最後の一片 第五章再び「風は海から」

(87)

「今日は、大丈夫だから」

 他の乗組員より軽めの朝食をとっていた進は、目の前に座ろうとしていたユキにそう声をかけた。

 それは、ユキが進に毎朝聞いていたことを先に答えただけなのだが、ユキは、それだけで、安心した。進の体の様子は、ここ数日の中で、すこぶるよく見えたからだった。

「それでも、毎日の定期検査は、ちゃんと受けてね」

「ああ」

 戦闘班長である進が、とても忙しいことは、わかっていたが、だからこそ、進の体の具合を知っておきたいと思った。

「じゃ、一つ用事を済ませてから、医務室に行くから」
 進は、席を立ち、食器を片付けにいった。

「今日は、素直だね」
 隣で二人の会話を聞いていた大介が、目だけ進の後ろを見送るユキに話かけた。

「あ。ええ」

 大介は、ユキの眼中に自分がいなかったことに気づいた。

「いいことがあった?」

 そう、大介に言われて、ユキは昨日のことを思い出した。ユキの眼差しがやさしくなる。大介は、それだけで、二人の関係がまた強くなっていくのを感じた。

 自分が質問したのに、大介は、答えを聞かず、立ち上がった。
「じゃ、お先に」

「島君......」

 呼び止めたユキの声に大介は振り返った。

「よかったね」
 それは、小さい声だったが、唇の動きから、ユキには十分大介の言葉は伝わった。

『ありがとう、島君』

 

(88)

 進は、検査を受けながら、傍らにいた少年を見ていた。

『落ち着かないのか......』

 今日が、いつもと違うことを、少年も感じていたのだろうか。医務室の机の上では、折り紙で作られた風船が、ころころ転がっていた。少年が、繰り返し繰り返し、指で突いていた。

 服を羽織ると、進は結果を聞かず、すっとベッドから立ち上がった。
 そっと、少年の肩に手を乗せ、少年と同じ目線になるため体をかがめた。

「こわかったら、カプセルに入って寝ているといい」

 自分達は、生き残れるかわからない。冷凍睡眠のカプセルなら、少しは、苦しみが薄いかもしれない。

「先生」
 進は振り返った。
 佐渡は、軽くうなづいた。

「休める時間があったら、少しでもいい、休めよ」

「はい」

 佐渡にできることは、全てやり尽くした。皆に生き長らえて欲しいと願いつつ、激しい戦闘中には、実行不可能な、気休めの言葉だと知っていても、そう言うしかない。進も不可能なことを受け入れ、返事をした。

 進は、何も答えない少年の肩をそっと触れ、部屋を出ていった。少年は、進の姿を追うことなく、机の上の風船の転がるさまを見続けていた。
 佐渡は、その動作をちらりと見ながら、また、医療器具を整え始めた。

「どうする?」
 進と少年のやり取りを見ていたユキは、少年に声を掛けた。その言葉で少年は、折り紙の風船を突くのを止めた。

「だいじょうぶ」
 そう言うと、机の上の風船を掴んで、部屋を出ていってしまった。

「大丈夫だよ、ユキ」
 少年の背中を見送っていたユキに、佐渡が声をかけた。

「あの少年も古代も」
 佐渡は、手を休めることなく、器具や薬の確認をし続けた。

「そうですね」

 

 戦闘が始まれば、この部屋の戦いも始まる。今の準備の次第で、一人でも多く助けられるのだ。今までのいくつか経験したことを次へ生かしていかなければならない。佐渡もユキも、わずかな時間も無駄にはできない。 進のカルテを机に置くと、ユキも、佐渡の手伝いを始めた。

 

 沖田は、艦長室で目を閉じていた。

 艦(ふね)の中は、緊張感が漂っている。

『私には、何ができるのか』
 自問しながら、沖田は、脳裏にちらついている海辺での映像を振払っていた。

「艦長、会議の用意ができました」

 沖田は目を開けた。

 

(89)

