がんこ親父の子育て雑記2000

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■藁をもつかむ
■親の覚悟
■逆ギレの種
■惻隠のこころ
■もったいない
■公園のヒーロー
■こどもの感性をどうしていますか?
■キレるよい子を育てるな
■ありがとう
■父の教え
■父親としてのおもいを我が子に伝える
■じゃんけんほかほか北海道
■食事を作るとは
■子どもをまもる動物
■親の不注意
■石鹸と洗剤
■お父さんは専制君主
■育児環境が整備されるのはいいけれど
■のびのびできる公園
■子どもと遊ぶのが一番 9月12日
■子どもの入院 10月11日
■父親の記憶
■早期教育のありかた1
■迷子になる
■早期教育のあり方2
■家庭内事故
■左利き 12月08日
■老人の文化と子供の教育 1月17日
■羞恥心 2月13日
■親がしつけるもの
■叱り方が悪い!

 
■藁をもつかむ

ある年配の人がこのようなことをおっしゃった。「もがき苦しんで、本当にその気にならなければ救われない」

私は、そのとき「ちょっとそれは冷たいんじゃないか、本当に困る前にこちらから手をさしのべるのが人情ではないか」、と思いました。

 現在、少しずつその意味がわかってきたような気がします。子育ても同じです。つい、何でもかんでも手や口を出したくなってしまいます。

こどもがほんとうに困ったときの藁になるためには、まず自己改革をしなければなりません。親が変わるほうが、先決なのです。

とても大切なことを教えていただいたと思っています。

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■親の覚悟

生徒が問題行動おこし、状況説明のためにお母さんに来校していただいたとき、お母さんは申し訳なさそうな表情をして

「うちの子だったらこれくらいのことはします。必ず反省させます。覚悟しています。どんな処分でもお受けします。申し訳ありませんでした。」

というようなことを涙ながらに話をされた。その場の雰囲気だけで、この親なら大丈夫だろうという気持ちになる。こういうときは理屈ではない。

たいていこのような場合はその後何の問題もなく卒業していくことが多い。親は子を疑っていたのではなく「我が子のことがわかっていたから覚悟ができていた」のであり、どうなってもよいのではなく「これを機会に何とかしたい」という気持ちが強かったのである。

このようなとき、むやみやたらに子どもをかばう親は、まっすぐ子どもを見ていない。逃げている。子どもから逃げているのだ。子どもが、かわいそうだ。

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■逆ギレの種

子供と一緒に買い物に行ったときのことだ。下の子が若い女性のスカートをいきなり引っ張った。彼女は鬼のような顔をして子どもをにらみつけた。私はすぐに子どもを引き離して「すみません」とあやまりながら内心少しむっとした。(子ども相手にそんなにむきにならなくてもいいのに)

この時点で私は我が子がしたことを棚に上げたことに気がついた。きっかけを作ったのはこちらだ。急にスカートを引っ張られた人はさぞかしびっくりして不愉快な思いをしたであろう。教員として幾度となく経験してきたことだ。なぜ素直な気持ちであやまれなかったのか、「逆ギレの種」を子どもに植え付けてはいけない。ちょっとしたことだが親として反省した。

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■惻隠のこころ

惻隠のこころとは、他人の悲しみを哀れむようなこころ、同情心のことである。
公園でのことだ。1歳くらいの男の子を連れたお父さんが、何かにつまづいて倒れた。
男の子は、とっさにお父さんの足を持って一生懸命に起こそうとしていた。

また公園に行ったときのことだ。やっとよちよち歩きができるようになったくらいの男の子が、にこにこしながら4〜5歳の男の子に近づいていった。そこまでは、どこにでもある光景だった。ベンチに座っていた男の子は、表情も変えずに前蹴りを一発。蹴られた子は運良くしりもちをついてから勢いよく後ろに倒れた。悪魔のような子どもだ。

全く想像していなかった出来事にわたしは、呆気にとられて声も出なかった。倒れた子は何がおこったのかわからずに空を見上げている。泣きはしない。その瞬間、「蹴っちゃだめ!」と叫びながら、蹴られた子のお姉ちゃんが蹴った子の前に両手を広げて立ちふさがった。3歳くらいの女の子だ。この間わずかに1〜2秒である。

孟子は、先天的な善のひとつである惻隠のこころが育つと「仁」になると説いている。いわゆる性善説である。

こどもの惻隠のこころは、うまく育たないものなのか、こころが発育不全だと、好意をもって近寄ってくる赤ちゃんを蹴り倒す子になってしまうのかと思った。どうしてあのようになってしまうのか?悪魔のようだと書いたが、悪意に満ちていたわけでもないだろう。

だが、あの目は冷めていて怖かった。子の親はこのことを知っているのだろうか?育児の難しさである。

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■もったいない

わたしは、自分のこどもたちに落とした食べ物を拾わせて食べさせるようにしている。明らかに汚れたとき以外はそう心がけている。汚れは、取り除いて食べさせればよいと思っている。

落としたものを拾って食べるだけではなく、注文した食べ物をひとつも残さずに食べたり、食べ残したものをもって帰ると「きたない」「いやしい」「みっともない」と言う人がいるが、そういうことを言うほうが、よほどいやしくみっともないと思う。飽食の国日本が滅びる前兆でもある。

幼い頃、母の実家に遊びに行くと、よく祖父と鶏舎へ出かけた。祖父は「もったいない」と言いながら、割れた卵を拾って飲んでいた。祖母は、ぼろぼろの鼻紙を折り畳んで大切に使っていた。祖父母は、明治生まれである。

わたしは、ほんとうの飢えを知らない。わたしの両親は大正生まれであり、わたしも「もったいない」で育てられたおかげで、飲食店で頼んだ食べ物を残して席を立つ人を見ると、もったいないことをすると思ってしまう。わたし自身、昔に比べれば、ずいぶんもったいない生活をしていると思う。ついつい「もったいない」を忘れてしまう。

明治や大正は、遠い過去のものになってしまった。昭和生まれの人が、「最近の若者は」というが、いきなり、「もったいない」が「きたない」「いやしい」「みっともない」に変化したわけではない。戦後の教育がそうさせたと考えている。

日本は、わずか50年で「飽食の国」と言われ、「もったいない」が死語になりつつある国になり果ててしまった。せめて我が家では、「もったいない」という言葉を子孫に残しておきたいと思う。豊かな時代でも、飢えを知らない世代でも「もったいない」という感覚を持つことができる。しかし、親が率先しなければならないので難しい?

