最後の一片 第四章「今日もねむれない」

(71)

 冥王星宙域での戦闘終了後、帰還したコスモゼロから進はすぐにタンカの上に降ろされ、医務室に運ばれた。
 
「ユキさん、後は自分たちがやりますから」
 加藤四郎がヘルメットをはずしているユキに声をかける。
「ありがとう」
 ユキは笑顔で答えた。四郎たちはそのユキの笑顔を見て、ホッとしたようで、格納庫は一気に活気づいた。

 医務室に駆け込んだユキは、ユキの来室に気づいた佐渡の無言の合図に、頷いた。
 画面に映った波形は、緩やかに、同じ形をくりかえし描いていた。
『古代くん……』
  ゆっくり、呼吸するごとに胸板が上下するのをユキは眺めていた。

 

 戦闘が始まる前のつかの間の二人の時間。進の気持ちは、もう、目の前の戦いに向いていた。医務室での進は目を閉じ、唇も固く閉ざしていた。
「古代くん、無理しちゃだめよ」
 届くわけがないと思いつつ、ユキは、進に声をかけた。
 確かに、データは、最善の体調を示してなかった。でも、それを言って、やめるような性格ではない。

 バイタル計測器をはずしているユキの手を進がつかんだ。
 ユキはどきりとした。
「わかったよ。他の人には迷惑をかけれないし」
 進の笑顔は、いつもに増して清清しかった。

 

 戦闘が始まり、コスモゼロでで出撃していった進が第一艦橋に戻ってきた。進は腕に負傷をしていた。簡単な止血だけで、再び飛び出そうとしている進を見て、ユキは、沖田に願い出た。
「艦長、古代進の......」

 振り返って、そう、言いかけた時、ユキは、自分のしようとしていることは、余計なことではないかと、言葉をそこで止めた。
 沖田は、騒然としている第一艦橋の中で、かき消されてもおかしくないほどのユキの言葉を聞き取っていた。

「ユキ、古代の怪我が気になる。ナビゲーターとして、ついていってくれないか」

 沖田も、ユキが言い出せなかったことを十分理解してくれていた。

「早く」

 その言葉は、ユキが席を立つ勇気になった。
『ありがとうございます』

「太田、ユキの代わりにレーダーを、相原、艦載機格納庫へ連絡、古代機のナビゲーターが到着するまで......」
 ユキは、背中で、沖田の声を聞きながら、第一艦橋を出た。

 

 ユキは、初めて戦闘中にコスモゼロに搭乗した。
 進の腕の傷口は開いてきたのか、血がまた出始めた。

「古代君、腕をそのままにしていて」
 なるべく操縦の邪魔にならないように、ユキは、ほう帯を巻き始めた。

『出血が多い......』
 にじみ出る血を見ながら、ぎゅっと絞める。進の顔は見えないが、かなり、痛かったはずだ。

「ありがとう」
 進の声が、ほう帯巻きに格闘していたユキに届いた。

 

(72)

 ユキは、処置室のガラスの向こうから何人もの乗組員達が進の様子を見に来ているのに気がついた。
『あなたは、ほんとに幸せね』
 ユキは、器具をかたづけながら、ちらりと見た進の寝顔に微笑んだ。

 

「大丈夫です、艦長。かえってちょっと血の気が失せた位が、古代には丁度いい」
 佐渡の言葉でユキは、沖田が来たことを知った。

 沖田は、少し離れたところから、進を見ていた。そして、進が寝ている処置台を何人かの乗組員が窓の外から見守っているのを見ていた。

「アナライザー」
 沖田は、佐渡の命令でせわしく動いていたアナアライザーを呼び止めた。

「アナライザー、あの乗組員達に古代の状態を伝えて、元の部署に戻るようにしてくれないか」

「ハ、ハイ、カンチョウ」
 アナライザーは、ユキが微笑んだのを瞬時に確認すると、返事をして、部屋を飛び出していった。

「相変わらずだな」
 沖田は笑いながら、去ろうとした。

「艦長、あんたの用は......」

「いや、古代がなんともなければ、それでいい」

 佐渡もそれ以上は何も言わず、かたづけの続きを始めた。沖田は、そのまま、部屋から出ていった。
 アナライザーから話を聞いた乗組員たちは、後ろ髪引かれるように、何度も振り返りながら、三々五々に、元の持ち場に帰っていった。

 ユキはテキパキと手を動かしながら、その様子を見ていた。その時、ふと、背後からの視線を感じた。振り向くと、進の救った少年がイスにもたれながら立っていた。

「?」
 ユキは何か問い掛けようとしたが、少年はユキから逃げるように佐渡の近くに行って、佐渡の手伝いを始めてしまった。

 少年は、ヤマトが地球に着いてから発進まで、佐渡の所に預けられていた。本来なら異星人ということで、担当の部署で特別に扱われるのだが、地球の混乱でそこまで手が届いていなかった。少年は、佐渡が言葉に対して無頓着だったこともあって、逆に、佐渡やアナライザーから「怪しい」言葉を聞かされ、いつの間にかかなりの言葉を習得していた。
 進に救われたことを覚えているのか、進のことが気になって、戦闘終了後は進の近くから離れようとしなかった。

