最後の一片 第二章「季節風」その2

(20)

 ほんの、少しの時間の差で、隣の住人に会えなかったことが、進に、かなりの打撃を与えていた。バウルとの会話を思い出していくうちに、進の体に異変が起き出した。

 はじめは、何が起こったのか、良くわからなかった。ただ、この部屋にないはずのコーヒーの香りが、体の隅々からにおい始めた。それに対して、体だけが反応していった。

『何なんだ、いったい......』
 自分の体がパニックを起こしている---理由がわからないが、原因だけははっきりしていた。
 吐き気を押さえながら、壁やドアに手をつきながら、シャワールームに向かった。

『匂いさえ、消せれば......』

 頭の中で、なるべく落ち着きを取り戻すように、思っているのに、体だけが勝手に反応している。進は、シャワールームに辿り着くと、服を着たまま、水を出した。

 口の中に流し込み、吐き出す。頭の中では、もう、匂うはずはないと思っていても、匂いは、消えない。

『なぜなんだ......』
 おかしくなりそうなほど強い匂いから逃げることができない。

『なぜ、この匂いにこれ程の嫌悪感をいだくんだ』

 壁にもたれ、崩れそうになる体を支えながら、進は、この感覚が初めてではないことに気付いた。

『助けて』

 

「古代君、いるの?いるなら、返事して。古代君」

 シャワールームで、倒れかかった進に、ユキの声とどんどんとドアを叩く音が届いた。
 進は、ほっとした。そして、そう思ったとき、呪縛が解けたように、匂いが消えた。

 ユキは、バケツの水をかぶったようにぬれていた進を見て驚いた。心配するユキがもたれ掛かっていた進を起こした。

「どうしたの?服をきたまま」

 顔を起こすと、進は、ユキにむかって、にっこり笑った。

 昨日の人魚姫は、幻ではなかった。そして、どんなことがあっても、いつも、自分の側にいてくれる......

 

 (21)

 シャワーでの進の異常な行動に、ユキは、納得したわけではない。

<散歩しているとき、偶然、バウルと出会い、コーヒーを御馳走になったが、我慢して飲んだので、気分が悪くなった......>

 進の言い訳では、納得はできなかったが、長椅子でごろごろ、会議の資料を読んでいる姿は、いつもの進であった。ユキは、こっそり、のぞき見るように、進の様子を遠くからうかがっていた。

 ユキの出した紅茶は、すでに飲み干していた。進の姿は、子どもが何か熱中するものを見つけ、自分の世界に入っているようであった。

 ユキは、綺麗にマニキュアが塗られた指をいじりながら、壁にもたれていた。

『ただの体調不良かな?』

 以前から、コーヒーは飲めないと公言していたので、嫌いだとは思っていたが、体調を崩す程とは、思わなかった。

『要注意ね。これから、ヤマト艦内コーヒー禁止かな』

 壁から離れるとユキは、進に背を向けた。背伸びをして、深呼吸する......緑と海に囲まれているせいか、空気がおいしい。

「ユキ、一昨日の資料、どこかにないかな」

 振り返ると、背中をむけて、資料をチェックしている、進がいた。

 ユキは、無言で、荷物の中から携帯の端末を取り出した。急いで、日付けを確認して、ファイルを開け、進の側に持って行った。

「この部分だと思います。艦長

「ああ、ありがとう」
 進は、顔を上げずに答えた。

 ユキは、気づかれないように、無言で立ち去った。そのまま、海の方向に開かれた窓辺に立って、海を見た。波の音が、柔らかな音を奏でていた。
 口元に持っていった指で、そっと唇の感触を確かめた。
『昨日は、こんな感触じゃない......』

 

「ごめん......」

 波の音に消えてしまいそうな程、小さい声が、ユキに届いた。

『でも、顔を見られたくない......』

 聞こえないふりをして、そのまま、海の方に向いていた。

「ごめん」

 背中があたたかい。前に伸びてきた腕は、ユキの体をしっかり包んだ。

 

(22)

「だめだな......」
「何が?」
 少し、とぼけて、ユキが聞き返した。

「いや.......」
 進は、何か、考えているようだった。

 ふいに、進は、ユキのひざの裏当たりをすくうように、ユキの体を抱き上げた。

「古代君?」
 突然、不安定な体制になったユキは、進の体につかまりながら、進の顔を覗き込んだ。

「やめた、やめた。休暇がもったいない」
「?」
 ユキは、進の呟きが、何をあらわしているのかわからなかった。

 にこっとした進の笑顔に、ユキは、引きつった笑いを返した。

「さあ、休暇を楽しもう」
「楽しむって?」
 ユキの言葉に答えず、進は、ベッドルームに向かって、歩き出した。

「古代君ってば......」
 ユキは、進の行動の意味を知って、少し、恥ずかしくなった。

「歩いていくわ......」
  体を動かそうとした雪の体を、ひょいっと持ち直し、より安定した体勢に抱き変えた。

「いいんだ、こういうことも、したかったから」
 はにかみながら言う進の顔を見ながら、ユキは、少しほっとして、体を進に委ねた。

 

 抱きかかえる進は、ユキの体の重みを腕に感じながら、一人、思い出していた。
 あの日と比べ、自分は、何と幸せなのか! 
 沖田十三に言われた言葉に頷けず、死んだと思ったユキを抱きかかえ、自分の気持ちに気付いたあの時......
 あの時と思えば、格段に幸せなはずなのに、どうして、心のどこかが満たされてないのだろう......

 進は、首をふって、思いを振り払った。

 

 進は、書類をベッドの下に落としながら、そっとユキを下ろした。
 がさがさと、色々なものが落ちる音に、ユキは、少し気を取られた。しかし、それも、一瞬で終わった。

 ユキの手に進の手の感触が伝わってきた。その心地よい圧力につられ、顔を正面に向けると、すぐ近くに進の顔があった。

 

 

 

 

 (23)

 ユキは、進の手と重なっていない手をゆっくり伸ばした。進の頬に辿り着くまでは、そうは時間がかからない。
 頬から顎へ、手のひらで、進の肌の感触を確かめる......

 トゥルルルル

 ユキの指先は、その音に反応して、進の肌から離れた。

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル......