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■公園のヒーロー

先日、妻とこどもたちと静岡市の公園へ遊びに行った。実は、公園が目的で出かけたのではないが、ふと立ち寄った公園での話である。

楽しそうに他のこどもたちと遊んでいる我が子の姿をほほえましく眺めていたわたしの耳に、女の子の泣き声が飛び込んできた。とっさに声の方向を見やると、4歳位の女の子がうんてい?につかまって泣いている姿があった。近くに母親がいるのだが、そのまま見ている様子だった。危険な高さではないが、女の子にとっては怖い高さであったのだろう。

他のこどもたちの反応は冷たかった。すると、すぐそばでローラー式のすべり台を逆方向から黙々と走り続けていた変わった少年が、走り寄って女の子を助け出した。そのあと、何ごともなかったかのように、またすべり台を走りだした。

「コイツ、カッコイイ」

わたしは、公園に来てから、ひとこともしゃべらず、黙々と孤独に走り続けるこの少年が気になっていた。誰とも遊ばずにただ走り続ける少年の姿は異様に見えた。浅はかだったと、反省した。ちょっと古いが、昼行灯といわれた大石内蔵助のようだ。

帰り道、妻にこのことを話すと、「お兄ちゃんじゃなかったの?」という言葉が帰ってきた。

君こそが、今日のヒーローだ。おじさんはちゃんと見ていたぞ!彼の姿はとてもかっこ良かった。こどもは見かけによらない。

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■こどもの感性をどうしていますか?

いつ頃からどのようにして感性が磨かれ、そして、鈍ってくるのでしょうか?

幼児や児童を見ていると、「これは何?」「何でそうなるの?」というように、しつこいくらいに興味を抱き、大人では考えつかないような発想を示します。発達の段階でそういう時期なんだといってしまえばそれまでですが、大人がこどもたちの感性をひとつひとつつぶしていくことも確かです。

子どものような感性を保ちながら大人になっていくことは不可能ではありません。大人として親として子供の感性を大事にしていきたいと思います。

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■キレるよい子を育てるな

「よい子が切れる」とよく言われていますが、それは間違いです。よい子が、突然切れたり、凶悪な事件をひきおこすことはありません。「よい子が切れる」理由を探せば探すほど、焦点がぼやけて、おかしなことになるのです。

よい子とは何をさしていうのでしょうか?ひとりの人間を、「よい子」「ふつうの子」「わるい子」という尺度で測ろうとすること自体無理があるのです。親としたら、こどもがよい子になってほしいと思いたいのですが、表面的なよい子を育てるのに一所懸命になっていると、こどもはどこかでつまずきます。しかられないのが、よい人間で、しかられるのは悪い人間であり、他人が自分をどのように評価しているのかが、人間の価値を判断する基準になっていくことが怖いのです。

かわいそうですが、このような意識に支配されすぎると、自我が確立されていく時期に、正常な自我の発達が妨げられます。自我は、果てしなく、つかみようのないものになってしまうのです。ただでさえ難しい自己の確立はさらに困難なものとなります。こうなると「よい子」の葛藤は、想像を絶するものとなります。

あなたは、こどもに、しかられないように、おとなのいうことを素直にきくように仕向けていませんか?私は、よくこどもをしかります。しかし、こどもをしかっていて、「あっ!」と、我に返ることがしばしばあります。いたずらをしたり、親のいうことをきかないのが、こどもの本来の姿です。しかられないよい子を育てようという間違いを犯している自分に気がついて、「はっ!」とするのです。

悪いことや間違っていることをしたときに、しかるのは当然です。とくに生命の危険につながることや他人を著しく傷つけるようなことは毅然とした態度で臨まなければなりません。そして、《よい生き方ができるよい子》をどのようにして育てるかを一所懸命に考えることが大事なことです。

ここで気を付けたいのは、親や教師の肩に力が入って、自分自身が表面的な「よい親」になってしまうとです。子育ては、ひじょうに難しい。自分で書いていてそう思います。

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■ありがとう

「ありがとう」という言葉は、心のこめかたで、言ったほうも言われたほうも、とても心が温かくなります。

ある日、スーパーで、小学生の女の子が、小さな袋を落としたように見えました。わたしは、「これは、あなたが落としたの?」といって、拾い上げて見せました。女の子は、何も言わずに、その袋を受け取ると、楽しそうに友達とおしゃべりを始めました。わたしは、、もう一度「それは、あなたが落としたものだね」と確認しました。女の子は「うん」と言ったきりでした。

またあるとき、競艇場でおじいさんが、舟券を落としました。「これ、おじいさんの?」近くにいた人が、拾ってくれました。おじいさんは、「あっ、そうそう」と言ったきりで、忙しそうに出走表に見入っていました。

またあるとき、スーパーのレジで、中年のおばさんが、買い物のお釣りの1円を落としたのを、わたしが拾い上げました。わたしが、何も言わないうちに、「ありがとうございます」という言葉が返ってきました。

あの少女が、このままで50年たつと、他人に、何か拾ってもらっても、何にも言えないおばあさんになってしまうのかと思いました。

いくら忙しくても、気恥ずかしくても「ありがとう」のひとことで、人間関係がうまくいくことがあります。

物質的には、もののありがたみを教えることは難しい世の中ですが、幼いこどもに対しては、おとなが環境を用意することはできます。感謝の意味を伝えることはできます。

感謝の意味がわかっている子どもは、「ありがとう」の気持ちが自然に言葉になります。わからなくても、親が感謝の気持ちを素直にあらわすことを繰り返せば、子どもに伝わります。「ありがとうと言いなさい」では感謝の気持ちは伝わりません。

たまに、こどもに言われます。「お父さん、ありがとうは?」
《うちの子は、ちゃんと言えるかな?》と思う前に、自分が、どんなときでも、心を込めて「ありがとう」を言っているだろうかと、反省してしまいました。

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■父の教え

私の父は国鉄職員でした。今は亡き(十六年前に病死)父と国鉄。どちらも遠い過去の存在となってしまいました。

父は電気・通信の技術屋でした。残念ながら幼い頃の記憶しかありませんが、たいへん仕事熱心であったことは母からよく聞かされていました。台風や地震がくると家にいなかったことははっきり記憶しています。家の雨戸などを打ち付けて仕事に出かけてしまう。これは、残された家族にとっては心細い限りでした。停電となり、真っ暗な家の中で、荒れ狂う雨と風の音を聞きながら、ろうそくや懐中電灯で明かりをとって夜を明かしたことも何度かありました。当時(30年くらい前)の、国鉄《飯田線》は、台風や集中豪雨などによる土砂崩れがよくおこったそうです。

