東陽地区市民館の歴史(校区史より)

 多米土地区画整理事業のあゆみ
 昭和45年に始まった多米校区の区画整理事業は、多くの難関を経て昭和60年に完工した。これにより、複雑だった土地が整備され、田んぼが宅地に生まれ変わり、新しい住宅が次々と建設されるようになった。
 これに伴い、町名も現在のものに変更された。新しい町名は、土地区画整理内を大きく3つに分け、 多米東町、 多米中町、 多米西町となった。
 多くの旧字名は消えたが、幹線道路の北側の区画整理を行わなかった一部に古い字名が残っている。また、公園や橋の名前には旧字名を残すよう配慮された。

 昭和44年9月1日     多米土地区画整理組合設立
 昭和59年         多米区画整理記念館
 昭和60年         多米土地区画整理事業完了
 昭和63年         東陽地区市民館開館(多米区画整理記念館改め)


  
 
当時の建設大臣の筆による「完工之碑」          裏面に刻まれる完工までの足跡
昭和44年
  
        躍動の像                        モダンな玄関アプローチーチ