寺報

長者長法身

寺報 もうぼちぼち「萬年山だより」を作らないと、春のお彼岸に間に合わなくなってしまいます。気はあせるのですが、どうも調子が悪い。身体がだるいし、鼻が詰って仕方ない。汚い話で恐縮ですが、鼻をかむとねっとりとした黄色っぽい鼻汁。鼻ばかりかんでいるので、鼻の下が痛くなってきました。どうも風邪を引いてしまったようです。風邪を引いたのは何年ぶりのことでしょうか。調子が悪いなと思ったら薬を飲んで一晩ゆっくりと寝れば、これまでは大抵、明くる朝は気分爽快となっていましたが、どうも今回は違います。 本山に行って、宗務本院の庶務部長さんが筆を洗って拭くために置いてあるティッシュペーパーで鼻をかんでいると、他の部長さんや職員の人たちがどうしたのか聞いてきました。前回、本山に来た時寒かったから、どうもその時風邪を引いたようだと言うと、「今年は杉や桧の花粉が例年の二十倍とも三十倍とも言われているから、きっと花粉症に違いない」「花粉症になると、毎年この時期になると大変ですよ」「テレビで花粉の跳び散る映像を見ただけでムズムズしてきますよ」と、みんなで私のことを花粉症にしたい様子。「そんなことはない。昔、修行していた正眼寺は山の中で、花粉の飛ぶ時は廊下が花粉で黄色くなる程だった。そんな中にいても平気だったのだから」と言うと、「花粉症は突然なるのよ」と、すでに花粉症の事務の人。花粉症にせよ、風邪にせよ、体力には自信があったのですが、どうも今回は具合が悪い。

正眼寺の臘八大接心

寺報そういえば、ついこの間、正眼寺では臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)が終わったばかりです。臘八大接心とは、お釈迦さまが臘月(十二月)八日に悟りを開かれた故事に学び、その恩徳に報いるため行われる接心です。接心は年に六回、道場によっては七回行われますが、臘八大接心はその中で一番厳しい修行の期間で、多くの道場では十二月一日より十二月八日の朝まで行われます。接心は心を摂(おさ)めて散乱させず、ひたすら己事究明、悟りに向かって精進努力することですので、この期間中は坐禅三昧で、托鉢や作務は行いません。もっぱら老師との参禅弁道に励むのです。

正眼寺では、何時の頃からかは知りませんが、十二月ではまだ暖か過ぎるといって、一月十五日から二十二日の朝までをその期間としていました。大寒中の大接心ですから、本当に厳しいものでした。この大接心中は一週間を一日として坐り込むというので、布団を取り上げられ、横になって眠ることはできません。禅堂の障子は日中から夜の八時までは開けっ放しで、風にのって吹き込んできた雪が衣に付いても融けないのです。寒いからといって厚着をしている訳ではありません。雲水(修行者)の着ている着物は、シャツに襦袢、木綿の霜降りの着物に木綿の衣で、毛の物は着ていません。一週間を一日としてというのですから、勿論、風呂にも入りませんし、剃髪も髭剃りもしません。大接心に入って四、五日もすると顔からは血の気が失せ、眼だけがギラギラとした状態で、異様な雰囲気です。最初の臘八大接心の時は、このまま死んでしまうのではないかと思いました。でも、道場にこの後十年ほどいたのですから、不思議なものです。その間、毎年毎年、臘八大接心をこの時期にやっていました。

振り返ってみると、初めの三年ほどは「やらさせられている」修行でした。私の場合、道場に行ったのは僧侶となる資格を取り敢えず得ておこうということでした。中には、修行をしようという強い意志を持って初めから入門される方もみえますが、私はそれほどの願心があって修行に行った訳ではありません。資格を取ろうという程度でしたので、どうしても「やらさせられている」という意識があったと思います。「やらさせられている」という意識では、本当の修行ではありません。自らが主体となって、初めて修行になります。どんな仕事でも恐らく同じだと思いますが、「石の上にも三年」とはよく言ったもので、鈍な私にでも、三年もすると修行の方向が見えてきて、『やらなければならない』『やってみよう』という意識に変わってきました。修行でも何でも、自らの変革が先ず第一に大切なことだと思います。

軍隊と修行道場の違い

寺報「昔、軍隊でも、上になったら楽なもんだった。そんなことを言うのは、上になったから、楽になってのことだろう」という声が聞こえてきそうです。無論、私は軍隊生活の経験はありませんが、軍隊と禅の道場とは、上の者の言うことは絶対的に下の者は服従するというシステムは似ていますが、中身は随分と違っていると思います。軍隊と禅の道場の違いは、例えば、托鉢の仕方をみてみればよく分かると思います。托鉢には連鉢(れんぱつ)と軒鉢(けんぱつ)があります。連鉢は京都のような街中で行います。何人かで十bほどの間隔をあけて連なって「ほう〜。ほう〜」と声を掛けて行う托鉢です。正眼寺のような田舎では、道を「ほう〜。ほう〜」と声を掛けて歩いても、田舎の家は広いし、道路から離れていますので、托鉢になりません。ですから、一軒一軒の軒先に立って声を掛けます。これを軒鉢といいます。

