寺報

ありがたかったこと

寺報 今年の暦も残り少なくなってきました。何か年々、一年が短く感じるようになりました。特に今年は、管長猊下が六月に入院されたことも影響し、また、十月には私が修行した正眼寺で六五〇年の遠諱法要や報恩大接心、授戒会があり、それに荷担をしましたので、忙しさが倍増し、この半年間は目まぐるしく過ぎ去りました。お年忌法要を申し込まれても、ご希望にそえないことが多々あり、申し訳なく思っています。

正眼寺は岐阜の美濃加茂市伊深町にあり、山の中の寺なので、交通の便が悪く、どうしても車で行き来をしなければなりません。正眼寺での行事の間に本山の行事があったり、本山の仕事に引き続いて正眼寺の評議に行かなければならなかったり、豊橋、京都、美濃加茂の三角形を飛び回っていました。一日の内に、正眼寺から京都に行き、そして豊橋に帰り、また正眼寺に戻るということもあり、車で全て移動していたら身体を壊してしまいそうです。新幹線の中でどうしたらよいかと思案していましたら、岐阜羽島駅で、「一日六百円」「一日五百円」という駐車場の看板が見えました。安いではありませんか。

岐阜羽島から京都の本山までは新幹線ですと一時間ほど、車ですと二時間ほどかかります。そこの往復を新幹線にすれば、時間的にも短く、身体も楽です。そこで、岐阜羽島と京都との新幹線の回数券を買いました。それで随分と助かりました。因みに、岐阜羽島駅の周辺の駐車場は、安い所ですと一日四百円の所もあります。料金は一日は一日の計算で、時間制ではありませんでした。

何はともあれ、この大変な時期を乗り越えることができました。乗り越えることができましたのは、ひとえに檀信徒の皆様、茶道関係の諸先生方のご理解とご協力、勿論、身内の者の支援があればこそと、本当に有り難く、感謝いたしています。

ここから本題

寺報さて、今年、有難いことがもう一つありました。それは、「更に参ぜよ三十年」という語がありますが、全くその通りだと感じさせられたことです。
というのは、臨済宗と黄檗宗はともに禅宗といわれる宗派です(禅宗にはもう一つ曹洞宗が日本には伝わってきています)が、臨済宗と黄檗宗は非常に縁の深い宗派ですので、臨済宗黄檗宗連合各派合議所(臨黄合議所)を設立し、臨済宗各派と黄檗宗の連携を図っています。その組織の中に、各本山の教学部長で構成される教学部長会があります。

私が東福寺派の教学部長に就任した頃、今後の禅門発展のためには若い僧侶にもっと力をつけてもらうことが必要であるという観点から、臨黄全体での教化研究会を発足させようという話が教学部長会の中でされていました。勿論、各本山では、それぞれの本山主催の研究会や研修会は行われていましたが、臨黄全体のものはありませんでした。それぞれの本山での研究会ではどうしても内輪のこととなり、内容を深めるには難があります。大きな視野に立つには大きな舞台が必要であるということで、教学部長会でいろいろと案を練り、やっと今年、第一回目の教化研究会を開催することができました。多くの研修会が講師の話を拝聴するだけで、お説ごもっともだけで済んでしまい、その場が過ぎれば忘れてしまいがちです。。そこで、この研究会は講演は基調講演だけとして、それを基に、それぞれが皆、専門道場で修業してきた者ばかりなのだから、意見を出し合い、自己研鑽、己事究明の場とするという趣旨で行われました。

修行の中身について話し合う場はこれまでありませんでしたから、かなりいろいろな意見が出て、見方の違いや、これまで気が付かなかったことに気付かせてもらったりと、参加者からはなかなか好評でした。

