最後の一片 第三章「未知標」その2
(56)
不服そうな主治医を除いては、この密談のメンバーは、次へのステップを進みつつあった。
沖田十三は、ヤマトの新しいデータを頭の中にたたき込み、長かったブランクを埋めていた。佐渡酒造は、進の治療の続きが航海中も滞りなくできるように、病院との連絡を密にしていた。ユキも、できる限り時間を作って、病院の方へ顔を出していた。そして、進の様子をそっと見守った。
地球の艦隊は、善戦こそしてなかったが、土星ラインで、何度も敵の艦隊を食い止めていた。しかし、その守りも、だんだん網の目の破れが大きくなるように、鉄壁ではなくなっていった。地球への直接攻撃が近いことを、ユキは知っていた。
「彼は、今、集中治療室の方だよ」
留守の病室をのぞいていたユキに、進の主治医の男が、声をかけた。「僕が案内しよう」
いつもより機嫌のよい言葉に、ユキは、うなづいたまま、ついていった。
「今回、彼には、リハビリと、体力の回復に力を入れた特別なプログラムで、治療をしているんだ」
ユキの目が輝いた。
「あの時、医師として、あんな体の患者を艦に乗せるだなんて、どんなことをしても反対だった。けれど......」
無言で二人、廊下を歩いた。廊下は、ストレッチャーで運ばれていく患者や、看護士に支えられた患者と多くすれ違った。治療室の一室に来ると、主治医は、やっと口をひらいた。
「地球がこんな状態で、そして、彼がみんなにあんなに必要とされているんだ。私には、もっと、することがあるんじゃないかなと考えてね」
部屋の中のいくつものチューブに囲まれたカプセルの中に、進は寝ていた。
「通常は、ここまでしないけれど、毎日、10時間、彼には、ここの中に入ってもらうことにしたんだ。なにしろ、あそこは、羊水と同じような環境だから、通常の3倍は、細胞の成長が早い」
ユキに、今までの進のデータの数値を見せながら、男は、口も動かし続けた。
「あとの時間で、体力に負担のない程度、リハビリを病室でやってもらって。なんとか、艦に乗れるぐらいになってきたかな」
先日、食ってかかって反対した男は、誇らし気に語っていた。
「自分は、何ができるかって、やっぱり、医者だからね。今、私にできる一番ベストのことをやったつもりだよ。後悔したくないしね。きっと、彼も同じだと思うよ」男は、今までのデータをアウトプットして、ユキに、渡した。ユキは、その動作をずっと無言のまま、見つめていた。
「彼も、前とずいぶん治療の過程が違うから、不思議がってた。他との接触を断ってきたから、なんとか、騙しとおしたけれど、もう、限界かな」
ユキは、受け取ったデータを、しっかり抱きかかえ、顔をあげた。
「そうですね。今日に入って、市民の避難も本格的になってきましたから」
男は、ガラス越しに、進の姿を再び見た。
「病院も、今日から、順番に患者の避難を始めている......。さ、これで、私の役目も終り」
その言葉に、ユキは、にこりとした。
本当だったら、もう、何日も寝不足で、そんな余裕はなかっただろう。しかし、ユキは、この後のできごとを知っているからか、予想できるからか、気持ちのゆとりがその笑顔に表れていた。
「ありがとうございます。先生」
(57)
進は、部屋の中で一人、黙々と医師から提示されたスケジュールをこなしていた。
『何も考えたくない』
立ち止まっていると、後悔の言葉ばかりが、頭の中によぎってしまう。トントトン
『このノックの仕方は......』
進が返事をする前に、ドアが開いた。
進の主治医は、進と目が合うと、にっこりした。「すまないな。面会希望者がいらしているのだが、いつもの通りに断われなくてね」
言葉と裏腹に、悪怯れてない顔に進は、そっぽを向いた。「遠くからいらしたかわいいレディを追い返せないから」
そう言うと、廊下に顔を出して、呼び掛けた。
そっと、ドアの隙間からのぞいたのは、南十字島で出会った、デューイの子ども達であった。年長の少年と一番年下の少女......