 最後の戦いが始まった。

 進は、戦闘中に止まることが何を意味するか、よくわかっていた。だから、いままでの体験で取得したモノに基づいて動く体と頭を頼りに動き続けた。それは、何かに流されているだけであったとしても、今の進は、深く考えている余裕はなかった。

 コスモゼロやコスモタイガーの機体を乗り捨てて神殿へ入っていくことは、もしかしたら、二度ともどれないかもしれない。しかし、深く考えている時間はない。
 

 加藤四郎たちの援護によって、進は、物陰づたいに移動した。真田の、
『彼等が地球の文化を継承しているのなら......』という言葉が、進の行動のたよりだった。

 進は、銃撃をかわすと、エレベーターらしき所に飛び込んだ。やっと、攻撃にさらされない所に辿り着いたとホッとした瞬間、さっと、自分の方に転がってくる影に気づき、体を硬直させた。

『君は......』
 進の堅くなった筋肉は、テレ笑いをする少年の笑顔で、落ち着き始めた。そして、進も笑みを少年に返した。

 

「こっち」

 突然、ボタンを押し、ドアから飛び出す少年に手を引かれ、進は、エレベーターを出、そして、斜め前のエレベーターに向かった。

『どこへ?』

 進は、戸惑ったが、少年の進む方向が、奥へ奥へと進んでいるのだとわかってくると、素直に従った。まるで、秘密の抜け道を知っているネコのように、少年の選んでいる道は、複雑かつ安全な道であった。
 『なぜ?』という言葉は今は胸の奥にしまい、ただ、少年に言われる方向についていくしかなかった。

 少年が立ち止まった。

 進は、緊張した。この先は、今まで通りに簡単に進めないらしい。

 少年は、進を振り返り、進に、同意を求めた。進は、ゆっくりうなづいた。

 少年は、手に握り締めていたモノに口を当て、フッと息を吹き込んだ。少年の手のひらには、赤い折り紙で作られた風船があった。

 サッと、その風船を身を隠していた壁から投げた。風船がゆっくり空を横切っていると、再び、激しい銃の音が鳴り響いた。

 進の体は、その音に反応した。少年の前に出て、銃のある方向に銃身を向けた。

 シュッピーン、シュピーン

 音の数だけ、人の体が崩れていった。

 進は、少年を小脇に抱えるようにして、場所を移動した。

 少年は、倒れている人の側を通る度、その人たちの顔を見ていた。だが、体は、進に引っ張られ、ゆっくりと見ることができなかった。何かを気にしていると進も感じたが、危険の場には長居できない。
 二人は、次の角、次の角と少しずつ進んだ。

 再び少年が進をリードする。進は、目的地が近いことを知った。

 そして、少年は、ある戸口の前で、止まった。進は、静かに中を覗き込んだ。少年も、ドアにほとんどの体を隠し、ことの成り行きをうかがうことにしていた。部屋の中に誰かがいるとわかると、少年の瞳は、一段と深い海の色に輝いた。

 

(90)

進は撃つことができなかった。 

「お父さん」

 進は、その言葉に驚いた。
 それが、引き金にかかっていた指の反応を鈍らせた。

 もしかしたら、いつもの通りに撃っていたら......この少年は、父親の銃撃を受けずに済んだかもしれない。

 涙を浮かべていた少年は、何を思ったのだろうか。進は、少年のことを、何も知らなかった。

『父親を守ろうとしたのか、それとも、父親が、人を撃つのを阻止したのか......』
 進は、一つの、小さな命の終りを見届けた。

 

 ダッガーン......

