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Top Pageおはなし>さいしょに−釈尊−前編
釈尊の生きた時代
お釈迦さまのお名前は、姓をゴータマ、名をシッダールタといいます。また、お悟りを開いたシッダールタを悟った人という意味で「ブッダ」と呼ぶこともあります。ここでは、釈尊-しゃくそん(釈迦牟尼世尊)と呼ぶようにします。
釈尊(お釈迦さま)は紀元前566年、もしくは紀元前463年から80年間生きられたとされています。このころのインドは階級制度を基盤にしたバラモン教の時代でした。しかし、もともと哲学的な思考の盛んな国だからでしょうか、苦行、修行をしてさらなる真理、真実を求める風土がありました。
当時、インドは多くの国に分かれておりました。シッダールタは、現在のネパールにあった釈迦族の国、カビラ国の王子として誕生しました。父の名はシュッドーダナ(浄飯王)、母の名はマーヤー(摩耶)といいます。花が咲き乱れるルンビニーの園で、マーヤー夫人の右脇からシッダールタは誕生したといわれています。右脇から生まれるなんでインド人もびっくりですね。でも、それは貴族階級であるクシャトリアは脇から生まれてくるというインドの言い伝えからきているようです。
シッダールタ王子
お釈迦様は生まれていきなり七歩あるき、天と地を指差して「天上天下唯我独尊」といわれたとされています。この言葉は、この世の中で自分だけが最高に偉いなんていう意味ではなく、「この広い広い宇宙の中で、すべての人はそれぞれがかけがえのないたった一人のオリジナルの存在である。だからこそすべての人が同じように尊い」という意味です。
さて、シッダールタ(お釈迦様)は王子として何一つ不自由のない生活を送っていました。美しいお嫁さんをもらい、子宝にも恵まれました。すべては順風満帆でしたが、あるとき城の東門から外にでるとよれよれの老人と出会い、老いる苦しみを目の当たりにしました。また、別の日に南門から外にでると、そこには疫病にかかって倒れている人に出会い、病む苦しみを知りました。さらに、西門から外に出たときには、死人を見て死の苦しみに出会いました。老、病、死の苦しみにショックを受けたシッダールタがあるとき北門から外にでると、そこには出家修行者がいました。その修行者の崇高な姿に心をうたれたシッダールタは、身分、そして家族までも捨てて修行することを決意し、29歳の頃、出家しました。このエピソードを四門出遊(しもんしゅつゆう)といいます。


ルンビニー
ネパール王国の南部、インド国境の近くにあります。仏教の四大聖地の一つです。
最近、観光資源欲しさにか、インドがルンビニーは実はインド国内にあるっていいだした事があった気がします。


花御堂
花御堂
4月8日は花祭り、甘茶を誕生仏にそそいで釈尊の御誕生をお祝いします。


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