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「PDAとミニバー」について ●中途半端がいい PDAという情報ツールを持って久しい。私の場合は何かの記録を残す、計画を立てる等の筆記作業は手帳や多くのノート群がメインとなっているのだが、私の使用用途に限定していうならば、このPDAというツールの優れたところは大量のデータを持ち運べるということにつきると思う。また、PDAのうま味とはPCや手帳の能力を万能ナイフ的に携帯しうるところでもあろう。しかし、この万能ナイフ的な能力というのは便利な反面、たいへん中途半端であるともいえるだろう。飽くまで私見となるが、この中途半端さが多くのモノをサポートするのに好都合だともいえるだろう。「ああ、この機能があったらなぁ・・・」そう思ったときに専門の道具程の精度や利便性を持たないが、我慢すれば使える。それが万能具の持ち味であろう。そういった意味で私はこのPDAという道具をカバンの中に忍ばせている。 文字を書く、図を書く、絵を描く、このような機能ももちろんPDAに含まれている。ところが、この文字を書く絵を描くといった作業には他の情報が含まれている事が多い。手書きメモの場合、忙しい時には筆記した文字は乱れ、落ち着いて書いたときには文字は判別しやすい綺麗な文字といった具合に情報が組み込まれる。もちろん「悲しいとき」「嬉しいとき」の文字も違うだろう。こういった感情や状況は後で自分の行動を振り返ったときにそれを聞いたとき見たときの状況が克明に思い出されることが多いのではないだろうか・・・・ |
●文章で表現する難しさ 文章というモノは非常に難しいモノである。それは特に印刷れたもの、電子化されモニターで見るときなどにそれを感じる。それが夏目漱石であろうが、ヘミングウェイであろうが、その他のどんな文豪であろうと定型の表音と表意で表される文字情報のみでの表現には限界があろう。前述したような文豪達がどんなに精緻な描写を行おうと何かを書き表すと言うことは非常に難しい。それは読者の皆さんも充分に学校教育を受け、これらの文豪の文章に触れたときに感じられたのでは無いだろうか、例えば鴎外の「高瀬舟」という作品を読んだとしよう。この作品では貧しい兄弟の兄が病気に苦しむ弟を安楽死に至らせる物語であるが・・・鴎外が伝えたいであろう兄の気持ち、弟の気持ちが万人に伝わるとは限らないのではないだろうか、ある人は悲しみを感じずに弟殺しに不快感を感じる。またある人は、猛烈に感激する。・・・しかしこれがご飯をこぼしお母さんに叱られた子供が、クレヨンで泣きながら書いた涙に汚れた「バカ」という文字は、充分にその子供の感情を伝えることができる。 情景描写に叙述、そしてそれらを修飾する技巧、それらをいかに駆使したところで活字(印刷されたもの電子化されたもの)の持つ限界というのは感情や状況の全てを表しきれないというところにあるのではないだろうか。ましてや我々は文豪と呼ばれる人々ほどに文章の天分は持たない。 活字の持ち味とはなによりも読みやすさであるということを我々は認識しなければならないのかも知れない。 次のページ >>> |
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