴史

豊川鐵道

吉田(現豊橋)〜豊川
豊川〜一ノ宮(現三河一宮)
一ノ宮〜新城
新城〜大海
明治30年(1897) 7月15日開業
明治30年(1897) 7月22日開業
明治31年(1898) 4月25日開業
明治33年(1900) 9月23日開業
  

鳳來寺鐵道

長篠(現大海)〜三河河合 大正12年(1923) 2月 1日開業


昭和18年(1943) 8月 1日
 豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道を国鉄が買収し、国鉄飯田線に転換
昭和62年(1987) 4月 1日
 国鉄の分割民営化によりJR飯田線に転換


豊川稻荷總門(とよかわいなりそうもん)


↑昭和初期の豊川稻荷總門


↑現在の豊川稲荷総門

 豊川閣妙厳寺(とよかわかくみょうごんじ)は嘉吉元年(1441)開創の曹洞宗の名刹。京都の伏見稲荷、佐賀の佑徳稲荷と並び日本三稲荷の一つに数えられています。本尊は千手観音ですが、山門の守護として「豊川だ枳尼真天(だきにしんてん)」を祀ることから”豊川稲荷”と呼ばれるようになったそうです。廃仏棄釈の折りも分離を免れ、神仏混交の寺として今日に至っています。境内には90余りの堂宇や大宿坊が並び、本殿は総ケヤキ造の壮大な伽藍(がらん)。書院の西には江戸初期の名勝築山泉水庭園があります。

 この総門は妙厳寺創立から214年後の明暦2年(1656)に一度改築されており、現在の門は明治17年(1884)4月18日、29世黙童禅師(もくどうぜんじ)によって上棟改築されたものです。
 門扉及び両袖の扉は一千有余年の樹齢を重ねた高さ4.5m、幅1.8m、厚さ15cmの欅(けやき)の一枚板で欅独特のウロコのような木目は類い稀な木材として専門家に知られているそうです。
 屋根は銅板うろこ葺で又諸処に使用されている唐金(からかね)手彫の金具は優れた技法を示しています。
 頭上に祀られている十六羅漢は名匠で諏訪ノ和四郎その他名工の合作といわれ、参拝の諸人はこの仏様に見守られながらこの門をくぐります。

アクセス
 JR飯田線豊川駅より徒歩5分。


豊川稻荷本殿(とよかわいなりほんでん)



↑昭和初期の豊川稻荷本殿

 絵葉書にある本殿は、昭和5年(1930)3月に現在の大本殿に建てられたとき、同じ敷地内に「奥の院」として移築されています。
 旧本殿は文化11年(1814)の建築で、旧本殿内陣の建物を「奥の院」の本殿とし、旧本殿の拝殿を「奥の院」の拝殿にし、大本殿の建築に伴って移築されたものです。
 現在この建物は、祭典の行事が行われる霊殿として信者が至心を凝らして参拝し、読経礼拝されています。
 拝殿の諸処に見られる種々の彫刻は名匠諏訪ノ和四郎の一代の傑作と言われています。

 大本殿は、寒巌義尹禅師(かんがんぎいんぜんじ)が感得、自作の端巌妙相をそなえられる豊川だ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)通称「豊川稲荷」の本体が祀られていて、全国幾千万の信者の信仰の中心であり祈祷の根本道場となっています。
 眞言は「オンシラバッタニリウンソワカ」といい、参詣の人々は、この眞言を唱えて拝礼します。
 妙厳寺に29、30、31世の3代にわたる大本殿新築の大願は明治、大正、昭和の3世代に跨って信者の信心を凝集して、昭和5年(1930)春竣工し落慶大開帳が行われました。(明治41年(1904)から22年の歳月を経て竣工)

 建物は総欅造(そうけやきづくり)、妻入(つまいり)二重屋根三方向拝の型をとり、間口10間7分5厘(19.35m)、高さ102尺(30.6m)、奥行21間4分3厘(38.59m)、丸柱直径8寸(24cm)と3尺(90cm)のもの計72本が使われ、内陣般若殿(ないじんはんにゃでん)、施主殿(せしゅでん)に区画され、内陣は本尊「豊川だ枳尼眞天」が奉祀してあり、その厨子は諏訪ノ和四郎の作で屋根の瓦に至るまで朱漆塗りで精巧に彫刻を配し、稀に見る巧緻精麗(こうちせいれい)な出来栄えは大変素晴らしいものです。

 更に両脇祭壇には、伏見宮(ふしみのみや)家より贈られた毘沙門天、有栖川(ありすがわ)家から贈られた聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)、その他貴重な諸仏、諸菩薩の像及び諸仏具等が安置されています。
 妙厳寺を「豊川閣」と呼ぶのは、この因縁によるものです。商売繁盛、家内安全、福徳海運の守り神として有名。

アクセス
 JR飯田線豊川駅より徒歩5分。


↑「奥の院」として移築された旧本殿


↑昭和5年に建て替えられた大本殿


東上牛ノ瀧(とうじょううしのたき)


↑昭和初期の東上牛ノ瀧


↑現在の東上牛の滝(雄滝)