『名前は......』「こんにちは、古代艦長。デューイとサラの子どものナブとイオです」
進が思い出す前に、二人の挨拶は終わった。「こ、こんにちは。どうしてここへ?」
驚いて言葉が出ない進をしり目に、いつの間にか、主治医は部屋から消えていった。「避難する途中に寄ったんです。南十字島は危ないからと、母と皆でこちらに避難してきました。こっちの方が地下都市にも、宇宙にも避難するには、都合がいいからと、父が言うので。その時、父に、古代艦長を見舞いたいことを言ったら、OKをくれました」
そっと、少女は、小さい花束を進に差し出した。ナブという少年は、話を続けた。
「父は、こんな時だから、一人っきりになってしまうかもしれないというので、だれかもう一人連れていくように言いました。行きたい人を募ると、みんな行きたいと言い出しましたが、母を一人にできないからと、くじ引きで決めたんです」「そう、それで、君が来たんだね」
呆然と突っ立っていた進は、イオの差し出していた花を受け取った。
「ごめんなさい。庭でみんなで摘んだ花なので、ちょっとしおれてしまって」
ナブが視線を進の手の中の花に落とした。進は、何か、心に引っ掛かるものを感じながら、ひからびた心にひとすじの水滴をもたらしてくれた、二人の気持ちが嬉しかった。ナブの答えに首を振って、進は、ありきたりな言葉を発した。
「あ、ありがとう」
進は、何を言ったらいいのかわからなくて、心が苦しくて、イオの視線に合わせるように、ひざをついた。
その時、そっと進を小さな腕が包んだ。
進が驚いて、顔をあげると、イオ柔らかい頬が進の頬に触れた。『温かい......』
懐かしいぬくもりは、次第に、いつも、進にそのぬくもりをくれている人を思い出させた。
『どうしてるかな、ユ......』小さな腕がほどけると、イオは、ゆっくり進から離れた。
「パパがね、イオは、おじさんの気持ちがわかるよって言ってた」
恥ずかしそうに、ナブの後ろに隠れながら、イオは続けた。「恐い時や寂しい時、パパやママが、私をいつも抱きしめてくれたの。そうしたら、いろいろ忘れて、元気になれた。だから......」
進の目を気にしてか、すっかり、いつもの甘えんぼに戻ってしまったイオの言葉に続いて、ナブが話を続けた。
「イオも、僕達も、今まで宇宙(そと)からの攻撃で孤児になったけれど、今の父と母の元で、たくさん優しさをもらいました」
体にまとわりつくイオをかまいながら、ナブは、進の様子をうかがっていた。「私は、うまれた時から、パパとママの所にいたの!」
幼いイオにも、何を話していたのかわかったらしい。「イオは、余程恐い思いをしたのか、少し記憶が途切れているんです」
ナブは、前かがみになって、動くイオを捕まえた。イオは、にこりと笑顔を返した。
「ママが言っていたわ。私達は、みんな、うまれてくる時、うまれる前のことを言ってはいけないと神様がしーってしてくれた跡があるんだって。私は、もう一回、しーってしてもらったんだって」
唇の上に指を立てて、鼻の下のことを説明するイオに、進は、つくり笑顔を投げ掛けることしかできなかった。 進は、近くのイスに手をかけて立ち上がった。その様子を見て、ナブの顔が少し陰った。
「ごめんなさい。まだ、体の調子が悪いのに......」
「いや......、ありがとう」
進は、 花を両手で握り締めると、もう一度繰り返した。
「ありがとう、ほんとうに」
(58)
島大介と真田志郎は、不服であった。しかし、命令は、覆せない。
「どういうことですか」
「私は、長官からの言葉を伝えただけだ」
司令部から派遣された参謀は、多くを知っていないようだ。
「しかし、艦長が辞任したことを、どうしても本人の口から確認するまで、認めたくないです」
大介は、それでもつっぱねた。
「命令は、命令だ。君たちは、副長から、元の班長に格下げの形になってしまったが、暫定的な処置であること。新艦長就任が決まり次第、発進命令が出るので、できる限りのヤマトの修理を自分達の手でやって欲しいこと。私が伝えるべきことはこの二点」
はっとため息混じりに息を吐くと、続けて、一気に言葉も吐いた。
「困らせないでくれよ。今は、地球防衛軍も大変な時なのだ。君たちやヤマトに充分な手を差し伸べている余裕がない。司令部も、全艦隊、補給部隊も、土星圏内での地球艦隊にすべてを向けているし、各施設にいる人々や民間人は、地下都市に避難しつつあるのだ。こんなごたついている時に、君たちがヤマトから離れるわけにはいかないし、古代進の体調もまだ、回復し切ってないし」
ウィンウィンウィンウィン......
