寺報

まず自分が精進しよう

寺報 最近の日本は一体全体どうなっているのでしょうか。耐震強度の偽装事件、ライブドア事件、そして今度は防衛施設庁の談合事件。本当に検察庁関係の方々はお忙しいことと思います。坊さんと警察は暇な方が世の中平和なのですが、どうもそのようではありません。

これらの事件に共通することは、金銭に対する執着です。お金はないよりもあった方がいいとは思いますが、お金に執着することは慎まなければなりません。財物への執着は、六道の内の餓鬼道です。餓鬼道は、足ることを知らない無知より生じます。漬物の「たくわん」を考案したといわれる沢庵禅師は、徳川将軍の剣術師範・柳生宗矩に書き与えた「不動智神明録」で、無心の大切さを説いています。「無心の心と申すは、固まり定まりたる事なく、分別も思案も何も無き時の心、総身にのびひろごりて、全体に行き渡る心を無心と申す也。どっこにも置かぬ心なり。石か木かのようにてはなし。留まる所なきを無心と申す也」と言い、留まる心、執着の心を戒めています。

お金さえあれば何でもできるという拝金主義者の周りには拝金主義の人しか集まりません。お金に執着した拝金主義の人はお金が大事なのですから、如何に自分が儲けるかしか考えていませんので、隙さえあれば他人の足をすくおうと考えています。油断も隙もない毎日、それで幸せなのでしょうか。

徳川家第三代将軍家光と沢庵禅師との間に次のような逸話があります。
ある日、家光が沢庵に、「余は近頃何を食べても味がない。何か口に合う美味はないか」と聞いたところ、沢庵は、「それはいと易きこと。明日の早朝よりわが庵へお越しください」と答えました。大喜びの家光に沢庵は、沢庵が主人で、家光が客ですので、我がままは言わないこと、そして、何事があっても中座しないことを約束させました。そして翌日、家光は小姓を召し連れ、沢庵の庵を訪ねました。時は寒の真っ最中、夜明け頃より降り出した雪で辺りは一面の銀世界。迎えに出た沢庵と雪景色の素晴らしさを楽しんだ家光は茶室に通されました。「しばしお待ちを」と、沢庵は引き下がりました。家光は雪景色を見ながら、「何をご馳走してくれるであろうか」と、待ちこがれていました。でも、昼になっても、一向に沢庵は出てきません。名君と言われる家光もさすがに癪に障ってきましたが、昨日の沢庵との約束があります。小姓に台所の様子を見に行かせても、何やらゴトゴトと音のするばかりとの返事です。

寺報中座して帰ってしまう訳にいかず、じっと空腹を堪えているより他ありません。腹が空いて目が回りそうになった頃、やっと沢庵が襖を開け、「甚だ遅くなり恐縮に存じます。やっと沢庵手製の料理ができあがりましたので、ご賞味あれ」と、お膳を差し出しました。膳の上にはお椀と皿に二切れの黄色い物だけです。この黄色い物は何だろうと思いつつ、椀を開けてみると、お茶漬けです。それでも家光は腹が減って仕方ないので、一気に食べ始めました。この黄色い物は少し塩気があって、実にお茶漬けに良く合う。家光は何度もお替りをして、「この黄色い物は一体何か」と訊ねました。「大根の糠漬けです」と、沢庵。

家光はすっかり感心しました。この時、沢庵は威儀を正し、「上様は征夷大将軍の御位で、人間の富貴この上も無く、結構なる物ばかり食されています。そして口が贅沢になり、うまみがなくなっています。故に、愚僧が今日ご招待申しあげ、空腹を待ち、粗飯を差し上げたのですが、それにお怒りになられるのではなく、美味との御意。空腹の時ほど、粗食でも味の良きことはございませぬ」と、家光の奢侈をそれとなく戒められました。家光はこれを聞き、「和尚、今日の馳走は身にしみて、まことに結構」と殊勝な態度で、「権現様(家康)は千軍万馬の間を往来され、一日に二度の食をもされずにおられたことがあったそうだ。余はその功労で天下の将軍となった。余が贅沢をしては済まぬことである」と答え、「しかし、和尚、空腹の時に食事をするのは美味いが、満腹の後での小言は甚だ美味くないものじゃ」と大笑いをされたとのこと。

