「想人」第十六話 デスラーズパレス

(1)
 あわてて駆け込んできた澪を落ち着かせ部屋に戻すと、進はディスプレイに映る青い星を見つめた。
(何も話してなかったな)
 海のこと、生き物、植物……地球上での体験や知識はたくさん話した。海辺で風に吹かれながら、手をつなぎ歩きながら、部屋のベッドの中で……。しかし、進は、宇宙での体験をユウに話してなかった。敢えて。いつも言いかけて、言葉を飲み込んでいた。
 あの星の海での孤独な航海、仲間を何人見送ったことか、何度涙を流したか。人を愛することを学んだのも、そして、地球人と同じように、愛する者のために、他を滅ぼしてまでも生き抜こうとしている人々がいることを知ったことも。青く輝いている地球が以前は赤くしぼんだ塊であったことも。
 自分の手は、青い星を守るため、何億という人を傷つけ、星を壊してきたか……
 進は、そのことまで話すことができなかった。青い地球の話をする以上、守るためにしてきたこと、そのために死んでいった友たちのことを話さねばならない。地球を守ったというのは地球側の視点であって、敵であった者たちをことごとく滅ぼしてきたことは、大きな罪である。進はすべてを話す自信がなかった。
 手袋を握り締めた拳をパネルに打ち付けた。
(歩……私は地球を守るために、多くの人々の命を削り、多くの生けるものがいる世界を壊してきた。私は、お前の前では、一人のやさしい父親でいたかった。だから、言えなかった……)
 青い地球を見るたびに涙が流れるのは、自分の罪を心の底で感じていたのかもしれない。
 目の前の星は……地球より大陸部が少ない、ガミラス星と双子星だったイスカンダルと瓜二つであった。ガミラス星を死した星にしてしまったあと眼前に現れた星、あこがれ続けた星、そして、以前の地球の姿に似ているだろう星……イスカンダルは地球とは違って、進にとって、希望に満ちた星だった。
 その星は、地球と違わぬ美しさを光を受けて輝きながら、漆黒の中に浮かんでいた。
(私の記憶の奥にしまいこんだ過去を、お前はあざ笑うかのようにえぐり出そうとするのだな)
 進は、この星を本星にしようと決めたデスラーの気持ちがわかる気がした。
 




「緊急事態、緊急事態。多数の人の動きあり。レベル6、レベル6。各人、決められた場所に退避。ゲート9突破された模様。レベル6、レベル6。各人、決められた場所に退避。緊急事態、緊急事態……」
 今まで、聞こえたことがない音声での放送が流れた。
「来たか」
 スヴァンホルムが履き捨てるように言うと立ち上がった。スヴァンホルムの足元には、のたうち回るユウがいる。
「ああ……」
 ユウは声を出し、首のリングの隙間に指先をもぐりこませようと力を振り絞っていた。首には、行く筋の爪で引っかいた跡がついていた。
 立っているスヴァンホルムの足にユウの体が当たる。スヴァンホルムは避けるように一歩小さく下がった。
「グ、セ」
 小さな声で唱えると、ユウの首は開放され、ユウは四つんばいになり、大きく息を吸い、息を整え出した。
 その様子を、スヴァンホルムは無表情に見下ろしていた。

「お前の本当の本当の名前はなんというのだ?」
 ユウは息を大きく吸い吐く動作をしながら、ゆっくり顔をスヴァンホルムの方へ向けた。
「お前の名前は何なのか?」
 今まで、スヴァンホルムに名前を呼ばれたことがなかった。名前は自白していたかと思っていたが、無意識に自白をするような尋問を受けてなかったのかもしれないし、自分が名乗ったのは、地球防衛軍に入ってからの名前だったかもしれない。
「フゥー、ウー、こ、古代…あ、あゆ…み…」
 『古代』という音を聞いて、スヴァンホルムは目を閉じ、そのあとに目をカッと見開くと、手をユウの顔へ伸ばした。スヴァンホルムの手はユウの首に巻かれたリングへと伸び、再び緩んだリングをつかみ引っ張った。
「このリングははずせぬ。お前が死ぬまではずせぬ。生き抜いてみるがいい。長老が死に、長老の死を知ったトナティカの交戦論者たちがここにくるだろう。このリングをつけたお前を彼らは、受け入れてはくれないだろう。生きたければ、彼らを裏切りこちらに戻って来い。お前の位置は、この星にいる限り、どこにいるか探知できる。戻って来る時は必ず、情報か誰かを殺して来い。お前は生きたいのだろう、地球に戻りたいのだろう。のたれ死ぬか、ボラーに下って生き延びるか、お前が決めろ」
 そういい終わると、スヴァンホルムは、リングを大きく振り、手をはずした。ユウは投げ飛ばされたように床を転がった。

 ハァ、ハァ、ハァ……
 ユウは壁に這うように近づき、壁に体をもたれさせ、息を整え、天井を見上げた。天井の明かりは、今日は消えたままになっていた。
「自分で決めろってか。サーシャ…」
 首が絞められている間に聞こえたサーシャの声に答えるように、ユウはつぶやいた。


(2)
 チッチッチッチッチッチッチッチ
 メトロノームが奏でるリズムのような音が、耳元に届く。どこかで聞いた音に、進の関心は映像から引き離された。青い星の映像を見入っていた進は、音のする方を向いた。
 すらりとした、まだ大人になりきれてない体。少し伸びた髪は、まだ結わえられるほどにはなっていなかったが、少年としては長めであった。
「お父さん」
「歩?」
 チッチッチッチッチッチッチッチ
 音は、乱れることなく正確なリズムで鳴っている。やがて、進は一つの記憶を探り当てた。
「きれいな星でしょう? お父さん」
 声変わりをする前のユウの声は、進の記憶の中のものだった。
「ああ、そうだね」
 (地球もそうだよ。きれいな星だよ)
 それを直接本人に言葉で伝えていれば……。進はすでに後悔していた。
 地球からトナティカへ出発して間もなく、地球の画像にらむようにじっとみていたユウの姿を思い出す。

「だいじょうぶよ」
 ユウの様子を見ていた進に、ユキが声をかけた。
「私は歩に、どうしても伝えることができなかった……」
「自分で見つけることも大事だわ」
「……そうだね」
 進は直接話すことなく、ユウの姿を後ろから見ていた。
(ああ)
 小さくため息をつくと、無言で進の様子を窺っていたいたユキと目があってしまった。進は、照れ隠しもあって、髪をかきあげた。
「子離れしなきゃ」
「そうね」
 苦笑いする進に、ユキは笑顔で答えた。
 

「地球と同じくらいきれいだね」
 進の言葉に、少年のユウはにこりと笑った。
 進は目を閉じた。
 目を開けても、そこにはユウが微笑んでいる。進は、チッチッチッチと鳴り続ける小さな音の術にはまっていた。

「ありがとう」
 進はそう口にすると、やっと、ざわついた胸を治めることができた。
 ユウの笑顔は色を失い、乱れた立体映像のように陽炎なようになり、誰もいない無機質な艦長室の空間になった。
 進は、この温かな気遣いに感謝していた。
「ありがとう、ジュラ……」
 