 進も、それが電話からの音だと気付き、一瞬、受信機の方を見たが、すぐ、ユキに視線を戻した。

『いいの?』
 ユキは、進の顔を見ながら、そう思った。いつもなら、電話の方を優先しているはずである。

 数コール、ユキの顔を見ていた進は、ベッドから、起き上がった。
『しょうがないな』
 そんな顔をしていた進を見て、ユキは、うれしかった。

 

「えっ、夕食ですか?」
 モニターを消しているので、進の声だけが、ユキに届いた。

「二人っきりの方がよかったかい」

 受話器から、相手の声が漏れて聞こえてきた。電話相手の言葉に困っていた進に、ユキは唇だけ動かし、話し掛けた。
『デューイ指令?』

 進が小さくうなずいた。

「サラが是非っと言うんでね。一日中、部屋に閉じこもって不健康になるより、健康なこともしないと......」

 進は、返事に困っていた。ユキは、その姿を見て、くすっと笑った。

『お礼がしたい』
 ユキは、一音一音、はっきりと唇を動かした。

『しょうがないな』
 進は、受話器を持ち直すと、ひと呼吸おいた。

「夕食ですね、じゃあ、......」
 事務的に答える進に、デューイは、さらに声のボリュームをあげた
「今すぐだって、いいから、来いよ。おい、ちゃんと聞いているのかあ」
 進は、その声に耐え切れず、受話器を耳から離した。

「指令、御招待ありがとうございます」
 ユキは、受話器に向かって叫んでいた。

 

(24)

「本当に、迷惑じゃなかった?」
 サラは、隣で、かたづけを手伝っていたユキに、言葉をかけた。

「いいえ、とっても楽しかったです。昨日から、こんなにいい思いさせてもらって」
 周りでは、子ども達が走り回っていた。

「ごめんなさいね。こんなに騒がしいなんて、思ってなかったでしょう?
「いえ、でも、素敵な家族ですね」
「ありがとう.......」

 

 別の部屋では、進が子どもに追い回されていた。子どもの一人が進の背中にタッチすると、子ども達が、わっと弾んだ声をあげた。その横で、デューイは、大きな声を立てて笑った。

「もう、かんべんしてくださいよ」

 進の言葉に、デューイは、一番小さな少女の耳にそっと囁いた。少女は、白い歯を出して笑い、さっと部屋を出ていった。少女が出ていくと、他の子ども達も我れ先とドアに向こうに流れるように走っていった。

デューイは、進を自分がすわっているソファーに呼んだ。
「まあ、座れよ。どうだ?」

「訓練より、きついですね」
 進は、息を整えながら、答えた。

「驚いただろう」

「ええ、少し」

「昨日は、途中までしか、喋ってなかったからな。『子どもがいなくても......』最初は、思っていた。というより、言い聞かせていたのかな。でも、サラには、見抜かれていた」
 進は、急に真面目な顔になったデューイの話に釘づけになった。

「二人っきりでも、幸せだと思っていた。それは、サラのために振る舞っていたものだった。サラに指摘された時は、ショックだった。彼女は、俺の姿を見て、ずっと悩んでいたんだ。それがきっかけで、二人で話し合って決めたんだ。子どもを育てよう。二人の血の繋がった子どもたちではないけれど、二人で育てて、家族を作っていこうってね」

 デューイは、鼻の下をこすった。

「古代艦長......」
 進は、自分の名を呼ばれただけなのに、どきりとした。

「あなたは、幸せか?」

 進は、ただ、まばたきをするだけだった。

「君が本当に幸せになれないと、ユキも幸せになれない」

 答えない進を見たデューイは、進には、何も求めなかった。デューイは、ソファーから立ち上がると、暗い窓の方へ、歩いて行った。

 進は、ふいにパンチを喰らったように、動くことができなかった。
『ユキが幸せならばいい......』
 そういう思いが、ユキにどれほどの負担を与えていたのだろうか......
 何か言わなければ......焦った進は、声をかけた。
「デューイ指令......」

 進が声を発した時、部屋にまた、弾むようなリズムの足音が近づいていた。

 目の前には、それぞれ年令にあった楽器を持った子ども達が綺麗に並んでいた。その後ろから、ユキが、トライアングルを持った、一番小さな少女に手を引かれて、部屋にやってきた。

「それでは、今日のお客様、古代艦長と森ユキさんに......」
 年長の少年が言うと、トライアングルを持った少女が前に飛び出した。

「私達から音楽をプレゼントしま〜す」

 デューイの視線を感じつつ、進は、子どもたちの演奏に耳を傾けた。しかし、その音楽は、通り過ぎるだけで、頭の中は、デューイからの言葉でいっぱいだった。

 

(25)

「とっても、素敵な演奏だったわね」

「あ、ああ」
 進は、ユキの嬉しそうな顔がまぶしかった。

「どうしたの?古代君?」

 覗き込んでくるユキの顔に笑顔を向けると、ユキは、不安そうな顔をした。進の愛想笑いは、必ず、何かを隠している。

「長居して、少し疲れた?」

「鬼ごっこは、ちょっと大変だったけどね。大丈夫だよ」
 答えると進は、車の進行方向を見つめた。ライトの先には闇が広がっていた。
 ユキは、それ以上、運転中の進に聞くことをやめた。

『私の為に、疲れているのに、我慢していたのかしら......』

 

 トゥートゥー、トゥートゥー、トゥートゥー......

 進の腰に着けられた通信機の音が鳴り出した。どんな時にでも、緊急時に連絡が取れるよう、進は、いつも通信機を携帯していた。
 進は、片手で取り出すと耳にかけて、マイク部分を伸ばした。

「はい、わかりました。今、外出中ですが......。わかりました。すぐに向かいます」

 進は、車を急に止めると、方向を変え出した。進の顔がきりっと緊張した。ヤマトでの進の顔と同じ......。ユキは、何か、あったことを察した。

 方向転換すると、進は、一旦車を止めた
「ユキ、呼び出しだ。至急、司令部へ戻るようにとの命令が出た。このまま、あのコテージに戻らず、南十字島の基地に行くけれど、いい?」

「何があったの?」

「極秘の事らしい。とにかく、できる限り早く帰って来い、だそうだ」

「荷物は?」

「あのまま。この仕事が済まないと取りにはいけないけど」

「でも、戻って来れるわよね」

「ああ、終わったら、無理矢理にでも、休暇を取るさ」
進の言葉にユキも微笑んだ。

「わかったわ」

 

『それにしても、いったい何があったんだ。また、どこからかの攻撃を受けたのだろうか......』
 進は、今来た道を引き返しながら、至急と言う割に、腑に落ちないことをいくつか感じていた。
『ほんとうに、切迫した状況なら、もっと、艦隊の移動があるはずだ......』

 

(26)