 進は、ひざをついた。ヘルメットをかぶっていなかったら、鼓膜が破れていたかもしれないほどの大きな音と地の底から揺れているようなうねりは、進に一つの決断を迫っていた。

『ここから、脱出しなければならない』

 そして、進は、そっと、床に少年を下ろした。手袋をはずし、涙の流れた跡を拭った。

『さようなら』
 一瞬目を伏せると、進は、すっと立ち上がった。時間はもうない。何かに追い立てられるように、進は走った。戦場で考えることは、すなわち、死を意味する。体の方が、そのことを良く知っていた。

『がんばったな』

 愛機が無事なのを確認すると、進はその胴体をそっとなでた。

『大丈夫だ』

 やさしく言い聞かせるように、進は、発進の操舵をし始めた。大きく揺れたが、無事、離陸することができた。進の無事を確認した加藤四郎の機体がゆっくり翼を振った。

 視界を元に戻すと、大きな固まりが、軋んでいた。

『壊れる?』

 進は、強固な要塞が簡単に崩れていくさまを見ながら、あの少年の声を思い出した。進の脳裏には、ヤマトの第一艦橋の光景が広がった。

『ヤマト!』

 地中に埋まりながら、着地していたヤマトは、どうなったのだろうか。

 進は、炎の固まりを見守った。

 しばらくすると、まるで、不死鳥が生まれるように、崩れ行く要塞から、赤い尾を引くモノが現れた。
『ヤマト』

 進は安心した。

 自分には、まだ、帰るべき場所がある。

 

(91)

 ヤマトの無事が確認できると、進は、通信を入れ、すぐに沖田に報告をした。

 沖田は、帽子のつばをつかもうとした手を引っ込めた。

「古代、すぐ戻ってこい」

 まだ、コスモゼロの中にいた進は、沖田の姿を見ることはできなかったが、小さな溜め息を聞き逃さなかった。

「何かあったんですか?」
 進はヘルメットのマイクに叫んでいた。

 沖田からは、芳しい答えが返ってこなかった。

「了解」

 一番に着艦することは気持ちが進まなかったが、そんなことを言っている時間はない。皆が進に着艦コースを譲っていた。進はスティックを引いた。いつもと同じ動作なのに、手のひらは汗をかいていた。

 

 大介の姿を見て、進は言葉に詰まった。すでに、治療を施せない状態であることは、第一艦橋の皆の様子からうかがえた。しかし、顔を背けるわけにはいかなかった。

 進は、大介の言葉を、一つ一つ受け止めた。

『自分になにができるのだろう』

 進の手を取った、力ない大介の手のひらが離れていった。

 大介の瞳が閉じる。

『逝くな』

 進の願いは空しく、どんなに揺さぶっても、大介は二度と目を開けることがなかった。

 ユキは進の声を聞きながら、泣き崩れた。

 沖田は佐渡に目配せをした。佐渡はうなずき、進の肩に触れた。最期の別れの時だとわかっていたが、進はすぐに納得できず、大介を抱きかかえ続けていた。
 戦いの中で人が死ぬことは、ありふれたできごとなのだが、進は、腕の中で、少しずつ冷たくなっていく大介の体の感触で、『人の死』を改めて感じとっていた。

「古代」

 沖田の言葉で進は立ち上がった。自分の席に寄り掛かりながら、佐渡たちが大介の体を運んでいく姿をぼおっと見守った。大介の顔に白い布が掛けられた。進は目を背けた。大介の乗ったストレッチャーが動きだすと、進は崩れるように椅子に座り込んだ。

「相原、防衛軍本部につないでくれ」

 沖田十三の低い声が第一艦橋に響いた。

 ユキは皆の背中がぴしっと伸びたのを見た。まだ、戦いの最中であることを体が思い出したようだ。進も姿勢を正し、スクリーンを見つめていた。

 

 

(92)

 進の頭の中は、一つのことに集中していた。それは漠然としたイメージから、そして、最後の作戦としてイメージが固まっていくにつれて、自分自身が許せなくなっていった。

『もう二度と......』

 しかし、一人で決断できる立場ではない。進の足は、艦長室に向かっていた。

 ノックする手を寸前に止めた。沖田に何と言えばいいのか。そして......