(3)
  どこをどう進んだのか、ユウは、自分でも良くわからなかった。誰もいなくなった館を後にし、大きな木を見つけるたびに体を太い木にもたれさせながら、進んだ。少し呼吸が落ち着くと、また次の木まで、重い足を引きずりながら歩いた。
「あっ」
 地面をうねるようにはっている木の根に足を取られ、ユウは、打ち付けられるように地面に転がった。上半身は大きく打ち、小さい声でうめく。腕を伸ばして、上半身を一度は持ち上げるものの、思ったほど力が入らず、再び地面に体をつけた。かろうじてできた寝返りで、ユウは仰向けになることができた。
 茂る木々の枝の隙間から見える空は、もう、夜がすぐ近くに来ていることを示していた。夜になれば、森の中は真っ暗になるだろう。
(せめて、アフィラ出ていたら……)
 ユウは目を閉じ、暗闇に浮かぶ月・アフィラを探した。視点は空高く昇り、やがて、見下ろすと水面の一部がかすかに光る湖のようなものが眼下に現れた。湖畔には誰かが立っている。ユウは、気持ちを落ち着かせ、ゆっくり視点を下げていく。やがて黒い影は、長い髪の女のシルエットになる。少しずつその女に近づけるように、ユウは体の感覚を集中させた。風が走り、女の長い髪が揺れる。
(ああ、サーシャみたいだ)
 サーシャの金糸のような細く輝く髪を思い出す。その瞬間、ユウは、女のシルエットから湖の真上へ、そして、元居た森に感覚も景色も逆回しのフィルムを高速にみせられているように引きずり戻された。
 
「ふう」
 飛び起きるように、上半身を起こした。
 そして、周りを見渡した。ほんの少しの時刻で、暗さが増していた。
(早く森をでなければ)
 ユウは片足を立て、地面についた手に力を入れた。かろうじて立てたユウは、木に手をかけながら、足を一歩踏み出した。森をすり抜けてきた風が、頬に当たる。ユウは、さっき見た湖を頭の中に再現した。
(あの映像も、一人の力では観ることができない。誰かが、ボクを捉えてくれたはず……)
 風の流れに向かって、ユウは歩き出した。



「艦長、ガミラス側から、停泊地のポイントの連絡が入りました」
 進が手袋をはめていると、第一艦橋から連絡が入る。
(これが罠であろうと、従うしかないだろう……)
 手袋が手になじむように指先に力を入れて指を伸ばすと、進はイスに座った。
「ガイドが出ているのなら、ガイドに従うように」
 短く答えると、今まで、何度も経験した、小気味のよい緊張感が体を駆け巡るのを感じた。

「あなたは、なんだかんだ言っても、宇宙が好きなのよ」

 トナティカへ向かう船中でユキに言われた言葉を、進は思い出した。


(4)
 クイー、クイー
 どこかで、鳥の声がする。一歩一歩、足を踏み出すごとに木の葉が立てる音。そして、時折、木に隠れるように立ち止まり、耳をすまして、あたりの音を注意深く聞く。聞こえるのは、葉の重なりあう音、遠くからの鳥の声であって、人工的な音は聞こえない。
 くるるるる
 腹の虫の音に、ユウは、小さく息を噴出す。大きく笑いたいのをこらえて、こんな状況でも、体は素直で、正直な体に感謝した。
(自分の体に慰めてもらうとは)
 ユウは、深呼吸をして、目を閉じた。絶えず、少しの異変でも反応するようにめまぐるしく周りの音やかおりを意識していたが、意識するあまり、幻聴や幻覚を呼び寄せてしまいそうな状態であるほど緊迫していた。
(いけない、疲れるにしたがって、感覚もおかしくなってきていた……)
 ユウは、木にもたれ、座り込んだ。
(ありがたい、今日は雨が降らなくて、助かった……)
 ガサ
 落ち葉の音に、ユウは身構えた。
 ガサ、ガサ
 音を立てて、葉の隙間から顔をのぞかせたのは、地球のカエルに似たグエルだった。ユウががさりと腰を下ろしたのに驚いて、顔だけ出してきたらしい。
(力を抜かなきゃ)
 そして、自分の体が休息を求めていることに気づいた。
「力を抜かなきゃ」
 昔、魚釣りをしているとき、ポンと父親の手がユウの背中を押す。
「背中がガチガチだね」
 ユウがため息をつくと、父は笑った。
「まだまだ、このあたりの海じゃ、魚は生きていけないか……」
 ユウは、口をとがらせた。なぜ、魚がいないのに魚釣りに父が誘うのか、ユウにはわからなかった。魚は養殖が中心で、天然の魚はまだいない……そこまで、地球の海は戻っていなかった。父は大型の海獣たちが人の力なしで生きていける海を目指していたのだが、まだまだ海は、その環境を持っていなかった。
 それでも、父は時間があると、海にでかけ、魚釣りをする。イスに座って、本を読みながら。寝ていることもよくあった。ユウとパズルをしながらということもあった。
「ラ・ナディ?」
 ユウは、声に驚き、すばやく立ち上がった。一人の男がすぐ側に立っていた。
「あ、ああ」
 あまりの突然のことで、ユウは、言葉が出なかった。
 かけられた言葉は、トナティカの言葉だが、目の前にいる男は、顔つきはボラー人そのものであった。トナティカの人の服を着ていたが、こぎれいなトナティカ人とは違い、かなり破れた箇所もある、もう何日も洗ってないような代物だった。顔・体もかなり傷ついている。
 ユウは、少し居眠ってしまったことを後悔しつつ、返事の言葉を考えていた。
(何をしているかってきいているんだな)
 トナティカの言葉を地球の言葉に置き換えて、返事の言葉を考えた。
「カ、カディアス」
 ユウは、『逃げてきた』と答えながら、相手の手や腰あたりを見、武器を持っていないことを確認した。しかし、こんなに近くで、疲れ果てて寝入ってしまうほどの体力で、立ち向かうのはさすがのユウでも無謀に思え、身構えた体から力を緩めた。
(仲間はなし……か)
「(トナティカの言葉はわかるのだな。私の名はオウルフ。ボラー人だが、心はトナティカ人だ。君は?)」
 長くトナティカにいるのか、目を閉じていれば、トナティカ人が話しているほど言葉はきれいなトナティカの言葉だった。尚且つ、オウルフという男はボラー人にはめずらしく、人懐っこい瞳をしていた。
(わけありのボラー人に違いない)
 トナティカの言葉を話すボラー人をユウはスヴァンホルム以外みたことがなかった。
(トナティカに精通している人かもしれない)
 ユウは、自分の勘を信じてみようと思った。
「(私は地球人です。名前はユウです。ボラーの館から逃げてきました。子どもの頃、トナティカに住んでいたので、トナティカの言葉はわかります)」
 


(5)
「スヴァンホルムの元に、地球人の捕虜がいるという話を聞いていたが、君だったんだね」
 オウルフは、歩きながら、ユウに話しかけていた。オウルフの歩みは行き先がすでにわかっているかの如く、速く、ユウはたびたび小走りになった。
「お前さん、子どもの頃にトナティカに……もしかして、君は、古代進の……」
 ユウの返事があるなし関係なしにオウルフは言葉を続けた。
「なるほどね。地球もボラーもガミラスもあまり子どもは連れていなかったからね。古代進は最初から、妻子を連れていた。ここでは珍しいタイプだった。スヴァンホルムが少年を手元に置いているなんてと思っていたけれど、そういう理由なんだ」
「でも、古代進の息子だということがばれたのは、最近でした」
 ユウの歩みが一段と遅くなったので、オウルフは止まった。
「それでも、うすうす感じていたんじゃないかな。スヴァンホルムは用心深いが、勘はいい」
「そうでしょうか?」
 オウルフは、また歩き出した。
「気になる理由がわからなかっただけで、気になっていたんじゃないかな、君の存在」
 ユウは、また、少し小走りになって、オウルフを追いかける。
「スヴァンホルムが気になっていたのは、古代進なのかも。仲がよかったからね。ボラー人にとって、地球のヤマトは、有名な艦だからね。『相手がヤマトだから、仕方ない』とか、 『ヤマトの後ろにはガルマン・ガミラスがいる』とか、定型句になっていたぐらいだよ。私も驚いたさ、古代進がそのヤマトの艦長をやっていたって知った時は。スヴァンホルムはなお更だったかもしれないな。彼は武人だったから」
「私も父が軍人だったとは知りませんでした。私が生まれた頃にに辞めたそうですから」
「そうなんだ……」
 オウルフは、それ以上、話そうとせず、歩きの速度を再びあげた。
「あの、私たちはどこへ向かっているんですか?」
 連れて行きたいところがある……とオウルフに言われてついてきたものの、ユウは、どこに向かっているのか不安になった。
「渡しのお婆がもうすぐ来る。お婆にあったら、お前の知っていることを話して欲しい。ほんの小さいことでもいい。お前の知っていることを話してくれればいいよ。ただ、お前さん、やっかいなもの着けているから……ちょいと迷っている」
 オウルフはユウの首を指差した。だが、相変わらず、オウルフの歩みはそのままで、ずんずん歩いていく。
「大丈夫、気にするな」
 オウルフは、小さく自分に言い聞かせるようにつぶやき、スピードを上げていった。
 ユウは、目的地や細かい情報などが、漏れるかもしれないとオウルフに思われているのだと知った。
「さあ、あと一息」
 二人は確実に森の端に近づきつつあった。木々から零れ落ちてくる明るさが、少しずつ増していくのが、ユウにもわかった。