 車を運転する進には、言葉は不必要であった。進の頭の中は、すでに、この命令の事、ヤマトの事でいっぱいで、自分の踏み込める余地のないことを、ユキは知っていた。

 車が基地内に入いると、普段、車では入れない所まで、進入を許された。
 二人が車から降りると、進を取り囲むように、数人が近寄って来た。

「すぐ、指令本部に戻れるように準備はできています」
 いつもは、デューイの補佐をしている男が進に声をかけた。

「指令本部からは、何か別の事を言ってきてませんか?」

「今の所、古代艦長が、すぐ、帰還できるようにとの連絡しか受けていません」

「わかりました」

 歩きながらの短い会話のあと、進は、少し下がって歩くユキを見た。デューイ宅からの帰りだったので、ユキは、サマードレスに薄い上着を羽織っただけだった。自分の腕をつかみながらとぼとぼと歩いているユキに、特別声をかけることができなかったが、進は、側の男に小声で言った
「すみません。上着を二人分貸してもらえませんか。自分たちの荷物を全て、置いてきてしまったので......」

 男は、一瞬、何を言われたのかわからなかったが、進の、半袖シャツだけの姿を見て、一緒に移動している男の一人に耳打ちした。

「失礼しました。ここより寒いですからね、指令本部は。高速艇発進まで、用意させます」
「ありがとうございます」
 進は、にこりとした。

 基地内を移動するためのエアカーに乗っても、進は、最初に話し掛けてきた男と話を続けていた。
「......わかりました。指令本部と通信できるようにしておきます」
 進との会話をさらに横の男が、通信機を使って、指示を出していた。

 ユキは、何となく、自分が進の付属品のような気がして、寂しくなった。窓から外を見ても、基地の灯が明るすぎて、空の星々を見ることができない。

 高速艇は、すでに、エンジンがかかって、進たちの搭乗を待っていた。艇の姿が、暗い闇の中、煌々と、数機の照明で照らされていた。光り輝く高速艇は、魔法で作られた乗り物のように見えた。その高速艇に、二人は、案内されるまま乗り込んだ。

  座席に案内されても、進は、相変わらず、隣の男と打ち合わせをしていた。ユキは、一段後ろの席に座った。何もすることなく、手持ちぶたさなユキは、外の暗闇を映す窓から外のライトを眺めていた。

「指令本部と繋がりました」
 艇(ふね)の中で、副操縦席の女性の声が響く。その声で、進と男は、顔を上げた。

「わかりました。今、行きます」
 進は、操縦席の方へ移動し始めた。ユキもその後をついて行ったが、通信は、すぐ終わった。詳細は、指令本部へ来てから、というだけであった。

「それでは、発進します。デューイ指令は、間に合わなかったようですね」
 隣の男の言葉で、進は、さっき別れた、デューイとその家族のことを思い出した。
 暖かい家庭だった。進にとっては、子どもたちの楽しそうな声であふれた家にいられたことは、久しぶりの事であった。デューイの強引な誘いは、彼の進への気遣いだったのだろう。

 さっき頼んだ上衣が届き、デューイの部下は、ほっとした顔をして、進に手渡した。そして、進を取り囲んでいた男達を引き連れて、高速艇から降りていった。

 届いた上着をユキに渡しながら、進は、はじめて、ユキに声をかけた。進は、デューイの言葉から、ユキを真正面から見ることができずにいた。
「また、すぐ戻って来れるさ」
 それは、進自身、自分に言い聞かせているようだった。

 

(27)

 進は、上衣を羽織っているユキの方を向いて、微笑んだ。男物を着ていると、ユキの体は、また一段と華奢に見える。
 ユキは、進の笑顔が自分を心配させまいと気づかってくれているものだと思った。
『私は、大丈夫よ』
 ユキがそう進に答えようとした時、進の後ろに見えるドアから、汗だくになって乗り込んできた男が、ユキの視界の中に入ってきた。

「デューイ指令!」
 ユキの言葉に、進もドアの方に上半身を向けた。そして、姿を認めると立ち上がった。デューイは、まるで、家を訪問してきたかのように普段着で、手を上げて、笑顔で答えた。

「ははは、間に合ってよかった。こんな形で、帰るはめになるとは。古代艦長も、大変だな」

「いえ、もう、慣れっこですから。でも、とても充実した休日でしたよ」
 進は、軽くウィンクをして答えた。

「じゃあ、仕事が済んだら、また来いよ。その日の為に、あの子たちは、違う曲を練習するそうだ」

 操縦士は、進たちの方を見ていた。もう、すでに、発進するのみになっていた。エンジンの音が艦底から徐々に響いてきた。

「楽しみにしてます。今度は、うんと休暇もらって来ます」

「仕事も残っているぞ」

「そうでしたね」
 デューイも、ドアに下がりながらも、進との会話を楽しんでいた。

「じゃ、待っているぞ」
 デューイは、そう言うと、操縦士に合図を送った。進たちが乗った高速艇は、その合図の後、発進の最終準備に入った。
 二人は、その手順を懐かしく思い出していた。

 

 離陸後、安定した機内で、進は、ユキに声をかけた。
「指令も、かなり慌てて来たみたいだったね」

「ええ」

 なぜか、元気のないユキの姿に、進は、今まであまり話すことがなかった事を聞いてみた。
「気になった?この高速艇」
 進は、ユキの元気のなさをこの機体のせいだと思っていた。

「大丈夫よ。あの時と違うし」
 ユキの言葉で進は、ホッとしたらしく、椅子に深く持たれかけた。

「じゃあ、なに?」

『なんだろう......』
 その言葉にユキ自身も自分に問いかけてみた。

「夢みたいだった.......」

「夢?」

「全部、夢みたいに思えて」
 ユキの言葉に進も同感だったようである。二人は、動き出した機体の窓から流れていく地上の灯を目で追った。

 

「必要なことがあったら、遠慮なくおっしゃってください」

 いつの間にか、二人の側にやってきた副操縦士の言葉に、二人は、反射的に、同時に答えた。
「ありがとうございます」
 その二人の声に、副操縦士は、にこりと笑顔で答えた。

 進は、照れ隠しのせき払いをし、副操縦士に答えた。
「ありがとうございます。今は、何もいらないので、また、後で、お願いします」
「それでは、着陸前に、また伺います」
 副操縦士は、元の席に戻って行った。