 深呼吸をして、ノックし、進は自分の名前を言う。沖田の声が返ってきた時、進は気持ちを落ち着かせようと両手の拳をぎゅっと握った。

 沖田は、もうなすすべのない窮地にあるはずなのだが、進をごく普通に迎え入れた。
 進は何もかも見透されているような気がした。
 それでも、進は、精一杯、さり気なく話すように努めた。しかし、沖田に詰問されていくと、言葉が思うようにでなくなっていった。沖田にそういう質問をされることは、百も承知なはずだった。沖田につかまれた肩にずしりと思いモノを感じた。一つ一つの単語を進は、体で受け止めた。

 フッと現れた沖田の満面の笑顔に、進は戸惑った。

「この仕事は、私がやろう」

 その言葉は、進の体に大きな雷(いかずち)が貫いたかのように、体の芯にまで響いた。

 進が一番恐れていた言葉。そして、進は、『私にはヤマトしかな残っていない』と沖田に言われると、何も言えなくなった。

 進は気づいていた。ヤマトの艦長が沖田になった時、乗組員達が、沖田に100パーセントの敬意を持っていなかったことを。数日で、そんなに信頼関係ができるものではない。全てわかっていて、進は誠心誠意、沖田の良き部下になろうとしていた。そんな進の姿を沖田も気づいていたのだ。

 沖田は進に最後まで良き部下であるように、命令を下した。進は従った。沖田の気持ちを一番理解できるのは、自分だという自負もあった。

『それが今の自分のできる、最大限のことだから』
 そう、自分に言い聞かせた。

 そして、進は、艦長室を後にした。大きな波が寄せてきた。涙が溢れそうになる。進は必死でその波を押し戻していた。体は涙をこぼさまいと、抵抗していた。進は後部の展望ドームで、一人、気持ちを落ち着かせていた。大きく息を吸い、そして、吐くことを何度も繰り返した。さっきの言葉が全て夢であればいいと願いながら......

「艦長の沖田だ。乗組員全員に告ぐ。我々は、第一の目的であるアクエリアスの地球への接近を阻むことに失敗した。今後の動向について、話したいことがある。各部署、離れることができるもの全て、左舷展望室に、五分後集合して欲しい......」

 沖田の声を聞き、進は時が来たことを知った。心を決めなければならない。沖田からの最後の命令を実行する時が、刻々と近づいていた。

 重い体に力を入れ、頭をもたげ、視線を前に、進は歩き出した。

 

(93)

 ユキは、進の体がいつになく堅く感じた。触った感じではなく、それは、進の心がそう現れているかのようだった。

「古代君、大丈夫?」

 ユキの言葉は進に届いていなかった。

 ユキは進の腕を掴んだ。

「あ、ああ、驚いた。ユキか」

 ユキはいつもの反応と少し違う進の様子を、体がだるいせいだと思った。進の体は少し熱を帯びていた。

 心配そうなユキの目を見て、進は笑顔で答えた。
「大丈夫だよ。僕は」

 ユキは、進の笑顔が作り物でない自然なものであるのに驚いた。

『体は、かなりだるくなっているはずなのに......』

 

「できる」

 沖田の言葉に乗組員達は騒ぎだし、それを制する進の言葉が展望室に響いた。

 進は気持ちを高ぶらせていた。ここで、何とかしなければ、沖田の考えは無駄になってしまう。

 進の力のこもった言葉に、皆、飲まれていった。その中で、ユキは、進に、いつもと違う何かを感じた。

『古代君......』

 

 ヤマトの中に重水素が積み込まれていった。乗組員たちは積み込み作業と平行で、荷物をまとめて退艦準備をしていた。第一艦橋には進と真田志郎、そして、ユキが残り、積み込み作業をチェックしていた。

「古代、一つ聞きたいことがあるんだが」

 大きな作業が一段落した時、志郎が進に声をかけた。進は、その時、振り返って、ユキに声をかけた。

「ユキ、荷物をまとめてきてくれないか。そろそろ、南部達も戻って来るだろうから」

 ユキは、志郎が血相を変えて進に詰め寄っていく姿を見た。

「古代、ユキの前で、きちんといって欲しい。ヤマトに残るのは、誰なのか」

 ユキは、志郎の言葉に驚いた。

「オートや遠隔操作の波動砲では、失敗の確立が高いはずだ。引き金を引くため、艦に残るのは誰なんだ」

 第一艦橋には、積み込み作業の現場からの報告がスピーカーから響いていた。自分の呼吸の音さえ漏らしてはいけないと思うほど、緊迫した空気になった。

「沖田艦長です」

 進の声は普段以上にゆっくり静かだった。それに反して、志郎の声は感情的になっていった。

「何故、止めない」

「艦長命令です」

 志郎は、進につかみかかりそうなほど進の言葉に反応していた。しかし、進が冷静さを崩さない様子を見て、志郎は違う方向に行動を移そうとした。志郎の足は後部のドアの方に向かっていた。