基調講演は臨済宗の宗門の大学・花園大学の前学長の西村惠信先生にしていただきました。西村惠信先生も僧侶ですので、常々感じていることを率直に話されました。私共教学部長会でこの研究会をやろうという趣旨は先ほど述べた通りですので、その内容はねらいによく合致していました。 先ず、在家出身の先生は、小僧生活、師匠の思い出、修行時代、そして学究生活を通じての禅思想の構築と、自身のこれまでを振り返り、「仏教とは何か」を説かれ、禅宗坊主としてまだまだ未熟であること、先生の言葉を借りますと、「恥を識る」ことを分からさせてもらったことが自分の今の宗教体験であると言っても過言でないと断言されました。私は、「なるほど、もっとも」「うん、うん。向上心がなくなったら、それで終わり」などと、合点しながら聞いていました。白隠禅師をはじめ中国・日本の禅僧の話をまじえ、禅の素晴らしさ、修行の大切さ、己事究明がこれからの世界にとって必要なこと等、縷々話されました。愚鈍な私は「その通り、その通り」と、他人事のような感覚で聞き入っていました。自分は教学部長であり主催者側、今日の研究会に参加した若い僧侶たちよ、これを聞いて奮励努力せよと言わんばかりの気持ちでした。

時間が半ばを過ぎた頃、「だいたい、僧侶は勉強していない」と、厳として一言。恥ずかしながら、まだこの時は、「その通り、その通り」の立場でした。その後、「年忌法要をして、般若心経を読んだり、大悲呪を読んで、何万円というお布施をいただいているが、心経や大悲呪の意味を知っていますか? この頃は『傍訳禅宗経典』というのが四季社から出ていて、随分とニーズがあるらしく、よく売れているそうです。在家の人でも買って読んでいるのですよ。・・・プロ野球の選手がルールを知らずにマウンドに立てますか? 立てはしませんよ。しかし、君らは何も知らないで床柱を背にして、立派な座布団に坐っているじゃないか。誰よりも自分自身にとって、これほど屈辱的なことがありますか? まだ信用されて救われているが、救われないのは君たちじゃないか。これほど誰が聞いても許されないことが堂々と行われている。これでもって禅宗坊主を語っているという、この欺瞞はどうですか?」(基調講演録より)と、切なる声で語られました。吃驚しました。本当に驚きました。鈍な私でも、これには参りました。

お経の読み方

寺報私の学生時代、般若心経の「ギャーテイ ギャーテイ・・・」や大悲呪、佛頂尊勝陀羅尼など、真言とか陀羅尼といわれるお経は、釈尊の生の言葉で秘密の故に訳してはいけないと言われ、西遊記で有名な三蔵法師玄奘などの翻訳僧はこの類のお経は音を写しただけであると教えられました。

また、専門道場では、老師から耳にタコができるほど、「お経には二つの読み方がある。一つはお経の意味を解して実践し、向上の糧とするという読み方。もう一つは、お経になりきるという読み方だ」と教えられました。禅の修行は『なりきること』が眼目です。というのは、『菩提和讃』の中で、「衆生おのおの佛性を 受けて生まれしものなれば 一念不生に至るとき たちまち仏性現前し 老若男女もろともに その身がすなわち佛なり」と説かれていますように、自己の内の佛性に目覚めるためには一念不生にならなければなりません。『我』を捨て、ただひたすらになりきってみる経験がなくては、一念不生の境涯は分かりません。ですから、道場では、『なりきる』ことを大切にします。

また、仏教の基本的な教えを説いている般若経典は、『空』の教えを説いていますが、その空を理解するためには、なりきって、空の体験をしなければなりません。ですから、よく考えてみれば、二つの読み方は表裏一体の関係にあるわけで、決して二つが別々のことではないのです。口先だけのお経や念仏は何の功徳もないということなのです。

スヴァーハー

以上の理由で、陀羅尼の意味は知らなくても、それでよしとしていました。でも、これはいけない。さっそく勉強しなくて・・と思い、花園大学内の禅文化研究所に問い合わせました。紹介されたのは『臨済宗の陀羅尼』(木村俊彦・竹中智泰共著)という本でした。

臨済宗の陀羅尼という書名の通り、臨済宗で通常使われる陀羅尼経が原典のサンスクリット語のお経に基づいて翻訳されています。それを読みながら、顕教である禅宗が何故、密教の真言・陀羅尼の類のお経を読むのだろうかと疑問に感じました。現在の中国の臨済宗のお寺で読まれているお経にも、勿論、その発音は私たちが読んでいる音とは違いますが、同じ陀羅尼のお経が読まれています。中国に渡って修行された栄西禅師、聖一国師などが中国のお寺で読まれていたお経を持ち帰ってきたのですから、それは当然のことといえば、当然のことなのですが、何故、密教のお経を読むのでしょうか?