 

(73)

「そうじゃ、ユキ」
 少年を追い掛けて佐渡の方に視線を向けていたユキに、佐渡は声をかけた。

「あの点滴が終わったら、部屋に戻したいのだが」

「古代君を、ですか?」

 佐渡がうなづき、部屋の隅の荷物を指した。
「荷物もあのままじゃ。部屋も決まってない」

 ユキは、進が自分のことは、何一つやってないことを知った。

「わかりました。部屋を一つ作ってきます」

 ユキは、荷物を運ぼうとするアナライザーを止めた。そして、少年の顔を覗き込んだ。
「あなたに手伝って欲しいの」

 少年の、少し長いまつげが開いた。美しい、深い海の色をした瞳は、にっこり笑ってうなづいていた。

 

 部屋に荷物を運びながら少年と話をしていたユキは、少年の一つの言葉が耳に残った。

『ディンギル......この子の星の名前?』

 自分の名すら話そうとしない少年から出た、未知の単語。しかし、ユキは、それ以上少年に問うことを止めた。聞き返すことによって、苦しみを植えつけてしまうかもしれない。同郷の仲間を失った少年にこれ以上負担をかけたくなかった。

 

「あの人、おとうさん?」
 少年は、何かを思い出して、ユキに話し始めた。

「あの人って?」

「さっき......」
 少年は顎に手をやり、指先を動かしていた。それは沖田十三の顎ひげのことを表していたようだった。『あの人』は、医務室に来た沖田のことで、少年は、進の父親ではないかと思った......そう言っているとユキは理解した。

「違うのよ。あの人は、ヤマトの艦長。古代君のおとうさんではないの」

「そう......」

 きっと、沖田の姿を見て、何か思うところがあったに違いないとユキは思った。

『あなたのおとうさんは、いつも遠くから、あなたのことを見守っていたのね』

 少年と話をしながら、ユキは、進の荷物の中に一つの箱を見つけた。
『何かしら......。こんなもの、持っていたのかな』
 ユキは、わざとわかるように、テーブルに置いた。

 ユキが顔を起こして少年の方を振り返ると、少年は不安そうな眼差しでユキを見つめていた。言葉がうまく伝わらない分、相手の様子で何かを読み取ろうとしているのだとユキは気づいた。

「さあ、彼を迎えに行きましょう」
 ユキは精一杯元気な声を出してみた。

 

(74)

 進は、建物の中にいた。

『ここは......』

 進の目に映っているのは、もう、思い出せないと思っていた、三浦半島にあった自宅の廊下であった。
 200年前の木造日本家屋に憧れた父が、当時、もう、何人もいない『大工』を探して造った家だ。柱には、色々な傷が、思い出のように刻み込まれていた。
 奥の部屋のドアが、ほんの少し開いている。灯がその隙間からもれている。そして、妙に生々しいほどきつい香りが漂ってきた。

 進は、その匂いがなんであるか、一瞬でわかった。
 そして、わかったと同時に、空間がねじ曲がるほどの目眩を感じた。壁に手をつく......その手の先の感触は、確かに、あの家の感触だった。

『入ってはいけない?』

 誰かが進に命令をする。『入ってはいけない』と。
 誰が、そして、なぜ、いけないのか、進にはわからない。
 その反面、進の頭の中に、『入りたい』という行動を命令する言葉も、行き交う。

 目眩のためなのか、周りの画像が歪んできた。しかし、進は、なんとか、壁づたいに進み、ドアのすぐ側まで辿り着いた。ドアノブに手が届く......

『あ...あ......』

 ドアが開かれる瞬間、フラッシュを何千回も同時にたいたような明るさが進を襲った。

 

 進は、パッと目を開けた。何時間、眠ったのかわからない。今、ここは、どこなのかもわからない。傍らの時計をつかみ、時間と日にちを確認する......。

『ああ、一日近く過ぎている......』

 それでも、進の体の力は、まだ、満ちてはいなかった。

 起き上がって、部屋を見回す。
 見なれない部屋だが、ヤマトの内の一室であった。一応、自分の荷物もある。

 進にとって、部屋というのは、もう何年も仮住まいのようなトコロだった。ずっといるところとは程遠い代物。地球の自分の部屋やヤマトの艦長室......。

『この部屋も......』

 それでも、いつもユキが何かしら気を利かせて、部屋らしく飾っていた。ここの部屋も、気持ちばかり、進の荷物が出してあった。

 進は一人クスッと笑った。
『そう言えば、初めて、ユキを自分の部屋に呼んだ時、驚かれたっけ』

 ただ、段ボールにつめられた荷物が数個あるだけの部屋に、ユキは驚き、そして、彼女は、すぐさま、家具を買ってきた。そうして、その後、引っ越して部屋が大きくなる度に、ユキは家具を買ってきた。形は整ってきたが、何となく、自分の家のような気がしなかった。それが、なぜなのか、進も自分ではわからなかった。

 

