寺報

一日不作 一日不食

寺報 今、私が耕作している畑には里芋、生姜、径山瓜(きんざんうり)、ゴーヤ、南瓜、胡瓜、小松菜、サニーレタス、縮緬チシャ、パセリ、ミニトマト、うこん、ねぎ、シソが植わっています。径山瓜は東福寺の管長様が中国の杭州の径山萬寿寺から種を持ち帰った瓜で、種を昨年いただき、今年も植えました。いわゆる糸南瓜です。里芋や生姜、ゴーヤは檀家さんや知人からいただいたもの。うこんは、従兄弟が、「お前は酒を飲むから、これを植えて食べるように」と、持ってきてくれたものです。

平成11年の暮れ、それまで土地を貸していた方が返してくださいました。幼稚園の園舎の東側で近くですから、園児と一緒に楽しもうと、畑にしました。

その土地は更地にして返してくださったのですが、何分にもそれまで家が建っていた場所です。少し掘れば、家の基礎の瓦礫がいっぱい出てきました。最初は、まずこの瓦礫除きから始めました。それと一緒に落ち葉を入れ、土質の改良をしました。初めに作ったのは、じゃが芋。園児と一緒に三月に植えました。何分にも痩せた土地ですので、この時は土地改良材を入ました。4月の初め、じゃが芋の芽が出てきた時は本当に可愛く、嬉しく思いました。小さな芽が一日一日と大きくなっていくのを見るのはとっても楽しく、喜びでした。六月に収穫すると、小粒ながらも芋がそれでもできていました。ちょうど子供たちが食べやすいような大きさでしたので、蒸かして食べました。結構おいしく食べることができ、収穫の喜びを感じました。

寺報それからは、時間があると畑に行き、畑の手入れです。とても鍬などでは仕事になりません。少し掘れば、ガチンと基礎の取り残しのコンクリート塊が出てきます。ツルハシやスコップでの土起しの毎日でした。現在、小笠原公の霊屋の工事をしてくださっている植村さんが見かねて、パワーシャベルを貸してくれました。畑の中なら免許は要りませんので、操作を教えてもらい、真夏の炎天下、自分で瓦礫を掘り起しました。さすがにパワーシャベルです。スコップでは汗だくになってもなかなか取り出せないような塊も難なく掘り出してしまいます。「お寺を追い出されたら土建業に転向するのか?」などと冷やかされながら、相当量の瓦礫を掘り出しました。ちょうど庭師が入っていましたので、切った枝や葉っぱなど全て畑に運び、土に混ぜ込むことができました。

寺報その年の秋。今度は園児と大根作りに挑戦。結果は、大根とはとてもいえない細く小さな大根(?)の収穫に終わりました。収穫の後で土を起してみると、前に埋めた葉っぱや枝がまだ腐らず、原型を留めていました。これでは仕方ないので、粉砕機を買うことにしました。

粉砕機は使ってみるとなかなかお勧めです。電気の生ゴミ処理機も使ってみましたが、何と言っても時間がかかります。その点、地面さえあれば、粉砕機にかけて土に混ぜ込む方が処理には手がかかりますが、腐葉土に早くなります。地球を汚さないために、粉砕機を買ってからは、お墓の下げられたお花も、庭師の切った枝も、みんな粉砕機で細かくして腐葉土にしています。

ここでひとつお願いですけれども、お墓の花を下げられましたら、輪ゴムやビニール紐は取っておいてください。輪ゴムやビニール紐が粉砕機に入りますと、からまってしまい、機械が止まってしまいます。からまった紐やゴムを取り除くのにはなかなか手間取ります。環境保全のためにも、お花をゴミにださないようにしたいと思いますので、よろしくご理解とご協力をお願いいたします。なお、親戚の方々にも、よろしくお伝えいただきますよう、重ねてお願い申しあげます。

寺報さて、その次の年。昨年ですが、春に園児とじゃが芋を植えました。この時は昨年の経験がありますので、概ねできることは分かっていました。でも、どれくらいの出来か、気になります。土をそっとどかしたり、指を土の中に突っ込んだり、芋の確認。土の中の芋に指が触れた時などは、「ヤッタァ!!」と、喜びでいっぱいです。 収穫の頃、ちょうど父の日にちなんだ行事を行いましたので、年長児の親子で収穫をしました。前年のことがありますので、あらかじめ、芋は蒸かして全園児で食べますから、お土産に持って帰ることは期待しないで欲しい旨を伝え、みんなで掘りました。出てくる芋は前の年をはるかに上回り、大きな芋がいっぱいです。とても園児だけでは食べきれない量でしたので、急遽、お土産に持って帰ってもらうことにしました。その秋の大根も大根らしいものができました。 園児達にじゃが芋や大根を植えさせるとすごいですよ。名札など付けていませんが、自分が植えた場所をしっかりと覚えているのです。登降園の折に、お母さんを連れて畑に行き、自分の植えたものが芽を出したり、大きくなっているのを教えている姿をよく見かけます。

ところで、インドやタイなどの南方の仏教僧は畑作などの労働はしません。日本や中国の僧侶は作務といって労働をします。何時頃からどのように変わったかご存知でしょうか。

それは中国の唐の時代、達磨大師から8代目の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師からだと言われています。百丈禅師は西暦800年頃に活躍され、百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)といわれる禅道場の修業の規則を作られた方です。現在でも、禅宗の修行道場の規則はこの清規によっています。