会話を遮るかのようにけたたましく、男の腰の無線機から、緊急を知らせる音が鳴り響いた。受信機を耳に当て、伝達事項を聞き逃さないよう、もう片方の耳を押さえた。体の動きがぴくりともしなかったが、聞き終えると、すっと、背を伸ばした。
「今、土星附近の艦隊がほぼ全滅したらしい。地球の地上に一気に攻撃をかけて来ても、ヤマトは出るな。出ていいくだけ、無駄だ。今から残された戦力を整えるそうだ」
その表情から、もう、地球に動ける艦艇がそんなにないことがうかがえた。
大介は、それ以上、何も言えなかった。
「とにかく、これで、ヤマトの補給にも力が向くだろう。今から、地球に残った艦艇にどれほどのことができるか.....」
人員、発進までの準備は、到底、敵が地球に到達するまで、完了はできない。
「島、時間を無駄にはできんぞ」
志郎は、大介にうながした。「しかし......」
「今は、修理を最優先だ。俺達が迷っていてどうする?他の乗組員も、このことを知ったら動揺するだろう。このまま、知らぬふりをして、作業を続けるしかないだろう」
確かに、ヤマトの乗組員に進が辞任したことを話したら、大騒ぎになって、修理どころじゃないだろう。
大介は、拳を、ぎゅっと握り締めた。
『ヒトのことを少しは考えろ!』
半分は、進の力になれなかった自分へ投げ掛けていた。
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進は、浦島太郎のような気分だった。
気持ちが落ち着くと進は、ナブやイオに、矢継ぎ早に質問を投げかけた。なぜ、今、市民が避難しているのか、そして、ワープして、地球に接近しつつある水惑星のこと......。『もしかしたら、ヤマトを追って、地球に?』
土星での地球艦隊集結の話を聞き、進の鼓動は早くなった。進の頭の中に色々なことが去来した。
『あの放射能をまき散らすミサイルには、今の地球艦隊は勝てない......』
ナブとイオが帰った後も、進は、なぞの艦隊との戦闘を思い出していた。
病院全体が、落ち着きがなくなっていた。看護士や医師達は、冷静を保ちつつ、動けない患者から誘導していた。進の元にも、看護士が一人、移動の支度を伝えに来た。
「古代さん、安全な地下都市の旧連邦病院へ避難を始めています。スタッフは、一人では動くことができない方につくので、この紙に書かれている通りに移動してください。今夜までに、完全に移動を完了させたいので、必ず18時には、地下都市のこの紙に描かれている病室にいてください」
進は、一生懸命、冷静を保ちつつ話す看護士に笑顔を返した。「ありがとう。でも、私は、できたら指令本部の方に行きたいので、私をチェックリストから、はずしてください」
看護士は、戸惑ったが、とにかく時間に押されている様子だったので、OKを出した。
「わかりました。でも、病院の方がより、安全なので、できる限り、病院の方に避難してくださいね」
進は、テレビをいじった。
どこかで、最新の情報が手に入らないか、チャンネルを次々変える。どのチャンネルも通常とかわらぬ放送が続いていたが、進がスイッチを切る直前に、緊急情報のコールが入り、画面が切り替わった。土星の艦隊が破れたことが画面に流れ、後は、避難経路が事細かに説明された。
『もう、かなり前のことだな』
進は、地球攻撃も近いことを知った。指令本部に行くと言ったものの、進は、その気が自分にないことを知っていた。
『どこに、俺の居場所はあるんだ?』
進の中で、何度消しても答えは、一つだった。『今の自分に何ができるのだろう......』
一人、燃えさかる市街地を後にして、小高い丘のモニュメントにやってきた。
『何も出来ないかもしれない。でも、もう一度、会いたい......』
気持ちを押さえることはできなかった。疲れた体を引きずるように、進は歩いた。頭の中には一つのことだけしかなかった。そして、進は、地下ドックのヤマトの前に立った。
(60)
機関長の山崎奨はまだ、進が退任したことを知らなかった。前とかわらぬ乗組員達の態度に、進は罪悪感を覚えた。志郎の少し冷たい声---志郎は、感情を表に出すタイプではないが、かなり心は穏やかではないことを進は感じた。
『ヤマトは、明朝に発進する......』
進は、別れの時が迫っていることを知った。第一艦橋---もう、帰るふるさとのない進には、心休まるふるさとの家は、ここしかない。
『行ってしまう。自分を置いて......』
肌が憶えている感触を確かめながら、進は、うなだれた。「?」
進は、後ろを振り向いた。今、懐かしい声が聞こえた。懐かしい人が、自分を叱咤した声が。
進は、立ち上がって、第一艦橋に架けられた沖田十三のレリーフを見た。
体が熱い。久々に長い時間動いたので、体が悲鳴をあげていた。それでも進は、一歩、一歩と足を踏み出し、レリーフに吸い寄せられるように近寄った。