 ベッドの横のテーブルの上には、いくつかのモノが置かれていた。柔らかくやさしいユキの字で書かれた手紙も置かれていた。

<目が醒めたら連絡してね。腕の怪我は、痛さがなくなったら大丈夫だそうです。雪>

 進は、傷のあたりをそっと触れ、自分で確かめてみた。

『なるほど、傷は、そんなにひどくなかったか』

 ふっと、テーブルに視線を移すと、手の上に乗る程度の大きさの箱が同じテーブルにのっていた。

『あっ』

 進は、手を伸ばして、箱を掴んだ。手首を動かし、重さを確認すると、ふたをそっと開けた。

『やっぱり......』

 ほんの少し、中身が見えたところで、中身を確認すると、進はパタンとふたを閉じた。

『きっと、艦長室にあった私物と混ざってしまったのだろう』

 進は、もう一度テーブルに戻すと、服を着始めた。

 時計は、午前6時。

『艦内は、まだ、静かなはずだ』

 進は、すっきりとしない頭を振って気を引き締めると、再びテーブルの箱を掴んだ。

『沖田艦長に返さなければ......』

 

(75)

 大介は早く目が醒めた。まだ、通常の勤務の者は、誰も起きてはいないだろう。いつもなら、時間までベッドでゴロゴロするところだが、昨日の戦闘の興奮から抜け切れていないのか、じっとしていられなかった。大介はシャワーを浴び始めた。

 真田志郎は戦闘後も、ずっとあのあたらしいミサイル攻略方法や艦の修理で寝る暇はないだろう。古代進は目が醒めても、体力が戻るまで何もできないだろう。しかし、大介は、今回航路も決まっており、今はただ、命令が下りるまで、通常の航行を続けているだけであった。

 何をするわけではないが、部屋にいると、ただ、弟の次郎宛ての手紙をいくつもいくつも書くだけである。

『次郎がもう少し、大きければな』

 大介は、歳が離れていることを悔やんだ。伝えたいことはたくさんあるのに、まだ、今の弟ではわからない......手紙を書いても、ありきたりな文章で終わってしまうにちがいない。

『第一艦橋にでも行くか』
 部屋にいるよりはましだろうと大介は、手元の水量調節のボタンをOFFにした。

 第一艦橋------いろいろなことがここではあった。テレサと初めて言葉を交わしたのもここだった。思うように行かず、徳川前機関長や隣の進とよく怒鳴り合いのけんかをした。仲間や愛する人を失って、悲しいこと、悔しいことがあった。戦いの終りを知り、仲間と喜び合ったり.....。文字に書けない思いがそこには詰まっていた。

『いつか、次郎も、わかってくれる時が来るだろうか』
 大介はいろいろなことを思い出しながら、ごろんと足を投げ出して、第一艦橋の椅子に横たわった。

 いつもより部屋が暗いせいか、窓の星々の輝きが無数見える。まるで、真っ黒な紙に白い砂をちりばめたようだった。

 

 トゥルルールーン

 反射的に振り返ると、後ろの扉から沖田十三が入ってきた。大介は、無理に体を戻そうとしたので、もう少しで、椅子から落ちるところだった。

「島、気を使わなくていいぞ」
 その姿を見た沖田は、大介に声をかけた。

 大介は恥ずかしさもあったが、なぜか、反発したい気持ちにかられた。素直に沖田の存在を認めたくない思いが、大介にあった。その思いが沸々と湧き出てきた。

 艦橋はすっと緊張に満ちた。大介は何か言わなければと思いつつ、自分からは屈したくはなかった。

「艦長......」
 大介は、その静かな空気に対抗できなかった。最初に口火を切って声を出したのは、大介だった。
 沖田は、大介の方を向いて、話を聞く体勢になっていた。

『何か言わなければ......』

「艦長、私は、古代がこの艦の艦長に一番適していると、今でも思っています」

 大介は、自分の気持ちをストレートに口に出してしまった。よく考えれば、いままでは、周りの状況を折り込みながら、自分の思いを曲げながら話をしていたのかもしれない。

 

(76)