寺報それまでは修行僧は労働には携わっていませんでしたが、百丈禅師は作務の中に宗教性を見出し、修行に作務を取り入れました。百丈禅師は95歳の天寿を全うされたという方で、高齢になってからも修行僧と一緒に作務に従事し、1日も怠るということがありませんでした。しかし、弟子たちは、老体の禅師が作務に励まれている姿を見て、その身を案じ、再三、作務を休まれるよう進言します。しかし、禅師は聞き入れません。そこで、弟子たちは相談し、禅師専用の作務の道具を隠してしまいました。道具がなければ百丈禅師といえども作務は休まれるだろうという、弟子たちの考えです。作務の合図の鳴らし物の音を聞き出てきた百丈禅師は自分の道具がありません。それを見て、禅師は部屋に戻られました。それから以後、膳をすすめても決して箸をとられません。老体の禅師の身体を心配して道具を隠して休んでもらおうとしたのですが、、却って食事をとられなくなってしまわれ、弟子たちは困惑の状態だったとのことです。

それが3日も続き、とうとう一人の弟子が進み出て、「和尚は3日も食事をとられませんが、何故ですか」と問いかけました。すると、その時の百丈禅師の答えが、「一日不作一日不食」(いちじつなさざれば、いちじつくらわず)との一言。私は今日1日何もしなかったのだから、今日は食べることをやめにしようというのです。驚いた弟子たちがすぐに道具を整えますと、禅師は喜んで作務に出られ、それ以後は平常のように食事もされたということです。

寺報白隠禅師は、「動中の工夫、静中に勝ること百千億倍す」と言われています。工夫は「修行に精進する」という意味ですので、「静中の工夫」は坐禅をしている状態の修行、「動中の工夫」とは作務をしたり、托鉢をしたり、もっと言えば日常生活の行為そのものの中での修行です。行動している時、とかく「工夫」を忘れがちになりますが、動中においてしっかりと心を離さず、自己を見極めていくことが大切なのです。 この意味で、百丈禅師は清規に作務を取り入れたのです。単に、労働は神聖なものであるとか、働く喜びを知るべきであるというような意味合いではありません。作務を単なる労働と捉えていた弟子たちに、その中にある宗教性に目覚めさせる一言でありました。

この「一日不作一日不食」は、時として「働かざる者食うべからず」と比較されます。また、同じ意味だと思ってみえる方もみえます。この2つの語の違いには大きなものがあります。百丈禅師の「一日不作一日不食」の語は、禅師自らの内よりほとばしりでた言葉で、自らの宗教性による語であり、他人に強要しようとするものではありません。「働かざる者は食うべからず」は、自らの内からの言葉ではありません。他から強制されるものです。自分の内よりでるものと、他から強制されるもの。この違いが、実は宗教性と道徳性の違いなのです。

寺報宗教性と道徳性の違いはよく理解しておかなければなりません。近年、教育界で道徳教育の重要性がいろいろと言われていますが、先程の意味からすると、道徳教育をいくらやっても社会はよくはなりません。道徳は他からの強制ですので、1人になった時は作用しませんし、押し付けには、人は反発します。また、「旅の恥はかき捨て」というように、自分のことを周りの人が知らなければ平気で恥知らずのことをしでかします。1人になっても、自分のことを周りの人が知っていようといまいと、自らの内から出てくる宗教性、そこに重点を置いた教育こそ必要なのです。宗教教育を否定することは、この意味からしても愚かなことなのです。

話が少しかたくなってしまいましたが、作務は禅宗では重要な意味があることはお分かりいただけたことと思います。

私の修行した道場・正眼寺は美濃加茂市伊深町にあります。伊深とはよく言ったもので、周りは山と田んぼと道路沿いに点在する人家。人里離れた山奥とまではいいませんが、いわゆる山村です。寺にも畑や田んぼがあり、田んぼではもち米を作っていました。普段食べる米は托鉢で十分に得ることができましたので、正眼寺の田んぼは托鉢では貰えないもち米を作っていたのです。また、正眼寺は広大な山も持っていましたから、山の植林や下草刈り、伐り出しの作務など、多くの経験をさせていただきました。

寺報その当時を今振り返ってみますと、畑の作務に当っている気持ちの違いをひしひしと感じます。それは何かとよく自己を見つめて見ますと、主体性の違いだと感じます。修行時代、「一日云々」の語も、「動中云々」の語も耳にタコができるほど聞かされましたし、上の役になった時には下の修行者に事ある度に言いもしました。参禅や坐禅だけが修行ではなく、これも大切な修行と励んだつもりです。日暮りゃ腹減るというような修行をしていた訳ではありませんが、よく考えてみますと、やはり心の何処かに、やらさせられているという気持ちがあったように思います。やらさせられているという使役の苦は、六道の畜生界。畜生界から解脱するには、主体的に物事にあたり、主体的に生き、やらさせられているという意識から脱却することが必要です。畑でじゃが芋を作ったり、大根や菜っ葉を作ったりながら作務の大切さを再認識しました。

人生は死ぬまで修行だと言われます。百丈禅師や白隠禅師の語を胆に命じ、一歩でも半歩でも修行を進めていこうと精進しています。

さぁて、外の雨も止んだようだし、この原稿もできあがったことだし、、スコップでも持って、畑にノコノコ出かけるとしましょ。

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