『沖田艦長、私は......』
歪んだレリーフが、進の目に映った。
バランスを崩した体を支えようと近くのイスに手を伸ばした。
ゴトッ
進は転倒してしまった。しかし、進の体の中には、体を起こすほどの力は残っていない。
薄れゆく意識の中に温かい感触を感じた。
『この感触は......』
「......おとうさん......」
頭の片隅にあった映像が頭の中に一瞬よぎった。
沖田十三は、古代進が第一艦橋に入ってきたのに気づいた。
いつもの俊敏さはない。もう、体力の限界であることは、沖田にもわかった。
進は、第一艦橋の自分の席から、動こうとしなかった。できなかったのかもしれない。でも、進が自力でここまで来たことが嬉しくて、沖田は、自分がいることを明かそうと思って声をかけた。
進の反応から、どうやら、もう、意識も朦朧としていることを知ると、沖田は、ただそこで待った。
進は、一歩、そして、また、一歩と足をゆっくり動かして近づいてくる。しかし、沖田の気持ちは、初めて足を踏み出した赤ん坊を手招きして待つ、親の心境に近かった。
進は、沖田の所より、うんと手前で、体のバランスを崩し倒れた。
駆け寄り、そっと、進の頭をひざに乗せ、頭をもたげる。もう、意識がない進は、されるがままの状態だった。
『少し、体が大きくなったな』
写真や映像で何度も最近の進の姿を見ていたが、実物の進を見て、沖田は、何年も月日が経ったことを実感した。進の乱れた髪に触れた。
「......おとうさん......」
沖田は、手を引いた。寝言なのだろうか。小さな声を沖田は見逃さなかった。
進の頬につーっと、ひとすじの涙が流れた。沖田は、無骨な手で、そっと進の頬をなでた。
(61)
「古代に見られましたか、艦長」
佐渡酒造は、いつもより低い声で話した。「いや......。駆け寄ったのは、倒れてからだ」
佐渡の手は、素早く動く。沖田は、その動きに感心していた。佐渡からは、出航前の酒盛りをしていたのか、においが染み付いてしまったのか、酒のにおいが漂ってきた。
「まあ、急に動き過ぎたせいですわ、艦長。今は、本当にぐっすり深い眠りに入っているだけで」
佐渡は、沖田の顔を見た。顔を見られて恥ずかしかったのか、沖田は、帽子を深く下ろした。
「医務室に運んでいきます。艦長、あんたは、明日の朝まで、休んでおいてください」
きっと、今夜は眠れないのだろうと、佐渡は思ったが、自分が注意しても沖田は、眠るわけでもないので、とりあえず、沖田に艦長室に戻るよう促した。「それでは、頼みます、佐渡先生」
沖田が立ち上がると、佐渡は、通信機のスイッチを入れた。
「......誰でもいい、第一艦橋にストレッチャーをもって来るように......。はあ?ちょっとばかが一人無茶したんじゃい。つべこべ言ってないで早く」
沖田は、ぐっすり眠る進の顔をもう一度見ると、ドアへ向った。
「きっとヤマトに乗りたくて、ここへ来たんですよ」
大介がつぶやいた。「そうかもしれんな。しかし、われわれが、どうあがいても、古代は、艦長を辞任してしまったことは、どうにもできん」
志郎は、ずっと見つめていた画面から目を離し、目をつぶった。「明日か......。時間がないな」
志郎の言葉は、進のことなのか、今取り組んでいる、未知の敵のミサイルの攻略のことなのか、大介にはわからなかった。しかし、大介自身も、時間が差し迫っていることに不安を感じていたのは確かだった。
「古代は、ヤマトに戻ってきたそうだ」
あわただしい地下都市の旧地球防衛軍本部の指令室では、地上のシステムのバックアップデータが正確に動いているか、総動員で確認作業に入っていた。藤堂は、自分の持ち分をチェックし終えてホッと肩をなでおろしたユキに、すかさず声をかけた。
にっこりしたユキの顔は、ここ数日の間で一番美しかった。
「明日ですね」
藤堂は、決して余裕があるわけではないが、目を細めた。
「そう、明日......」
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佐渡は、今日も一升瓶を抱えながら、畳の上で横たわっていた。ヤマトに乗ってから、ふとんの中で寝ることをすっかり忘れてしまった。いつ寝たかわからない。そんな激務の中で身につけた一種の護身術のようだった。
「.......」
声が複数、佐渡の寝惚けた耳の中に入ってきた。まだ、通常なら、皆が寝ている時間、しかし、今日は、発進のため、一部の者は、夜通し、部署の調整をしていたし、そうでないものも、寝る時間をできるだけ短くして、早朝から起きていた。それにしても、ここは、医務室。佐渡の時間が別の流れであることは、看護兵たちはわかっているはずだ。佐渡は、聞こえてきた音を恨めしく思いながら、眠たい目をこすった。
