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★ 月刊 モデルグラフィックス
(1989年11月号表紙)
発行 (株)アートボックス社




―1/72 「ホーカー・ハリケーンMk.T」フィンランド空軍
(エアフィックス社製 ハリケーンMk.U改造)


ジオラマ製作:Y.S.

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今回、アートボックス社のご厚意により、月刊「モデルグラフィック」1989年11月号より、写真の一部を使用させていただきました。



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―雑誌の記事より ―

   「無限軌道の会」の“フィンランド空軍ディオラマ・シリーズ”もグラジェーターをを最後に中断して随分になります。「会」も主カメンバーが脱退して、このシリーズは終わったと思っていました。今回、作りかけのハリケーンを梅本氏にお見せしたところ「完成せよ」との事で大山茂、エリナ・ニエミ・大山ご夫妻のご協力を得て発表出来る事になりました。

 製作記事に入る前にフィンランドの写真集 SUOMEN ILMAV01MIEN HISTORIA−No.12(フィンランド空軍史)の゛イギリス戦闘機編″をエリナ・大山さんに訳していただいたのでハリケーンの箇所を紹介します。

 フィンランドのハリケーンはMk.Tタイプでイギリスから12機購入しました。イギリスでのシリアル・ナンバー はN2322、2323、2324、2327、2347、 2358、2392、2393、2394、2395でした。それをフィンランドではHU 451 〜H U462のシリアルナンバーを付け使用 しました。

 イギリスで機体の取扱い説明を受け た後、ハリケーンはブレニムの先導で ノルウェー、スウェーデンを経由して フィンランドに空輸されました。 12機 は6機ずつ2班に分けられ、リーダー はラティとタスキネンでした。ラティの指揮する6機は3月7日無事フィンランドに着きましたが、タスキネンの班はHU 461 が故障で、HU 462がノルウェーで不時着して、3月8日に3機、3月10日に1機の4機しかフィンランドに着けませんでした。

 1940年5月の終わり頃、機体番号が先に書いた順にH U451〜H U 460に塗り替えられました。

 1942年2月、ソ連からの戦利品としてハリケーンMk.IIA(シリアルZ2585)がフィンランドの手に渡りました。他に2機手に入ったのですが、これは飛べませんでした。

 フィンランドは10+3の合計13機のハリケーンを持っていた事になります。

 フィンランドに着いた時のハリケーンの塗装はイギリスの標準迷彩(上面ダーク・グリーン、ダーク・アースの迷彩、下面は主翼が白、黒の塗り分けで他はアルミ・ドーブ)でした。 1940年9月30日、フィンランド迷彩(上面=黒、オリーブ・グリーン、下面シルバー・グレー)に塗り替えられました。下面は40年5月、ライト・ブルーに塗り替えられました。胴体と翼下面先端の「黄色の敵味方識別帯」は41年6月18日に塗られました。 41年9月1日には機首にも塗られました。そして、この塗装で終戦まで戦いました。

 ハリケーンは当初第22飛行隊に配属され、第28飛行隊を経て40年8月29日に再び第30飛行隊に配属されました。41年6月22日、ポリに駐屯する第30飛行隊の5機のハリケーンはカラヤ(H.Karaja)大尉指揮の第1中隊を構成していました。 6月2日、部隊はホロッラに移動し、その2日後継続戦争が始まりました。更に|日後、1機のハリケーンがダメになりました。 7月|日、ウッティに転戦すると同時に第32飛行隊に改編されました。部隊は隊長の名前から゛カラヤ中隊″と呼ばれ、フィンランドの南東方面を防衛しました。7月3日、ルオツィラ中尉の小隊はエンソー上空で3機のI−153と遭遇し内2機を撃墜しました。7月4日、カラヤ大尉がコトカでDB一31機を撃墜しました。7月15日、ルオツィラ中尉の小隊が再びカレリヤ地峡上空で5機のI−153と空戦し2機撃墜しました。その後数週間、補給部品がはいらなかったので飛べませんでした。 8月19日、カラヤ大尉は第10飛行隊に転属し、第14師団の偵察作戦に従事しました。その彼も5月16日に敵の対空砲火で戦死しました。9月23日、残った2機のハリケーンはスーラヤルビの第22飛行隊に編入されたが、機体の調子が悪くて使用されませんでした。 42年1月8日、ムルミセンの率いる6機のカーチスP一36Aと1機のハリケーンはレイパスオ上空で3機のI−15bisと空戦して全機撃墜しました。その後ハリケーンは調子が悪く、ほとんど飛べませんでした。その機体を42年6月23日、フィアットG−50で構成されている第26飛行隊の第2中隊に譲り、代わりに新しく3機のハリケーンを手に入れました。7月30日事故でハリケーン1機を失いました。 43年3月18日、2機のハリケーンをキルパシルタヘ移動し、他の2機と一緒に格納庫へ入れました。 44年4月2日、第34戦闘機隊にソ連から捕獲したハリケーンMk.IIAが回って来ました。HC−465は修理して5月3|日に飛べる様になりましたが、その最後のハリケーンも秋には飛行不能になりました。

