古代オリンピックの歴史 (現在作成中です)

古代オリンピア全景

A. Boettcher, "OLYMPIA", Julius Springer Verlag, 1883(以下文献1)
 画面左端、アレクサンドロス大王(前356-前323)がその父フィリッポス2世のために建造したフィリッペイオン。その右、柱廊の見える建物は女神ヘラの神殿、画面右の立派なファサードが見えているのはギリシャの最高神ゼウスの神殿。背景の丘はクロノスノの丘。
 古代オリンピックはゼウスをたたえる競技祭(おまつり=宗教行事)であった。

オリンピア発掘状況図と近郊図

文献1 

(上図)1881年3月20日の発掘終了後の図面と右下端に記されている。
冒頭の復元図=オリンピア全景はこの図面のパライストラの南側から東の方向を臨んだものであろう。パライストラ(レスリング場)とスタディオン(陸上競技場)に注目。

オリンピア聖域の遺跡はドイツの考古学者 E. クルティウスによって1875年から81年にかけて本格的に発掘され,さらに1936年から42年にかけてドイツ発掘隊が再発掘した。

(下図)オリンピアとその近郊 (1/7000) オリンピアの遺跡はアルフェイオス川とクラデオス川の合流点付近から発掘された。

エケケイリア

古代においては祭典の数ヵ月前から,オリンピアのあるエリス地方の使者が,馬に乗ってギリシア全土にオリンピック休戦(エケケイリア=聖なる休戦)を触れ回ったといわれる。
 休戦とは言っても、必ずしもこの期間にギリシアが完全に平和だったわけではない。オリンピア祭典の成功と各地からの参拝者の旅行の安全を図るのが目的であった。しかし、27年にわたったペロポネソス戦争の間も祭典は中止されなかったといわれる。

4大競技祭

場 所 開始年 祭 神 勝 冠 開催間隔
オリンピア 776BC. ゼウス オリーブ 4年
ピュティア 582BC. アポロ 月桂冠 4年
ネメア 573BC. ゼウス パセリ 2年
イストミア 582BC. ポセイドン 2年

 古代ギリシアでは四大祭典競技として,オリンピアのほかにデルフォイのアポロン神域で催されたピュティア (Pythia) 祭,コリントスの海神ポセイドンを主神とするイストミア( Isthmia) 祭,ゼウスを主神とするネメア (Nemea) 祭(前573)があったが,もっとも盛大で歴史も長かったのがオリンピアの祭典であると(オリンピアについては、他の祭典とは比べものにならないほど豊富な資料が発掘されているせいで、このように評価されているのだとも)いわれる。
 優勝者に与えられるのは,ゼウスの神木オリーブの枝で編んだ葉冠。そして優勝者の彫像が聖域内に建てられたという。金品でなく名誉が重んじられたのだ。


競技種目

種  目
五種競技 幅跳び(Halma)
近代の走り幅跳びとはかなり趣が異なる。競技者は両手に金属あるいは石製の「おもり」 を持って跳躍した。この「おもり」はハルテーレスと呼ばれた。その重さは1.5〜 4.5kgで統一されてはいなかった。跳躍のタイミングが難しいため、笛の伴奏で練習したといわれる。(東京教育大学体育史研究室編、図説 世界体育史、新思潮社、1964 <以下文献2>
円盤投げ(Diskos)
古くは石製、前6世紀ころから金属(青銅あるいは鉄)製の円盤が使われた。その形や重さはさまざま。厚さ3〜13mm、直径16.5〜34cm、重さ1.2〜5.7kgという数字が伝えられている。ミュロン作の「円盤を投げる人Diskobolos」は有名。(日本オリンピック委員会監修、日本オリンピック・アカデミー編、 オリンピック事典、プレスギムナスチカ、1981<以下文献3>
槍投げ(Akontion)
古代の槍投げ競技に使われた槍には、重心付近にアンキュレーAnkuleと呼ばれる革ひもの輪が取り付けられていた。これに人差し指や中指を通して投げると、直接握って投げるよりも遠くに飛ばすことができたという。
競走
レスリング
その他の競技 ボクシング
パンクラチオン
馬の競技

5種競技(Pentathlon)優勝者決定法

参考文献

No. 著 者 書 名 出版社 発行年
1 Adolf Boetticher OLYMPIA
Das Fest und seine Staette
Verlag von Julius Springer Berlin 1883
2 東京教育大学体育史研究室編著 図説 世界体育史 新思潮社 1964
3 日本オリンピック委員会監修
日本オリンピック・アカデミー編
オリンピック事典 プレスギムナスチカ 1981
4 財団法人日本オリンピック委員会監修 近代オリンピック100年の歩み ベースポール・マガジン社 1994