中国残留孤児  烏雲(ウユン)さんの夢

草原の甘露 我を育む 我 草原の為に 生涯を捧ぐ  (烏雲)

徳島市 北井上中学校(1998)8月に建立された烏雲さんの詩です。

 

左の赤い帽子が、烏雲さん

烏雲(ウユン)「日本名 立花珠美」さんは、モンゴル草原で育てられ
大学まで勉強させてもらい、文化革命の嵐の時は、義父母に命がけで
守ってもらった。いま私に出来ること、それは
「私を育ててくれた中国に恩返しをしたい。日中友好の掛け橋になる。
砂漠を緑の草原に蘇らせたい。」 

烏雲さんは、教育者として、人を育て、今また砂漠に木を育てることに

夢を持ち、活動されていらっしゃいます。


烏雲(ウユン) 日本名 立花珠美さんの紹介

 徳島市 国府町出身の中国残留孤児 立花珠美さんは、昭和15年(1940)

父の仕事で、旧満州興安南省王爺廟(現ウランホト市)へ移住。兄(甫)だけ中学

校入学のために徳島市に残る。

 昭和20年8月14日 ソ連軍の侵攻をうけて王爺廟から避難中、葛根廟付近で

ソ連戦車隊に襲われ珠美さんを残して家族全員死亡。(犠牲者は約1500名)

 当時7歳の珠美さんは、中国人 張さんに助けられ、その後、蒙古族の養父 

アラタンオチラさん、漢族の養母 王秀廷さんに引き取られ、烏雲と名付けられ

大切に育てられた。

 極貧の中、国家奨学金で大学を卒業。教師となり、同僚の教師と結婚する。文

化革命の時、養父母は、日本人を育てた「日本のスパイ」として糾弾されたが、

娘烏雲の居所は隠し通した。学校の生徒も同僚の教師も密告はしなかった。

 昭和47年 日中国交回復後、肉親捜しを始めた。兄と再会、故郷徳島へ一時

帰国。兄たちは永住帰国を勧めたが、養母と中国に恩返しをするために

中国へ還り、草原教育に献身した。

 中日国交20周年記念番組として、彼女の半生をモデルとして描いた中日合作

テレビドラマ「大草原に還る日」が日中両国で放映されて大きな感動を呼んだ。

 現在、沙漠植林協会の協力で内蒙古庫倫旗ホルチン沙漠で「烏雲の森」の植

林活動をしている。

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