 進とユキは、顔を見合わせた。さっきの沈黙の間、二人は、同じことを考えていた。短い休暇に出会った人、そして、できごと......。しかし、ここは軍用機内で、二人は艦長とその部下である。短い休暇の時とは違う距離が、二人の間に、また、できつつあった。

『こんな時でなかったら......』
 ユキは、現実がうらめしかった。

(28)

 司令本部は、いつになく慌ただしかった。非番の者も、出てきているのだろう。
進とユキの二人は、その中で、かなり浮いていた。たとえ上衣を着ているからといって、二人の服装は、リゾート地で着るような、軽い普段着である。しかし、行き交う司令部員達は、自分の仕事をこなすのが精一杯で、二人を気にする所まで、気が回らないようだった。

 二人は、すぐ、長官室に通された。普段、案内する立場であるユキは、自分の居場所を取られたような気がしてならなかった。

 部屋には、地球防衛軍司令長官である藤堂や参謀の伊達、ヤマト副長の真田志郎と島大介が、二人を待っていた。藤堂は、にこやかに二人を迎えた。

「遅くなってすみませんでした」
 進は、藤堂に挨拶をした。

「いや、休暇中であるのに、こちらの都合で呼び出して、本当にすまない」
 藤堂は、借り物の上着を羽織っている二人を交互に見て、詫びた。

「どうしても、あと一時間後の公式発表前に、聞いてもらいことがあったのだ」
 藤堂は、そう言葉を続けると、伊達に合図をした。
『公式発表?』
 進は、声には出さなかったが、その場の雰囲気で、とても重要なことだということを察した。

「真田・島副長は、既知のことですが、古代艦長に、お話しします」

 伊達は、スクリーンに、いくつかの数値が書かれたグラフを出し、説明し始めた。
「これは、ここ数日の宇宙観測ステーションから送られてきたデータです」

 伊達が、ボタンを押す度に、数値が微妙に変化していった。進には、それが、銀河系自身の観測データだとすぐ気がついた。伊達が、ボタンを押す度、データは新しいものに更新されていく。そのうちの一つのデータの数値が急に跳ね上がった。進は、その瞬間、目を凝らした。
 その後、更新されていくデータは、また通常の値に戻っていた。伊達が、何度もボタンを押し続けたが、さっきのように数値が急激にあがることはなかった。

「古代艦長、わかりましたか?12時間前のデータの変化を」

 後ろでは、志郎や大介が、黙って見守っていた。

「この瞬間だけ、2倍近くに銀河の質量があがった?」
 進の答えに伊達は、満足したのか、データを戻し始めた。

「そうです。ほんの一瞬だけでしたが」

 スクリーンには、3Dの銀河系が映し出された。

「そして、これが、我々が出した予想です」

 画面下の数値と連動したグラフィックスなのであろう。さっきの急増した数値のところで、銀河の星の密度が一気に増した。

「各観測ステーションのデータが全て、同時刻に同じような観測結果を出したそうだ」
 真田志郎の声が進の耳に届いた。いつの間にか、志郎は、進のすぐ後ろで、同じスクリーンを見ていた。

「銀河中心部を見てくれ、艦長」
 志郎は、伊達の所に行き、スクリーンの画像の倍率を下げていった。ただ単に星の数が増えていったのではない。双児の様に同じような大きさの銀河と、エックスの形に、交差している。志郎は、さらに、別の角度で表示できるように、操作した。銀河ともうひとつの突然現れた銀河は、銀河中心部にで混じりあっていた。進は、その画像を見て、つばを飲み込んだ。

『銀河中央部---ガルマン・ガミラスとボラー連邦の星々がひしめいているところ---ほんの一瞬、理由はわからないが、突然現れた銀河と我々が住む銀河が交差をした?』

「ガルマン・ガミラスとボラーは、どうなってしまったんですか?」

 進は、最悪の事も考えねばならないと思った。ほんの一瞬にしろ、バランスが大きく崩れたはずである。安定した星と星の間の均衡が崩れた時、一番星が密集している銀河系中心部は、どうなったのだろう......

 

(29)

「ガルマン・ガミラスとボラーには、通信を送ったのですが、返信はありませんでした」
 伊達は、進の方に振り向いて答えた。進は、そっと、目を伏せた。
『ガルマンとボラーには、多くの人が住んでいた。その人々は、この、一瞬で、絶えてしまったというのか......』

「ガルマン・ガミラスとボラーは、地球とは、正式に国交があるわけではない。我々の通信も、そのために無視されたのかもしれない。そこで、今回は、ヤマトに、できる限り銀河の中心部の様子を見てきて欲しいのだ」

 藤堂の言葉で、進は、目をかっと見開いた。

「わかりました。すぐに、発進準備に入ります」
 進は、きりっと、背筋を伸ばした。

「よろしく頼むぞ、古代艦長......。今回のことは、地球市民に一時間後、公表される。それが、例え、混乱を招くものであっても、我々は、正確な情報を市民に伝えなければならない」

 太陽に異常が起こった時、サイモン教授による警告を信用することなく、事態把握に遅れたことがあった。その後、そのようなことが起こらないよう、地球中の学者に、そして一般市民にも、正確な情報を提供することを政府は誓ったのである。このため、今回は、早急な情報公開を政府からも求められていた。

 ユキは、ずっと、このやり取りを傍観していた。

『また、ヤマトが危険な任務を任されるのね......』

 それは、ヤマトの乗組員の誇りでもあるが、危険と裏腹の世界である。ユキは、責任を一身に背負う進の顔をジッと見つめた。引き締まった口元、鋭い目......それは、南十字島で、二人っきりの時の進とは、違う人であった。

 

「加藤たちは、このまま、南十字島で残るように伝達を、調査・分析の為の新乗組員をただちにピックアップして下さい。......真田さん、ヤマトは?」

「ヤマトの整備は、ほとんど完了している。いつでも飛び立てる」

 ユキは、進の満足そうな顔を見てしまった。
『ほんとに、ヤマトが好きなんだわ』

 ヤマトと進の事を考えると、恋人を他の人に取られたような、寂しい気持ちになる。ユキは、部屋から抜け出したかった。そんなユキの肩をポンっと叩く者がいた。藤堂であった。

「ユキ、すまないが、大統領による公式発表の会場に出かけなければならない。ついてきて欲しいのだが」

「あ、はい」
 ユキは、反射的に返事をした。
 制服に着替えなければならない。

 進は、伊達たちと大まかな打ち合わせに入っていた。ユキは、その進の姿を見た後、一人、部屋を退出した。

 

(30)

