厳しい修行
ひそかに宮殿を抜け出したシッダールタは、川のほとりに立つと装束を脱ぎ、苦行と放浪の人生に足を踏み入れました。釈迦族の王子という地位、愛する奥さんと子ども、裕福で安定した暮らし、シッダールタはこれらすべてを捨てて沙門(修行者)になりました。
シッダールタは、真理を追究するために、炎熱、酷寒の厳しい環境の中、師を求めてさまよい、また、呼吸を止めたり断食をしたり、体を痛めつけたりと極限まで自分を追い詰めました。六年もの間、そのような苦行を続けたのですが、そこから答えを見つけることはできませんでした。
苦行からは悟りをえられないと解したシッダールタは、苦行から離れ、村の娘、スジャータの捧げた乳粥を飲み干すと、菩提樹のもとに坐り、深い禅定に入りました。悪魔の誘惑、脅迫などの邪魔を退け、明け方、明星を見てとうとうお悟りになりました。
大悟して・・・
ブッダ(悟りをひらいたもの)となったシッダールタは、しばらく瞑想にふけりながら、この無上の悟りを十分に味わいました。この悟りは人には受け入れられないであろうと思い、自分ひとりで満喫することにしていました。ところが、インドの最高神ブラフマー(梵天)に悟りを広めるように促されました。懇願されたブッダは、広めることを決心し、最初に鹿野苑(ろくやおん)といわれる苦行林に赴き、かつての修行仲間5人に語りました。その5人は、「苦行を放棄した人間の言うことなんて、、、」と軽くみていましたが、ブッダの悟りの内容を聞いて深く感動し、ブッダに帰依するようになりました。このことを初転法輪といいます。
その後、ブッダの伝道活動により、その教えはたちまちに広まっていきました。ブッダは弟子たちとともに歩きまわり、老若男女を問わず、身分・貧富の差に関係なく教えは受け入れられていき、教団はふくれあがる一方でした。
そのように、身分、立場、年齢を超えて受け入れられた理由は、仏法の内容もさることながら、ブッダの説法の仕方によるところも大きいのです。ブッダは、一人ひとり相手の心を汲み取り、その相手に合わせて仏法を説きました。これを対機説法といいます。または、その方法が医者が病状に合わせて薬を処方することに似ていることから、応病与薬ともいわれます。
ブッダも人の子
ブッダも人の子、やがて死が訪れます。45年もの間、仏法を説いて歩き回った後、弟子のアーナンダを連れて最後の旅に出ました。途中、クシナガラで死期をさとったブッダは、二本の沙羅の木(沙羅双樹)の下に体を横たえました。
嘆き悲しむ弟子たちに対し、ブッダは、「悲しんではいけない。たとえ体が滅びようとも仏法はいつまでも生き続けるのである」と言われ「自灯明法灯明・・・自らを拠りどころとし、仏法を拠りどころとして生きなさい。それがあなたたちのつとめである」と説かれました。その教えを残され、2月15日、入滅されました。
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菩提樹 ブッダガヤーのこの木の下でシッダールタは禅定に入り、大悟した。
大悟した日
12月8日の明け方、大悟した(成道した)といわれます。それを記念して12月8日には成道会が行われます。
初転法輪
ブッダが初めて法(ダルマ=真理)の輪を転がしたという意味でこう呼ばれます。
涅槃図 2月15日
釈尊が入滅された日として涅槃会がおこなわれます。
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