正眼寺での托鉢は全て軒鉢で、概ね三、四人の組で出かけます。無駄を省くために、軒鉢は托鉢区域の遠い方、近い方、人数によっては中間の地域と分かれて行います。近い方を托鉢するのは、例えば三人の内の上の人、中堅の人、新参の人、誰だと思いますか? 軍隊なら当然、上の人だと思います。しかし、道場では違います。上の者が一番遠くへ行って、托鉢をしながら帰ってきます。新参の者は一番近くから托鉢を始めます。正眼寺の托鉢は五里四方といわれ、片道二十qの範囲ですので、遠い所は犬山までも行きます。全て歩きです。上の者はおよそ五十qも歩かなければなりません。上の者ほど多く歩き、大変なのです。

それは何故かというと、修行の眼目は、寒さに耐えることや、坐禅で足の痛さをこらえることではなく、先程も述べましたように己事究明にあるからです。つまり、老師との参禅(問答)や坐禅などを通じ、自己本来の面目を徹見し、自に目覚めることが修行の一番大事なことですので、托鉢や作務などの大変なところは古参の者がやり、新参の者が老師との参禅に集中できるようにという心遣いがそこにあるからです。老師からもらっている最初の公案(簡単に言えば、参禅の問題)が透過しない間は無眼子(むがんす)と呼ばれ、一人前の修行者として見てくれません。せめて一番初めの公案だけでも透過するようにと、上の者は下の者への心配りをするのです。

このこと一つを考えてみただけでも、軍隊と道場とは大きな違いがあることをお分かりいただけると思いますが、その違いは、禅の道場は修行を中心に考えているところにあります。上になればなるだけ、上の者は上の者としての修行があり、決して上になったからといって楽になる訳ではありません。

分に応じた修行

寺報修行について、仏典にでているお釈迦さまのこんな話を思い出しました。
お釈迦さまに、ウパリというお弟子がみえました。お釈迦さまと同じ釈迦族出身で、理髪を生業とする下層階級の出身でしたが、お釈迦さまの説法を聞き、感銘を受け、出家しました。お釈迦さまの下で多くの修行者と一緒に修行に励んでいましたが、なかなか悟りを得ることができませんでした。一人山奥に入り修行して悟りを得ている修行者を見て、自分も山深き所で一人静かに修行すれば、きっと深い瞑想に入ることができ、悟ることができるに違いないと、ウパリは考えました。早速、お釈迦さまの所に行き、自分の思いを伝え、一人での修行を願い出ました。お釈迦さまはそれを許しませんでした。ウパリは何度も願い出ましたが、お釈迦さまは頑として許されませんでした。他の修行者が願い出ればそれを許すのを見て、ウパリは不満に思い、意を決して、その訳をお釈迦様に聞きました。すると、お釈迦さまは次のような例え話をされました。
『清い水を満々とたたえた池があった。そこへ象がやって来て、水浴びを始めた。炎暑の下、象はとても気持よさそうであった。暑さに耐えかねていた兎がそれをとてもうらやましく思いながら見ていた。象が去った後、兎が池に飛び込んだらどうなるであろうか? きっと、兎はおぼれてしまうに違いない』

仏典には多くの例え話が出ています。お釈迦さまの説法は応病与薬といわれ、その人その人に合わせた教えを説かれています。一人で静かに修行するに適した者、大衆とともに修行するのに適した者、人それぞれ適性があります。それをお釈迦さまはウパリに説かれたのです。ウパリはその教えを守り、持律第一と呼ばれる十大弟子の一人となりました。
「長者長法身、短者短法身」(長者は長法身、短者は短法身)という禅語があります。背の高い人は高い人なりの悟りがあり、背の低い人は低い人なりの悟りがあるということです。(因みに、この語は、背の高低という差別があっても、それぞれが法身で、それがそのまま妙相であるという意にも使われます) 背の高い人がよいのでもなく、背の低い人がダメだということでもありません。お金を持っている人、持っていない人。頭のよい人、そうではない人。そのようなこととは関係なく、人それぞれ、その分に応じた修行があり、また悟りがあるのです。

終わりに

話が随分とそれてしまいました。風邪の話をしていたのです。修行時代からこれまで、否、子どもの頃からず〜っと、風邪などあまり引いたことはありませんでした。修行時代はそれこそ一度も引いたことはありません。道場から帰ってからもう二十五年ほどになりますが、風邪を引いたのは二、三度くらい。それも、小児用のシロップの風邪薬を飲んで寝れば一晩で治るくらいの風邪でした。年をとってきて体力が落ちてきたということでしょうか。それとも、気のゆるみがあるということでしょうか。本山に行ったり来たりで疲れているのでしょうか。でも、いずれにしても、「馬鹿は風邪を引かない」といいますから、幸いなことに馬鹿ではなかったようです。

これくらい書けばどうにか『萬年山だより』の格好がつくと思います。もうこれぐらいにして、早く薬を飲んで寝ることにします。え? 薬って、百薬の長と言われる薬だろうって?違いますよ。小児用のシロップの風邪薬です。
皆様も風邪を引かれませんように、充分ご注意ください。では、おやすみなさい。

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