(6)
 進は、艦長室のイスに座ったまま、少しずつ大きくなる一つの光を見つめていた。
 目の前の計器のパネルがチカチカを輝く。進の視線だけでボタンは反応し、音声が流れ始めた。
「艦長、誘導の指示が出ています」
「そのまま、従うように」
「了解」
 ふっとため息をつくと、進はイスを傾け、体をイスに預け、第一艦橋へ降りる。
「艦長、ガルマン・ガミラスの艦(ふね)から、発光信号です……「我らに続け」…です」
 周りを囲んだガルマン・ガミラスの艦船が、同じように点滅のサインを送っている。昔、ガルマン・ガミラスとの間に交わした際に知った、いくつかの共通のサインだった。





 ギューイ、ギューィ
 オウルフは、小さい笛を吹いた。
 目を閉じて、小さな音をのがさないように、オウルフは様子をうかがって、もう一度、笛を吹いた。
 ギューイ、ギューィ
 オウルフは、用心深く周りを見回して、水辺へと足を踏み出した。ユウに、少し止まっているように合図を送り、一人、待ち合わせ地点であろうところへ歩いていった。ユウは、木の影に隠れて、オウルフの後ろ姿を見ていた。
 ギイ、ギィィ
 今まで、近くまで舟を寄せていたのか、櫂が立てる音が聞こえてくた。
 舟が近くに寄ると、オウルフは目立つように、水の中にずぶずぶと入っていき、舟のへさきに手をかけて、岸に寄せた。オウルフは、舟の中の小さな人物と話をしていた。
 ユウが痺れを切らす前に、オウルフは歩いてユウの元に戻ってきた。
「行くか?」
 ユウがうなづくと、オウルフは、足早に舟に向かいだした。


「では、いいのかな?」
 オウルフは、先にユウを舟に乗せると、舟を岸から押し出した。
「覚悟してますから」
 オウルフは、ユウの話を聞いてから、ずっとうなだれてい船守のお婆に問いかけた。
「お婆は?」
「……」
「お婆?」
 涙を流しているお婆を見ていたユウは、ごくりとつばを飲み込んだ。
「長老様の最期の話で涙が出ただけだわ。何しとる。さっさとやるならやらんかい」
「お婆……」
 お婆が櫂を持って舟のバランスを取ると、オウルフは、舟に乗り込んだ。
「お婆に会えてよかった」
 ユウは笑った。こんなにホッとできたのは、どのくらいぶりだろうか。
「あんたたちは、ボックウ(いたずらもの)だったもんで、よう、舟にいたずらして」
 オウルフは、にこやかな雰囲気の中、急に、神妙な顔をしだした。
「いいか?」
「はい」
 三人は静かになったが、目だけは澄みきっていた。



(7)
 
「ぐああぁー」
 ユウは顔を水の中に押し込められ、苦しさの恐怖に抵抗していた。頭のには、お婆やオウルフの手が押している感触を感じながらも、落ちそうになっている上半身を何とか手で支えながらも、抵抗を続けていた。
<歩(あゆみ)……>
 やさしい声がどこからか聞こえた気がした。にごった水の中、ユウが最後に見たのは、水のそこからのわずかな光だった。
(ああ)
 ユウは、自分の意識が遠のいていくのを感じた。
(大丈夫だからね)
 音が消え、映像が消え、暗い世界へ落ちていくようだが、ユウは、相手が誰なのかも考えずに、その言葉を心の中で念じた。
ぶ…ぐぐ……
 ユウの上半身は、ただぷかぷかと水面に浮かぶ。少し伸びた髪が藻が揺れるようにゆっくりと水の中で揺れていた。
「嫌なものだのぉ」
 ふうと体を舟に預けると、舟守のお婆は、息を整えていた。
「このリングをつけた者はつれていくことはできないのは、決まりごとだから……」
 オウルフは、ユウの体を引き上げた。動かない体は通常の重さの何倍かの重さに感じられ、オウルフが渾身の力を振り絞って舟に引きずり込むように引き上げると、舟も大きく揺れた。
「お婆、これからだ」
「はいよ」
 お婆は小さなナイフをオウルフに渡した。オウルフは黙って受け取ると、ユウの首筋にナイフを滑り込ませた。




「どうした?」
 進は突然立ち上がった澪に声をかけた。
「何か、よくわかりませんが、胸騒ぎが……ぽっかり、何かが消えてしまったような」
 澪の言葉に進は答えるわけでもなく、澪の次の言葉を待った。
「急に体が震えて……すみません。でも、大丈夫ですから」
 澪はイスに座った。
 進は艦長席を離れ、澪の座る戦闘班長の席に近づいていった。

 澪が顔を上げると、やさしいまなざしの進がいた。
「おじさま……」
 澪は声を出し、小さい子どものように泣いた。
 進は澪の髪に指を滑らせるように何度も澪の背中をなでた。
<大丈夫だよ、サーシャ>
 ふいに聞こえた声に澪は進から体を離した。耳元で聞こえた声は、進の声ではなく、ユウの声だった。
 チッチッチッチ……メトロノームのような一定のリズムの音がどこからか聞こえるだけだった。
「大丈夫だ。君の不安定な心を察知したのかな」
 進は澪に笑顔で答えた。
「準備をしておいで。すぐに彼に会いに行く」
 澪は小さくうなづいた。



(8)
 
 進はタラップを前にして、タラップ下のガルマン・ガミラスの迎えの一行と進と澪を見送るためにいるメインスタッフたちを交互に見ていた。
「艦長、せめて、銃を持っていってください」
 先ほど、進が渡した銃を、坂上葵は差し出していた。
 進はその銃を受け取らず、ガルマン・ガミラスの一行に向かって歩き出した。
「葵、何かあったら、艦長は私が守るわ」
 澪は、葵の耳元でささやくと、金色の髪を揺らして、進の後を追った。数歩先で待っていた進は、ドレスのすそを気にしつつ下りてくる澪の手を取り、まるで今回の主賓は澪であるかのように、エスコートしながらゆっくり階段を下りた。
 その様子を見ながら、徳川太助は葵の肩をぽんと叩いた。
「艦長ぐらいになると、反射的に撃ってしまうことがあるんだ。周りの状況に反応してね。特に、今回は、澪を守るために撃つ可能性がある。それをしてしまうと非常にまずいことも艦長はわかっている。ほら」
 太助は、葵にタラップの下で迎えているガルマン・ガミラスの高官を見るように促した。うやうやしく腰を低くして、地球と風習が違えども、丁重に進たちを迎えていることは明白だった。
「わかっています。いますけど」
 葵がそう言いかけると、見送りのスタッフたちのイヤホンに音声が入った。
「葵くん、ガルマンガミラスの技術官からの連絡が入った。第一艦橋に至急戻ってきてくれないか」
 進が留守の間、艦長代行を任された島次郎からだった。
 マイク部分を伸ばし、葵は、戻る事を伝えると、もう一度、タラップ下を見た。偶然目があった進が、葵を促すようにうなづいたようなしぐさをした。橘俊介と太助が反応するように胸に手を持っていくと、見送りのものすべてが背を伸ばし、拳を胸に持っていった。
「さっ、もどるぞ。坂上くん、先に行きなさい」
 太助に言われると、葵は銃を胸に抱え、走り出した。