「どういうことか、ちゃんと答えてください」
普段、大きな声をあげることのない相原義一の声がした。「そうですよ。僕達は、相原通信班長から聞くまで、何も知らせてもらえなかったんですよ」
徳川太助の声が響く。どうやら、10人程度の乗組員達がそこに集まっていた。佐渡は、大声で一喝したかったが、その隣に進が寝ていることを気にして、そっと耳を傾けた。「新艦長が来るだなんて......」
佐渡は、乗組員達が艦長交代のことでもめていることを知った。
「真田副長も島副長も、ちゃんと答えてください」
詰め寄られているのは、大介と志郎らしい。佐渡は、息を大きく吸って、服の袖をたくし上げた。その時、佐渡の肩に手の感触があった。
「何をしているんだ、発進前に」
「艦長!」
「艦長......」
複数の声があがった。進の病室をとうせんぼしていた大介と志郎は振り向いた。
そこには、進が立っていた。進に道を譲った佐渡は、進の後ろで成りゆきを見守ろうと心に決めていた。
「艦長、私達は、貴方以外を艦長とは認めたくありません」
「そうですよ、なんで艦長が辞めなきゃいけないんですか」
進は、そこにいた乗組員を一人一人の顔を見た。まっすぐなまなざし......進は目をそらしたい気持ちだった。
今、自分にできること......。何かを言わなければ......。
「お願いです。艦長を引き続きやってください」
その言葉で、進の形相は変わった。
「お前達は、何をしているんだ」
「何をって、発進前に新しい艦長がやってくると言うことをさっき、司令部からの通信で知ったんです」
義一は、初めて聞いて、驚いたのだろう。その真相を聞こうと、大介と志郎に......。
「僕達もそれを偶然聞いちゃって......。おかしいです。古代艦長には、なんにも過失ないのに」
大介も志郎も、進の方をじっと見ていた。進は、皆に試されていると思った。
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「それで?」
進は、10人近くの男達を睨み返した。「それでって、艦長。数時間後、新しい艦長が来るんですよ」
「そう。俺が辞表を出したからだ」
一瞬、皆口が開いたままの状態になった。
「なんで......なんでなんですか、艦長!」
「俺は、艦長はできない」
「どうしてなんですか?」
「できない」
「そんな......」
皆、その後の言葉を続けることができなかった。
「けれども、俺は、また、この艦(ふね)に乗りたい、乗るつもりだ」
進は、息を深く吸い込んだ。
「そして、新しい艦長に従うつもりだ」
誰かの唾を飲み込む音が聞こえた。進は、もう一度見渡した。
『納得させることはできない。でも、この混乱だけは、納めなければ.......』
「こんなことしている時間はないだろう。早く、自分の部署に戻れ」
進の低い声に、皆、圧倒されかかっていた。
「戻れ」
これ以上、何も聞かない姿勢の進の姿を見て、部署に残してきた仕事を思い出していた。気持ちは晴れないまま、他の者に迷惑はかけれないという思いもあってか、戻っていくしかなかった。
進は、ずっと見送っていた。
そのかたわらに大介や志郎がさっきからずっと進の様子を観察していた。
バシッ
進は、ふいに伸びてきた手をよけることができなかった。強くはなかったが、進はバランスを崩し、倒れた。
「俺だって、納得したわけじゃないぞ、古代」
大介が、今、進を殴った拳をもう片手で確認していた。
志郎の差し出した手を借りて立ち上がった進は、何も答えなかった。大介は、進が立ち上がるのを見ると、さっさと部屋を出ていってしまった。
「古代......」
志郎は、進に呼び掛けた。「さっきの島の気持ち、俺の気持ちと同じだ。古代。お前が自分の足で戻ってきてくれてうれしかった。それは、島も同じだ」
進は、目を少し伏せた。
視線を再び志郎に戻すと、志郎はうなづいて、背を向けて去っていった。
(64)
フッ
皆が去ったあと、進は、気が抜けた。普段、人前で出さないため息も、つい、ついてしまった。
「少し疲れたか、古代」
進は、その声で、後ろに佐渡がいたことを思い出した。作り笑いを返したが、進は、これだけの動作で疲れてしまう自分の体に、違和感を感じていた。
「まあ、休まんか」
進は、ゆっくりベッドに戻った。手をつき、腰をかける。進の体は随分楽になった。佐渡は、その進の体に、進の許可なしに、装置をつけていった。
進は、目を閉じ、ゆっくり呼吸し、体の力を抜いた。体が、休息を欲しているのがわかる。
「横になってもいいぞ」
データを見つめていた佐渡は、進の体の具合を読み取っていた。進は、そのまま、ゆっくりベッドに身を預けた。
「これだけは、覚えておいてくれないか、古代」