父が「国鉄マン」としての自信と誇りを強く持っていたことは、生前使っていた手帳や国鉄総裁宛の上申書の下書き(提出したかどうかは不明)などをみるとよくわかります。10年ほど前に遺品を整理していたときに偶然発見しましたが、現在手帳は行方不明です。当時の国鉄現場の惨状を嘆き、訴えたものでした。国鉄が壊れていく姿にいてもたってもいられなかったのでしょう。こういう父親を誇りに思います。

先日、下書きを読み直しました。「国鉄は崩壊したが、教育は崩壊させてはならぬ!」父の無言の教えが、身にしみてくる思いでした。生前全く父親を理解していなかった息子が、ひとり涙を流しました。

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■父親としてのおもいを我が子に伝える

父は、戦時中、兵隊として満州に、終戦時には、九十九里浜で本土決戦のためにたこつぼを掘っていたそうです。
星飛雄馬の親父「星一徹」ほどではありませんが、頑固・短気・真面目を絵に描いたような人でした。しかられることがほとんどで、ほめられた記憶はほとんどありません。(たぶん忘れてしまったのでしょう)

父は、十年間、入退院を繰り返し、寝たきりの障害者となって亡くなりましたが、少年のころのわたしは、父の思いなど全く理解できませんでした。わがままいっぱいで母親につらく当たる父に反発して、そのストレスをまわりにぶつけていたように思います。会話はほとんどなく、病の進行とともに、しかられることもなくなり、わたしは、いい気になって、自分勝手に振る舞っていました。

そして、父の死後、闘病中に書かれた手帳をはじめて読みました。そこには、おそらく母にも語ったことがないような、行き場のない家族への思いがつづられていました。遅すぎるのですが、わたしは、はじめて父の思いを受け止めることができました。自分の愚かさと父の思いがこたえました。

せめて、生きているうちに、もう少し父を理解できていたらと思うと、当時の自分の行動が悔やまれてなりません。いつの時代でも、親が子へ、とくに父親がこどもへの思いを伝えることは、そう簡単ではないと思います。それゆえに、わたしは、生きているうちに、こどもに自分の思いを伝えたいと思っています。そのためには、会話を絶やさず、できる限り時間を共有し、そして、少しはましな生き方をしなければと、他人に比べたら遅いのかも知れませんが、最近になってようやく考えられるようになってきました。

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■じゃんけんほかほか北海道

今日、娘(3才)が、「じゃんけんしよう」といって、じゃんけんの歌を歌いました。この歌の歌詞をきいて、一発で不愉快になりました。障害者を揶揄したような内容なのです。本人には何の意味かわかりません。

「その歌は、もう歌っては、いかん(いけない)」
「なんで」
「いい歌じゃないから」
「何で」
「・・・?(何といって説明しようか)」
「もっといい歌があるから教えてあげる」
といって、思いつくままに教えた歌は、

「夏も近づく八十八夜トントン」
「いちばんはじめは一宮、二は日光東照宮?」(テンポはいいが、最後まで歌詞がわからない)
「おちゃらか、おちゃらか、おちゃらかほい」(レベルが高すぎる)
「ずいずいずっころばしごまみそずい」(わたしの方が意味がわからない。二人でやるのはつらい)

というわけで、「じゃんけんほかほか北海道、あいこで、アメリカヨーロッパ」に落ち着きました。(小学校のときに、流行った)

娘がおぼえてきた歌(保育園の先生が教えたわけではない)は、遅かれ早かれ、子どもの耳に入るのです。わたしがこどものころもそうでした。今は、こどもには意味がわかりませんが、意味もわからずに大きな声で平気で歌っていることの方が問題だと思いました。

つぎの日、迎えに行ったときに、また、あのいまわしい歌を歌っていたので、少しむっとして「お父ちゃんが教えてあげた歌、歌った?」と聞いたら「うん、やった」「よし、じゃあ歌ってみな」「うーん、わかんない」「ほんとにやったの」「うん、やった」「よしもう一度、」(小さなことから、こつこつと)

悪いことがはやっていたら、それに乗るのではなく、逆に良いことを無理矢理にでもはやらせていこうと思いました。

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■食事を作るとは

わたしは、今まで、一年ほど一人暮らしをしたことがありますが、掃除と洗濯は、何とかなっても、食事を作ることは苦手でした。しかし、いつまでも「男子厨房に入るべからず」なんて、言ってられない。

ひとりで生活していたときは、外食やレトルト食品、インスタントラーメンでじゅうぶん足りていましたが、こどもがいると、そうもいきません。妻が、朝食のついでに作ってくれた食事を昼食に出すか、前日の夕食の残りを食べていました。昼食は自力でつくろうと思い、いろいろと挑戦してみた結果、以前からのメニューとあわせて、「飯炊き」「焼きそば」「焼き肉」「野菜炒め」「チャーハン」「うどん・そーめん」などができるようになりました。「そんなことができなかったの」そんなことすらできなかったのです。

食材も健康や味を考えて、有機野菜や無農薬野菜なんかを選んだりして、いろいろと気を遣っています。ただし、妻に言わせれば、お父さんが食事を作ると、家計がもたないとのことです・・・

「辛い」とか言われると、よし、今度こそというように、意欲もわいてきました。しかし、こどもが残したり、皿をひっくり返したりすると腹が立ちます。食事を作ってすぐ食べる気にならないこともしばしば、「肩がこる」、「腰が痛くなる」、など、食事を作る人の気持ちがわかってきました。最近は、妻に対して食事のことで注文を付けることが減りました。(たぶん)

やっぱり、「お父ちゃん、これおいしい!」って言われると、うれしいですね。食事を作る楽しさもわかりました。こどもが保育園に通いだしてから、食事を作る回数も減ってしまったので、今後は、時間があれば、みそ汁などの和食に挑戦してみようと思います。

