「 筆と書 」

 八.古筆(紙巻筆)による臨書、ためし書き

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 そこで、空海の「真蹟」や、空海が書いたと伝わっている書にとどまらず、 他の著名な書について、どの様な筆を使用しているか調べてみることにした。 手法として、まず臨書を行い、できるだけ原本に近い線質、文字を書ける筆を製造する。 そして又臨書を行うことにより、古典全体で使用されている筆について解明しようと試みた。 以降調査のために選んだ書と再現した古筆の原料と形状、更に、調査結果とその臨書したものを記す。

 まずは、日本の書から紐解いていきたい。



 〈日本〉


光明皇后(七〇一〜七六〇)

 「楽毅論」 再現古筆の原料は狸。文字が小さいため、先は斜めではない紙巻筆にて臨書。

 官営工房で作った筆であると推測される。 現在でも面相では、同等の筆が製造されているが、腰に紙を巻く手法ではなく、ふのりで固めている。

 「楽毅論」の中で「之」という文字に汚い線が出ているのは、 紙巻筆を作る際の紙を巻く工程で、毛がよじれたか又は先の悪い毛が残っていたためと思われ、 官営工房の技術水準の低さが伺える。


空海(七七四〜八三五)

 「聾鼓指帰」(三教指帰) 再現古筆の原料は尾狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。

 この書は空海最初の書と伝わっている。官営工房で作った筆であると推測される。 狸は硬い毛質のために筆先が割れやすく毛の寿命も短い。 このことを考慮に入れ、比較的寿命の長い尾狸を使用したのではないかと推測され、 狸毛の欠点を理解し、尾狸で筆を作っていることから、 昔の筆は狸毛を使用して製造されることが多かったと推測される。

 現在でも尾狸は太筆には使用されることがあるが、細筆には使用されない。 また、現在細筆では、狸の欠点を補うために先に馬毛を混ぜている。

 「即身成佛品」「二荒山碑文」 も「聾鼓指帰」と同等の再現古筆で臨書。

 「三十帖策子」 再現古筆の原料は北京狸の一級品。 字が小さいため、筆先は斜めでない紙巻筆。 三十帖策子は、空海が入唐中(八〇四〜八〇六)当時の人達が手分けして書き写した書物である。 その中で空海が書き写したと伝わっている箇所を臨書。

 「風信帖」

 風信帖は、空海から最澄へあてた書状三通を一巻に仕立てたもので、 第一通目の冒頭に「風信雲書」とあるところからこの名がついたといわれている。 第二通を「忽披帖」、第三通を「忽恵帖」という。

 「風信帖」 一通目の再現古筆の原料は比較的柔らかい狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。

 「風信帖」(忽披帖) 二通目の再現古筆の原料は白狸 (上質の黒狸でも線質に大きな違いはでないが、白狸の方が類似した線質を再現できた)先は斜めの紙巻筆にて臨書。

 「風信帖」(忽恵帖) 三通目の再現古筆は、一通目と同じ筆であるが、 同等の線質を表現するためには、筆を使い込み、先が磨り減ったものが最も近い線質を再現できた。

 「金剛般若経」 風信帖の一通目と同等の再現古筆で臨書。

 「灌頂記」「綜芸種智院」 風信帖の二通目と同等の再現古筆で臨書。

 「座右銘」 再現古筆の原料は黒狸。 先より段々と下に行くに従い、毛を入れ、更に狸毛は、毛の根元に行くに従い毛が細くなっているため、 中ごろより下に紙を巻いた紙巻筆にて臨書。

 「大和州盆田池碑」 再現古筆の原料は白真。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 飛白体の上に破体であるために、調査は困難を極めた。 よって、残念ながら、実際に書いた筆と違う可能性が高い。


嵯峨天皇(七八六〜八四二)

 「光定戒牒」 再現古筆の原料は比較的柔らかい狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。

 「哭澄上人詩」 再現古筆の原料は尾狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。

 「李キョウ雑詠残巻」 再現古筆の原料は黒狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 狸毛の筆は良く言えば厳しい線質、悪く言えば荒い線質である。 筆がひどく割れてしまっており、これほど狸の特徴の出た書は珍しいのでないかと思われた。


橘逸勢(?〜八四二)

 「三十帖策子」 再現古筆の原料は北京狸の一級品。字が小さいため、筆先は斜めでない紙巻筆。 (空海の書き写した部分を臨書した筆と同等の筆であった)空海のときと同様に、 橘逸勢が書き写したと伝わっている箇所を臨書。

 「伊都内親王願文」 再現古筆の原料は黒狸(白狸でも線質に大きな違いはでないが、 黒狸の方が類似した線質を再現できた)で先は斜めの紙巻筆にて臨書。

 先が斜めの筆は狙った位置から微妙にずれる。 また、紙の巻く位置が低いため、筆の腰がふらつき余分な線が出たのであろうと推測していたが、 三十帖策子も微妙なずれが生じていたため、橘逸勢が乱視であった可能性が高いと思われた。 (等の筆者も相当なる乱視で、眼鏡をかけないと同じようにずれが生じるため)以上が日本の筆と書の調査結果である。


年表

 〈中国〉


 次に中国の書について紐解いていこうと思う。 まず、再現古筆の原料であるが、日本で狸毛を主な原料として使用していることから、 中国でも狸毛を使用していたと推測し、同じように狸で筆を作る。 また調査対象は、一般に古典の臨書対象になっている、漢末の書で、石碑として残っている書から調査する。