「艦長?」
 タラップの上の様子を見ていた進に、澪が声をかける。迎えの高官たちは、進が乗り込むまでうやうやしいポーズを崩せないらしい。それに気づいた澪が、進に早く乗り込むように進の腕をそっとつかんだ。
「サーシャ、行こう」
 一瞬、ヤマトを見上げていた進は、澪の指を腕から離し、ヤマトに寄り添うように停泊している艦艇に乗り込んでいった。
「デスラー総統が、お二人に会うのを楽しみにしておられます」
 進が案内された部屋で、女が微笑んで待っていた。
 



「だめですよ、マアさま」
 小さな少年がベッドに横たわる男の顔を覗き込んでいた。それに気づいた女が少年の側に寄ってきた。少年は、逃げるようにベッドの下をくぐり、反対側に出た。年配の女は、少年の動きに惑わされて、一瞬見失ってしまった。
 少年はひょこりと背伸びをして、顔を出す。
「生きている? 死んでいるの?」
 寝ている男の頬をそっと指で突付くと、あわてて手を引っ込めた。女は、その少年の動きに反応してうろたえていた。
「だめですよ、ヴィさまに怒られますよ。ああ」
「だって……」
 少年と女が押し問答をしている間に、床につくほど長いベールを頭から体のすべてを隠すように巻いた女が近づいていた。年配の女は、腰をかがめて、あいさつをする。女は、手で合図をして、年配の女にこれ以上手をかけないように下がらせた。
「あとで、紹介しますよ、マア。今は、いけません」
 女は、そっと少年を抱き上げる。その時に、銀色の髪がベールの奥からさらりとこぼれるようにあふれ出ていた。少年は、その銀の髪を指に絡ませ、「ごめんなさい」と小さく甘えるように銀の髪の女の胸に顔をうずめた。
「ヴィ・クァさま、申し訳ありません」
 女の言葉にうなづくと、銀の髪の女はベールを抱いた少年ごと巻きなおした。
「いいのです。手をわずらせてしまって、ごめんなさい。この青年の世話をお願いします」
「わかりました」
 そして、銀の髪の女は、抱いている少年の体を優しくなでながら、少年の顔を覗き込んだ。
「マアに話をしましょう。大事な話です。私の部屋に戻りますよ」
「おこっていない?」
「怒っていませんよ」
 銀の髪の女は、ベッドに横たわる男の髪をそっとなでた。
「生きてる?」
 少年は、女に顔を近づけて不思議そうな顔をした。
「大丈夫、生きていますよ。体も温かいし、息もしています。でも、まだまだ、寝させてあげましょう」
 少年を下ろすと、敢えて銀の髪の女は、少年を男の側にやり、息をしているのを確かめさせた。
「わかりましたか? では、いきましょう」
「はい」
 銀の髪の女は、先ほどの女にうなづくと、少年の手を握り、ゆっくりと部屋の外へ向かっていった。


(9)
 星の中枢部近くの港に着いた進たちは、そこで、陸上を走る車に乗り換えた。
 進たちを乗せた車は、この星の中枢中心であろう方向とは違った、海に突き出た緑深い半島へと向かっていった。山のように盛り上がった半島の中心部が、まるで、水晶が突き出したように輝いて見える。
「スターシャのイスカンダル星にとても似ている」
 不安そうな顔をしている澪に進は声をかけた。
「そう、まさしくイスカンダルだ」
 今度は自分に言い聞かせるように進はつぶやいた。
 そして、進は目の前に座っている女性にも声をかけた。
「君もそう思わないかい、ジュラ」
 女は目を伏せた。
「私はサンザーにあったイスカンダル星は見た事がないのです。私が見たのは皆が思い描いているイスカンダル星だけ」
 女は澪に手を差し伸べた。
 澪は進にどうしたらいいのか聞きたいらしく、進の顔を見た。
 進はゆっくりうなづき、澪の手を握るとその手をジュラの手の上に重ねた。
「目を閉じてください」
 ジュラの手は進と澪の手をはさむように上下を覆い、車の中の一室の三人は目を閉じ、静かに一つのことに集中した。
「あっ」
 澪は小さい声を上げた。目には、緑に覆われた大地に立つ二人の男女だった。自分の今着ている衣装を着た女性と進に似た男性。澪は、それが、自分の本当の両親だとわかった。さっき見ていたこの星の景色と頭の中に送られてきている映像が重なる。そして、二人の男女は、幸せそうな笑みを浮かべて映像を観ている人を迎えてくれている……
 映像がぼやけていくと、澪を目を開けた。ジュラの手がそっと離れていく。
「古代艦長のイメージです。私は増幅させて、あなたにそのイメージを送っただけです」
 ジュラは、小さく息をつき、呼吸を整えた。
「ありがとう、ジュラ。さっきは、私にもイメージを送ってくれたね」
 進はユウのイメージを送ってくれたことに感謝していた。進の言いたいことを察したジュラは、進を見つめた。
「あなたの心がとても強く思っていたので、私もつい反応してしまいました。余計なことをしてしまいすみません」
「いいえ、とても感謝しています。あなたには嘘はつけない」
 進は、窓の外の景色に視線を移した。進は気持ちを落ち着かせるように、わざと遠くの景色を見た。
(ああ、あんなところに……)
 木々の間から湖らしき姿が見える。進は、昔、家族といったピクニックを思い出した。家族で作ったお弁当を持って、ただ、湖畔を歩いて、お弁当を食べて……それだけなのに、幸せだった。横には、家族の笑顔があったから。
「大丈夫です。まだ、あなたは何度でもやり直せる。そうでしょう」
 ジュラは、進の心を察して、言葉をかけた。
「そう、そうですね」
(ありがとう、ジュラ)
 すべてを思い出だけにしたくない……そう固く思ったことを進は強く感じ、そして、再度自分に言い聞かせた。
 ジュラはにこりと微笑んだ。