「そうか......」
 沖田は、大介の言葉にうなづいた。

『もしかしたら、言ってはいけないことを口にしてしまったのではないか』

 乗組員達は、今でも進を慕っていた。そんなことは、沖田十三も百も承知なことなのに、追い討ちをかけるようなことを自分は、口走ってしまったのではないか。

 沖田は、何ごともなかったように、第一艦橋から去っていった。

 そして、大介も、謝罪や弁解の言葉を言うことなく、すべてを飲み込んでしまった。

 大介は体を起こして、きちんと座り直し、再び窓の外を見た。

『俺は......』

 トゥルルールーン

 音で振り返ると、今度は、そこに進がいた。

 大介は進に聞かれたのではないかと、一瞬焦った。進がドアの向こうにいても、話は聞こえるはずはないことだとわかっていても。

「どうした? 島」

 大介の驚いた顔を見て、進の方が何か後ろめたい気持ちになった。

 進の顔を見ながら、大介は、ふと、今の話を進の前でしたら、殴られていただろうと想像した。

「いや、なんでもない。今、沖田艦長が出ていったばかりなので、ちょっと、驚いただけだよ」

 進の顔が沖田の名前を出したとたん、輝いた。
『ほんとにお前はわかりやすい奴だ』

 大介は、進がどれほど沖田の存在に頼っているか知っているだけに、自分の行動が恨めしく思った。

「沖田艦長が?」

「ああ、さっきまで第一艦橋にいたんだ。艦長室に戻られたと思うよ」

大介は、進に顔を見られまいと、窓の外を見つめた。

「そうか......」
 進の声は、言葉とは正反対に、明るかった。

「なんだ、なんかあったのか?」
 進がひょっこり大介の顔を覗き込む。

「いや、なんでも......。行ってこいよ、今なら、まだ、朝食前だし、忙しくないはずだ」

 大介は、わざと計器をいじり始めて、進と顔を合わせないようにした。

「そうだな......」

 進は、大介の椅子をぽんっと突き放すように押し、大介から離れた。

 トゥルルールーン

 そして、第一艦橋は、また、静かな空間に戻った。

 

(77)

 艦長室の前で進は立ち止まった。ノックしようか、どうしようか......。もう一度、片手に握りしめられた箱を持ち直した。

 進は息を整えた。

 トン、トントン

「古代です」

 反応が感じられない。
 進が再び手に持った箱に視線を落とした時、進の耳にドアの向こうの声が届いた。

「入れ」

 進がドアを開けると、窓際に立って、宇宙(そと)を見ている沖田がいた。

 進は、顔をしかめた。さっきの夢の中の香りが、部屋の空気の中に充満していた。

「どうした? 古代」

 沖田のやさしい声が、進の体にしみ込むように入ってくる。進の体は火照ってきた。沖田は手に持っていたカップを机に置いた。

「顔色が悪いぞ。そこに座りなさい」
 進を側のベッドに座るよう、沖田は指示した。

「いえ、大丈夫です」
 進の言葉に、沖田は帽子の下から、鋭い視線で進を睨んだ。進は仕方なくベッドの端に座ることにした。

『この匂い......』
 進は沖田が置いた机の上のカップを見ながら、さっき見た夢のことを考えてみた。

『記憶に残ってないと思っていたあの家を、どうして今頃思い出したのだろうか......』
 今ははっきり思い出すことができる。それほどあの夢は、進に新たな記憶を呼び出すきっかけを運んでくれた。

 

「お前ならどうする?」

「はい?」

 進は、沖田の声に驚いた。沖田は、カップを掴み、残りの一口をごくりと飲んだ。進も、ここが艦長室であり、自分から、艦長室に来たことを思い出した。

「太陽圏から出て、そう何度もこちらから、何度も仕掛けることはできまい......」
 進は、戦略のことを聞いているのに気がついた。

「一度だけですね、私達もそう何度も戦えるほどの戦力ではありませんから」
 進は、そう沖田に答えている自分が不思議でならなかった。

「ぎりぎり最後に、持てるだけの手を尽くすのが得策かと」

「そうだな、相手に立て直しの機会を与えず、こちらも一番ベストな状態としたら、19回目のワープ後だな」

「ええ、24時間の勝負です」

 それは、沖田も同じ考えだったようだ。沖田の口元が弛んだように進は見えた。

 

(78)

  大介は大きくため息をついた。

 『後悔』
 言葉にしてしまったことは、もう、取り返しがつかない。

 

 トゥルルールーン

 

 大介は、振り返ることが面倒だった。

「あら、島君」
 入ってきたのは、ユキだった。

 大介には次の言葉はわかっていた。ユキの言葉に答えず、大介は、ただ、真っ暗な宇宙(そと)を見つづけた。

「古代君を見なかった?」

 少し息が荒いユキは、きっと、進を探してここまで来たのだろう。

「ああ、古代なら、さっき、艦長室に......」

 大介は、自分の席に座ったまま答えた。大介の視線はユキから全面の窓に移動していった。

「そう、艦長室、か」
 ユキの言葉が途切れた。少しの沈黙の後、大介はユキが眼前の窓に映っていることに気がついた。

 ガラスに映るユキの目が大介の目を捕らえた。ユキがにこりと微笑んだように大介には見えた。

「ヤマトがかえってきた時、私、古代君が死んでしまったと思って、死んでしまおうと思ったの」

 大介は振り返った。本物のユキの目と合った。
 にっこりして、ユキは話を続けた。

「その後、すごく落ち込んで......。その時、ママが、『あなただけしかできない仕事が待っている』って、なぐさめてくれたの」 

 ユキが大介の椅子にもたれ掛かってきた。ユキの体がすぐ側にある状態だと思うと、大介は少しドキドキした。

「私は、古代君の全てを支えてあげようと思っていたけれど、できなかった。でも、ママの言葉で、一人で全て支えることは、無理だと気がついたの。今の彼にはたくさんの人の支えがいるって」

