1988年、F−1第11戦ベルギーGP。スパ・フランコルシャンの市街地コースで、ミケーレ・アルボレートはまるでやり場のない怒りをぶちまけるかのように、オイルを吹き上げるマシンで走り続けた
周囲の反対を押し切り、彼をフェラーリに迎え入れた”御大”エンツォ・フェラーリの逝去直後のレース
この暴挙とも言えるアルボレートの行為に対し、パドックであがったのは非難よりもむしろ同情の声だった…
前年の日本GP、フェラーリの”ナンバー2”だったゲルハルト・ベルガーが挙げた勝利によって、アルボレートの発言力は日ごとに小さくなっていった
ことにエンツォが病床に伏してからは、チームは派手な走りでスポンサー受けの良いベルガーを中心に据えた体勢へのシフトを強め、このベルギーGP予選中、来シーズンの体制にアルボレートが含まれないことを発表したばかりだったのだ
そんな中、翌第12戦のイタリアGPは驚くべき展開を見せる
このシーズン、ここまで全てのレースに勝ってきたマクラーレン・ホンダだったが、まずアラン・プロストのマシンがトラブルでストップする。さらに終盤、2位を大きく引き離してトップを独走していた同じマクラーレンのアイルトン・セナまでが周回遅れとの接触でスピンアウトしてしまった
この時点でトップはベルガー、2位アルボレート。騒然とするフェラーリのピット。さらに地元イタリアでの1−2体制に10万を優に超えるティフォージがお祭り騒ぎを始めた
そんな中、チーム監督のチェザーレ・フィオリオだけが怒っていた
「ペースを落とせ!落とすんだ!」
悲痛な叫びがピットにこだまする。燃料、タイヤとも限界に近いベルガーに対し、車に優しいドライビングのアルボレートのフェラーリは余力十分だった
ファステストラップを出し、みるみるベルガーとの差を詰めるアルボレート。最終ラップに入るときにはついにその真後ろに付けた
失うもののないアルボレート、引くことを知らないベルガー…最悪の事態(=両者接触リタイヤ)の予感が頂点に達したとき、アルボレートはアクセルを戻した…
表彰式、派手なパフォーマンスで大観衆を沸かすベルガーの隣で、アルボレートは穏やかな微笑みを浮かべながら、シャンパンをエンツォのいる天に向かって高々と吹き上げた
そして2001年4月、アルボレートもまたエンツォのもとへ旅立った…
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