(10)
 やわらかい日差しの中、風が吹くと、水面がやわらかいベールのように波を打っていく。いくつの時だったのだろうか。父がいて、母がいて……その日は朝から三人でわいわい言いながらお昼のお弁当を作った。お腹がいたいくらい笑いながら、お弁当作っているだけでお昼に近くなってしまって、結局、一番近くの湖に行くことになる。お昼を食べて、思い出せないような些細な日常の話をして、ただ、それだけだったのに、笑顔の父と母を見ているだけで幸せだった。当たり前だと思っていた日々は、当たり前ではなく、その日々をつくるために、若い頃の父母たちがどんな努力をしてきたかなんてことも、考えたことがなかった。
 父や母がふと遠いどこかを見ているようで、ふと、悲しげな目をするのはどうしてなのかも考えたことがなかった。
「お父さん」
 その言葉を噛み締めるように声に出してみる。思い出の中の父は、いつも笑って振り返ってくれた。
(思い出……)
 ユウは首を振った。
(思い出じゃない、ボクは地球へ帰る)
 そう思った瞬間、ユウの目の前は真っ暗になった。
「お父さん」
 体を起こしたユウは、自分の息がとても荒いことに気がついた。何度も息を吸い、ユウは自分の呼吸を整えた。
(ここは……)
 ベッドの上にいたユウは、あたりを見渡した。湖で水先案内人のお婆とオウルフと一緒だった。ボラーの屋敷のベッドとは違う、けれど見慣れたベッドだった。少し大きめだったが、使われているシーツやふとんは、トナティカでの生活の時に使用していたものと似ていた。着ている服も、トナティカの少年たちの服装である。
 ユウは自然に首筋に手を持っていく。スヴァンホルムの所でつけられた首輪はない。
(ありがとう、お婆、オウルフさん)
 ユウは、舟の上で交わした言葉を思い出した。

「その首輪はお前さんの管理もしている。場所も身体の状態も、壊れていなければ、スヴァンホルムの元にデータが送られ続けている。それをつけている限り、お前さんを仲間の下へ連れて行くわけにはいかない」
「これを切って、はずすことができないんですか」
 オウルフは唇をかんで、下を向いた。
「それは、生命管理装置なんだ。無理にはずせば、お前さんの命を奪う」
「では、どうすればいいんですか」
「一度死んでもらう」
「えっ」
「一度死んでもらうしかない。蘇生できるかどうか、100パーセントの保障はない。今までその首輪をつけて来たものは、始めのうちは、首輪を無理やりはずして死んでいってしまった。そのうち、一旦、心臓が止まったのちにはずし、蘇生したものは、生きながらえることができることがわかった。ただ、その方法は、原始的な方法だから、こちらも覚悟がいるし、お前さんも覚悟しなければならない」
「はずせなかったら」
「はずさなかった者の中には、他の者とは合流せず、単独行動して協力してくれる者もいたし、一人村の片隅で住んでいる者もいる。その後はどうなったか、わからない」
 ユウは、背中を伸ばし、居住まいを正した。
「やってください」
 ずっと顔を伏せてしゃべっていたオウルフは顔を上げた。
「ボクは、トナティカにずっといる気はないんです。でも、このトナティカの状態が変わらなければ、トナティカを出ることができないし、地球へ戻ることだって……だから、お願いします」
 ユウは、頭を下げた。顔を上げると、真顔のオウルフと目を潤ませたお婆の顔があった。
「それでは、ユウ、目を閉じて、どんなに苦しくて、抵抗はしないでくれ……と言っても、必ず皆、じたばたするもんだが」
「わかりました。お願いします」
「ユウ、島へは私は行けない。あそこへは大人の男は入れない。理由は知っているな」
「はい」
「君は……」
「ボクはまだ……だから、大丈夫です」
 ユウは澪を抱きしめるだけで終わった初めての二人の夜を、それでよかったのだと思った。
 トナティカでは、女性と経験のある者は大人の男とみなされる。あの日、大事にしたい気持ちが強くて、澪を抱きしめるだけで、ユウは充分だった。
「そう」
「では、お婆、やりますか」
「アラヘ カエラ」
(アラヘ カエラ……)
 ユウはお婆がかけてくれた言葉を何度も繰り返した。
(アラへ カエラ……善く生きよ)

(11)
 進たちの乗った車は、緑の中に、溶け込むように立っている塔へ吸い込まれるように入っていった。
「さあ」
 進は澪の前に手を差し出す。今日の主役は、澪であるかのように振舞う進に、澪は躊躇した。
「艦長、私は……」
 出迎えのガミラス人たちの低姿勢な姿を見て、澪はやっと決心をして進の出した手に自分の手を乗せた。
(君は彼らからしたら、そういう人物なのだよ)
 進は澪を先に歩かせると、少し後ろを歩いていった。
 案内の男二名が、二人の歩調に合わせて、長い廊下を進んでいった。
「こちらです」
 深々と頭を下げた男たちが一つのドアの両サイドに立った。ドアがゆっくりあき、部屋の中の温かな空気と灯りが、ドアの開いた隙間からあふれ出てきた。
「どうぞ、部屋にお入りください」
 後ろから、進と澪について歩いていたジュラが声をかけた。
 部屋の中には、大きな楕円のテーブルがあり、一際大きなイスから一人の男が立ち上がった。
「彼がデスラー総統だよ」
 進の言葉に、伏目がちだった澪は顔を上げた。進はもう一度澪に手を差し出した。
「さあ、行こう」
 進にエスコートされながら、澪が再び動きだすと、先ほどドアのところで止まったジュラたち一行が、再び動き出した。
 進と澪が待っていた男の側へ近づくと、男も姿勢を低くして、澪を迎えた。
「あ、私は……」
 男がゆっくり腰を定位置にもどし、きりっと背を伸ばすと、澪の顔を進の顔をゆっくり見た。
「イスカンダルの最後の女王スターシァの娘よ。そして、古代。よくぞ、この地イスカンダルへ。私の城に、ようこそ」
 進は、きりっと背中を伸ばした。
「君のメッセージを我々は信じ、ここまで来た。我々の奮闘は君の期待通りだっただろうか、デスラー」
 デスラーは目を閉じ、ゆっくり開いた。
「期待通りだったよ、古代。君たち地球が動くことによって、ボラーが動く。トナティカでは大きな動きがありそうだ。今後、その動きはトナティカだけではなく、ボラーが力で抑えている星々にも広がっていくだろう」
 進はその言葉を聞くと、後ろを振り向き、すぐ後ろに控えていたジュラを見た。
「総統の約束通り、ヤマトの技師官に、我々の技術を伝えているところです。古代艦長、サーシャ様。お二人はこちらでごゆるりと総統とご歓談を、どうぞ」
 進は、ジュラをずっと見続けていた。
「ジュラ」
 ジュラは、頭を下げたままだった。
「私はデスラー総統に会いにきたのです」
 ジュラは、そのままの姿勢をずっと続けていた。そして、ゆっくり顔を上げた。
「わかりました」
 頭を下げたジュラは、テーブルに向こうに座るデスラーにも小さく一礼をし、、
「それでは総統、一旦お部屋にお戻りましょう」
と微笑んだ。
「古代艦長、しばし時間を頂きますがよろしいでしょうか」
 進はジュラの言葉にうなづくと、今度は体の向きを変えて、立ち上がったデスラーに敬礼をした。



(12)
「あらあら、だめですよ」
 ユウの耳に甲高い声が届く。ばたばたという足音とともに、青い服の女が近づいてきた。
「まだ、寝ていてくださいね」
 ユウはベッドに押さえ込まれた。
「あ、あの」
 ベッドに体をあずけた状態で、ユウは、顔を女の方に向けた。
(『青い服』……介護や看護を仕事とする女性が着ている服……)
「舟守のお婆が送ってくれたんですよ。ただ、一度死に掛けたから、ニ三日は安静にしてなくてはなりません」
 少し小太りの女がぬうっと顔を近づけてきた。
「は、はい……」
 ユウは、顔にふとんをかけた。
「今日は、『産み刻(うみどき)』と重なりますからね、皆、赤ちゃんを産む人の所に行ってしまって、あなたの面倒をみてくれる人がいませんが、あとでラフトを置いておきますね」
 ユウは何度もうなづいた。
「あら、そうだわ。あなた、私の話している言葉、ちゃんとわかったかしら」
「はい、トナティカの言葉は、だいたい」
 女は、にこりと笑った。頬にはかわいらしいくぼみができて、よりいっそうふくよかな女の顔を強調していた。
「ラフトは食べられるかしら」
「はい。においのきついのは苦手ですが」
「わかったわ」
 女は忙しいのか、返事をすると、ユウのベッドから離れていった。
「いいこと、おとなしく寝ているのよ」
 一旦振り返ると、女は、部屋から去っていってしまった。ユウは、女の対応で、トナティカのどこかの産土(うぶすな)の島にたどり着けたことを知った。赤ちゃんを産む女性たちが集まる島で、大人の男は入ることができないと言われている産土の島。複数の月があるトナティカでは、地球で一日繰り返す干潮満潮だけではない、複雑な月の影響を受けていた。一番、出産が多いといわれている日時を産み刻(うみどき)といった。
「ラフトか……」
 ユウは、味を思い出し、つばを飲み込んだ。ラフトはミルク粥のようで、少し、地球のミルクとは違う香りがする。しかし、ユウにとっては、トナティカでの懐かしい味だった。そんなことを思い出していると、また、眠気がやってきて、ユウはいつの間にか寝息を立て、再び深い眠りに入っていった。