「今の古代には、沖田艦長が必要だと?」

 ユキは、うなづいた。

「古代君、あの探査に出かける前に、ナーバスになっていた。ヤマトの艦長辞任すると言い出した時も、そう。ヤマトでのことだけじゃない、彼自身、大きな壁が乗り越えなきゃならない時だと思うの」

「沖田艦長ならか......」
 大介は低いつぶやきもらした。

「でもね、島君は、島君で、古代君を支えている部分があると思うの」

 少し驚いた大介と目が合うと、ユキはまた頷いた。
 大介はねじっていた体の向きを戻し、大きく背伸びをした。そして、再び体をユキに向け、口を開いた。

「朝御飯を食べに行かないか。どうもお腹が空くと愚痴っぽくなる」

「賛成!」

 大介は、ユキをわざとよけるように立ち上がった。

『恋人のよき親友か.....』

 ユキの華奢な背中は、背骨がすっとまっすぐ伸びていて美しかった。先を歩いていくユキの後ろ姿を見ながら、大介は苦笑した。

 

 

(79)

 沖田の言葉に答えながら、進は手の中のモノをくるくる回していた。

『どう切り出そうか......』

 進は切り出すタイミングを掴み損ねていた。

『何か言わなければ』

 その時、チクリと胸に何かが突き刺さったように、痛みを感じた。
 夢で見た昔の家でのワンシーンが、進の目の前にちらつき始めた。

『何?』

 進ははっとして、視線を前に向けた。そこには、沖田の顔があった。

「古代?」

 進の体は余計に緊張した。

「い、いえ」

 自分の考えを見すかされているようで、進は恥ずかしくなった。

「顔色が悪いぞ。部屋で休んだ方がいいのではないか」

「いえ、大丈夫です」

 周りが揺れる。鼓動が早くなる......

 進が動揺を押さえようとするほど、頭にいろいろな景色が巡り、心がパニックを起こし始めていた。

「佐渡先生、古代が今ここにいるのだが、様子を見に......」

「艦長、ほんとに、大丈夫ですから」

 佐渡に連絡を取っている沖田の背中越しに、進は立ち上がって叫んでいた。

 沖田は進の声に振り返った。進は、自分が我を忘れて叫んでしまったことに驚き、口元に手をやった。その進の肩をそっと沖田の手が包んだ。

 進は、またベッドの上に押し戻された。

 目の前にいる進は、まるで、何かにおびえているようだった。進の様子をじっと観察していた沖田は、進が一つの箱を固く握り締めていたことに気がついた。

「すみません」

 進の目には涙が浮かんでいた。沖田は小さな子どもの様に、震える進の背中をやさしくなぜた。

 

「心的外傷でしょうな」

『心的外傷?』

 幾分落ち着いた進は、佐渡の言葉を繰り返した。

 進の異常を聞きつけた佐渡の様子はいたって冷静であった。

「昔、耐えきれずに、記憶の隅にでもしまったものが、同じような条件が重なって出て来たんだろう」

 佐渡は、さっさと検査器具をはずしていった。

 

(80)

「大丈夫なんですか?」
 ベッドで横になっていた進は、佐渡の淡々とした言葉を心配そうに聞いていた。

「今のお前は、あの頃より強くなっているはずじゃ。そうだろう」

 佐渡の言葉を聞きながら、進は、傍らのテーブルに置かれた箱を見つめた。

 佐渡が来る前に、なんとか沖田に渡すことができた箱......。

「艦長、これを返すのを忘れていました」

 沖田に支えられるようにベッドに横たわる時、進は手に持っていた箱を差し出した。

 沖田は、すぐ察し、無言で受け取ってくれた。進は体の力がすっと抜け、ベッドに沈んだ。

 何か聞かれるのだろうか......そう思いながら、進は目を閉じた。
『ああ』
 進は、あの懐かしい我が家のような気がした。

 

「まあ、多少、自分の中で混乱があると思うが、今、思い出すということになんらか意味があるのかもしれんな」

「意味......ですか?」
 進は、佐渡の言葉を聞き返した。

「受け入れ体勢ができているんじゃ。後は、原因さえ思い出せば、解決できるだろう」

 進は、窓の外を眺めていた沖田の背中をちらりと見た。沖田は、背中で、二人の会話を聞いていた。

「わかりました。怖がる必要は、ないんですね。理由がわかって、ホッとしました」

  進は、もう一度、沖田を見た。大きい背中......つい、先刻、進の体を支えてくれた......