「古代君!」

 ユキは進の次の行動に驚いた。進は腰のホルダーから銃を抜いていた。

 

(94)

「真田さん、持ち場を離れないでください」

 軽い気持ちで銃を構えているわけではないことは、進の指の動きでわかった。進は銃の威力が気を失う程度になるよう、指でレベルを落としていた。

「古代君、どういうことなの?」

 目の前の進は冷たく、すべての感情を閉ざしているかのようだった。

「今、乗組員が騒ぎ立ったら、この作戦は、うまくいかない。真田さんだったら、そのくらいわかるはずでしょう」

 志郎は、沖田が残ることをうすうす感じながら、進に問いただそうとした自分を恥じた。

 ユキは二人のやり取りを見ながら、進が展望室で見せた笑顔に気づいた。進はあの時から覚悟していた。誰にも悟られないように。

「皆が退艦するまで、悟られないようにしてください」

 進の銃口は、相変わらず、志郎に向けられていた。

 志郎は目を閉じた。そっと目を開け、進に向かって両手を軽くあげた。

「わかった。約束しよう。退艦するまで誰にも言わないと」

 進の目が志郎の目を睨み続けていた。進の銃が元に戻された。

「ユキ、君もだ」

 進の言葉にユキは、ただ、頷くだけだった。

 

トゥルウーン

 ドアが開き、南部康雄と太田健二郎と相原義一が入ってきた。

「真田さん、ユキ、荷物をまとめてきてください」
 さっきの緊張した面持ちの進はそこにいなかった。

「では、私が真田さんの続きをします」
 康雄が、さっと、志郎からレシーバーを取った。

 志郎はユキを促し、その場を辞した。志郎はドアが開くまで進の視線を背中に感じていた。振り向いた志郎は進の目を見て、小さくうなづいた。進はそれを見届けると、普段通り、健二郎達に指示を与え始めた。

 ユキは、そんな志郎と進の様子をずっと見守っていた。

「一人で背負ったんだな」
 志郎は、ドアが閉まると吐き捨てるように呟いた。

 ユキは、あの感情的な進が、どんな思いでこの役を引き受けたか、そう考えるだけで胸が詰まった。

 背中を向けたままの志郎の溜め息が、ユキに聞こえた。

 

(95)

 艦長室のドアがノックされた。

 沖田は予想をしてなかった訪問者を受け入れた。相手が佐渡酒造でなければ、断わったかもしれない。

「艦長、なんですかな、この忙しい時に用事とは」
 沖田は佐渡の言葉に驚いた。しかし、すぐに沖田は状況が読めた。

『古代か......』
 沖田は笑った。

「いや、古代が気を回したのだなと」

「確かに、古代に言われて......。艦長、あんたが言い出したのではないのですか」

「この忙しい時に......」
 沖田は、言いかけたが、残りの言葉を引っ込めた。

『まあ、いいだろう』

 沖田は、最後まで、気を遣った進に、少し感謝した。

「先生、いい時に来た。酒を飲みませんか」

 沖田の言葉に佐渡は何かしら、普通ではない状況であることを読み取った。

「艦長、あんた、何か企んで......」

 沖田は、部屋の隅から、酒を取り出した。進と飲み交わした酒の残りであった。ドスっと一升瓶を下ろすと、沖田自身も床に腰を下ろした。

「佐渡先生、私は、生き返った時、このまま、何不自由なく天寿を全うするまで生きていかなければならないと思うと、苦痛だった」

 いつもは、言葉少ない沖田が酒の力を借りて、何かを語りたいのだと佐渡は思った。佐渡も腰を下ろし、沖田から盃を受け取った。佐渡は沖田が酒を注ぐのを見守った。透明な液体はビンの口から、手に納まるほど小さい盃にゆっくりと流れていく。佐渡はその酒をぐいっと体の中に注いだ。