 
「古代艦長」
 デスラーとジュラの退出とともに、部屋は澪と進だけになっていた。
「どういうことですか」
 澪の言葉に進はただ、「そのうちわかるから」と伝え、澪を座らせた。
 ジュラが再びやってきた。
「それでは、古代艦長、サーシャ様、私の後についてきてください」
 ジュラの言葉を聞いて、不安に思った澪が進の顔を見た。
「さあ、行こう、サーシャ」
 進は澪に手を差し伸べた。



(13)
 ジュラに導かれて、進と澪は、洞窟にでも下りていくように、下へ下へと螺旋状の階段を下っていった。足元を照らすライトは、柔らかなオレンジ色だが、ほの暗かった。澪は転ばぬようにドレスの裾を持ち、照らされている足元だけを注意深く見ていた。
「あっ」
 澪がバランスを崩し少しよろめくと、進は澪の肩に手を回し、体を支えた。
「すみません」
「いいよ、君は足元を気をつけて」
 立ち止まった二人の様子を無言で見守っていたジュラは、澪が再びドレスの裾をつかみなおすのを確認した。
「それでは、まいりましょう」
 無限に続いているような螺旋階段の先が次第に明るさを増していく。その先には数畳ばかりのフロアがあり、行き止まりになっていた。
「ここから先の部屋は、サンザー系のガミラス星に近い状態になっています」
「サンザーのガミラス星……あの濃硫酸の海があったあのガミラス星ですか」
 ジュラの言葉を確かめるように、進は言葉を口にした。
「そうです。サンザー系出身のガミラス人にとっては、あの大気成分に近い状態が一番過ごしやすいのです。ガミラス人も宇宙へ出て、何代か別の星に暮らしたものもたくさんいます。今、私たちはガルマン・ガミラス人として、多数のものにあった成分比率の大気の中で暮らしているのです。あなた方地球人もイスカンダル人にとっても可能な環境です。ですが、この先は違います」
 ジュラは、壁のスイッチを押した。天井のシャワーヘッドのような物からは、霧状の液体が降りそそぎ、床からはやはり噴水のように霧状のものがジュラの体を中心として噴出されていた。ジュラはシャワーを浴びるかのように、そのふりそそぐミストを自分の体に招きよせた。
「私の母はガミラス人ではありませんでした。だから、私と母は、サンザーのガミラス星の大気の中では生きることができません。私はサンザーのガミラス星の大気に似せたあの部屋には入ることはできないのです。そのかわり、このミストを浴びることにより、私たちの体に一枚膜を作る事ができます。サンザー系のガミラス星の大気成分では生きられないものは、ここでこの膜をまとって、部屋に入ります」
 ジュラは、口を大きく開けて進たちに口元を見せた。ジュラの開いた口には膜が張っており、その膜が伸びて覆っているのが確認できた。
 ジュラは、ボタンの近くのキーを打ち始めた。
「この膜を通った成分は、その星の人にあった大気に変換されます。しかし、この膜が機能する時間は非常に短い」
「どういうことなのですか。デスラー総統に会うだけではないんですか」
 ジュラの説明に事態がつかめない澪は、声を出した。
「そんなに悪いのですか」
 進は、詰め寄る澪を抑えとどめながら、ささやくような小さな声でジュラに尋ねた。
 ジュラの小さな頷きで、澪も小さく「ごめんなさい」とつぶやいた。
 ジュラは、進の顔をそのままじっと見つめていた。
「先ほど、お二人が会ったのは、本物の総統ではありません。あれは影武者なのです。本当の総統は、この部屋で休息しています」
(ありがとう、ジュラ。本物のデスラー総統に会わせて欲しいと念じたのを読み取ってくれて)
 進は、声にはせずに、ジュラに語りかけた。ジュラは静かに目を伏せ、進の思念を感じ取っていた。やがて、目をそっと開けたジュラは、小さくホッと息を吐いた。
「よろしいですか?」
 ジュラの問いかけに、進と澪の二人はは頷いた。
「では、霧状のものが出てきたら、できる限り体に装着できるように浴びてください。鼻から息を大きく吸い、そして、そのあと、口からも大きく息を吸ってください。この膜は水溶性です。地球の水に相当するものを浴びれば、完全に体から消えます。呼吸に支障がなく、この部屋にいることができるのは地球時間で十分程度です。こちらを手の平につけておきます。この小さいシール状の試験紙が赤から青に変わると膜の効力がなくなります。効力が落ちてくると、紫がかってきます。危険を知らせる合図です。青になる前に必ず部屋から出てください。面会は、お一人ずつでよろしいですか」
 ジュラの話を聞いて、二人は頷いた。
「ジュラ、私から行きます。サーシャは一人待てるかい」
 進は小さい子どもに訊ねるように、澪に微笑みかけた。
「ええ」
 澪の笑顔を見て、進は頷いた。
「それでは、お願いします」
 ジュラはそっと立つ位置をずらし、進がミストの噴射口の真下にくるように、床下の印を指差した。
 天井から、そして、進の体をくるむように床下から霧状のものが出てくると、進は両手を広げ、深く息を吸った。シンナーのような薬品のにおいが鼻腔にニ入り込んでくるのを感じながら、今度は、口からも大きく息を吸った。
(君はそこにいるのか)
 進は、その先のドアを見つめながら、両腕を天井に向かって伸ばした。