「艦長、私は、もう大丈夫ですので、自室に戻ります」

 沖田の背中がゆっくり動いた。進は体を起こすと、ベッドから足を下ろした。

「そうか」

 振り向いた沖田に、立ち上がった進は頭を下げた。
「ありがとうございます」

 沖田は、しっかりとした足取りで部屋を去る進の様子を見て安心した。

「本人も安心した様だな」
 沖田は、同じく、進の後ろ姿を見送っていた佐渡に声をかけた。

「多少は混乱はありますが。いい機会かもしれませんな」

 佐渡は、沖田のやさしい眼差しを見ながら、理由の一つが沖田ではないだろうかと思った。

『まあ、安心できる環境には違いない』

 

(81)

 大介は、ユキの細い体の横に並んだ。そこはいつもは、進の場所だった。長いユキのまつげが、よく動くのがわかる。大介はたわいのない話をしながら、ユキとカウンターに並んでいた。

 食堂にはぼちぼち人が集まり始めていた。

「ユキさん、ここにいらっしゃいましたか」
 食堂のセルフサービスのおかずに手を伸ばした時、ユキは一人の衛生兵に声をかけられた。

「佐渡先生が探しておられましたよ。直接、艦長室に来て欲しいとおっしゃってました」

『艦長室』
 大介とユキは顔を合わせた。艦長室には進がいるはずである。大介には、ユキの顔が固くなっていくのがはっきりわかった。

「ごめんね、島君。ちょっと、艦長室に行ってくるわ」

 大介は、さっと身を翻して走り去っていくユキの背中を見送った。

『やはり、背中だけか......』
 大介が一人自嘲の笑いを浮かべると、後ろから太田健二郎の声がした。

「残念ですね、島さん」

 大介は、軽く健二郎を小突いた。
「ま、こんなこともあるさ」

 

 ユキが艦長室につくと、そこには、片付けが済んで、すでにちょっと一杯やっている佐渡と沖田がいるだけだった。

「古代君、また、パニック状態になったんですか......」

「また?」
 ユキの言葉に沖田が反応した。

「はい、南十字島の時にも、バウル氏のコーヒーを飲んで......」

 ユキは話ながら、沖田のベッドの脇にあるテーブルのコーヒーカップに目が留まった。ユキの視線の先のカップに、沖田も佐渡も視線を向けた。

「きっかけは、コーヒーなのか」

 沖田は、そっと帽子の柄を掴んで、軽く揺さぶった。

「それだけではないと思いますよ、艦長」
 沖田の言葉を受けながら、佐渡は答えた。

 ユキは、最近あったできごとをもう一度、思い出していた。
 南十字島、プロポーズ、辞表、そして、沖田との再会..... 

「今の古代は、もう、大人だ。きちんと受け止めることができるはずだ。心配することはない、ユキ」

 ユキの横顔を見ていたのをごまかすように、佐渡は、眼鏡をかけ直した。

 

 自室に戻った進は久々に家族全員そろった夢を見た。子どもの頃、なかなか遠くに家族旅行へ行けなかったが、年に何度か近くの海に出掛けていた。その思い出の海。父がいて、母がいて、まだ学生だった兄がいて、笑っている自分がいて......。ただ、それだけの夢なのに、涙が流れるほど大切な家族との思い出だった。

 

(82)  

「これはこうすると、出来上がるんだ」

 医務室の畳の上で、少年と折り紙を折ながら、進は、昔、兄と遊んだことを思い出していた。なかなか思うように指が動かない少年に、進はそっと手を出して手伝った。それは、昔、兄守が自分にしてくれたことだった。
 進は、そうして、自分の少年時代の体験を繰り返すことにより、その一つ一つをよき思い出として昇華しているようだった。

「できた!」
 嬉しそうな少年の顔を見て、進も笑顔になった。いつも、人の顔を気にしていた少年も、自然に素直な表情を見せるようになってきた。

「うまくできたね」

 進の言葉で、無邪気な自分の姿に気づき、少年は顔を赤らめた。

 ユキや佐渡は、その進や少年の姿を、仕事をしながらそっと見守っていた。

「まるで兄弟みたいだな」
 佐渡は細かいデータが映し出されている画面を見ながら呟いた。患者のカルテをチェックしながら、ユキも、二人の様子をちらりちらりとうかがっていた。そのユキに、佐渡は次のカルテを差し出した。

「古代も解消方法がわかってきたようだな」
 佐渡の言葉を聞きながら、ユキは再び進達の方を見た。少年の横の進の顔は、地球で見た顔と明らかに違っていた。ユキは、進の中のつかえが一つずつ取れていくのがわかった。

 

「ありがとう」

 そう言い残すと少年は、パッと進の前から走り去った。進は一人ぽつんと取り残された。
 周りの様子をうかがうように部屋を見回すと、ユキの視線とぶつかった。

「いいの?」
 一部始終を見ていたユキは、進に近づいてきた。

「ああ、彼の中に入り込み過ぎたみたいだ」

 進は、少年の心の負担にならないよう、適度な間隔を保って接していた。少年が進になついている理由はそこにあるのかもしれないと、ユキは思った。

「明日だな、とうとう」

「そうね」

 体力がない進は、冥王星での戦いの後、ゆっくりとした時間を過ごした。それは、ここが戦場であることが不思議なくらい、穏やかな日々だった。しかし、『明日が最後の決戦の日だ』と思うと、進もじっとしていられないようだった。

 

(83)

「チーフ、任せてください。私達に......」
 主砲塔に顔を出しても、格納庫へ顔を出しても、進は追い出されていた。

「ちゃんと整備してますから......。信頼してください」
 加藤四郎の少し不満そうな顔を見た進はそれ以上何も言い返せなかった。四郎の後ろの、コスモタイガー隊のメンバーも、同じ顔をしていた。進はごねるわけにはいかなかった。そして、すごすごと退散するしかなかった。