進の真っ白な頭の中に佐渡の声が響いた。「お前の病気は、まだ、完治していない」
進からのリアクションが帰ってこなかったが、佐渡は、言葉を続けた。「本当は、初期段階に集中した治療して、自然の治癒力にまかせてゆっくり回復期を過ごす必要がある」
そう、それは、進が以前経験したことだ。
「今のおまえさんの状態は、体を使えば使うほど、命を縮めてしまうかもしれない」
佐渡は、少し緊張した筋肉の動きで、進が今の言葉に反応したことを知った。
「ヤマトに乗って、戦いに参加することは、将来、お前さんの体になんらかの障害をもたらすかもしれん」
佐渡は、データの確認が終わると、そっと進から装置をはずした。
「時間がある限り、眠りなさい。そして、無茶はせんことだ。他の乗組員に迷惑がかかるからな」
佐渡は、鼻をすすった。
「ありがとうございます」
自分の体で、どれほどのことができるか進にも不安があった。佐渡の指摘通り、今、無理をしたら、もう、普通の生活すらできなくなってしまうかもしれない。医者である佐渡がそれを簡単は容認したわけでないことを進は気づいていた。
佐渡が自分の気持ちを汲み取ってくれたことに感謝して、進は、そのまま、すっと眠りに入った。心配することは何もない。ここは、ヤマト。仲間もいるし、どこよりも安心できる進の我が家(マイホーム)なのだから。
(65)
志郎は、進の様子を見て、進に艦長の仕事を求めるのは、酷だと気づいた。気力は戻ってきたが、体力の戻り方が心配だった。
第一艦橋で、他の乗組員は、志郎や大介に、進のことを聞くものはなかった。
「思いっきりじゃなかったんです」
進を殴った後、大介は、進があまりにも簡単に倒れたことに、驚いていた。志郎は、自分達が進を支えきれるほどの器ではないことが悔しかった。沖田十三が倒れた時、進は、沖田を支えていた。あの二人のような間柄にはなれなかった。
進は、時間ぎりぎりまで、寝ていた。佐渡に起こされるまで、ずっと深い眠りの中だった。
さっと、上着を羽織る。乗組員全員の前でどんな顔をすればいいのか、新艦長は、自分をヤマトのメンバーとして受け入れてくれるのだろうか。
『どうにか、なるさ』
襟元をぴっと整えた。
甲板には、もう、乗組員達が整列しかかっていた。進は、物おじすることなく、第一艦橋のメンバーの元に近づいた。
大介が進に手袋を渡した。
「済まないな」
手袋をはめている進に大介は囁いた。進は、鼻で笑った。
「お返し分は、容赦しないからな」
大介は、進の強さが見せ掛けかもしれないが、たくましく感じた。
やがて、号令とともに、乗組員全員が、体を緊張させた。
『長官が?』
皆が、驚き、ざわめき出すと、一喝するように、声が響いた。
進は、体が震えた。
忘れもしない、低い声。
自分が何をしているのかわからなくなった。気づくと進は、第一艦橋に向って走っていた。
第一艦橋の艦長席に座っているのは、まぎれもなく、あの沖田十三だった。
(66)
進は、何もできなかった。どんなに追い詰められても、進は、いつも進み続けていた。だが、今は、ただ一点を見つめるばかりだった。
『生きていた!!』
心の底では、歓喜の声を張り上げているのに、言葉にすることもできない。
進の頭は、さっき見た、奇跡の1シーンでいっぱいだった。それでも、発進のプロセスは、体が覚えていた。進は、難なく発進の指揮を執り行なえた。
何も考えれない進は、つい、いつもの口癖で皆の失笑を買った。でも、それが、張り詰めていた気持ちを和らげてくれた。
「古代さん、ユキさん。艦長から、艦長室に来るようにと.....」
相原義一の声で、進の体が再び緊張した。「古代、行って来い。行って、納得してこい」
志郎が進に声をかけた。皆もそう言いたげな顔をしている。「行きましょう」
ユキが腕を取った。「えっ」
進が動転している姿を皆がやさしく見守っていた。
『がんばれ』
大介は、声に出してエールを送りたかった。かわりに大介は、進の姿が、第一艦橋の入り口のドアが閉まって見えなくなるまで見送った。
二人っきりになった時、進は、艦の発進から、比較的冷静だったユキの余裕が気になってきた。
「どうしたの?古代君?」
進は、明らかにむくれていた。ユキは、そんな進の姿に、くすっと笑った。
ますます、機嫌を悪くした進は、艦長室の前で立ち止まった。ユキは、進の比較的元気な様子に満足していた。その笑みが進の癇に触ったようである。
「いつから知っていた」
小さく吐き出された進の言葉が、久々のユキへの第一声だった。「あなたの辞表を出しに行った時よ。代わりの艦長に連絡をとって欲しいと、長官に言われたの」
「なぜ、黙っていた?」
「あなたが、私を避けていたでしょ。あのあと」
進は、ムッとして口を膨らませた。ユキは、その姿に、二人の関係を見い出していた。
「何をしとるんじゃい。艦長が待っていらっしゃるのに」
