寺報

窮して変じ 変じて通ず

寺報この冬はどうなっているのでしょうか。京都の本山への行き帰りの関が原の雪景色を楽しみにしているのですが、全く雪はありません。暖冬とはいえ、異常としか言いようがありません。

禅の修行道場では、お釈迦さまが十二月八日に成道された故事に因み、その恩徳に報いるために、十二月一日より八日の朝まで臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)を行います。この期間中は昼夜を分かたずに、また横に臥すこともなく、ひたすらに坐禅・修行をします。接心は年に六回行われますが、この臘八大接心は特に厳しい修行の期間です。私の修行した正眼寺では、十二月ではまだ暖かいからと、大寒中の一月十五日から二十二日の朝までをその期間としていました。

接心中は毎日『提唱』といって、『無門関』や『碧巌録』などの祖録を講本として宗旨の大要を提起し演法する時間があります。本堂の本尊さまに向かい合うように提唱台を設け、老師が提唱するのを修行僧は両脇にて坐禅をしながら拝聴します。私が修行時代、大寒中といっても暖かい日がありました。すると、老師は提唱中に提唱台の上から、「何だ、この暖かさは。臘八大接心だというのにお前たちがのんびり構えているからだ。気概が足りん」と、大きな声で叱咤し、奮励するようにと獅子吼(ししく・仏が説法するのを、獅子が吼えて百獣を恐れさせるような威力にたとえた語)されたものです。今年のこの暖かさでは、正眼寺の今の老師もきっと地団駄を踏んで、大声を出されていたことと思います。

臘八大接心の頃になると、いつも修行時代の臘八大接心のことをいろいろと思い出します。私は新到一年目の臘八大接心の少し前に妙心寺の管長であった逸外老師の隠侍(老師の身の回りの世話をする役)となって京都に行きましたので、新到での臘八大接心は経験していません。でも、その後道場から寺に帰るまで毎年この時期には臘八大接心を行っていました。

寺報正眼寺の冬は本当に寒く、廊下を雑巾がけをすると拭きながらその一方で凍っていくという有様でした。冷たいからといってお湯を使うと、霜焼けになったり、アカギレになります。冷たい水で雑巾をしぼるのですから、かじかんだ手では力が入りません。よくしぼらずに拭くと、雑巾の水が凍って滑り、カエルが車に轢かれたような格好で顔面を廊下にぶつけ、悲惨なこととなります。広い所を時間内に掃除をしなければならないのですから、何度も痛い思いをしました。

臘八大接心中は夜の八時まで窓を開けっぱなしです。しんしんと降る雪の時は静かで、坐禅をしていても気持ちよく坐れますが、風のある時は禅堂の中まで雪が吹き込んできます。坐っている衣に雪がついてもなかなか融けないのです。でも、「これくらいの寒さに負けていて、悟りを得ることなどできるか」と、更に奮起して坐禅に打ち込むのです。

四年目の臘八大接心の時、典座寮(てんぞりょう)の寮頭をしました。典座寮は食事の支度をする職で、通常は二人か三人で当番と非番に分かれてその仕事に当たります。寮の中で一番古い者を寮頭といい、下の者は寮子といいます。私が正眼寺にいた頃は雲水が四十人近くいました。当番は一人ですので、その食事の支度は大変でした。米を研ぐのも、汁の実を準備するのも、漬物を漬物小屋から出し支度するのも、みんな一人でします。漬物は沢庵漬ですので、重しを軽くすると空気中の水分を吸って、すっぱくなります。横着をして重しの石の数を減らすとすぐに味が変わりますので、手を抜くことができません。漬物の樽の大きな石を下ろして、タクアンを出し、また石を載せる作業は骨の折れる仕事でした。臘八大接心中は、どの寮も寮頭が一人で当番をし、寮子は禅堂に詰めます。寮頭は一週間のそれぞれの寮の仕事を一人で全てするのです。

臘八大接心中は信者さんからの供養がありますので、日常の献立よりもご馳走になります。ご馳走といっても肉や魚がつくわけではありません。何しろ、道場の中は全くの精進料理ですので、出汁に鰹節だって使いません。野菜ばかりの料理ですが、おかずがついたり、ご飯や汁の実がよくなります。それと、夜には身体が冷えますので、茶粥や甘酒がでます。それらを支度するのは典座の仕事ですから、通常よりも臘八大接心の留護の寮頭の仕事はずっと多いこととなります。

禅堂でひたすらに参禅弁道に励む雲水の修行が進むようにと気を配り、少しでも美味しい物を食べていただけるようにと、典座の留護の者は心を砕くのです。だからといって、老師への参禅を行なわなくても良いということではありません。臨済宗の修行は何といっても、老師への参禅が眼目なのですから、仕事が忙しいからといって参禅をさぼることは許されませんし、それをおろそかにすれば修行僧ではありません。少しの時間を見つけては一人で坐禅し、老師からいただいている公案(こうあん・公府の案牘といい、公の法則条文のこと。転じて、禅門では学人が分別情識を払って参究悟入するための問題のこと)の究明に力を注ぎ、老師への参禅をするのです。