 しかたなく、進は第一艦橋に向かった。

トゥルルールーン

 静かな艦橋の中、一つだけ動くものに進は気づいた。航海班長の席には島大介が座っていた。大介が後ろを振り向いた。

「やあ」
 進は、少し恥ずかし気に声をかけた。

 進だと気づくと、大介は、広げていたノートを閉じた。
 その反応で、進は、何かいけないことをしてしまったかのような気になった。

「済まないな、じゃましたか」

「いや」

 大介は、ノートを片付けると、腕を組んだまま窓の外を見つめた。進は、大介の横に突っ立ったまま、窓に映る大介の姿を見ていた。大介が何も言わない進の方を向くと、窓に映る大介を見ていた進も大介の座っている方を見た。

 二人は顔を見合わせることになった。

「座れよ」
 進は、やっと許しがもらえた様に思えた。大介の横顔を見ながら、進は、自分の椅子に手をかけた。

「暇そうだな」
 大介はそう言うと、また、窓の向こうの暗黒の宇宙(そら)に視線を移した。

 進は自分の席に手をかけて、椅子の感触を確かめた。隣の席の大介は背伸びをしていた。

「加藤達に追い出されたのか」
 大介は多少事情がわかっているらしい。

「まあ、お前が仕切っていた時代から、各々のチーフは独立していたからな」

 それは大介も同じで、航海班は班長の大介が指示しなくても、スムーズに仕事をこなせる体勢になっていた。大介も、今回の航海はかなり時間を持て余していた。

 

(84)

「ユキとは何か話をしたのか、あれから」

 進は大介の方を向いた。

「その顔じゃ、何も進展はありそうもないな」
 進が唇を一文字にしたのを見て大介は、
「ここに来るぐらいだものな
 と言葉を続け、笑い出した。しかし、進からの反応がないのを気にして、すぐ笑うのを止めた。

「あのプロポーズは有効なのか」

「さあ」

『本人がそんなんじゃ......』
 そう言おうとした大介は、宇宙(そと)を見つめる進の横顔を見て、言葉にするのをやめた。自信のない不安な友の横顔。

 二人は、窓に映る自分のたちの姿を見た。そして、後ろに映るユキの席、艦長席.......と、二人は、互いの視線が合わないように、窓に映る艦橋を見渡した。

「いい父親になれるだろうか」
 進がぽつりと話し出す。

「両親を失って、どんなにさみしかったか。自分の子どもに、自分の味わった思いをさせたくないし、ユキも悲しませたくない。だけど、やはり、俺は、ヤマトから降りることもできなかった」
 進は目の前の計器類に目をやった。

「父の記憶も、ほとんどない自分が、本当にいい父親になれるんだろうか」

 進は顔を起こした。窓に映る大介は、目を大きく開いて驚いていた。

「すまない、島。変なことを話して」 
 進はパネル上に手をついて、立とうとした。

「古代、父親にはなれるんじゃない、なるんだよ」
 大介の言葉に、進は立ち上がる動作を止めた。進はやっと大介の顔をを直視した。

「誰にも言ってないことだけど、今の父は、ほんとの父じゃない。あの人は、母の再婚相手なんだ」
 進は唾を飲み込んだ。

「俺が小学生になった頃、母が結婚した人なんだ。でも、いつもいつも、いい親父になろうといろんな所に連れていってくれたし、遊んでくれた。俺の方もそれに答えようと、できる限りいい子でいた。そういう自分や、気をつかっている親父の姿が負担になっていたこともあったけど。でも、今、思えば、一所懸命、俺のためにがんばってくれていたんだと、感謝している」
 大介は、窓から、進本人の方を向いて喋っていた。

「両親に死なれて、お前は、苦しかったかもしれない。でも、今のお前は不幸せか? 両親が揃って、家族みんなで暮らせることがベストなのかもしれない。でも、そうでない家庭だってそれぞれの幸せがあるし、もし、幸せな家庭じゃなくとも、子どもには、それを乗り越えていく力だって、未来だってある」
 進は、ただ、力強く話す大介の顔を見ていた。

「島......」

 進は、大介が今まで本当のことを口にしなかったのか、わかったような気がした。
『君と君のお父さんは、ホントの親子と同じなんだね』

トゥートゥー

 大介は自分にかかってきたインターホンの音に反応して、すぐ応答のボタンを押した。

「航海班長、第二艦橋での航海班の最終の打ち合わせの準備ができました」

「わかった。すぐ行くよ」

 スイッチを切ると、大介はにっこり笑った。
「やっと、仕事だ」

 進は、無言でうなづいた。大介は立ち上がると、進の肩を軽く叩いた。

『ありがとう、島』

 進は、窓に映る大介の後ろ姿を見送った。

 

(85)

 一人、第一艦橋に取り残された進は、第一艦橋を見渡しながら色々なできごとを思い出していた。

『そういえば、前にもこんなことがあったっけ』
 進は苦笑した。自分がこんな風なら、きっとあの人も......