人間、こどもに何かを食べさせないといけないと思うと、できてしまうものですね。ただし、妻がいるときや自分一人の時は、昔に戻ってしまいます。

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■子どもをまもる動物

我が身を犠牲にして、他人に尽くすという行為は、人間だけの専売特許ではありません。先日、テレビで、草食動物の親たちが集団で、、ライオンにねらわれた子どもを必死で守ろうとして、果敢にライオンに立ち向かっていく姿を見ました。また別のテレビで、鳥が卵を守るために狐に立ち向かう姿を見ました。まともにやり合えば、負けるに決まっています。負けるということは「死」を意味しています。それでも、子どもを守るために強いものに立ち向かう姿に感動しました。

人間でも、子どもをかばって、通り魔に刺されて亡くなったお母さん。おぼれる子どもを助けるために、激流に飛び込んで、命をなくしたお父さん。みんな、刹那的に、自分にとってもっとも重大な判断を下して行動しています。自分の命を犠牲にして、他人を救う気持ちは、どこから来るのだろうか、考えさせられてしまいます。

よく考えたうえではなく、その瞬間に、本能的に自分の命を守るか、本能的に子どもを守ろうとするか、自分はどういう行動をするのか?えらそうな、理屈をたくさん並べていても、正直言ってその時になってみなければわからない。

動物の子育ては、じゅうぶんなスキンシップをはかる反面、常に自然界での危険を意識しているために、とても厳しいといわれます。しかし、これは人間も同じことで、我々の日常生活で、身の安全が保障されていることは何ひとつありません。病気、事故、事件、自然災害など、常に「死」と接しているのに、いつまでも自分だけは安全だと思いこみたい気持ちが強く、自分たちも自然界の動物と同じなんだということをいつの間にか忘れてしまっているのではないでしょうか。

いま、親から離れて生き抜いていくことを身につけさせなくては、本当にこどもを守っていることにはなりません。つい、かわいがることだけが、愛情だという錯覚にとらわれて行動してしまうことがあります。愛情の表現方法とは別に、生きることに対する厳しさと他人に対する真の優しさを考えながら、子どもを育てなければならないと思いました。人間も自然界に生きる動物ですから。

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■親の不注意

先日、長男がジャングルジムから落ちて、あごが1センチほどパックリと割れました。それもわたしの目の前で、あと1段というところで、ストーンと落ちてしまったのです。止血をしてすぐに外科に連れて行ったのですが、傷口がふさがらずに、あごには傷跡が残ってしまいました。これはわたしの不注意からおきたことです。自分の目の前でおこっただけにショックでした。子どもというのは、親が見ていても、ケガをするときにはするのですから、見ていないときには何がおこっても不思議ではないと思いました。

長男が血を流しているとき、長女が遊具の上から降りられないと泣いていました。もうそれどころではありませんが、片腕に長男を抱きながら、もう一方の腕で長女を遊具から降ろして、止血をしながら自動車を運転して帰宅しました。

子どもがケガをしたときには、どのようにしてケガに至ったかを把握しているのとしていないのとでは、ケガの処置に影響がでてきます。頭が痛いと泣いていても、側頭部を打ったのか後頭部なのか、強く打ったのか軽かったのか、それだけの情報でも、見立てのいい医者にとっては重要な情報になるのです。

わたしは、子どもから目を離して話し込むということはありませんが、二人の子どもがあっちこっちになって、片方から目を離してしまうときがあります。あれ以来、二人を離さないように、じゅうぶん気をつけるようになりましたが、今後も、何がおこるか知れません。わたしも、保育園の時にすべり台から落ちたりうんていの上を渡っていて落ちたり、自動車にはねられ、今でも後遺症に苦しんでいます。教員としては、幼いときの事故が原因で苦しんでいる生徒も見てきました。

すべてが親の責任ということではありませんが、ちょっとした不注意で大きな事故になりかねないということを肝に銘じて、子育てをしていかなければならないと思いました。幼いうちからケガの後遺症で苦しむのは、とてもつらいことです。自分でわかっていながら、つい「まあ、いいか」と甘さが出てしまったことをとても反省した一日でした。

この炎天下に、赤ちゃんを助手席において、子どもを迎えに行く勇気はとてもありません。10分のつもりが、20分になることだってあります。絶対に車の中に子どもだけを置いていくようなことはやめましょう。こどもは何がおこるかわからないのですから。

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■石鹸と洗剤

我が家では、現在、洗濯石鹸を使っています。以前は、洗剤を使っていましたが、
環境問題を取り扱った雑誌で粉石鹸の存在を意識してから、一度使ってみようということになりました。

洗剤に比べて水に溶けにくい、石鹸のにおいが洗剤のにおいと違う(あたりまえか)、よくすすぎをしないとぬるぬるする、という問題はありますが、能力はほとんど変わりません。以前は、柔軟剤や漂白剤など使っていましたが、今ではまったく使っていません。

コストの面でも、やや高いですが、柔軟剤や漂白剤を買わないので、これでいいんじゃないかなあと思っています。

こどもには、「石鹸と洗剤の違い」、「自然に優しくするとは」など、いろいろなテーマを用いながら環境問題などを教えていこうと思います。

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■お父さんは専制君主

我が家は、民主主義家族のつもりです。しかし、お父さんは専制君主です。我が家には、多数決の原理は存在しません。

「食べたい」「食べたい」・・・「だめ」
「行きたい」「行きたい」「行きたい」・・・「だめ」

ただし、説明だけは、してあげる、丁寧な専制君主です。

子供の年齢にかかわらず、親が考えて、「よいものは、よい」「だめなものは、だめ」と言い続けることにしています。子供が、きくきかないは別にして、ものの善し悪しだけは、はっきりとしておきたいです。そうしないと、「お父さんみたいに」なってしまうからです。

しかし、やがて子供が成長するに連れて、質問が相次ぎ、それが抵抗や反抗となり、ついに、市民革命にまで発展するかも知れません。それがわかっていても、お父さんは専制君主であり続けるのです。

最近、「子供の反抗期が無くなっていく傾向にある」と、医者や教育者が指摘しています(「指摘している人がいる」と言った方がいいのかな)。「子供が安心して反抗できる関係が親との間にできていない」「親が先回りをして、お膳立てをするために、子供とぶつかる機会がない」「悪くなるのをおそれて、子供の言うがままに親が動く」というのが理由です。

そして、これが、耐性・安心感・自主性の欠如につながるというのです。

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■育児環境が整備されるのはいいけれど 

働くお母さんの子育てはたいへんです。お父さんも同じですが、お母さんの方がたいへんです。働く親が、育児をしながら安心して働ける環境づくりが叫ばれています。保育園や保育所の整備も、少しずつすすんでいます。我が家でも、二人の子供が保育園でお世話になっています。

しかし、「お母さんのための育児環境が良くなるのはいいけれど、子供の生育環境がちょっと心配」

という、長年、多くのこどもたちを見ている保育士さんの言葉に、ものすごい重みを感じたことがあります。「自分たちが、安心して働きながら、他人に子供を見てもらえる制度は、良い制度ではないんだよ」と言われたような気がしました。

「経済的な心配が無く、子育てに専念できて、しかも適度に働ける制度」、これがいいんじゃないかと思います。ほとんどないと思いますが。数年間の育児休暇を認めて、その間の生活保障をおこない、なおかつ休暇後の職場復帰をスムーズにできる体制を、国家が整備していけば、多少この問題も解決できるかも知れません。でも、国家財政が今のままでは、無理な話です。ということは・・・?