(14)
「サニア、サニア」
 夢の中に入ってきた言葉に驚いて、ユウは目を覚ました。汗をかくほど誰かに追い詰められるような夢だったのに、急に引き戻されたことで、ユウは夢の内容をすっかり忘れてしまっていた。それよりも、誰かに揺さぶられ、声をかけられたことに頭が反応していた。
「サニア、サニア」
 目を開けると幼子がユウを覗き込んで叫んでいた。
「マアさま、ダメですよ。まだ、この方は、体が十分に良くなっていませんからね」
 甲高い女の声は、ユウを完全に目覚めさせるのには十分だった。目を開けると、先ほどの小太りの女性が戻ってきていて、ユウを起こす幼子の動きを止めていた。
「サニア、大丈夫?」
 ベッドの端に心配そうな子どもの顔がちょこんと見え、ユウは思わず手を伸ばした。
「ありがとう。心配だった? 怖い夢を見ていたから、うなされていたんだね。大丈夫だよ」
 ユウが声をかけるとニコリ笑った。
「良かったですね、マアさま。大丈夫だそうですよ。さあ、このサニア(お兄さん)はご飯なので、もうしばらく、あちらで遊んでいらしてくださいね」
 幼い子どもは頷くと、ふわりと天蓋から垂れている布をすり抜け、風が走り去っていくように、さっと引き上げていった。
「あなたのことがよほど気に入っているようです。何度も来るかもしれませんが、寝たふりでもして、かわしてくださいね。それから、少し薄めのラフトを作ってきました。お口に合わないかもしれませんが、少しでも口に入れて、早く元気になりましょう」
 ユウは、鼻から息を吸って、ラフトのにおいをかいだ。
「食べて、寝るのが一番ですからね」
「はい、ありがとうございます」
 ユウは食事の支度をし始めた女の後ろの、天蓋の布から透けて見える外の光を見た。
「ここは、静かですね」
「今日は特にですよ。『産み刻(どき』と重なっていますから」
 差し出された器を受け取ると、ユウは、スプーンに一口とって、口に流し込んだ。温かい食べ物が胃へ流れていくのを感じながら、二口、三口と続けてスプーンを口に持っていった。ユウが食べていることに集中している間に、ベッド脇から女はいつの間にか消えていた。その代わりに、あの小さな子どもがそっと天蓋からの布に隠れ、ベッドの上のユウを観察していた。
「おいで」
 器の中身を食べ終えたユウは、手招きをした。
「サニア、おいしかった?」
「うん、おいしかったよ。君の名前は? ボクはアユミ。トナティカの人からはアユミと呼ばれていた」
(そう、ボクの大好き人からはそう呼ばれていた……)
「ア、ユ?」
「アユミ。言いにくいかな。君の名前は?」
「マアウ、マア」
「マア? マアウ?」
 ユウは言葉を繰り返しながら、さっきいた女性が『マアさま』と呼んでいたのを思い出した。
「マア、で、いいのかな。マア、ライラ(こんにちは)」
「アユ、ライラ」
 二人が差し出した両手はつながり、小さな少年の顔は満面に笑みをたたえていた。



(15)
 ジュラに導かれるように、部屋に入っていった進は、少し息苦しさを覚えつつも、一つ、そしてまた一つ、部屋を突き進んだ。二つ目の部屋にいた身の回りの世話をしている看護師にジュラは小声で言葉を伝えた。その言葉に対して、看護師が答える。話を聞いたジュラは、少しうつむくと、進の方に振り返った。
「今は眠りに入ったいるそうです。もしかしたら、眠りから覚めないかもしれませんが、よろしいですか」
 ジュラの言葉に、進は頷いた。ジュラも小さく頷いた。
「では、まいりましょう」
 ジュラは、一番大きな扉の前に進み、扉を開けた。
 部屋の中には、ベッドと脇にテーブルが備え付けられていた。
「ベッド付近はサンザーのガミラス星の大気成分とほぼ同じように保たれています。先ほどから、少しずつ、部屋の大気濃度は、サンザーのガミラス星の成分に近くなっています。この部屋に滞在できる時間は地球時間の五分ほどです」
 ジュラは、進にベッドの側へ行くことを勧め、自らは部屋を後にした。
 進は、小さく息を吸うと、ベッドの側に近づいた。ベッドには天蓋から薄いベールのようなものが下がっており、より大気濃度の維持と空気清浄機の役割をしているようであった。進は、意を決し、ベールの重なりを広げながらベッドの側へ入っていった。
「うぅ」
 小さな声の方を進は見つめた。ベッドのシーツの陰から見える柔らかな金の髪が動く。
「デスラー、目を覚ましているのか」
 進はベッド脇のイスに座り、そっとのぞきこんだ。
「う…こだい?」
 ベッドのシーツから、進へ向かって、手が伸びてきた。
 進はその手を両手でつかんだ。
「来たよ、君のところに」
 顔がゆっくり頷くのが進にもわかり、進はイスからおり、床に膝をつけて、ベッドに更に体を近づけた。
「お前が動いた。この銀河系が、また少し変わる……」
 進は、うつむいた。
「私はそんなことを望んでいないんだ、デスラー」
「古代、大きな国同士が対立している。このことが…この銀河系をどんなに不安定にしているか……私がもし死んだら、ボラーがもしまた、大きな動きをしたら、銀河系の星々が巻き込まれるだろう」
 進は、デスラーの冷たく骨があらわになった手を更に強く握った。
「安定させたい。この銀河系に平和な時を作りたい。でも、私に何ができる?」
 進は必死にデスラーに言葉を求めた。
「ボラーにもガルランガミラスにも属さない星々を強くするのだ。団結する必要はない。同じような意識を持ち、平和を維持する力を大きくするのだ……」
 デスラーの手は進の手をほどき、その手は進の頬へ向かった。
「ボラーとガルマンガミラスのバランスは…今は崩せない。その中で、新たなバランスを作るんだ、地球中心に」
「地球中心に……」
 そっと進の頬に手が伸び、その指先が休む所を求めるように進の頬に触れる。
「そうだ、お前も動くんだ。お前は……」
 デスラーの指先が頬から顎へ向かっていく。一旦ベッドの上に降りた腕は、再び進へと伸びていった。進はその手を受け止めた。
「お前はできる……自分を怖がるな。信じろ、古代」
 進が包んでいたデスラーの手は、逆に進の指先をつかみ、進の手を引き上げた。
「幸運を君に……さあ、行きたまえ……」
 ぱんっと進の手を払ったデスラーは、驚いた進に笑みを送った。
 進の掌の中のシールは紫色に近づきつつあった。進は時が迫ってきたことに気づいた。
「また会おう、デスラー。その日を待っていてくれ」
 進は立ち上がり、敬礼をすると、ベッドから離れた。
 そのまま、元の場所まで息が上がるほど早い足取りで戻ると、進は深呼吸をした。
「艦長?」
 進の顔色や様子を窺っていた澪は、進に声をかけた。
「いろいろなことを考えていたから……もう大丈夫」
 やはり進の様子を見ていたジュラに進は微笑んだ。
「さあ、サーシャ、今度は君の番だ。私はすっかり、デスラーに礼を言うのを忘れてしまった。彼に礼を伝えてくれないか。それから、次の旅が決まったと、私が言っていたと伝えてくれないか」
 澪は答える代わりに、ドレスのスカート部分をつかんで、お辞儀をした。



(16)
「アユ、来て」
 小さい手が、ユウの手を引っ張る。
「ダメだよ。怒られちゃうよ」
 ユウは小さな手をそっと包むように握り返した。
「あらあら、マアさま。ヴィさまにしかられますよ」
 ラフトを作ってくれた女が、また、ユウが寝ているベッドに駆け寄る。
「マアさま、サニアを寝させてあげてください。倒れてしまいますよ」
 マアを抱えるように女が中腰になると、女の体の中から、少年のうなるような声が聞こえてきた。
「ううん、アユ」
 声はユウの助けを求めるように女の体の中を脱しようともがいているようだった。
「ごめんなさい。マアさまは、いつもこんな聞き分けないこと言わないんですけど」
「アユ」
 女の体をすり抜けて、ユウの前に出てきた少年は、にこりと微笑んだ。ユウは少年の手をつかんだ。
「そうだ、一緒にベッドで寝よう。その代わり、ごそごそしちゃダメだよ。ここにおいで」
 ユウの言葉を理解してか、ユウの手をぎゅっと握り締める。ユウは更に手を伸ばし、少年の体をつかんだ。
「ホントにごめんなさい。マアさま、ちゃんとサニアと一緒に寝るんですよ。さあ、靴はちゃんと脱いで」
 ユウの手に引き上げられた少年は、そのままユウの体に飛び込んできた。もぐったふとんから顔を出すと、ユウの頬に顔を擦り付けるように寄ってきた。
「初めて会うのに、マアさまったら。ヴィさまが戻られるまでですよ」
 ベッドの脇にマアの靴をそろえると、女はユウが食べ終えたラフトの器を片付けだした。もう一度振り向くと、ユウに向かって大きく頭を下げた。ユウが頷くと、すぐ側の幼子の顔がユウにもう一度覗き込んできた。
「遊んであげられなくて、ごめんね」
 ユウは、小さな頭をそっと抱き寄せると、柔らかい髪をそっと撫でた。ユウは、その髪を撫でながら、どこかで同じようなことがあったような気になっていた。
(お父さん……)
 髪の感触を指先で感じながら、ユウの意識はふわりと飛んでいった。