 進の足は、第一艦橋から艦長室へ向かっていた。

「こ、古代です」
 進は、深呼吸をして、中からの返事を待った。

ギギイイ

 古代が開ける前にドアが開き、隙間から沖田の姿が現れた。

「古代、待っていたぞ。入らんか」

その言葉で、進の鼓動は、また激しくなった。

『待っていた』

「あの......、艦長」
 部屋に入るのを戸惑っている進は、沖田の背中に声をかけた。 
 振り向いた沖田の眼光が鋭く、進はそれ以上言葉を続けることができなかった。

 沖田十三は何も言わず、艦長席にドカッと座った。

 進は、艦長である沖田の今の気持ちが痛いほどわかった。明日のことで、頭が一杯なのだ。

「すみません、艦長。用事がないのに来てしまいました。私は、これで......」
 進は、部屋から立ち去ろうとした。

「古代、酒を飲まないか」

 進は耳を疑った。驚く進をほっておき、沖田は立ち上がり、部屋の奥の方へ入っていった。

「どうだ、一杯ぐらいいいだろう」
 一升瓶とコップを持って、沖田は、進の前に再び現れた。

 沖田の姿に、進は始めてヤマトに乗った時のことを思い出した。

「いいですね、艦長」
 進は笑顔で答えた。

 

「一人の女(ひと)を愛するというのは、難しいことですね」

 沖田は笑った。
 進の今までの、ユキとのいきさつを、沖田は、ただ酒を飲みながら、静かに聞いてくれた。

『艦長、ちょっと飲み過ぎじゃないか』

 進は一杯の酒を少しずつ飲んでいたが、沖田は盃をかなり重ねていた。

『あっ』

 立とうとした沖田の体が大きく揺れた。進はその体を横から支えた。

「大丈夫ですか、艦長」

「はははは、少し、飲み過ぎたようだな」

 ほんの少し、普段より機嫌が明るい沖田は、大きく笑った。進も、そんな沖田の姿に、つられるように笑みを浮かべた。

「艦長、明日は、最後の戦いです。もう、寝ましょう」
 進は支えながら、沖田にベッドへ行くように促した。

 沖田の体を支えながら、進には沖田の体が小さく見えた。

 なぜか、進はさみしくなった。

 

(86)

トントン

 進がコップを片付けていると、ドアをノックする音が聞こえた。

 その軽い音に、進はどきりとした。

『ユキだ』

 

 進は寝ている沖田の方を振り返った。沖田は背中を向けて眠っている。
『艦長、おやすみなさい......』

 進はドアをゆっくり開けた。

「古代君?」

 ドアから見えた進の姿にユキは、驚いた。
 進は、唇に指を立て、ゆっくりドアを閉めた。そして、進は、ユキの手を引っ張って、非常階段を降りた。

「どうしたの、古代君?」

 ユキは、進から少しアルコールの匂いが漂っていることに気がついた。ユキの手首は、いつもより少し温かい進の手にしっかり握られていた。先を歩く進に、ただ、ついていくしかなかった。
 進はそのまま後部展望ドームに駆け込んだ。そこで、やっとユキの手を離した。
 人に見られたくなかっただけなのかと、ユキは思った。

ふー

 動いたせいで酔いがまわったのか、進はひざに手をついて大きな息を吐いた。

 ユキは、その姿を無言のまま見つめていた。もう寝なければならない時間に、医務室にも自室にも戻っていない進を探して、辿り着いた艦長室で、進は何も言わず、手を引っ張るだけ......。

「艦長と酒を飲んでた」

 進は展望室の手すりにもたれ、窓の外の星々を見ていた。ここは他の部屋よりも、星がよく見える仕組みになっている。

「艦長は?」

 ユキは、まるでこっそり逃げるように部屋を出てきた進の様子が、奇異に思えた。

「酔ってしまわれた。ホントは酔った振りだけなのかもしれないけど」
 進はぼそっとさみしそうに話した。

「ああ、もう最初の航海から、何年も過ぎたんだな」

 進の言葉は、なんだかものすごく月日が流れていってしまったような言い方であった。

 振り向いた進は、少し酔っているのか、血色がよく感じられた。
 何かを思い出したように一人笑い出す。少しふくれっつらだったユキは、ますます唇がとがりそうだった。

「写真写さないか」

「写真?」

 二人で写真を撮るのは、滅多になかった。

 ユキは、思い出した。

 あの時はイスカンダルを目の前にして、落ち着けない進をユキが誘った。

『そうなんだ』 

 ユキは進がなかなか眠れぬことを知った。

 カメラをセットしている進を横に、ユキは外の星を眺めた。色々なできごとがユキの心の中に去来した。ユキの目元が和らいだ。

「パパとママの青春の思い出、ね」

「そう、だね」

 抵抗なく返事をする進の言葉は、ユキの心の中で今までのしかかっていたモノを消していった。

『ここから、始めるのね』

「セルフタイマーで撮るよ」

 ユキはニコリとした。

 

四章終わり

(87)へつづく      

 

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