後年、大根の糠漬けを沢庵漬というようになったのは、このことによっているとのことです。沢庵禅師もすごいですが、さすがに名君と言われるだけあって将軍家光も素晴らしいではありませんか。金銭に執着して、金に任せての贅沢に対する大きな戒めであると同時に、幸せ感は意外と身近なところにあることを教えてくれています。上に立つ者はとかくその権力に溺れてしまいがちで、他人の忠告を素直に受け入れなくなるものです。上に立つ者は、家光のこのような姿勢が大事だと思いませんか。どこかの国の首相も見習って欲しいものです。 もう一つ、これら最近の事件で考えさせられるのは、責任逃れです。過去の多くの事件でもそうですが、「記憶にございません」とか、「別の問題」とか言って、責任の転嫁に終始している姿は何とも醜いものです。幼稚園の子ども達に嘘を言ってはいけないと教えていますが、大人が、まして国会議員や経営の首脳といわれる人々がこのようでは、日本の国がよくなるはずはありません。

寺報 そういえば、これも沢庵禅師の逸話だったと思いますが、・・・確信はありません。でも、それが沢庵禅師でも一休禅師でもかまいません。話の内容が大切ですから、ここでは沢庵禅師ということとしておきます。

これも江戸時代初めのことです。
しんしんと雪の降っている中を、一人の武士が沢庵禅師を訪ねました。その武士は関が原の合戦にも出陣し、相当の手柄を立てていました。それが誉れではありましたが、戦で手柄を立てるということは相手の国の武士を殺すということですので、多くの人を殺したということへの罪悪感もありました。そこで、沢庵禅師を訪ね、「自分が犯した人殺しは、主君の命によるものです。戦がそうさせたのです。敵を殺さなければ、自分が殺されてしまいます。私に多くの人を殺した責があるのでしょうか」と、訊ねました。

恐らく、この武士は、沢庵禅師に、「それは戦の所為であるから、お前さんには責はない」と言って欲しかったに違いありません。そして、自分のそのことに対する罪悪感から逃れたいと思っていたと思います。しかし、沢庵の答えは、その武士の思惑とは異なっていました。武士はその答えに満足せず、何としても責は主君にあり、戦にあるということを認めさせようと必死に訴えました。すると、沢庵はやおら、「汝、庭に出て、あの松の木の枝を揺すってみよ」と命じました。その武士は不審な顔をして庭に下り、命ぜられるままに雪の積もった松の枝を揺すりました。どうなりますか? 当然ですよね。 その武士の頭に枝に積もった雪がバッサリ。
「どうだ、冷たいか?」と、沢庵。この時、この武士は、ハッと気が付いたとのことです。

寺報 そうなのです。いくら他人から命ぜられたといえども、自分が行ったことの結果は自分に帰ってくるのです。「私は誰々に言われたからやった」と言っても、実際に行ったのは自分なのですから、その責は自分に帰ってきます。因果を晦ますことはできないのです。責任逃れをしても、駄目なのです。

でも、現在の我が国では、拝金主義や責任逃れが横行しています。時代の趨勢だから仕方ないと、皆があきらめてしまったらどうなるのでしょうか。ますます悪くなるに違いありません。「自分が死んでしまった後の世の中のことなんて、自分には関係ない」などという身勝手な考え方や、「自分さえよければ、他人はどうなってもかまわない」という利己的な考え方がその土壌を作っています。その土壌を構成しているのは、我々一人一人です。身勝手な、利己的な考え方を、我々一人一人が捨てる努力をする必要があります。

「自分一人が身勝手な、利己的な考えを捨てても、たった一人のこと。社会全体からしたら大した力にならない」と言われる方がみえますが、それは違うと思います。本当にそれらを捨て、執着の心を捨て去り、それに徹すれば、その人はお金や地位などとは無関係の大いなる悦びを味わうことができ、自由の境涯に活きることができます。先ず、自分が、今生きているこの場で、精進努力することが大切です。仏教はここを説いているのです。

大切な子ども達の、これからの世界が良くなるか悪くなるかは、今の大人達の責任です。今回のこれらの事件を他人事とせず、真剣に一人一人が自分のこととして考え、自己を見直す契機としたいものです。

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