90's Memory  


#1

エースのプライド(90' ドイツGP) 

featuring, Wayne Rainey


 
 1990年、エディ・ローソンは再びヤマハに復帰した

 それはUSカワサキ時代の、そして再びチームメイトとなるウェイン・レイニーに過酷な現実を思い知らせることになった


 この年、タイヤをダンロップからミシュランにスイッチしたチームロバーツに対し、ミシュランは最高級グレードのタイヤは各メーカー1名のライダーにしか供給できないと伝えた
 スズキにはケビン・シュワンツ、ホンダにはワイン・ガードナーという誰もが認める”エース”がいた。しかしヤマハには前年王者のローソン、そして一昨年から常にヤマハを牽引してきたレイニーがいる・・・

 チーム・ロバーツの回答を待つまでもなく、ミシュランはローソンを供給先として指名した。長年ミシュランタイヤでグランプリを走ってきたローソンに対し、レイニーはダンロップのメインの開発ライダーだったことが背景にあることは想像に難くなかった

 そして開幕戦の日本GP、その予選で衝撃がパトックを駆け抜けた。予選初日のセッションでBグレードのタイヤを履くレイニーがトップに立ってしまったのだ
 セッション終了後、ミシュランのスタッフがチーム・ロバーツを訪れる。初日のセッションでトップに立ったライダーにはスペシャルタイヤを供給するという。そしてレイニーにその意向が伝えられた・・・

 「いらない」
 彼はキッパリと言った

 最終的には、チームの指示に従う形で2日目のセッションではスペシャルタイヤを使用したレイニーは、ただ一人2分10秒の壁を破るタイムを叩きだし、ポールポジションを獲得。決勝レースも独走で優勝した


 次のアメリカGPから、ミシュランはレイニーに無条件でスペシャルタイヤを供給した。レイニーはその後も勝ち続け、この年念願のチャンピオンを獲得した

 そして翌シーズン、レイニーとチームはミシュランとの関係を絶ち、再びダンロップと契約した

 レイニーはそのシーズンもチャンピオンを獲得した

 

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