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 「顔」 エセーより

わたしはエセーという書き物の断片をPTMの白紙用紙や方眼用紙にメモ書きしている。そしてクレールフォンテーヌ3ポケットのポケットの中にいったんその用紙を納め、ある程度の時間(その日にすることもあるし数ヶ月そのままの場合もある)ポケットに寝かせておく。そんなメモ書きを時折出してきて書きたくなったものだけを3ポケットに書き連ねていく。


クレールフォンテーヌ特有の筆が滑るような感覚。まるでサーキットコースの上を意気のいいエンジンを積んだスポーツカーで駆け抜けるように書いていく。

書きたくなったときにどこでも書けるようなA5サイズという運搬に適したサイズ。そして、収納能力と抜群の書き味。今では私がどこにでも持っていくノートのひとつとなっている

以下は氷川個人のエセーからの抜粋です。どのような事が私のノートに書きつづられているのかを参考呈示します。

5月31日金曜日(雨)午前十時
・感情表現に関して


「表情のない国民」欧米各国の人々は日本人のことをそう表現する場合が多い。ここで彼らはアジア人のことが分からないから・・・といってしまう人が多いのだが単に彼ら欧米人がアジア人軽視からそのようなことを言っているのではないことは、同じアジア人のタイ人を微笑みの人々、フィリピン人の事を赤い熱狂を持った人々と呼んでいるのを見れば分かる。

「表情を持たない=顔が無い」これは一体どういう事だろうか、写真を見ればそこに顔はあるし、鏡を見ればしっかりと顔がある。ここで顔が無いというのは、感情から生まれてくる表情、つまり個性の表現をいっているのだと思われる。

確かに日本人は他の国の多くの人々と比較すると自分の感情を表現をするのを苦手としている。今日はすこしばかりこの「顔」という言葉をキーワードにノートしていきたいと思う。

人というものは幾つかの顔を持っている。明日はこの顔、今日はこの顔と、ころころとルパン三世のように変えられるというわけではないし、人格や性格といったものがコロコロ変わるというわけでもない。誰かに見られてているという受け身の中で人はその見ている人の視点によって異なるという意味で捉えて欲しい。

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