 ユキの退出後、進は、藤堂に一言告げた。
「長官、今回、森ユキは、乗艦しない予定です。長官のもとで引き続き仕事ができるよう、お願いしたいのですが」

 進の言葉に皆、驚いたが、藤堂は、進の目を見つめた。
『今回は、かなり意志が固そうだな』

「そうか」
 藤堂は、うなづいた。

 

 ユキは、急いで戻ったが、部屋には、進の姿はなかった。しばし、呆然と立っているユキに、藤堂は、進の言葉を伝えることができなかった。

 ユキは、藤堂が自分の方を見ていると気づいた。
「あの、すみません」
 全て見られた恥ずかしさを隠そうと、頭を下げるユキに、藤堂は、手に持っていた書類をユキに差し出した。

「一度、目を通しておいてくれないか。私一人では、手に負えない時には、助けてもらわなくてはならんからな」
 藤堂のやさしい言葉は、さっきまでの不安をかき消す程ではなかったが、ユキの心を和ませた。

「さあ、ユキ、時間だ。出かけよう」
 藤堂は、時計を見ながら声をかけた。

「あの、長官......」 
 ユキは、歩き出した藤堂に、声をかけた。

「なにか、あったか、ユキ?」

「いえ......。長官、大統領の発表まで、時間がないんですよね。急ぎましょう」
 ユキは、手に持った書類を脇に抱えた。

『ヤマトに乗艦(の)るまでは、こっちの仕事、ちゃんと、こなさなきゃ』

 ユキは、大股で歩く藤堂に置いていかれないように、いつもより、速く歩いた。

 

エアカーが海沿いの道に出ると、進は、海を見ていた。遠く、水平線より、もっと遠くを見ているようだった。

 「よかったのか、古代」
 大介は、ドックへ向かうエアカーの中、進に話し掛けた。

「ああ」
 進の気のない返事を気にした大介は、さらに、質問をしようと身を乗り出したのだが、志郎が制した。
 不満げな顔をしたまま、大介が座り直すと、志郎は、話題を変えた。
「加藤たちは、出向したままでいいのか?」
「......」

 返事が返って来ないので、真田は、話をもう一度くり返そうと、進の顔を見た。
「艦長?」
「あ、ああ、加藤たちか。建造中空母の艦載機のパイロットの訓練に参加中だからな。デューイ司令が、このまま新しい空母に乗って欲しいなんて言っていたが......。まあ、今回は、調査中心だから、フルメンバーでなくてもいいんじゃないかな」

 進は、答えると、また、窓の外に視線を戻した。

『古代?』
 志郎と大介は、進の気持ちがここにないことに気づいた。

 

(31)

 ユキは、藤堂の同行で、地球政府の『重大発表』という現場にいた。事前に全て知っていたこともあり、落ち着いた気持ちで、大統領の発表を聞いていた。しかし次の、ヤマトが銀河中心部への探査についての藤堂の言葉で、ユキは、がく然とした。

「古代艦長との協議の結果、今回、出向中の乗組員は、現状のまま、ヤマト乗艦はせず、また、探査中心の航海なので......」

 ユキは、そのことに関して、藤堂に何も言われてなかった。隣の政府関係者の男がユキの耳もとで、ぼそりとささやいた。
「今回は、留守番組ですか?」
 ユキは、微笑んで、かわしたが、心の中は、動揺していた。

『なぜ、私の乗り組みのことを、きちんと話してくれないの......』

 

 藤堂との帰り道、わざとその話題を避けている藤堂に、ユキは、不安をつのらせた。

「ユキ、すまないが、今後のスケジュールをきちんとまとめてくれないか」
 藤堂は、わざと目を合わせない。

「はい。あの......、あの長官」
 藤堂は、突然、足の動きを止めた。ユキは、振り向いた藤堂と目を合わせた。

「長官、私は、いつ、ヤマトへ行けるようになるんですか」

 ヤマトの発進は、数日後だろう。

「ユキ.....。早く話さなくてはならないと思っていたが......。古代艦長から、君の乗艦がないことを聞いていた......」

「私は、乗艦できないんですか?」

「古代艦長が許可がなければ。これは、君だけではなく、出向しているコスモタイガー隊の一部やその他他の職務についている乗組員も皆同じなのだ」

 ユキは、いつかこんな日が来るのではないか心配だった。自分だけ置いていかれる日。

 自分は、女だけれども、仲間でいたいという気持ち。でも、他の乗組員は、仲間というより、進のパートナーだと見ているのではないか。

 呆然としているユキの肩に、藤堂は、そっと手をのせた。
「ユキ、決して、君だけを疎外したわけではないと思う。私も、今、君に仕事を手伝ってもらいたいと思っている」

 藤堂の言葉は嘘ではないだろうが、ユキは、進が自分を切ったことが、一番ショックだった。

 

(32)

 ヤマトに乗り込んだ進には、寝る暇もないほど、たくさんの仕事が待っていた。ユキから何も連絡がないことも、多少、気になっていたが、時間に追われている進は、私事には、かまっていられなかった。

「艦長、さっきの書類は、目を通してもらえましたか?」
 二人っきりの時でも、大介は、仕事の話になると敬語になることがあった。

「ああ、さっきの航路の方だな。これは、観測の結果に左右されるので、航海班に任せるよ。とにかく、大きな航路変更があった時は、必ず言ってくれるようにしておいてくれればいいよ」