寺報いろいろと考えてみますと、今私たちは、禅宗・浄土宗などの顕教と天台宗・真言宗などの密教に仏教を分けています。その立場からすると禅宗で密教のお経を読むことが不思議に感じられますが、臨済宗を初めに伝えた栄西禅師にしても、東福寺の開山さま聖一国師も顕密併修であったことを考えると、その当時の中国ではそれほど顕教だの密教だのと分けていたわけではないのかもしれません。密教がインドで起こったのは五世紀頃のことですから、それが中国に渡り、すでにあった各寺に新しい教えとして広まっていき、顕密併修の状態で行われていたということは十分考えられることです。現在の顕教と密教を分けている立場で考えると違和感があるのだと思われますが、このことについてはこれからなお勉強しなくてはと思っています。

この本を読んで初めて知ったことがあります。それは、般若心経の真言の最後の言葉の『薩婆訶』(ソワカ)と、大悲円満無礙神呪(大悲呪)に度々出てくる『娑婆訶』(ソモコ)とが同じ言葉であったということです。元の言葉は『スヴァハー』で、「幸あれ」とか「万歳」というような意味だそうです。参考のために、『臨済宗の陀羅尼』の大悲呪の翻訳を見てください。

いかがですか。大悲呪の意味はこのようでした。後ろの方の「猪の顔を持ち、またライオンの顔を持つもの」だとか「大きなこん棒を携えしもの」のように、ちょっと意味不明な部分もありますが、どこにも『金儲けさせてくれ』だとか、『地位・名誉を与えてくれ』というような我欲を満たすことを願う言葉はありません。般若心経の「ギャーテイ ギャーテイ・・・」の意味は、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」(中村元・紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』)です。これにしても秘密にしなければならない理由が分かりません。インドの人々は自分たちの言語なのですから、唱えていて意味が分かるはずです。それを中国語に翻訳する時に何故に、秘密の言葉として音を写し、意味が分からないようにしてしまったのでしょうか? 分かりません。もっと言うならば、大悲呪の中の貪り・怒り・愚痴妄想の害毒の滅除の部分や、心経の陀羅尼の内容は、修行して悟りに向かおうということを説いているのですから、秘密にするより、意味が分かるようにして唱えた方が意義があると思いますが、如何でしょうか。それはそれとして、この「スヴァーハー」は「幸あれ」とか「万歳」というような意味であると訳されていますが、どうも、「幸あれ」という言葉より、「有難い」「素晴らしい」という言葉の方がよく合う気がします。「スヴァーハー」「素晴らしい」・・よく似ているではありませんか。

子育てにおいて、子どもを叱るより誉めることが大切だと言われます。誉めることは、子育ての場合だけでなく、大人の世界でも大切なことです。誉めるためには、相手の良い所を見付けなければなりません。その努力をすること、そしてそのような眼を養うことは、自分の成長にも役立ちます。 「スヴァーハー」は大切な言葉だったのです。西村惠信先生の厳しい言葉のお蔭で、それを知ることができました。西村惠信先生に「スヴァーハー」。この拙い文を最後まで読んでくださった貴方に「スヴァーハー」。そして、人生の修行に励んでいる方に「スヴァーハー」。この尊く貴重な人生に「スヴァーハー」。この尊く貴重な人生を与えてくださったご先祖様に「スヴァーハー」。本当に不思議な大自然・大宇宙に「スヴァーハー」。「スヴァーハー」。「スヴァーハー」。

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