寺報

テロと報復

寺報 米国での同時多発テロ事件が起きて、もう2ヶ月、アフガニスタンへの米国の報復攻撃が始まって1ヶ月余りが経ちました。9月11日の夜の10時半を過ぎた頃、前日の台風のその後の状況でも見ようかとテレビのスイッチを入れると、大きなビルが燃えている映像が映し出されました。すると、飛行機が飛んできて、あっという間に、その向こうのビルに激突しました。それを見た時、これは映画だと思いました。それならばチャンネルを換えてNHKを見ようと、ボタンを押しても画面は変わりません。そのチャンネルはNHKでした。何でこんな時間にNHKが映画をやっているのだろうと、のんきな私の頭はまだその現実を信じられずに、民放に切り替えました。どの局も同じような映像ばかりです。これはただ事ではないぞと、やっとその事件が現実であるということに気が付きました。とうとうその夜は寝不足になってしまいました。

その報道を見ながらいろいろなことを考えさせられましたが、一番考えさせられたのは教育のことです。このような非情な事件を起こした犯人にせよ、米国にせよ、それぞれのものの考え方がこの事件の根底にあります。その考え方を育むのは、教育に他ありません。教育というと、学校や幼稚園などの機関で行なわれる教育と受け止められがちですが、家庭での子育て、社会から受ける教育、これらも含めてみな教育ということができます。 この事件に関してイスラムの過激勢力が関わったとされていますが、飛行機を乗っ取り、何の関係もない一般の乗客や乗員を道連れにしてビルに体当たりするという行為を敢行するという恐ろしい思想は、教育によっています。これを見て、第二次世界大戦の時に、我が国も特攻隊を組織し、若者が敵の艦船に体当たりをしていったことを思い出したのは、私だけではないと思います。「天皇陛下のために」「靖国神社に祭られ、神となる」と教育され、多くの若者が犠牲となりました。

寺報米国が今回のテロ行為の対象となったのですが、米国のものの考え方自体にも問題があると思います。米国の学校教育などの中で平和についてどう教えているかは知りませんが、米国社会には「米国至上主義」の考え方があります。確かに冷戦時代を過ぎ、米国は経済的にも軍事的にも世界の超大国となり、今や、米国主導で世界が動いていると言っても過言ではありません。しかし、そこで目についてくるのが傲慢ともいえる至上主義で、自国の経済発展に都合の悪いものは全て排除するという考え方です。環境問題における京都議定書のボイコットを例に出すまでもなく、それはいたるところに見受けられます。今回のテロ行為が行なわれた理由はここにあると思います。自国至上主義の考え方、そして、それを育んでいる社会と教育、それらに向かってテロ行為が行なわれたのです。

米国のブッシュ大統領はこのテロ事件が起き、すぐさま報復を唱えました。このまま放置しておけば、更にエスカレートして大きなテロ行為が行なわれるというのがその理由ですが、報復なんて、まるで子どもの喧嘩のようですし、何か前時代的な感じがします。

体も大きく、腕力のあるA君。いつもA君たちにいじめられているI君たち。I君たちは、自分たちがいじめから開放されるためにはA君のグループと真正面から対立しても勝ち目がないので、一番のボスのA君にターゲットをしぼって、隙を狙っていました。ある日、A君が一人でいるところをI君たちは見付けました。チャンスだと言わんばかりに、I君たちは後ろから回って急襲しました。思いもかけない不意打ちをくらったA君はスッテンコロリン。いつもの恨みを晴らしたI君たちは一目散に逃げてしまいました。A君の怒りようは並大抵ではありません。「絶対に仕返ししてやるx」と息巻き、仲間たちも同調して、仕返しをすることとなりました。・・・・と、まあこんな具合です。

寺報さて、A君たちとI君たちの対立。大人である貴方がそれを見た場合、どのように対応しますか? 「そんな卑怯なやつはやっつけてしまえ」と言うとは思われません。きっと、自分がやられて嫌な思いをしたのなら、相手もやられたら嫌な思いをするということに気付かせ、暴力やいじめの結果の愚かさを説かれることと思います。やられたからやり返すのでは、何時までたってもそれの繰り返しで、A君たちがI君たちを一時的に打ちのめしたとしても、I君たちはいつまでも恨みを抱き、いずれはまた仕返しをしようと画策します。そこには一時的な安定はあるかもしれませんが、決して平和であるとはいえません。

ところで、50数年前、我が国も世界を相手に戦争をしました。その結果は無条件降伏。そして、現在の「平和憲法」と言われる憲法の成立となりました。その成立について、連合国の押し付けだとか、日本国民全体の総意ではないとよく言われ、改正の議論がしばしば国会でも行なわれています。しかし、その憲法は世界の中で唯一と言ってよい程の戦争を放棄した平和を目指す憲法です。それは世界に向かって胸をはって、声高らかに主張できるものです。

この憲法ができるに当たって、当時の占領軍・マッカーサー将軍の影響が大きいと言われていますが、その当時の中国の政府代表であった蒋介石総統の影響も忘れてはならないと思います。蒋介石総統は、「怨みに酬いるに徳を以ってす」と言って、戦後の賠償を放棄し、日本に対する報復行為を止めました。(これは、第三二号で述べました)ドイツが戦後の賠償に莫大なお金を費やしていることを思う時、日本はそのお蔭で経済的な発展をすることができたと言って過言ではないと思います。「怨みに酬いるに徳を以ってす」と賠償問題を放棄してもらったお蔭で発展できた日本が、米国から顔の見える協力を依頼されたからといって、自衛隊を戦地に派遣するということは、どう考えてもおかしなことだと思います。顔が見えないというのならば、どうして「平和憲法に則り、戦争を放棄した」ということを大きな声で言えないのでしょうか。

寺報昔、浄土宗の開祖の法然上人は幼少の時、父親が政敵の夜討ちに遭い亡くなりました。虫の息の父に仇討ちを告げた幼少の法然上人に、父親は、「仇を討てば、次は相手がお前を仇とねらい、争いは果てることがない」と説き、仇討ちを戒め、仏門に入ることを勧めました。法然上人はその遺言に従い出家し、浄土宗の開祖となり、多くの人々を救われる方となったのです。

お釈迦さまは、「教えの要は心を修めることにある。だから、欲を抑えて己に克つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、言葉をまことあるものにしなければならない。貪ることをやめて怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。もし、心が邪悪に惹かれ、欲にとらわれようとするならば、これを抑えなければならない。心に従わず、心の主となれ。心は人を仏になし、また、畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるも、みな、この心の仕業である。この教えのもとに、相和し、相敬い、争いを起こしてはならない」と、説かれています。

地球の環境悪化は日に日に進み、もう人間と人間が争い、殺し合い、地球を汚すような時代ではありません。今、私たち人間にとって一番必要なことは、大切な子どもたちに、そして未来の人たちにきれいな地球を残していくことです。テロをする人も、戦争する人も、平和を望む人も、みんな教育によってその人格形成が行なわれます。一人一人の自覚と、日々の精進、そして、それを教える教育と社会作りが大切なのです。

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