「そういうのも、悪くはないですよ、艦長」

 佐渡は沖田に盃を渡し、その盃に酒を注いだ。

「古代達の子どもの成長を見守る。いいじゃないですか。普通の人生はそんなに劇的ではないですぞ」

「それも、そうだな。そういう幸せもいいだろう」

 沖田も持っていた盃を、一気に飲み干した。

 佐渡は、これが沖田との最期の酒盛りだと気づいた。

 沖田は窓の外の星を見ていた。薄暗くしていた艦長室からは、星のきらめきがまるで宝石のように見えた。

「悔しいことだが、今の私達はこういう選択しかできなかった。だが、もし、同じ状況になった時、あの子は、うまく乗り越えられるはずだ」

 沖田が使った“私たち”という言葉で、佐渡は、沖田と進の二人の選んだ道だと知った。沖田には、自分の意志を進に伝え切ったという満足感があるように佐渡には見えた。

「艦長......」

 佐渡は何も言わなかった。というより、言えなかった。
 佐渡にとって、二度目の別れであった。

 盃に残りの酒を注ぐとのどに流し込むように、顎を上に上げ、飲んだ。涙がこぼれ落ちないように、佐渡は盃の最後の一滴が流れ落ちるまで盃を傾けた。

 

 

(96)

 進は、そっと、手の中のモノを確かめていた。艦長室で沖田に渡された箱。

 

 沖田は、進が渡した箱を取り出していた。

 沖田は、箱を開くと中身を出し、進の手を取り、手のひらに乗せた。

 それが、何であるか、お互い何も言わなくてもわかっていた。

 進も、何も言わず、受け取った。

 進は話す言葉がたくさんあり過ぎて、逆に、何も言葉にならなかった。

 

 進はユキと共に沖田の前に立った。

 最後の報告、そして、......

 そっと、抱き寄せられた時、進の頭に大きな波が押し寄せた。遠い記憶、忘れかけていた思い出が、徐々にはっきり、像を形どっていった。

 

 昔の家......廊下を歩いて行く......ドアの向こうのあかり......

 進は、ドアノブに手をかけた。

 明るいひかりの中、父が、愛用の机に座って、コーヒーを飲んでいる。

「そんな、今じゃなくても」

 母の声が聞こえた。

 沈黙が続いた。進の胸の鼓動は高鳴る。

「行っておいで」

 父の言葉が耳に届いた。

「もし、母さんの言う通り、遊星爆弾で離れ離れになってしまうかもしれない。後で、後悔するかもしれない。でも、お前が決めたことだ」

 父は、カップに口をつけ、コーヒーをゆっくり飲んだ。

「これから、お前は、いろんな判断をするだろう。間違った判断もすることもある。そういう選択しかできなかったことを後悔するかもしれない。だがね、進。間違ったら、次に同じ間違いをしないように努力するんだ。やり直すのもいいだろう」

 父は、そう言うと、そっと進を抱き寄せた。

「大きくなったな」

 その目がやさしく、喜びに満ちていた。

 背中にある父の手は、温かく、大きく感じた。

 

 そっと引き離された進の目の前には、沖田十三が立っていた。やさしい眼差しは、進のすべてを受け入れていた。

『さあ』

 進は小さく頷き、沖田の前を去った。体の芯から涙が頭の方に流れていく。 立ち止まることができたら......進は歩いた。

 

(97)

 デューイは、地球防衛軍指令本部の広いフロアに立っていた。周りが海に囲まれ、地下部分が充実していない南十字島の基地は、早々撤退の命令が届いていた。デューイが司令部に辿り着いたのは、ヤマトから最後の作戦内容が伝えられた時だった。