寺報臘八大接心は古参の者も新到の雲水も誰もが心血を注ぎ、己事究明に精を出します。眼の色が変わると言いますが、本当にみんなの眼の色が違ってきます。三、四日も過ぎますと、顔からは血の気が失せ、生きているのか死んでいるのか分からないという状態でも眼だけはギラギラしています。私が典座の留護のこのような状態の時のことです。臘八大接心中の献立は接心が始まる前に上役の方から指示があります。その日の斎座(昼ご飯)は、ワカメを炒って細かくしご飯にまぶすワカメ飯でした。粥座(朝ご飯)が終わり、片付けをして、ワカメの支度をし、ご飯も炊いて、火の始末を確かめ、「よし。準備万端整った。これで提唱後にすぐに大衆(だいしゅう・修行僧全員のこと)に斎座を出せるぞ」と、おもむろに老師の提唱に出頭しました。提唱が始まり、聞いている内に上の瞼と下の瞼が意思に反してそっと仲良くなりだしました。うとっとしたような気がしますが、それがどれくらいの時間だったかは定かではありません。はっと正気に戻り、「まてよ。今日はワカメ飯だったな。塩飯を炊いたかな?」と、さっき炊いたご飯のことが気になりました。ワカメ飯は塩を入れて炊かなければ美味しくありません。どうだったか思い出しても、塩飯を炊いた記憶はありませんでした。白的(はくてき・米だけで炊くご飯。道場の通常は麦飯なので、米だけのご飯はご馳走)を炊いてしまったのです。頭が真っ白になりました。それからは、老師の提唱はもう耳に入ってきません。「どうしよう。どうしたらよいか」と、血の気が失せる思いで、提唱の時間中、この失敗をどう克服するかを真剣に考えました。眠っている暇などありません。それこそ、いろいろ考えました。提唱が終る頃、一つの結論に達しました。それは後に知ったのですが、お寿司屋さんが酢飯を作る時、ご飯を切るようにして混ぜるということと同じでした。濃い塩の湯を作り、シャモジを浸して丁寧にご飯粒が潰れないように混ぜるのです。

寺報提唱が終わり、急いで寮舎に戻り、すぐにとりかかりました。大きなかまどで炊いたご飯を飯器に移しながらその作業をしていると、同期に入門した泰っさんが、老師用のご飯を取りにきました。泰っさんは老師の隠侍(いんじ・老師の身の回りの世話をする役)として留護していました。泰っさんは以前、典座の役をしたことがありましたので、私がやっていることが不思議に思えたのでしょう。「何してるの。このお湯は何?」と、例の塩の湯に指を突っ込んで、ペロリ。「あっ! 分かった。白的を炊いたな」と、すぐに分かってしまいました。でも、こちらはそんなことに構っておれません。真冬でも汗が出るほどに一生懸命にご飯を切りました。泰っさんはワカメを混ぜ、老師の分のご飯を持って、「まぁ、頑張って」と言って戻っていきました。準備を整え、斎座の合図をし、禅堂の雲水が食堂(じきどう)に集まり、斎座が始まりました。冷や汗をかく思いで大衆の食事の様子を見ていると、別段何も問題がありそうな様子はありません。直日さん(じきじつ・禅堂内の指導的役割をする長)も粛々と食べています。何か問題があればすぐに罵声が飛んできますが、静かに食べています。内心ほっとしていると、泰っさんが老師の所から下がってきました。笑いをこらえながら、「宗っさん(じゅっさん・私の修行時代は琢宗という名でしたので、下の字の宗で通常は呼ばれます)。老師が、『今日のご飯は実に美味い。上手に炊けている』と誉めていたよ。宗っさんのさっきの姿を思い出して、可笑しくって、可笑しくって」と、必死に笑いをこらえています。臘八大接心中で、みんなが修行に神経をとがらしている時なので笑い声など立てる訳にいかず、必死にこらえているのです。それを聞いて、安堵したと同時に、老師が常々言われている「窮して変じ、変じて通ず」という語が身にしみました。修行は窮しなければ本当のものを見ることができない。窮して、窮して、とことん窮して工夫してこそ、そこに変じるところがある。その変じる体験が大切であるということです。窮すること、工夫することの大切さを身をもって体験できた有難い経験だったと、今でも忘れません。

話は変わりますが、過日、本山の宗務総長の選挙がありました。現総長の青木謙整師が当選しました。これからの任期三年間、また私に部長をせよとの厳命です。現在の財務部長はもう長いこと財務の職にありますので、宗議会でも長過ぎるとの声があがっています。恐らくこの任期で交代だと思います。財務部長を誰がやるのか、私がどの部長になるのか、今はまだ総長の胸の内、発表はありません。今、本山では宗門の規則改正に取り組んでいますので、部長が二人も交代する訳にはまいりません。次の任期も本山勤めをしなければならないと存じます。

今年、還暦を迎えましたが、「窮して変じ、変じて通ず」る処に向かって、更なる精進をしなければならないと思っています。皆様には、不在がちでご迷惑をおかけいたすことと存じますが、よろしくご寛恕のほどお願い申しあげます。

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