旧日本海軍零式艦上戦闘機52型
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この零戦52型は、スケールモデラーとして名高い清水秀春さんの作品で、ご本人のご好意で撮影・掲載したものです。機体の精巧な作りと秀でた塗装技術から、実機の雰囲気と当時の戦況が感じられるのは私だけではないと思います。なお、合成したバックの大地の画像は、「ゆんフリー写真素材集」より引用したもので,零戦の飛翔方向にそって少しボカシをかけています。
太平洋戦争緒戦において米英諸国のパイロットから「魔の操縦桿」と恐れられ、
無敵の名を誇った零式艦上戦闘機は、昭和17(1942)年4月、
出力UPと高速を得るめにエンジンの置換と主翼を短く翼端を角型に整形した32型を登場させました。

しかし、32型機は速度性能や高々度性能が向上したものの逆に燃費が悪化し、同年夏に始まったガダルカナル攻防戦では、
その航続距離の短さが大きな問題になりまた。

この大幅に落ちた航続距離を回復させるために登場したのが、昭和18年1月
主翼を21型のものに戻した22型でした。
この22型は、零戦の中で、最もバランスのとれた機体と評価されましたが、この頃から登場し始めた連合軍
新鋭機の前には性能的に見劣りが目立つようになったのです。
この状況を奪回するため日本海軍は、零戦のさらなる性能向上を得るべく、22型
をベースに改良を施すことを指示しました。

こうして昭和18年8月に登場したのが零戦52型でした。

この52型は、主翼を32型と同じ大きさにしつつ翼端を丸く整形、エンジンの排気によるロケット効果を利用して
速度向上を狙った推力式排気管などの方法を採用しました。
その結果、52型は22型より25kmも速い最高速度556kmの実現に成功したのです。

だが・・これらの改良によって52型機は、前の32型よりもさらに航続距離が短くなり、また重量の増加によって
、21型の素晴らしい運動性能が大きく犠牲になる結果となりました。
すなわち、零戦最大の運動性能が失われてしまったのです。

しかし、大戦後半の戦いは、遠征攻撃が多かった開戦時と異なり、日本軍の完全な守勢であり、
米英の新型戦闘機に対抗するためには
速度性能を重視し局地性能を高めた52型の性能がむしろ求められていたというべき状態にあったのです。
そのため52型は6000機以上が生産され、零戦の最多量産機となりまた。

その後も零戦は、後継機不在の中で、機銃をベルト給弾式にして急降下性能を向上させた52型甲、
主翼に13mm機銃2挺を増設して操縦席後方に防弾版を設けた52型丙、
戦闘爆撃機型の62型、1500馬力の「金星」エンジンに換装した54型(試作のみで終戦)などが製造され、
絶望的な戦況の中で終戦にいたるまで第一線で戦い続けたのです。

ここに掲載した画像は、上述のような状況の中にあってもなお戦い続けた零戦52型丙の勇士を偲んだものです。