 以上がフィンランドのハリケーン・ストーリーのダイジェストです。ほかに各機の使用状況が書かれていましたが、ここでは省略します。



 次に製作記事に移ります。

 ベースとしたキットはエアフィックスです。キットはMk」ですが、後期型だったのでプロペラ、スピナーをエレールのキットから流用し、初期型に改造しました。脚、脚カバー、ラジエターもエレールの方が良かったので流用しました。

 コックピットは、鋼管部をシンチュウ線をハンタリ寸けして組み、シートや計器類はプラ板で作りました。いつもはマスキング・テープで作るシート・ベルトは、今回モデル・テクノロジー製のエッチング・パーツを使ってみました。材料のシンチュウば焼き″が入った固いタイプではないのですが、さらに加工し易い様にライターで加熱し、柔らかくして使いました。

 キャノピーはキットのパーツで凸型まで作ったのですが、ファルコン製のキャノピー・セットが出たので、これを使いました。少し値段が、高いですが、キットと同じ水準のキャノピーを作ろうとすると、凸型の゛磨き″や塩ビの゛絞り″などに大変な゛技術”と ゛時間″が必要になります。『時間』を 「買う」と考えると大変安い買物になります。

 エンジンも作っている最中にエアロクラブ製のメタル・パーツが手に入ったのでこちらを使いました。メタルの方は600円と割と安いので、買ってみるのも面白いと思います。近くの店で買えない入も「ホビック」等の通信販売を利用すれば良いでしょう。゛情熱″ど努力″と『お金』が有れば相当珍しい物でも手に入るでしょう。

 ラジエターの中は、いつも黒く塗るだけですが、今回はワークのΓ黒い金網」を使ってみました。これも゛便利 グッズ″の一つですネ。

 機関銃はエアフィックスの|/24キットを友人の夏目氏からお借りして寸法をとり、ランナーやプラ板で作りました。スケールにこだわらなければl/24のキットを作った方が簡単で努力がむくわれます。

 エアフィックスのハリケーンはプロポーションが良いので、作例はキットのアウト・ラインには触れずに、各翼の後縁を薄く削っただけです。 1 /24も素晴らしいですが、|/72のキットは新旧3つ以上の金型が作られていて部分修正の製品は、いくつか分かりません。エアフィックスの自国(イギリス)機に対する情熱が感じられます。日本のメーカーも日本機、特に゛零戦″の決定版を出して欲しいですネ!! 現状で期待できるのは『ファイン・モールド社』だけかナ? とゴマをすっておこ〜っと。

 次に、塗装に移ります。本当はフィンランド特有の黒とオリーブ・グリーンの迷彩にしたかったのです。しかし、パターンがハッキリしていて、その上信用出来る画面がHC一451号機しか有りませんでした。このHC一451号機はMk.Tの極初期型で主翼も布張りタイプでした。これは改造に手間が掛かりそうなのでパスしました。作例のHC−456号機の塗装はイギリス迷彩のままです。垂直尾翼に1機撃墜マークが有ります。ハカリスティ(青色の鈎十字)は主翼がイン・スケールのフォッカーD―21用のデカールです。胴体用のデカールは、径が足りなかったのでツクダのデカールを使いました。ツクダの物は青色が薄いので、貼って から上にラッカーを塗って色を調節しました。機体は1941年8月ラッペーンランタに駐屯していた第32飛行隊のカラヤ中隊の機体です。コックピット横の個人マークから中隊長のカラヤ(H.Kalaja)大尉の機体と思われます。

 それでは清水君にベースとフィギアーについて書いてもらいます。



 さて、情景についてですが、今回の設定が整備中とのことでしたので、人 形などそれらしく造ってみました。

 その人形ですが、以前から一度使ってみたかったエアフィックスの00(ダブルオー)スケールの整備兵を使ってみました。 ビニールのようなもので出来ている為に、どうしてもそのままでは塗装や改造は難しいのですが、プロポーションや全 体の雰囲気の良さは、流石にエアフィックス、と思わせるものが有ります。 そこで型取りをして使ってみたのですが、仕上げの段階で表面のディテールをつぶしてしまったようで、原型の良 さを生かしきれなかったようです。

 エアフィックスの人形を見ると常に思うことが、せめて普通のプラモデルの様な材質で出来ていれば、どんなに使いやすい事か、と思うのですが…。

 こうした小スケールの人形というのは、どうしても改造の限界を感じてしまう事が多々有り、その製品のもつディテールに頼らざるをえない時が良くありました。ハセガワのグランドクルーセットの出現は、そういう意味でとても歓迎されるものでしたが、エアフィックスの00スケールのフィギュア の様な、各国別に色々な兵隊が有るのを見るにつけ、そのまま使えたら、どんなにいいかと思います。

 という訳で今回造ってみたのですが、塗装のカンみたいなものが最後のフィギュアを塗っている時に少しもどった感じで、長くやっていないと以前のようにスラスラと筆が運ばないのにはびっくりしました。手が忘れない為にもある程度は続けて造らなくては、と感じる今日この頃です。



イギリスのハリケーン