(17)
「サーシャ?」
 進の後に部屋に入っていった澪が、部屋を出るなり立ち止まった。
「どうした?」
 度重なる進の声にも答えず、澪は両手で顔を覆った。覆った手の隙間からは、しずくが流れていった。進は更に近寄った。澪は進の胸元に頭をうずめるように寄りかかると、そのまま進の体に倒れていった。進はかろうじて両手で抱き寄せ、幾度か体勢を変えながら、澪の体を抱きあげた。
「疲れたのでしょう。お部屋に案内します。運ぶ者を呼びましょうか?」
 ジュラの声に、進は首を横に振った。
「いえ、私が運びます」
 ジュラは進の言葉に頷くと、来た道を戻るようにと指を指した。
「彼女も私のように、強い思念には反応してしまうのですね。総統の大きな喜びの感情にも反応してしまったのかもしれません、それに」
 歩きながら話すジュラは、段差のところで話を止め、注意をうながす指さしをした。
「それに、彼女が部屋を出た瞬間、どこからか違う思念が飛んできました」
「違う思念?」
 進は歩みを止めた。
「ええ、彼女はそれに応えたいために、自分の意識を飛ばしてしまったみたいです。でも届かなかった」
「届かなかった?」
「古代艦長は、ふと誰もいないのに誰かから声をかけられたようなことはありませんか?」
 進は少し澪の体を揺らし、抱きなおした。
「私はそういうことは鈍いので……でもあなたが見せてくれた幻想の映像や声は感じることはできました」
「あれは、機械で増幅したものです……しかし、人間の能力は無限です。時として、持っている以上の能力を発揮することができます。遠くの人の声を聞いたり、生死わからぬ人が生きていると確信したり。逆に、私たちは聞こえないかもしれないけれど、死んでしまった人、生きている人に声をかけたり、気持ちだけ想いだけ届いて欲しいと願うこともできます……彼女は、彼女の持っている力すべてで、先ほど、想い人へ、強くて熱い想いを飛ばしていました」
 進は小さく微笑んだ。
「よい前触れだとよいです。そう願いたい」
 ジュラは小さく頷いた。
「総統の願いをかなえてくださり、ありがとうございます」
 進はジュラの顔を見た。
「願い? 私はまだ、かなえてはいません。逆に彼からは勇気をもらった。新しい使命も……ただ、彼の期待にこたえられるか、わかりません」
 ジュラは、やさしく微笑みを返した。
「一人ではできないことでも、同じ心を持った人が集まれば、受け継いでいくことができます。総統はあなたに受け継いで欲しかった。そして、そういう思いをたくさんの人に広げて欲しいと思っているのです」
「受け継ぐ……」
 進はジュラの言葉を噛みしめるように繰り返した。
「うぅ……」
 進の腕の中の澪が首を左右に揺すり始めた。
「ああ、艦長……」
 澪は進の胸から顔を離し、進の肩に手をかけると、するりとに床に下りた。
「すみません。重たいのに……」
 澪はうつむき、顔を赤らめた。
 進は澪の指先をつかみ、にこりと微笑んだ顔で澪の顔をのぞきこんだ。
「いいことがあった?」
 澪の顔がパッと明るくなり、逆に進の手を握った。
「ええ、ええ。歩の声が聞こえました」
 澪の笑顔に答えるように微笑んだ。
「なら、安心だ」
 進はジュラの方を向き、大きく頷いた。
「もう大丈夫みたいです」
 ジュラも澪の姿を上から下まで一通り見ると、微笑んだ。
「そのようですね」



(18)
(ああ)
 すっかり寝入ってしまったユウは、傍らに眠る幼い子の寝息を聞きながら、冴えない頭を振ってから、周りを見渡した。
(夢でなくてよかった)
 ベッドの周りの薄いベールは、風が吹くたび静かにすそを揺らしていた。
 枕に顔をうずめると、枕の中身の木の実の種のにおいが、鼻の奥に広がっていった。ユウはベッドの上で体を大の字に伸ばすと、大きく息を吸った。
(とりあえず、一歩前進……)
 首に手をやり、何もないことをもう一度確認すると、ユウは無性に人と話をしたくなった。
(今、どうなっているんだ?)
 スヴァンホルムの館で聞いた緊急を告げる警報……
(スヴァンホルムさまは「来たな」と言っていた……トナティカの人たちが攻めたのか? でも、ここの静けさは?)
 ユウは体を起こし、ベッドの上に座り込んだ。
(一体、どうなっているんだ? )
 すぐ横に寝ている少年は、相変わらず静かな寝息を繰り返していた。
(この子が知っているわけはないだろう。あの青い服の女の人を待つしかないか……)
 それでも、待ちきれないユウは、はだしでベッドから下りた。
 足の裏からひんやり冷たい感触が伝わる。床は大理石のような固い石が敷きつめられていた。足から伝わる冷たさは、少しほてった体には心地よく、ユウは明るい月の光が差し込む方へ、導かれるように歩いていった。
 半開きのドアをゆっくり開けると、外の光が部屋に差し込む。スヴァンホルムの館で隔離された状態だったユウには、目の前の明るい庭は、まるで夢の世界のように見えた。林を抜けてくる風はやさしく、柔らかな枝や木々の葉を揺らしていた。いつの間にか雨の季節を抜け、トナティカの生命が芽吹く季節に入ったことを、その風景を見ているだけでユウには理解できた。
(これで歌が聞こえてきたら……)
 この季節は、たいていの人たちは歌を歌いながら仕事をしていた。トナティカの言葉が交わされているさまは、まるで歌を歌っているようだったからだった。柔らかな緑に囲まれ、太陽の日差しが日に日に強くなっていくと、人々はこまごまと動き、おしゃべりをする。仕事の話、家族の話……その中で、子どもができにくいトナティカで、子どもの生まれる話が多く聞かれるのも、この季節だった。
(景色は昔と変わらないけれど、歌がないだけで、これだけ静かなのか……)
 ユウはドアのところから、外を見渡した。
(一人も人がいない……)
「サニア」
 ユウは、後ろから聞こえたその声に振り返った。
「サニア、くつ」
 ベッドの上の幼子が、ユウに駈け寄った。
「ありがとう、マア」
 ユウは、にっこり笑みを返すとマアと呼んだ幼子の目線に合わせるために体をかがめた。
「くつ、サニア」
 差し出されたサンダルのような履物を受け取ると、ユウはその場に腰をおろして履きだした。
「アロウ」
 マアがそう叫ぶと、外へ向かって駆け出した。
(アロウ……お母さん?)
 履物を履き終えたユウは、マアの駆けていった先を見た。木の下に、頭から布を巻いた女が体を隠すように立っていた。さっきユウが見たとき、体を木の陰に隠していたのか、それとも、音を忍ばせて近づいてきたのか……。女はユウに気づき、更に布で体を覆った。
(あなたは……)
 ユウは鼓動を抑えきれず、女とマアのいる木の下に向かって駆けていた。
(あなたは……)
 ユウは目が熱くなるのを感じ、にじんでいく景色を振り切るように駆けた。


第16話 デスラーズパレス 終わり
第17話 傷ついた戦士たち へつづく

なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでね
SORAMIMI 

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