急にドアが開き、佐渡の怒号が響き渡った。
(67)
「まったく。夫婦喧嘩も場所をわきまえてせんかい」
佐渡の言葉に、進は、鼻息荒く、大声を出した。
「まだ、夫婦じゃないです。先生」「なんじゃい、ほとんど夫婦みたいな癖に」
ユキは、ニコニコ笑っていた。
沖田は、佐渡の言葉に反応して慌てている進を見ていた。進は、沖田に見られていることに気づき、恥ずかしくなった。「元気そうだな、古代」
沖田の言葉に進は、何と言葉を返したらいいのか、迷った。
「沖田艦長、南十字島にいたんですって、私達がいた時に」
進は、あの、浜辺で見た後ろ姿が、本物であったことを知った。
「......」
きちんと聞きたい......そう思う気持ちと裏腹に、進は、言葉を見つけることができずにいた。ユキは、多少もどかしく思いつつ、進を見守った。言葉がでない進に、佐渡は、自分から、沖田生存の話を切り出した。
ユキは、どことなくホッとした面もちで聞く進を、見ていた。
『ここからね、古代君』
一通り話が終わり、佐渡達が部屋から出ようとした時、進は、沖田に向って、一つの提案をした。
「艦長、私に前艦長の最期の仕事として、新しい責任者達の紹介をさせてください」
佐渡は、振り向いたユキの腕を取った。佐渡の目は、自分達が出る幕ではないことを語っていた。
「いいだろう」
佐渡とユキは、背中で沖田の返事を聞きながら、艦長室を出た。
「では、私が案内します」
進の真直ぐな眼差しは、昔と変わっていない......そう沖田は、思った。
進は、二人だけのエレベーターの中、何も語らず、ただ、ドアを見つめていた。何を話したらいいのか、ずっと考え続けているのだが、思いだけが膨らんで、相変わらず言葉にはならなかった。
ドアが開き、二人だけの空間と時間は、解き放たれた。
「なんで、艦長が帰ってきたのに、新しい艦長なんや」
坂巻浪夫は、第一砲塔のメンバーに愚痴をこぼした。というより、浪夫の言葉は、皆の言葉を代弁しており、これが、彼特有の気遣いでもあった。
「しゃーないでしょ、坂巻さん。沖田艦長っていえば、古代艦長より前に艦長をやっていた方ですから」
「そうは言うけど、俺等には、あん人が何をしてくれた?な?」
「そうですが.....」
突然現れた『来客』に、話かけた男は口を閉じた。
「そうやろ。俺たちだって艦長を選ぶ権利ぐらい......。いてっ、何するねん」
浪夫は、横に居た男に思いっきり足を踏まれた。
「あっ、ああ艦長、古代...さん」
浪夫は、顔をくしゃくしゃにして愛想笑いを振りまいた。
(68)
「艦長、第一砲塔の主任、坂巻です」
進は、浪夫を紹介すると、一歩下がった。「歴代の主砲の主任の中で、一番命中率が高く、波動カートリッジ弾の扱いも、南部に次ぐほどの腕の持ち主です」
「はずかしいです。古代.....」
「戦闘班長に戻ったんだ。班長でいいよ」
何と呼んだらいいのか、一瞬戸惑った浪夫に、進は、笑顔で答えた。「あっ、はい、班長......」
二人の会話を見ていた沖田は、浪夫に手を出した。
「今回は、迎撃が中心となる。よろしく頼むぞ」
浪夫は、手をズボンの腿にこすって、汗を拭った。その手を、恥ずかしそうに沖田の手の方に伸ばした。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」進は、その姿を満足そうに見守っていた。
『次は......』
「艦長、時間がありません。次の部署を説明します」
沖田は、そっと帽子に手をかけた。
浪夫達は、胸に手をあて、沖田と進を見送った。
「加藤、加藤四郎は?」
格納庫に着くと、進は、加藤四郎の姿を探した。皆、艦載機の整備に忙しく、コクピットの中で、最後の微調整を繰り返していた。
気づいて振り向いた四郎は、進と沖田の姿を見ると、コクピットから飛び下り、駆けつけた。四郎は、道具を持っていることに気づき、その手を後ろに回した。
「加藤四郎です。艦長。あの加藤三郎の弟です」
四郎は、紹介されたものの、何と答えたらいいのか迷い、進に助けを求めるため、目配せした。しかし、進は、うなづいて、何か話すように促すだけだった。
「あ、あの......、沖田艦長のことは、兄からも聞いていました。こんな風に艦長に会えるとは思ってもいませんでした......」
沖田は、じっと四郎の姿を見つめていた。
「加藤が、君の兄さんが生きているようだな。まだ、ここに」
四郎の顔がパッと輝いた。
「私もそう思います。ここに辿り着いて兄は息を引き取ったときいた時から、ここには、兄がいるような気がします」
進は、ふっと、加藤三郎の眠るような最期の顔を思い出した。あの時の三郎もヤマトに辿り着いて、安心したに違いない。ヤマト......そう、ここは、乗組員にとっては特別な場所......