 牛の滝は、常竜滝(じょうりゅうのたき)や黄牛滝(おうぎゅうのたき)とも云われ、古くから三河名勝の一つとなっています。滝は、高さ10mの上段の滝(雄滝(おだき))と高さ4mの下段の滝(雌滝(めだき))の二段からなっています。
 滝の周辺は多湿のため植物が豊富で、上層にはシイ、タブノキなどの暖帯広葉樹が、下層にはアオキ、センリョウ、ヘラシダ、イワヒトデなど多くの植物が育っていて、一宮町指定名勝に指定されています。
 この滝には「黄牛の伝説」が残されており、牛の滝の名称の由来となっています。

 画像は雄滝ですが、雨が少なかったためか、雄大さを感じることができませんでした。

アクセス
 JR飯田線東上駅より駅近くを流れる境川沿いに北へ約1.5km。


鳥居強右衛門勝商ノ墓(とりいすねえもんかつあきのはか)


↑昭和初期の鳥居強右衛門勝商ノ墓


↑現在の鳥居強右衛門勝商の墓

 天正3年(1575)5月、長篠城は武田勝頼の攻撃を受けて、まさに落城寸前でした。
 この危機に、城主奥平貞昌(後に信昌と改める)の命を受けた鳥居強右衛門勝商は、城の命運を背負って決死の脱出を果たし、岡崎の徳川家康のもとへ走り、織田徳川連合軍の援軍を得ることに成功しました。
 その帰途、勝商は再度長篠城へ入城するところを武田軍に捕らえられ、有海(あるみ)の篠場野において磔(はりつけ)の刑に処せられてしまいました。36歳でした。
 長篠城の命運を一身に受けて長篠城を救い命を絶たれた勝商の功績は、今なお三河武士の鑑として称えられていて、毎年5月に鳥居強右衛門祭が開催されます。
 勝商の墓は、鳥居駅そばの新昌寺にあります。

 墓の右に植えられているイチョウの木から絵葉書の古さを感じとれます。

アクセス
 JR飯田線鳥居駅より徒歩3分。


鳳來寺山 東照宮境内(ほうらいじさん とうしょうぐうけいだい)


↑昭和初期の鳳来寺東照宮境内の風景


↑現在の鳳来寺東照宮境内の風景

 鳳来寺はおよそ1300年前に、利修仙人によって開山され、703(大宝3)年に文武天皇から鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えられています。
 以来広い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰していて、七堂伽藍を寄贈し、隆盛期を迎えました。
 特に、子授けの薬師如来として評判が高く、天平文化の華光明皇后、浄瑠璃の主人公となった浄瑠璃姫も授り人と伝えられています。また、松平広忠夫妻が天下人となる男子をと祈願して授かったのが徳川家康だったと言われています。

アクセス
 1.JR飯田線本長篠駅下車した後、豊鉄バス田口行きにて鳳来寺バス停下車(約8分)。鳳来寺参道を歩くこと約60分。
 2.車の場合は、鳳来寺山パークウェイ(930円)が便利。

鳳來寺東照宮(ほうらいじとうしょうぐう)


↑昭和初期の鳳来寺東照宮


↑現在の鳳来寺東照宮(手前が拝殿、奥が本殿)

 徳川三代将軍家光が日光東照宮に参拝した折、その縁起に「松平広忠が立派な世継ぎを得たいと思い、奥方(於大の方)と共に鳳来寺にこもり祈願して生まれたのが家康であった」と書いてあったことを読んで、鳳来寺山に東照宮を建立を決意したそうです。そして、出来上がったのは四代将軍家綱の代の慶安4年(1651)で、江戸時代初期の建立法を残した極彩色の華麗な建物であり、家康の木像を安置する約20uの本殿や拝殿、本殿と拝殿の相の間の幣殿、透かしの入った透壁(すきべい)、水屋などがあります。この鳳来寺東照宮は、日光(栃木県)、久能山(静岡県)と共に日本三東照宮の一つです。平成13年(2001)で、創建350年。昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。

 昭和48年(1974)から2年がかりで行われた大修理から25年以上経過していることから、檜の皮で葺いた屋根の雨漏りもひどいそうです。

アクセス
 1.JR飯田線本長篠駅下車した後、豊鉄バス田口行きにて鳳来寺バス停下車(約8分)。鳳来寺参道を歩くこと約60分。
 2.車の場合は、鳳来寺山パークウェイ(930円)が便利。


阿寺の七瀧(あてらのななたき)


↑昭和初期の阿寺の七瀧


↑現在の阿寺の七滝

 巣山高原から流れる水は、鳳来町下吉田阿寺地内で阿寺川となり、礫岩の断層崖を落下して、全長64m(上段より2m、4m、2m、25.5m、7.5m、13m、9.3mの7段)に渡って流れ落ちる滝となります。7段の階段状に素晴らしい曲線美を描いて落ちる滝の姿は幽玄そのもの。とりわけ、上から2番目と5番目の滝壷は水の勢いで深くえぐられ、巨大な穴をつくっています。礫岩にかかる滝としては、学術上貴重なもので、昭和9年(1934)1月22日に国の名勝天然記念物に指定されています。また、この礫岩を子抱石ともいい、これを祀ると子供が授かるという伝説があります。日本の滝百選の一つ。

 雨不足のため、流れ落ちる水も少なく、本来の幽玄な姿を見ることはできませんでした。

アクセス
 JR飯田線大野駅下車した後、鳳来佐久間線(県道442号)を県境方面へ約7km。


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