@ 牛川遊歩公園
区画整理事業の施工に伴い完成した、東西1キロの公園である。この公園の南には、古くは吉田藩の調練場、昭和初期の牛川射撃場(1.2キロ)があったことが偲ばれる。今では本格的なウォーキングを楽しめる大規模な遊歩公園となっている。
(1) カナ−ル(親水せせらぎ);公園中央東寄りに作られ、清水が汲み上げられ、石柱の先端から注がれている。清水は災害時の生活用水にも使われるように常に汲み上げられている。四段の親水プールを流れ、憩いのスポットに、夏には子ども達の水遊びの場として親しまれている。
(2) 遊歩道(足裏マッサージ);公園西寄りに作られ、円形に敷詰められた大小さまざまな石の上を歩く事による足裏ツボ刺激マッサージができる。‘痛いッ!’と言いながら、人気スポットとなっている。
(3) 遊具(アスレチック);公園東寄りに各種アスレチック遊具が出来ている。子ども達や、多くの人達のふれ合いコーナーとなっている。

A 小鷹野公園
以前は牛川公園と呼ばれていた。鷹丘校区として独立してから、小鷹野公園と名称を変更した。雨水災害に備え、遊水機能を考慮した緑の豊富な公園である。スタンド形式の運動公園があり、野球などの球技に利用されている。10月には‘小鷹野まつり’の会場として、(豊橋は手筒花火発祥の地)勇壮な手筒花火が行われている。

B 半の木公園
この地は‘半の木’‘地蔵畑’と呼ばれた所で、近くに半の木地蔵が祀られていたなど、地名に由来した公園である。公園にはユリの木が植えられており大輪の花と樹影が楽しめる。

C 緑ヶ丘(ジャンボ)公園
古くは乗小路地内であったが、区画整理と同時に緑ヶ丘と町名変更した。公園は大形遊具の滑り台が設置されていたため、通称‘ジャンボ公園’と呼ばれている。その後、滑り台は撤去されたがいまだに通称として残っている。

D 中沢公園
近くに縄文時代の中沢遺跡(相生塚)が発見されるなど、古くからの呼称に基づき命名されたものである。現在は東小鷹野地域の集会所が出来、住民いこいの場となっている。

E 花の木公園
区画整理と同時に公園整備が行われた。北設楽の田口高校から県木‘はなのき’を移植された。公園内のシンボル樹木を呼称し花の木公園と言われている。

F 野川公園
公園の付近は野川神明社、野川池、野川新田の開発などの歴史があり、地名ゆかりの名前が付けられたものである。周囲に桜が植えられ春には花見の人で賑わっている。

G 蝉川公園
小鷹野の台地、朝倉川の東より上蝉、蝉川、下蝉と呼ばれていた。この公園は中程の蝉川の位置にあたり蝉川公園となった。

H 東先原公園

公園の西には西千原遺跡があり、縄文時代から古墳時代にかけた土壙、鷹丘唯一の住居跡が発見されている。古くは茅原、千原と呼ばれ先原と呼ばれるようになった。

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