出産・育児経済的な問題があても、育児をしながら働くことができたり、職場復帰ができれば、人材を職場や育児現場から奪うことは最小限に抑えられると思います。

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■のびのびできる公園

私がいちばん好きな公園は、遊具が少なくて(できれば単純なもの)、自然が多くて、子どもが走り回っても、なかなか向こうの端にたどり着けないくらい広い公園です。そう、自然に近い公園が理想的な公園です。「道に出てはだめ、高いところへ登ってはだめ、そっちへ行ってはだめ」などと、車や球技をしている子どもを気にしたり、遊具の高いところから落ちないように注意したりしなくてすむので、こちらも気が楽です。公園は、人間が作ったものですから、それなりに利用しやすくできていますが、「今日は、消毒しているから使えないよ」と言われると、次に出かけたときに、「そこはさわってはだめ、食べてはだめ」と注意しなくてはならなくなり、あらためて人間によってコントロールされているんだなあと思います。子どもが保育園へ通いだしてからはあまりいきませんが、車で20分ぐらい走った豊川の河川敷に、理想に近い公園があります。

わたしは飽きっぽい性格なので、同じ公園へ何回も行くことはしません。しかし、そこだけはめずらしく、長続きをしています。人によっては何もないからつまらないということもあるでしょうし、子どもも、遊具がたくさんある公園も好きですが、こどもに、「あそこがおもしろい。今日は何をしようか」とうまく丸め込みながら連れて行くことがあります。こどもは、公園に着けば、けっこう楽しそうに遊ぶので、「これでよいのだ」と、自分勝手に自信を持っています。本当の「遊び場」が少なくなっている今日この頃、遊び場は、親が選んで提供しなければならないと思っています。

平日は、ほとんど車のいない駐車場のそばの木の下で、ドングリや葉っぱをひろって、芝生広場に出て自由に走らせて、虫を見つけて、追いかけて、巨大な砂場で遊んで、河原に下りて石を投げたり、稚魚を見たりして少し水遊びをしてから、また芝生広場で遊んで、寝転がって空や雲を見て、時折通る飯田線を見て「電車だよ」、1回は見かける飛行機を見て「あそこに、飛行機が飛んでるよ」、時を計ったように群をなして飛んでいく鳥たちにサヨナラをして、「そろそろ帰るぞ〜」

わたしは30分もたてば飽きてしまうが、これで、1〜2時間ぐらいもちます。運動して、いろいろなものを見て、触れて、聞いて、子どももおとなものびのび遊べる公園が理想的な公園です。しかし、蚊・ぶよ・蜂などに悩ませられることは覚悟しなければいけません。

※拾ってきたドングリから芽が出て、20センチくらいにのびています。これからどうなるのか楽しみです。

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■子どもと遊ぶのが一番 9月12日

久々の登場です。日曜日に何日かぶりに子どもと2時間くらい遊びました。妻の出産と仕事の準備があってここ1ヶ月くらいこどもとまともに遊んだことがありませんでした。出産をはさんで二人の子どもは赤ちゃんがえりというか、あの手この手で親の関心を引くための行動に出ましたが、こちらに時間と心の余裕がなく、まともにかまってあげることができなかったのです。すまないと思いながら、相手をしてあげないのでさらに子供の愛情要求がエスカレートし、こちらも自己嫌悪になってお互いにストレスがたまるという状況で、妻との関係もうまくいかず、家の中はフラストレーションの巣窟になっていました。

休みをほとんどとっていなかったのですが、このままではだめだと思い、仕事をせずに子どもと遊ぶことにしました。やっぱり遊んでいるときの子どもの顔は一番いいですね。それも、親と遊んでいるときの顔は最高です。

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■子どもの入院 10月11日

1ヶ月ぶりの登場なのに、心配なお話しです。生まれたばかりの次女が、風邪をこじらせて昨日入院しました。大事をとってとのことなのですが、小さいだけに、心配です。長女は、状況がわかるので、とても不安そうです。こういうときには親がしっかりしなくてはいけないのですが、子どもの入院は、初めてのことなので、少しうろたえております。小さい手に、点滴の針を刺しているのをみると、とてもつらいものです。

数日前から、少し様子がおかしかったのですが、もっと早く医者にみてもらうべきでした。全く親の不注意としか言いようがありません。最初の子どもの時だったら、すぐに対応していたはずです。3人目ともなると、これぐらいなら大丈夫だろうと思ってつい、のんびりと構えてしまいます。その油断が、命取りになることもあります。手を抜いた大きなつけが回ってきます。今日は長男が発熱して保育園を休みました。しかし、子どもというのはよく病気をするものです。気を付けすぎるぐらいに気を使わなければならない。放っておいても子どもは育つということは絶対にあり得ない。育ったから言えることです。大いに反省している次第です。

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■父親の記憶

4日間の入院を経て、無事に子どもが退院してきました。結膜炎も患っていたので、片目の腫れがなかなか引かず、おかげで、左側の瞼が二重になってしまいました。おまけに、頭の形もいびつに。この1カ月あまり、仕事も思うように進まず、子どもの入院、自分の体調の悪さなどが重なり、こちらの精神状態も最悪で、気がつけば子どもと遊ぶこともほとんどなく、しかってばかりの毎日でした。このまま、こんな状態が続き、自分がぽっくり逝ったら、こどもたちの記憶には、おやじにしかられた記憶しか残らんなと、ふと思いました。

