怒るより安らぎを



男たちの長い15日間の戦いが終わった夏場所千秋楽。
いつものように、千葉県船橋市の松ケ根部屋では後援者を集めた打ち上げパーティーが開かれていた。
知った顔を見つけてはペコリとお辞儀する弟子たち。

白、黒、はっきりした性格のみづえさんにとって、そんな弟子たちのあいさつが歯がゆくてしかたがない。
「大きな声で“お疲れさんでございます”と言ってほしい。
それに、“遠いところからありがとうございます”って、相手を気遣う一言がなぜ言えないのかしら」

みづえさんににも苦い経験がある。
歌手になる夢を追い、一人鹿児島から上京した15歳の春。
所属プロダクションの社長宅で下宿生活を始めた。
一人留守を預かったある日、1本の電話がなった。
「和田です」。
男のような低い声。
どんな受け答えしたのか、覚えていない。

でも、電話の対応がなっていないと、怒られた。
相手は、芸能界の大先輩である和田アキ子さんだった。

「なまりのある田舎者には電話が一番怖かった」。
歌では目いっぱい大声が出せた。
でも会話になると、おしゃべりなくせに、声が小さくなった。
コンプレックス解消のため、社長夫人の目の前で新聞を声を出して呼んだこともあった。

今は、あのころと同じ年ごろの新弟子を預かる立場。
新弟子と初めて顔を合わせる時、きちんとあいさつのできる子もいれば、「ハー」と生返事しかできない子もいる。
「最初はしょうがない。自分自身もそうだったのだから」。
だが、いつまでも、大きな体の小さなあいさつではやるせない。

おかみさんとして、子どもたちには相撲で強くなってほしい、と願う。
が、それだけではない。
「相撲界って、今は失われがちな、あいさつや上下関係が残るいい社会だと思う。
あいさつは相撲を辞めても大切なこと。この世界に飛び込んだからにはいろいろ吸収してもらいたい」

子どもたちは取組が終われば相撲部屋に戻り、おかみさんにも勝敗の報告にくる。
しかし声が小さい。
特に負けた時はモゴモゴ・・・。
「一生懸命やった上での、勝ち負けはしょうがない。目を見られない子は何か後ろめたさでもあるのかなって思ってしまう」

不満はある。
だがめったにそれを弟子にぶつけることはない。
弟子たちもおかみさんから怒られた記憶はほとんどない。
親方に愚痴れば「おまえはズルイ。なぜ、それを直接、言わないんだ」と逆に怒られる始末。

でも、と思う。
「怖い部分は親方とマネージャーで。私は明るい部分で接したい。安らぎとまではいかなくても」。
男社会。
それがおかみさんの役割のひとつだと信じている。


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