2018年02月03日  葛城市でのフィールドワーク
  先月(2018年1月)27日にはISC・21の月例研究会が奈良でありましたが、翌28日は今回の世話人Tさんの地元、葛城市でフィールドワークを行いました。

  昨年の同じ時期、やはりTさんに案内していただいて、野見宿禰を祭った相撲神社や三輪神社など桜井市周辺をめぐりました。 
 
 今回訪れた当麻寺(たいまでら)は桜井市の西方、生駒の山並みよりもずっと南、二上山や岩橋山の麓近くに位置しており、近くには牡丹や芍薬で有名な石光寺(せっこうじ)もあります。
 
    當麻寺は聖徳太子の異母弟麻呂古王によって7世紀に建てられたともいわれていますが、実際のところははっきりしないようです。このお寺は伝説の人物、藤原豊成の娘中将姫によって織られたという「當麻曼荼羅」で有名なのだそうです。

  當麻曼荼羅は本堂にありましたが、残念ながら全体が金網で覆われているうえに、色あせていてよく見えませんでした。

(左の図像は当麻寺奥の院のHPに掲載されていたものです。http://www.taimadera.or.jp/)
  本堂から見て右手に位置する金堂には、弥勒仏とともに四天王像が置かれています。この「乾漆四天王立像」はどことなくエキゾチックな雰囲気が漂う写実的な像で、たいへん素晴らしものでした。
 それまで崇拝する神の具体的な形象を持たなかった天平・白鳳の人びとにしてみれば、こうした写実的な偶像を初めて目にしたときにはさぞかし肝を潰したことでしょう。

 渡来人たちは当時の先進技術・芸術を極東の素朴な人びと見せつけることで、先進国へのあこがれをとともに、仏教に帰依しようとする人たちの気持ちをかき立てたに相違ありません。

 残念なことに堂内は全て撮影禁止のため、これらの仏像をjpg画像として保存することはできませんでした。やむなく、ここだけは禁止されていなかった仁王門の金剛力士像(阿形)を撮ってきました。
 
    當麻寺を後にして、次は「相撲館けはや座」に歩を進めました。
 
 この博物館・資料館は、相撲の起源との伝説の「野見宿禰と當麻蹶速(たいまのけはや)の力比べ」の一方の当事者、當麻蹶速を顕彰するために作られたという施設です。

 「相撲館けはや座」に入館する前に、立派な塚がありました。傍らの石柱からも分かるように、これがほかならぬ當麻蹶速の塚でした。
  「相撲館けはや座」の中には、実際に大相撲で使われているものと同サイズの土俵と桟敷席が設置されていました。

 この土俵上は実際に相撲をとってみることもできるというので、私たち一行の若者2人が実演してみました。
 
   戦前の大相撲に関連する写真パネルや、各種の相撲雑誌もあり興味深い展示を見ることができました。

 土俵脇には写真撮影のために用意されたものなのでしょうか、今はまったく元気のない稀勢の里の等身大パネルも置かれていました。しっかりけがを治して再び活躍してもらいたいものです。