結婚して、子どもがさずかり、自分も父親になったという自覚が少しずつ芽生えてくると、自分の父親との記憶を手探りのようにひとつひとつ呼び戻そうとするようになりました。別のサイトで、父の愛していた鉄道のことにふれているのもそのせいです。父親は私が20歳の時に病気でなくなったのですが、それまでの10年あまり、入退院を繰り返し、最後の3年くらいはずっと寝たきりの状態でした。小学校へ上がるまでの記憶は、あまりありません。滑り台から落ちて頭を打ち、さらに自動車にはねられて頭を強打して気絶したことが原因かもしれません。父親が病になってからの記憶もほとんどありません。ほとんど会話の記憶はありません。小学校低学年のわずかな思い出が、しかられた記憶が大半というのは実に寂しい限りです。

今日も子どもを叱りました。明日は、子どもと遊ぼうと思います。反省と目標。

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■早期教育のありかた1

勉強でも言えることだが、些細なことでも、序列ができる。それ自体は、しょうがないと思っている。しかし、その時の大人の対応ひとつで、子どものあり方が違ってくる。対応を誤り続けると、なかには自分や我が子の能力を見限る者も出てくる。冗談じゃない!たかが小学生の段階で、「俺(この子)は何をやってもだめだ」なんて情けない。そんな気持ちなるような育て方をしたとしたらそれはもう教育ではない。その後、何に対してもやる気がなくなり、自分を見失い、居場所を失っていく子どももいる。このマイナスの状況や可能性を作り出しているのは子供か?いやそうではない。

序列ができたり評価をされることで、子どもの無邪気な心がなくなるのは確かだと思う。ほめられるために良い成績をとるのは、健気だが無邪気だとは言えないと思う。それでは、自主性に任せたらよいのか?「子供の可能性や自主性を尊重する」と壊れた蓄音機のように繰り返しながら子どもをつぶしていく人もいた。あれでは子どもが、かわいそうでならない。

教師をしていると両極を見ることがある。だが、自分がそうならないという絶対的な自信はない。知らず知らずのうちに、陥っているものかも知れない。

子供の能力も性格も人それぞれ、親以上を望むから無理が出る。子どもの素質と自分の期待は関係がないのだ。だいいち、親の思ったように子供が育つ方が不思議なくらいだ。子供が可能性を確かめやすいように手伝うことと、線路を敷いて「ここを走れ」と言うのとは別のことだ。別に、線路を強いて目的地を示すことが全面的に悪いわけではない。時と場合によっては、必要だ。ある程度の方向付けは必要だと思うが、走り方まで、いちいち指示をされたらたまらなくなるときがある。

アドバイスと手伝いはするが、後はなるようにしかならないと思っていたほうが親としても気が楽であり、案外そういう親に育てられた子供の方が身も心も健全なことがある。

親のモデルはたくさん見てきた。さて、俺はこの先、どんな親になっていくのだろうか?

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■迷子になる

うちの子どもはよく迷子になります。だから、スーパーに買い物に行ったり、動物園へ行ったときは、こちらが緊張します。親にぴったりより沿って、手をつないでおとなしくしている子どもを見ると、ああであってほしいと思いますが、迷子になるのは、子供よりも親に責任があるのです。ふと気を緩めたすきにどこかへ行ってしまいます。事故に遭わないか、誰かに連れて行かれないか、ハラハラ、ドキドキです。迷子の場内放送などを聞いていると他人事ではないなと感じます。何回も迷子になっているのだから、学習できるはずなのだが、まだその域には達していないらしい。犬じゃあるまいし、ひもを付けて歩くわけにもいかず、遊びに連れて行かないわけにもいかない。何か良い方法はないものでしょうか。どなたか教えてください。

豊橋の鬼祭りで迷子になった私は、父親がどこかへ行ってしまったと思い、痰切り飴を手にしながら探していました。そうだ警察へ行けば居るかもしれないと思い、警察に行くと、父親がそこにいました。勝手にどこかへ行っては困るじゃないかと思いましたが(イヤな小僧だ)、私が叱られました。今から思えば当たり前のことなのですが、「親に与えた心配を、必ず自分も受けるものだ」と言いますが、全くその通りです。でも、危険と隣り合わせです。遺伝かと、あきらめるわけにもいかないのです。

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■早期教育のあり方2

先日、英語教材の電話勧誘があった。まだ早すぎるといって電話を切ったが、この種の勧誘は多い。幼児向けの英語のビデオを喜んで、繰り返し見ていた子が、自然に英語を正しい発音で話せるようになったということを聞いたことがある。0歳児のうちから言葉を話せるように教えると、早く文字もおぼえ、能力が発揮されるようになるという説もある。反対に、早いうちから、文字を教えないほうが、創造力が豊になり、記憶力も良くなるという話もある。なぜ、こうも全く異なった教育論があるのか?

それは、人間が誰ひとりとして全く同じということがないからです。そして、教育の成果は、一面を見ただけでは判断できず、人の一生の幸不幸は死ぬまでわからないということです。ひとつの方法がすべての人に通用するとは、とても思えません。

別の会社の勧誘を蹴った妻は、「お子さんがかわいそう」と言われ憤慨していましたが、そのようなことを言う社員がいる会社の販売する教材を使ってもろくなものにはならないと思いました。いくら愛情があっても、方向性と手段を誤ったら、子どもは不幸だと思います。子ども・教え子・部下の能力を発見し、相手の性格に合わせて、ぐんぐん伸ばすことは、簡単なことではありません。まだまだと言って時機を逸するのも避けたいし、受け入れ態勢ができていないところへ詰め込んでいくのも何かを破壊しそうで怖い。

何の疑いもなくおこなうことも、全否定することも同じぐらい危険なことです。何事も、適当に、ほどほどに、を心がけていくことが簡単なようで難しいものなのです。

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■家庭内事故

今日の朝、2歳の長男が、階段の中段から落ちて額に大きなこぶをつくりました。ちょっと前には、テレビの上にはい上がろうとして、テレビごと転げ落ちました。昨日いとこと話をしていて、家の中の事故も恐ろしいから気を付けなければいけないねえと話をしたばかりでした。いとこの子どもは、三輪車に乗っていて階段から転げ落ちて、かすり傷ひとつしなかったそうです。ラッキーとしか言いようがありません。そういえば、夕食の後、いすから転げ落ちて、舌を切り、口の中を血だらけにして激しく泣いていました。かと思えば、すぐに、けろりとして、又いたずらを始めます。