「わかりました。ところで、古代、お前、自分の荷物は、どうする?」
 大介は、突然、普通の言葉使いになった。進は、そんな大介の言葉ににこやかに答えた。

「そうだな。まあ、前の航海の荷物も多少あるし、あとは、調達できるもので、なんとかなるし」

 進は、他の書類に目を移した。

「ユキに持ってきてもらえば、いいじゃないか。きちんと、話せなかっただろう。乗艦させないことも、他のことも」

「他のこと?」
 大介の言葉に進は、書類を離した。

「ちゃんと、ケリつけなくてもいいのか」

「ケリ?」

 進の答えに、大介の顔が真剣である。

「お前さあ、おかしかったから、南十字島から、帰ってきた時。何かあったんだろう」

 進は、その言葉に、また、あの後ろ姿を思い出した。どうしても、否定できない程、似ていた後ろ姿......。

 艦長室の窓から、ドックの無機質な壁を見つめていた進の瞳は、壁よりももっと、遠くを見ていた。大介は、さらに話し続けた。

「発進前に、きちんと、ケリつけとけよ」

「ああ......」

『まただ』

 進の気のない返事に大介は、ため息が出る程、気が抜けた。

「ちゃんと、会って話をしろよ。発進前に。真田さんも俺も、できる限り、お前の仕事を手伝うから......」

 進は、大介の話を聞いて、苦笑いした。
「そんな、変だったか?」

 進の言葉に、大介も、少しにこやかになった。
「変だ。全然気がはいってない」

 大介は、正直に言ってくれる。それは、進にとってありがたいことだった。

「なあ、島、沖田艦長だったら、こんな風に、自分のプライベートのことで悩みはしなかっただろうな」
 進は、一度置いた書類を取り上げた。

「いや、わからんぞ。艦長のことをよく知っていたわけじゃないしな。俺たちが未熟で、そこまで、気が回らなかったのかもしれない。どうした、沖田さんのこと言い出して」

 大介には、南十字島で見たことを言えない。きっと、笑われるだろう。

「沖田さんが生きていたら、俺は、どうしていたんだろ」

 大介は、自分達にはわからない程の緊張の連続を、進が味わっていることを知っていた。一航海終えた後でさえ、進は、常に苦しんでいるのか?

「今、沖田さんが生きていても、ヤマトの艦長は、お前だけだよ。俺の上司は、お前だけだ」
 進は、そう言われて、大介に余計な心配をかけてしまったことに気づいた。

「わかった、島。ユキには、なるべく自分の口から伝えるよ......」

「大切なことだ。どんなことでも、言葉にして伝えなきゃ。特にお前は」

「ありがとう、肝に命じておくよ」

「あと、時間があったら、寝ろよ。今日も、もう寝ろ」

「ああ。この書類を読んだら、少し寝るよ」

「じゃ、司令本部から、連絡があっても、下で処理するから」

 だんだん、母親の様に細かく注意する大介に、進は、ただ、笑顔で答えるばかりだった。

 

(33)

 ユキは、とりあえず、その日の仕事を終えると、ドックに車を走らせた。
 あの浜辺で見た、どこかに行ってしまいそうな進の姿が頭の中によぎる。

『ちゃんと、聞かなくっちゃ』
 ユキは、ハンドルをぎゅっと握りなおした。

 

 ライトに浮かぶヤマトは、美しい。ユキは、こんな風にヤマトを見ることがなかったので、しばし足を止めた。あの一番上には、進がいる。
 一つ息を吐いて、雪は、進の荷物を持って、受付に向かって歩き出した。

 

「古代艦長に荷物を届けに来たのですが」
 ユキの姿を見ると、警備の男達は、微笑んだ。

「わかりました。古代艦長ですね」
 男がヘッドホンをきちんとつけ直して、パネルをいじっていると、険しい顔になった。

「あの......、ヤマトの方からの回答は、艦長は、就寝中なので、緊急な用事しか受け付けないということです」
 男は、時計を見ながら、ユキに答えた。
「どうしますか?」

 寝るのには少し早いが、進は、ほとんど南十字島から寝てないので、その可能性はある。無理を言えば、ヤマトに荷物を持っていけるだろうし、会うことも可能だろう。けれど、ユキは、帰ることにした。

「ありがとうございます。では、荷物だけ、艦長に渡してもらえませんか?」

「わかりました。一応、持ち込みは、検査が必要ですが、よろしいですか?」

「はい。おねがいします」
 ユキは、荷物を渡すとすぐに立ち去ろうとした。

「あの、伝言も承りますよ」

 ユキは、一瞬、メモだけでも......と思った。

『もしかしたら、連絡をくれるかもしれない』
 小さな可能性にユキは、懸けることにした。ユキは、荷物だけ男に託した。

 帰る前に、もう一度、ユキは、ヤマトを見た。光に照らされたヤマトのシルエットは、冷たく光り、ユキの慣れ親しんだヤマトとは、別の艦(ふね)に見えた。

 

(34)

 佐渡酒造は、珍しく酒を飲もうという気になれなかった。自分の目で見るまでは......。そう思って、昨日の夜から、酒を口にしていなかった。

「驚いたよ、あんたが生きていると聞かされた時は」
 酒造は、酔いがない分、多少手持ちぶたさだったが、心は、抑揚していた。

「古代達もきっと、喜ぶ。あんたが生きていると知ったら」

 男は、ずっと、外を眺めていた。月は、あの島と同じように、辺りを柔らかく照らしていたが、周りの景色は、濫立するビル群であった。やさしく木々が揺れていた、あの島とは違う。

「ヤマトは、出航するそうだな」

「なんだかんだ言って、ヤマトは、結局、頼りにされている......。古代達は、そういう功績を残しているから、仕方あるまい」
 酒造は、男の反応を気にしていた。しかし、男は、窓の外の月をずっと見続けているだけであった。

 男は、友から、あの日の朝早く、進が訪ねて来たことを電話で聞いていた。
 たった一年側にいただけなのに、記憶の中に鮮やかに残っている少年。今も、出会った日のことを思い出すことができる。

 男は振り返って、笑顔を酒造に向けた。
「佐渡先生、いい酒が手に入ったのだが、一杯、付き合ってもらえませんか」
 酒造は、つばを飲み込んだ。どうやら、『酒』と聞くだけで、体が反応してくるらしい。

「そうですな、沖田さん。ヤマトの無事な航海を祈って、今夜は、飲み明かしましょう」

  

 進は、寝ると言ったものの、なかなか寝つけれなかった。ベッドの上に転がったまま、真っ暗な天井を見ていた。ヤマトは、ライトに照らされているため、窓は、シャッターが完全に下りていた。

 進は、このベッドで、後半の半年間、ずっと寝たままだった沖田のことを思っていた。ここで、何を思っていたのだろうか。

 眠れない進は、ごろりと横に向いた。何かが違うと思った時、進は、常に聞こえていたエンジン音が、聞こえないせいだと気づいた。艦底から、じわじわと、航海中は響いている、あの音が聞こえない。

 寝る努力を諦めた時、進は、艦長室から出た。第一艦橋に歩いて下りていくと、そこには、夜間勤務についている者がいた。

「艦長、起きていらっしゃったんですか」
 驚いている男の質問に進は、答えた。
「ああ、眠れなくて。何か、変わったことは?」

「あの、さっき、ユキさんが、ドックにいらっしゃって、艦長の荷物を預けていかれたそうです」

「さっき?」

「ええ、まだ、間に合うかもしれませんよ。5分も経ってませんから」
 進は、少し考えたが、今、艦を下りるわけにはいかない。

「ありがとう。荷物は、艦長室に届けてくれるように頼んでおいてくれ」

「いいんですか?」

 何を心配しているのか、わかっていたが、ユキを追いかける気にはなれなかった。今は、艦が優先である。進は、艦長室に戻った。

 艦長室に届けられた荷物は、いつものように、きちんと整頓され、丁寧につめられていた。進は、何かを取り出そうと手を伸ばしたが、手を引っ込めた。考えられえて詰められた荷物をいじることで、何か壊れるのではないかと思ったからだった。
 進はベッドに戻り、それが何なのか考えた。そして、大きなため息をついた。