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沖田の出した手に四郎は、ぎゅっと握り返した。
沖田の手が離れると、四郎は、進の方に体の向きをかえた。
「加藤、次の戦闘では、私も外にでる。済まないが、いつでも発進できるようにしておいてくれ」
「わかりました。古代......」
四郎の目がちらりと沖田の方に向いた。「戦闘班長なんだ、俺は」
「わかりました。チーフ。チーフのコスモゼロ以外は、南十字島で乗っていたマイナーチェンジのコスモタイガーです。機動力がコスモゼロと互角になったので、気をつけてくださいよ」
「ああ。頼むぞ」
歯切れがよくなった四郎の言葉に、進は、にこやかに答えた。
進と沖田は、新任の責任者の所をまわった。
そして、波動エンジンの音が響く、機関室へと二人の足は、向っていった。
「艦長。古代さん。機関室へようこそ」
エンジンの調整の指示を出していた山崎奨が、大きな声で出迎えた。どうやら、ここは、エンジン音を気にしてか、大きく話す癖があるようである。「山崎君、君がここの後任でよかった」
「いいえ、私は、まだまだ、徳川前機関長ほどの力量はありません。まあ、年数だけは、こなしていますが」
明瞭な言葉は、やはり、ここで何年も過ごしているだけはある、貫禄のようなものを感じさせた。
ここが最後と進は、少しホッとした。体が少し火照ってきた。これだけで、かなり体力の消耗をしてしまったのだろうか......。
「あの、古代さん......」
後ろから、進の背中を小突く者がいた。驚いて、振り向くと、そこには、徳川太助がいた。「なんだ、徳川か」
進は、太助の腕を引っ張ると、自分の前に押し出した。
「艦長、彼が、徳川前機関長の御子息の徳川太助です」
太助は、突然、自分の話題になったので、驚いた。
「あああ......、徳川太助です。父が大変お世話になりました。父の分まで、がんばりたいと思います」
にっこりした沖田は、懐かしそうに太助を見た。
「そう、そう言えば、昔徳川くんを迎えに来た君を見たことがあったな。こんなことがあるとは思わなかったが、頼むぞ、太助くん」
「は、はい」
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緊張して、気をつけ状態の太助に山崎は、怒鳴り声をあげた。
「何やってるんだ、徳川。部署を離れて......」
一瞬こわばった後、太助は、ここへ来た理由を思い出したようだった。
「ああ、そうだ、古代さんに通信が入っていました。ユキさんが医務室で待っているそうです。戦闘前に、体のチェックしたいって」
そう言いながら嫌らしそうな笑みを浮かべる太助を、進は睨んだ。
「それでは、艦長、機関長、古代さん。私は部署に戻ります」
にやにやしながら、太助は、ぺこりと頭を下げた。「古代、お前は、医務室に行きなさい」
「では、艦長、機関長、お先に失礼します」
ぎこちなく立ち去ろうとする太助を軽く小突いた後、進は、機関室の出口に向って小走りにかけていった。
沖田は、その様子を目を細めながら眺めていた。
「いい艦長だったのだな」
「は?」
山崎は、最初、何を言われているのかわからなかったが、沖田の視線の先に消えていった進のことだと気がついた。
「いいえ、彼は、いい艦長じゃなかったですよ」
山崎は、にこりとして答えた。含みのある山崎の答えに、沖田は、山崎に真意を求めたくなった。
「私達がどんなに、艦長だと慕って、尊敬していても、彼自身は、他の方をずっと艦長だと思っていました。まるで、最愛の人が他の誰かしか見てないような、そんな、片思いをしている気分でしたよ、ずっと」
沖田は、自分のことを言っているのだと気がついた。
「なるほど、いい艦長ではなかったか......。では、山崎機関長、よろしく頼むぞ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。沖田艦長」
沖田の出す手を、しっかり握り締め、山崎は、丁寧に頭まで下げた。
「古代くん、無理しちゃだめよ」
あまりよい結果ではないのだろうか。データを追っているユキの目が少し曇った。
「わかったよ。他の人には迷惑をかけれないし」
進は、上着を羽織った。ふっと天井を見上げる。
『がんばれよ、俺の体......』
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