長女は、2歳の頃10円玉を喉に詰まらせました。妻がその時すぐに気がつき、自分の膝の上にみぞおちをあて、背中をたたいて、吐き出させました。そういう私も、針を誤って飲み込み、胃を切開して取り出した経験があります。今でもその時の手術の後が8針分しっかりとおなかに残っています。妻は、手首に深い傷跡があり、妻の妹は、2階の屋根から転げ落ちたと聞きます。我が家の子どもたちがそそっかしいのは、両親の遺伝かも知れません。今でこそ、笑い話にもなりますが、傷跡はしっかり残っています。一歩間違えば、命に関わることです。

家庭内の事故による死亡数は、同年代の交通事故死を上回っているといいます。できる限り、家の中から、危険なものを取り除いているつもりなのですが、発見とヒヤヒヤと改善の毎日です。

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■左利き 12月08日

2歳の長男は、左利きです。いろいろな人の話を聞くと、「右にしなくては不自由するよ」「左利きは右脳を使うからいいんだよ」「ハサミや筆は右の方が」「スポーツ選手になるなら左の方が」というようにさまざまな意見がかえってきます。私も、以前は、保母さんからアドバイスをしていただいたりして、強引に右利きにしようとしましたが、今では、両方つかえればいいやという気になっています。しかし、それでは中途半端になるかなあとか、今興味を持ってしていることが嫌いになっていけないし、やはり好きにやらせた方がいいのかなあとかいろいろ考えています。

子どもの特性だけで考えたとき、無理矢理それをやめさせて、発展を止めてしまうよりは、今あらわれている特性をそのまま上手に育てていく方が、いいのではないかと考えるようになりました。でも、心のどこかには、右の方が便利だよなあという気持ちは強く残っています。

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■老人の文化と子供の教育 1月17日

自由学園の羽仁先生のことを書いた本を立ち読みしていて、ふと思った。教育には、親はもちろんのこと、老人パワーがもっともっと必要なのだ。

老人と呼ばれる人たちが教える学校をつくった方がよい。ボランティアとか非常勤ではなく、正式に雇用して、おじいさん・おばあさん先生が多い小学校や中学校をつくったらどうかと思った。元気のよい人たちも多いし、人生経験も豊富で、生徒だけではなく、若い教員たちが学ばなければならないことはたくさんある。私自身、退職していった先生方から実に多くのことを学んだものだ。もっと多くのことを吸収したくても、学校からいなくなってしまうのは残念で仕方がない。

日本は文化を受け継いでいるようでいて、へたくそだと思う。とくに戦後になって、それがひどくなった。戦後の復興・高度成長・個人主義の拡大解釈などにより、時間がない・面倒くさい・価値観が定まらない・自由にさせるなどいろいろと理由があっただろうし、生活形態の変化によって子供がおじいさんやおじいさん交わる機会が圧倒的に減ったということも大きな原因の一つだ。しかし、それではあじけない社会になってしまう。

文化といっても、祭りとか、行事とかいった大げさなことを言っているのではない、日常の生活のなかでちょっとした工夫とか知恵(ひもの結び方・生活の折り紙・漬け物・掃除のしかたとか)、価値観(もったいないとか)、あそびやわらべうたなどのことをさしているのだ。親が知らないことを祖父母に教わることはよくあることだ。私もそうだった。祖母仕込みの遊びや歌を今でもおぼえている。

しかし、老人のほうが嫌えば、子供のほうも老人と交わることを嫌うようになる。当然のことだ。あまりにも子供との価値観が違いすぎるため、最初からあきらめていたり、非難するだけで子供と交わることを面倒くさがる人もいる。ひどい場合は、子供がだめなのは親の教育が悪いからだと、親ばかりを責めたりする。ちょっと待ってよ。その親を育てたのはいったいだれなのといいたくなる。

文句ばかり言っていても仕方がない。年齢階層の価値観の相違などは、人が歳をとる以上どこでもあることで、それをうまく乗り越えながら、自分が育ってきた文化を後の世代へと伝えていくことは大切なことだと思う。厳しい言い方をすれば、その作業を確実におこなわなかったつけが今きていると思う。

教師という職業や教育を特別視するのであれば、教師に定年は必要ない。また、学校の教師以外からも、意欲と文化をもった老人をどんどん採用して老人と若者の交流の場をたくさんつくっておかないと、本当に味気ない社会になってしまうようで心配だ。おさないうちから、正しく交わって情を交わしていれば、ことさらにお年寄りを大切にしようと学校で教えたり、敬老の日とかをもうけたりしなくても、自然にできるようになるものだ。

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■羞恥心 2月13日

スーパーへ子どもと買い物に行ったときの話です。
子どもを遊ばせようと、ゲームコーナーへ行きました。隅のほうで、中学生や高校生くらいの若者たち(ほとんどが女の子)が20人くらい地べたに腰を下ろして、短いスカートでまたを広げて座り、飲食をしていました。通路は占拠され、誰もそこを通る人はいません。「なんたる様だ。まるで花見の宴会だな」とぶつぶつ言いながら、何でこんなところに座っているのかと先のほうを見ると、プリクラが置いてありました。目の毒だと思い、子どもの手を素早く引いてその場から立ち去りました。

「恥ずかしい」という気持ちは、自然に育つものではありません。動物は人が見ている前でも排便や交尾をします。排便や交尾は生きていくうえで、大切な行為ですが、人前ですることは恥ずかしいことだと教えられて始めて「恥ずかしい」と思うのではないでしょうか。自分の子どもを見ているととくにそう思うわけです。

これって、誰が教えるのでしょうか?

学校の先生が、
「短いスカートをはいて、人前でまたを広げるとパンツが見えます。これは恥ずかしいことだからやめましょう」
「通路に腰を下ろして食事をしているのは、通行の邪魔になり、みっともないことです」
「電車のなかで化粧をするのはやめましょう」
と、教えたらいいのですか?