 あまりにも、近くに居すぎた。側にいることが当たり前になっていたのかもしれない。愛されることに慣れてしまっていたのかもしれない。

  

(35)

 ユキは、一人ベッドの上で、受話器を眺めていた。

「艦長って、最後に艦から下りるものだよ」

 地球に帰ってきても、なかなか艦から下りようとしない進がそう言っていたのを思い出した。

『帰ってくるまで、下りないってことか......』

 いつ帰ってくるか、わからない旅。そう言えば、今までのヤマトの航海は、いつも、帰ってくる期限があった。

 

 

 ドックの中は、煌々とした明かりで満たされていたが、地上は、確実に朝を迎えようとしていた。

 早めに艦橋に上った島大介は、昨夜、ユキが荷物を持って来たこと、そして、進があえて、追いかけなかったことを、警備の引き継ぎの記録で知った。

『なんでなんだろ』
 大介は、自分のことは、後手後手に回っている親友のことを思った。

『結局、言えなかったのか。ほんと、みんなの雪への思いをずるずるさせやがって。艦長失格だな』

 

 進は、目を開けると、時計をつかんだ。

『朝か......』

 出航の日が明けた。進は、いつの間にか寝てしまった。窓のシャッターを開けると、ドックの光が入ってきた。進は、朝日を浴びるようにその光を、まぶし気に見つめた。

 

 佐渡酒造は、一升瓶を抱えながら、部屋の隅で寝ていた。昨晩から寝つけれなかった男は、窓から差し込む朝日を受けながら、その光の彼方を見つめていた。

『ヤマトが、古代達が、旅立つのか......』

 

 ユキは、制服に着替えた。進からの連絡はなかった。それでも、出勤時間もわかっているはずだから、ぎりぎりまで待つことにした。

 昨日は、ほとんど眠れなかった。今日は少し、目の下にクマが見える。ユキは、目の下のクマが少しでも目立たなくなるために、念入りに化粧をした。

『ヤマトに乗ってるときは、どんなに疲れても気にならなかったな』

 鏡の中の姿が歪んできた。ほほに、すすーと温かいものが流れた。
ユキは、声を出して泣いた。涙は、止めどなく流れた。

『なんで、何も言ってくれないの』

 ユキの心は、ぽつんと部屋に、一人取り残されたままだった。

 

(36)

 第一艦橋では、次々とメインスタッフが集まっていた。

「アナライザー、レーダーの調子は、どうだ?」
 目の前のパネルの数値を確認しながら、進は、後ろのレーダーの操作確認をしているアナライザーに声をかけた。

「ダイジョウブデス、カンチョウ。チョクセツ、データヲ、ワタシノカラダニ、トリコムコトモデキマス。ダカラ、ユキサンヨリ、ハヤイデス」

 アナライザーの言葉に対して、相原義一は、呟いた。
「バカだな、アナライザーは。それじゃ、ユキが必要じゃなくなっちゃうじゃないか」

 小さな声を聞き分けることのできるアナライザーは、義一の言葉に過剰に反応してしまった。
「アアアア、ナンテコト。ヒャ〜」

「どうした、アナライザー」
 アナライザーのひっくり返った音に、スタッフ一同振り返った。
「発進まで、ちゃんと直しておけよ」
 進は、笑いながら、また、パネルに視線を戻した。

 

 ユキは、なんとか、体裁を整えて、出勤した。けれど、少し赤くはれた目の周りは、あまりごまかせなかった。

 藤堂は、ユキの姿を見たとき、胸が詰まった。
 何とか言って、進を説得すべきではなかったのか.....

「ヤマトからの映像です」

 フロアに進の姿が写し出された。今回の航海の意味を直接、進がカメラの前で語っている映像だった。
 軍としても、今までの地球の状況から、かなり市民に誤解が生じないよう心を砕いていた。今回の進の映像も、異例ではあったが、政府からの依頼もあり、実現したものだった。
 画面に映る、きちんと艦長服を着た進は、別の人のように見えた。

 進の姿と声が、ユキの意識の中に流れ込んだ。そして、記憶の中の進の笑顔とだぶっていった。
 ユキの涙腺が、また弛んできた。

「!」

 ユキは、さっと、横からハンカチを差し出され、驚いた。
 ユキが横を向くと、藤堂が、白いハンカチを差し出していた。
 ユキは、軽く頭を下げ、その好意に甘んじた。今、涙を押さえないと、たぶん、ハンカチ一枚では、おさまらないだろう。

「すみません」
 小さく藤堂に言うと、ユキは、ハンカチで目頭を押さえた。

 

(37)

「ごくろうさま」
 撮影を見ていた大介は、進に声をかけた。

「少しは、役にたったかな」
 白い手袋をはずしながら、進は、大介に答えた。

 はじめは、笑顔を見せていたが、大介がいつまでも睨んでいるので、進は、少しいらだった。

「なんだ、島?」

「ユキには、きちんと言わなかったんだろう」

 大介の言わんとするところが、進にはよくわかった。

「帰ってから、きちんと話すよ。今は、気持ちに余裕がないんだ」

「今からでも、いい。一言、ユキに......」
 白い影が、大介の頬に近づいた。進の拳は、紙一重で、大介の頬を避けていた。大介は、目を閉じることなく、ずっと、進の目を見つめていた。

「行くぞ」
 手に握った手袋を、再びぎゅっと握り締めると、進は、歩き出した。

『ほんとにバカなやつ』

 

 

 発進の時が近づき、第一艦橋は、慌ただしくなっていった。

「艦長、艦は、100パーセント、万全な状態です」
 志郎の言葉に、進は頷いた。

「えっ」
 義一は、ヘッドホンから聞こえた言葉に驚いた。
「あの、発進が遅れます。......はい、そう伝えます」
 この慌ただしさの中、伝えるのがとても苦痛に感じた。しかし、義一の言葉に、皆が義一の方に注目をしていた。