 デューイはその話を聞いている時、ふと進の顔が脳裏によぎった。

『つらいだろうな』

 南十字島から離れることに対して抵抗がなかったのだが、離れてみると、あの島を愛していたことに気づいた。家族との思い出、仕事、豊かな島の環境......。大切な場所から切り離される気持ちが、今のデューイには、痛い程ほどわかる。

 デューイは、画面に映るヤマトを見つめ続けた。

 

 進は沖田から受け取ったモノを、再び手のひらに乗せた。かちっとはまった瞬間、進は後戻りできないと覚悟した。

 自爆への最終作業はあっという間に済み、進はヤマトを後にした。

 脱出用の内火艇のタラップを上りながら、進はもう一度艦内を振り返った。
 艦のすべてが愛おしく感じた。ここ数年の思い出のほとんどが、この艦(ふね)の中にあった。それを失うことは、自分自身を失うような気がした。

 ユキは、進の体も心も限界に来ていたことを知っていた。何も言わず、ただ見守っていた。時間が来て志郎が発進作業をし始めた。進は何も言わず、タラップを閉めた。艇内には志郎と佐渡もいたが、皆、何も言わず、ただ、遠くなっていくヤマトの姿を最後まで見つめていた。

 

 冬月に収納され、ヤマトが視界から去ると、進は精神を集中するように顔をもたげ、背筋を伸ばした。

 冬月の艦長の水谷は、沖田の所在を言わぬ進の態度ですべてを察した。水谷は何も言わず、進たちを冬月の展望室に案内した。そこには、先に退艦した乗組員たちもつめかけていた。

 進はそこで、再びヤマトの姿を見た。

 第三者のように、ヤマトの勇姿を見守っている自分が不思議だった。進は吸い寄せられるように、窓際に近づいた。

『もう、あそこには、二度と戻れない......』

 

(98)

 加藤四郎の声が響き、皆が騒ぎ出した。しかし、すでに沖田を迎えにいく時間はない。進は沖田との約束が果たせたことを知った。

『さようなら』

 進は最後の別れの挨拶をし始めた。

 騒然となった乗組員達は、ヤマトに敬礼をする進の姿を見て、初めてこの作戦が見えてきた。そして、最初からすべてを知って、皆を説得していた進の胸中を考えると、自分達のあさはかさを悔しく思った。乗組員たちは、次々と進たちの横に並び、さっきまで一緒に戦ったヤマトに最後の別れをし始めた。

 進の目にはいく筋の涙が溢れた。その涙で、ヤマトの姿が滲んでいった。

 

『沖田さん』

 進の頭の中には思い出がよぎっていった。

 

 沖田と初めて会った時のこと。

 ゆきかぜのことを報告した時のこと。

 初めて沖田と酒を酌み交わした時のこと。

 勝手に判断をして、沖田にぶたれた時のこと。

 病に倒れた沖田に艦長代理を命じられた時のこと。

 ユキが仮死状態になって生きる気力を無くしかけていた時の言葉。

・・・・・・

『沖田艦長』

 南十字島で見た背中。

 再びヤマトの中で再会した時のこと。

 二人でヤマト自沈の作戦を話し合った時のこと。

 進の中のポッカリ開いた記憶に、それらの思い出がおさまっていく。

 

『島、お前が言いたかったこと、何となくわかった』

 そして、最後の思い出。
 最後にやさしく抱きとめてくれた感触......

 

(99)

「おとうさん」

 進は我に返った。

 いつの間にか、風は海へと向かって吹いていた。空には満天の星が、今にも落ちてきそうな程、瞬き輝いていた。

「おとうさん」

 進は握り締める手を握り返した。

「どうしたの、おとうさん?」

 進は微笑んだ。

 小さな瞳がキラキラ輝く。

「さあ、家に帰ろう」

 進は子どもを抱き、少し重たくなった体を肩に押し上げた。そして、そのぬくもりを全身で感じながら、家に向かって歩き始めた。

 風はやさしく二人の頬を撫で、海へ帰っていった。

 

       



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(旧)SORAMIMI 

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