あるテレビ番組で、「テレビで、やっていた自分の姿を見て」「テレビで、恥ずかしいことだと言っていたから」地べた(この場合、電車の床)に座るのをやめたという女子高校生を取材していました。

格好つけて、わざとやっている若者もいるでしょうが、「気付いていない」かわいそうな人もいるのだなあと感じました。これのほうが深刻な問題だと思いませんか。
家庭だけで、完璧にしつけることは無理です。しかし、子どもができるできないは別にして、親が教えていきましょう。高校生でもまだ間に合います。

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■親がしつけるもの

ある教師と、小学生の子どもを持つ友人の架空の会話

友人:「お前が担任なら、安心だ。うちの小僧は親の言うことをきかなくて困る」
教師:「お前が、小学校の時はもっとひどかったんじゃないの」
友人:「お前だって人のこと言えるか?」
教師:「まあね」
友人:「だからこそ、子どもだけは、まともに育ってほしいと思うんだがなあ」
教師:「自分のことを棚に上げるからいけない。自分と同じくらいだと思っていたほうが、変なところに力が入らなくていいよ」
友人:「まあでも、しっかり躾だけは頼むよ」
教師:「あのね。そう思うこと自体大いに間違っているんだよ。お前みたいな親がたくさんいるから、俺たちはたまったもんじゃない!最低限のマナーだけは、教えてから学校へ行かしてほしいよ」
友人:「・・・」
教師:「今まで子どもと一番接していた親ができないことを、教師ができると思う?」
友人:「でも、躾をするのは教師の仕事でもあるだろ。まさか勉強ばっかり教えるワケじゃあるまいし」
教師:「おまえだから言うけど、そんなこと考えているから子どもはどんどん離れて行っちゃうんだよ。躾にくらべたら、勉強を教えることなんか簡単よ。一番面倒くさくて、やっかいなことを、教師に任していいの?だからこそ、親が自らの手でしなければならんのでしょ!」
友人:「頭のいたい話だわ」
教師:「完璧にしてほしいと言ってるんじゃないよ。気持ちの問題だということ。最初の保護者会で『勉強はいいから、躾をしっかりお願いします』と、頭から言われると、がっかりしちゃうんだよ。お互い足りないところは協力しあって補っていこうという姿勢が必要なんだ」

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■叱り方が悪い!

「ちょームカツク」
聞いているこちらがむかつくような言葉で会話をしている女子高校生がいる。
二人の会話を耳をダンボのようにして聞いていると、教師に叱られたらしい。
叱られるようなことをしたから叱られたのだよお嬢さんたち。
「あれぐらいでさー」
やった本人にとってはあれぐらいでも、ただではすまないことがある。
どうやら、その教師の叱り方に問題があったようだ。
たしかに、私のように腹が立つような叱り方をする教師もいる。

しかし、物事の本質を考えなければならない。
叱られるようなことをしたのは誰なのかと言うことだ。
「タバコぐらいで」と言う親も実際にいる。
「万引きぐらいで」と言う親もほんとうにいる。
「カンニングぐらいで」と言う親も残念ながらいる。
「いじめられる方も原因がある」と開き直る親もいる。
(いじめ加害者の親が絶対に言ってはいけない言葉だよ)
後はもうきりがない。

叱られたことに腹を立てて教師を殴った生徒をかばうような人もいる。
その学校は、校則が厳しかったのだそうだ。そして、教師の叱り方が悪かったのだそうだ。だから、反抗して教師を殴るのも仕方がないということになっていく。
ガラスをバリバリに割ったりして学校を壊した生徒に関しても、おなじようなかばいかたをするのだ。

「違うでしょ」とわたしは言いたい。
こうなると、殴ったり壊したりした行為はどこかへ消し飛んでしまうじゃないか。
これはこれ、あれはあれというケジメが必要なのに。
そういう雰囲気の中では本当の教育はできないと考える。
物事の善し悪しをはっきりさせて、行為は行為としてしっかりとしたケジメをつけなければならない。そのうえで、教師に行きすぎがあったのか、原因は何であったのかを調べたらいい。教師の行為が明らかな原因であれば、教師が謝ればよいのであって、教師の行為を人質にとって生徒の行為をうやむやにするようではいけない。
「叱った方が悪い」という主張が、マスコミによって正当化されてきたことも否めない。

私は、「言い訳するな」「屁理屈いうな」「問答無用」の世界で育ってきた人間のひとりである。
「口答えをするな」で殴られて。
「反抗的だ」で殴られて。
「目つきが悪い」で殴られて。
後はもうきりがない。
それでも、教師を殴ったり、学校を壊したことはない。
過失でガラスを割って弁償したことは何回もある。威張って言うことではないが。

正当な言い訳や自分の意見を主張することは大切だと思う。
しかし、物事の筋道は守らなければならないと思っている。
すべて完璧にはいかないが、子どもには少なくともそうしているつもりである。(だが、自分の筋道を子どもに教え込もうとすると妻はムキになって私に怒る)

学校で道理を引っ込めて無理を通すようなことをすると、社会に出ても同じようなことで問題をおこすようなことになる。なんら変わらない。
家庭や職場でも全く同じ事がおこっているのだ。

表現を変えると、
子どもが、家出をすから叱らない。
子どもが、他人の物を盗むから、買ってしまう。
子どもが、暴れる(反抗する)から叱らない。
ということになる。
家庭でこのように甘やかすことによって、学校で叱られたたときに、
「親にも叱られたことがないのに」
「そんなことで、叱るのはおかしい」
「叱り方がムカツク」
という人間を育てることになってしまう。
これでは、子どもにとって不幸ではないか。

自分のことは棚に上げて、勝手に腹を立てて何の罪もない人を傷つけてしまうこともある。

喫煙や携帯電話を注意して殴られる人。
車のマナーを注意して刺されてしまう人。
電車のマナーを注意して、殺されてしまう人。
殺されてはたまらないから、何も言わなくなっても当然だと思う。

「悪いことをしたら、ごめんなさい」は、基本中の基本である。
親や教師の行き過ぎやりすぎはいけない。叩けと言っているのではない。
しかし、叱られるほうを、むやみやたらにかばう風潮をつくってきた人よ。
今の状態をどうするのか。
それでもまだ、「叱り方が悪い」と言うのか。
自分を振り返れば、
教師よりも親が怖かった。
教師と親の教育方針は大きく違ってはいなかった。
親や教師は、もっと自信をもって子どもを叱るべきではないのか。
完璧をのぞむから、できないことに臆病になってはいないか。
まともな親や教師であれば、やりすぎるということはないと思う。
今、親も教師も子育てに自身を持ちにくい環境の中にある。
マスコミ・教育評論家・教育産業・政治家などの影響は大きい。

私は苦手だが、相手を怒らせない上手な叱り方もある。
親や教師はもっと叱り方を学ぶべきだとは思う。
しかし、叱り方が悪いと言って、叱ることをしなくなったから悪いのだと思う。

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