「艦長」

「なんだ、相原」

「司令部より、緊急の連絡がありました。長官からの使いの者が、直接、命令書を持ってくるそうです。発進時間が遅れても、直接、古代艦長が受け取るように、だそうです」

 進と大介は、顔を見合わせた。

「発進を遅らせても、受け取らなくてはならないんだ。今さら、慌てても仕方あるまい」
 志郎の言葉に、進もうなづいた。

「なるべく、時間のロスを防ぐため、タラップのところに向かいます」
 進は、時計を見つめたあと、立ち上がった。

「艦長、これを持っていってほしい」
 志郎が小さな固まりを投げてた。進が受けとると、志郎は、耳に手を当てて、説明し始めた。

「小形受信機だ。伸ばせば、ヘッドホン型になる。発進指揮も、これで取れるはずだ」
 進は、耳にかけて、マイク部分を伸ばすと、スイッチをONにして、音声を確認した。

「艦長、長官からの使いが、ドックについたようです」
 義一が、普段より、大き目の声で叫んだ。
 進はうなづき、志郎に任せる合図をして、艦橋を飛び出した。

 

「もしかしたら、発進、遅れるかもしれませんね」

「どうしてだ、相原」 
 義一の言葉に、大介が振り返った。

「司令部から来たのは、ユキさんです」

 大介は、とりあえず手を止めた。そして、いつでも、発進時間が変更になってもいいように、第二艦橋に、指示を出し始めた。

 

(38)

「真田さん、第一艦橋の状況をこちらに流してください」
 進は、走りながら、志郎と連絡を取りあっていた。

「艦長、注水開始時間で、発進時間が決まる。もし、遅れそうだったら、早めに連絡を......」
 志郎からの言葉を聞きながら、タラップの方に目を向けていた。進は、視界の中に入ってきた人物を見て驚いた。

「真田さん、わかりました」
 進は、マイクだけをオフにした。そして、近づいてくる人物をタラップの一番上の踊り場で待った。

 一気に駆け上がってきたユキは、進の姿を確認すると、急に足が重くなった。

 進は、ユキがいつもの様子と異なっていることに気がついた。
 泣き通しだったのか、少し目もとがはれていた。肌の状態も良くない。この数日、かなり、眠れなかったのだろうと、進は思った。

 ユキは、呼吸を整えると、持っていた封筒を両手で、握り締めた。そして、進と目を合わせた。

「長官から、古代艦長への命令書を預かってきました」

「ありがとう」
 差し出された封筒を受け取ると、進は、形式的な言葉をユキに返した。

 ユキは、一呼吸おくと、もう一度、進と目を合わせた。
「命令書の返事を、必ず伺ってくるようにと、長官に言われております。今、読んでいただけませんか」
 進は、封筒の中身を確かめるように、軽く振り、手で封を切った。

 書かれていたことは、そんなに長い文章ではなかった。進は、なんと返事をしようか、考えた。

 進は、手紙を折り目通り閉じ、手紙を封筒に戻すと、顔を起こした。 
 もう一度、ちらっと封筒を見た後、意を決したのか、再びユキの顔に視線を戻した。

「それでは、長官に伝えてください。約束は、必ず守ります、と」

 手紙の内容を知らないユキは、何のことであるか判らなかったが、進の言葉を復唱した。
「わかりました。『約束は必ず、守る』という言葉を、長官に伝えます。」
 言い終わると、ユキは、下を向いた。

『結局、お互い、何も言えなかった......』

 ふいに、ユキの体は、進の方に引き寄せられた。ユキは、進の胸元に顔を埋める姿勢になった。背中には、進の腕の感触があった。

「ごめん」
 小さい進の声が、ユキの耳もとに届いた。

 

(39)

 ユキは、錯覚だと思った。進の言葉が聞きたいと思っていたから、聞こえたのだと。

「ごめん」
 もう一度聞こえた進の声で、ユキは、それが、空耳でなかったことに気づいた。
「自分の都合で、君を乗せることができなくなってしまった......」

 ユキは、そのまま、進の体に身を預けた。目から涙が幾筋も流れていく姿を、進に見られたくなかった。

「どうしても、他の乗組員のように扱えなくなって......」
 足下を見たユキは、進がタラップの方へ下りてきていることに気付いた。
 進からの今できる精一杯のこと......

「いつまでも、ヤマトのメンバーでいたいという君の気持ちを踏みにじってしまって......。ごめん」
 ユキは、顔をあげて、進の顔を見た。

 目が合うと、進は、いつものやさしい進の目だった。 進の指がそっと、ユキの頬の涙を拭った。

「この航海が終わったら......」
 一瞬言葉に詰まった進は、昨日の夜考えに考えた言葉を口にした。
「この航海が終わったら、結婚しないか」

 ユキは、何を言われたのか、すぐ理解できなかった。
 ユキは、目を閉じて、開けてみた。目に映ったのは、やはり進の優しい笑顔であった。声を出そうと思っても、思うように出ない。それでも、進は、優しく微笑んでくれた。
 進は、そっとユキと唇を重ね、精一杯の気持ちを表わした。

『この時が永遠に続きますように』

 ユキの思いを裏切るように、その時、進の手が、びくっと反応した。

 

「注水三分前」
 志郎は、そう言い切ると、マイクのスイッチを切った。

「予定通りですか」
 振り返った大介が、志郎の動作に待ったをかけた。

「艦長からの変更はない......」

「そうですけど」

 大介は、納得できなかったが、この短い時を祈るような気持ちで過ごすことにした。

 

 進の反応にユキは、今、ヤマトが発進する直前だと気付いた。
 進は、ユキの両肩を掴むと、自分の体からユキを離した。

「待っていて、僕の帰りを。僕だけの帰りを」
 少しはみかみながら、進は、そう言って、ユキの肩から手を離した。

 数歩下がって、軽く敬礼をする進にユキは、できる限りの笑顔を送った。
 進は、艦内へ走っていった。

「いってらっしゃい」
 走り去っていく進に聞こえたかどうか判らない。それでも、いいと、ユキは思った。

『帰ってきたら、伝えよう。私の気持ちを』
 最後まで見送りたい気持ちを押さえ、ユキも、急いでタラップを下りた。

 
 進は振り返らなかった。最後に見たユキの笑顔を思い出しながら、第一艦橋への道を急いだ。愛しいという気持ちを大切にしたいと思った。ただ、それだけで、地球へ戻ってくる理由は充分だと思った。


 そして、ヤマトは、定刻通り発進した。

 

第二章終わり

(40)へつづく  

 


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