 「西狭頌」 (一七一/作者不明)再現古筆の原料は狸。極端な短峰、先は斜めでない捌筆。

 石碑であるので実際に書いた書と同じとは言いがたいが石碑に近い文字、線質が出せる筆を再現し、臨書。

 「曹全碑」 (一八五/作者不明)再現古筆の原料は狸。先は斜めでない腰に麻糸を巻いた筆。 この時代、紙はまだ一般には使用されていないと推測し、腰に紙を巻いた紙巻筆ではなく、麻糸を巻いた筆にて臨書。

 「張遷碑」 (一八六/作者不明)再現古筆の原料は狸。極端な短峰、先は斜めでない捌筆。西狭頌と同等の筆で臨書。

 「李柏文書」 (三二八前後)再現古筆の原料は尾狸。先は斜めでない紙巻筆にて臨書。 王羲之と同時代の李柏文書は、辺境の武士が書いた軍事報告書で行書体であることから、 既にこの時代、一般的に行書体が使用されていたと推測される。


王羲之(三〇七〜三六五/異説有)

 書聖と称される王羲之であるが、真蹟は一つも現存していない。

 古筆を製造する際に、王羲之が使用していたという筆について調べた。 通説によれば、王羲之の筆は鼠の髭である。しかし、このような原毛は入手不可能である。 ところが、豊橋筆振興協同組合の理事長・杉浦良雄様が、この貴重な鼠の髭の筆を保有しており、いただくことができたため、 「行穰帖」と、最も一般に知られている「三井本十七帖」を鼠の髭を原材料とした筆で臨書することができた。

 鼠の髭による臨書は、筆自体が現在の製法で作られているため、行穰帖は類似した線質を再現することができた。 一方、三井本十七帖に類似した線質を再現することは、困難を極めた。 穂先を斜めにすれば、類似した線質を再現し、臨書することも不可能ではないと思われた。 しかし、一匹で数本しか使用できない鼠の髭は、集めるだけでも重労働であり、 更に斜めとなると三倍ほどの毛量が必要となるため、通説のように王羲之が使用していたとは考え難い。 また、鼠の髭の毛は毛質からして斜めにする必要がないように思われた。 その上、鼠の髭は筆の原材料として上質の原料ではない。 王羲之の筆が鼠髭筆ということは常識では考えられない。何らかの作為が感じられる。

 「行穰帖」 は王羲之がまだ若かった頃に書かれた書である。 また、双鉤嗔墨で書が残されているため、真蹟に近いといわれている。

 李白文書と同等の筆で臨書。隷書体用の筆と推測される。

 「妹至帖」 双鉤嗔墨で書が残されているため、真蹟に近いと思われる。 李白文書と同等の筆で臨書。隷書体用の筆と推測される。

 「三井本十七帖」 再現古筆の原料は狸の二級品。先は斜めの紙巻筆。 三井本十七帖では、断筆があまりにも多いので、王羲之が自ら筆の毛先を斜めに切って使用したことも考えられる。 尾狸は見た感じ鼠の髭のようにも見えるので、 前述した妹至帖や行穰帖を臨書したときに使用した筆と同等の筆の先を斜めに切って、再度三井本十七帖を臨書したところ、 再現古筆の狸の二級品の筆も、先を斜めに切った尾狸の紙巻筆でも、同じような線質を再現することができた。

 「蘭亭序」 再現古筆の原料は尾狸。先を斜めに切った紙巻筆にて臨書。 通説によれば、蘭亭序は鼠髭筆であるが、鼠髭筆ということは、できの悪い筆と推測し、 再現古筆の原料は尾狸で先は斜めに切った紙巻筆とした。 できの悪い筆は扱い難い反面大変厳しい線質が出ることがある。

 「孔侍中帖」 再現古筆の原料は尾狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 双鉤嗔墨で書が残されているため、真蹟に近いと思われる。

 「喪乱帖」 再現古筆の原料は尾狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 王羲之の晩年の書であり、双鉤嗔墨で書が残されているため、真蹟に近いと思われる。

 以上のことから、王義之は若い頃は当時一般に使われていた筆で書を書き、 やがて筆先を自ら斜めに切り、最後には毛先の斜めの筆を当時の職人に注文したと考えられる。 すなわち、王羲之は筆の革命を起こしたと考えられ、そのことが結果として、書の革命に繋がっていったと思われる。


王献之(三四四〜三八八)

 王羲之の第七子として生まれ、兄弟の中で最も書に優れ、後生父と共に「二王」と称される。

 「地黄湯帖」 再現古筆の原料は尾狸。先は斜めでなく、隷書体用の筆であると推測される。 王羲之の第七子の筆が斜めでないのは、斜筆は多く生産されていなかったと思われる。


王相高(不明)

 「維摩経巻」 (三九三)再現古筆の原料は尾狸。先は斜めでない紙巻筆。 西晋時代(二六六〜三一六)に書かれたと鑑定されている「三国志」の写本や「諸仏要集経」(二九六)は 隷書から楷書への過渡期の紙に書かれた早期の書。 両方とも百年ほど時代がずれるが、維摩経巻と同じ背景を有した書であると考え、維摩経巻を臨書。


 「張猛龍碑」 (五二二)(作者不明)再現古筆の原料は狸毛。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 北魏の楷書を記した石碑であるため、どの程度原本に近いかは不明である。


智永(陳〜隋時代)

 智永は王羲之の七代目の孫といわれている。又蘭亭序は王羲之の書ではなく、智永が書いたという説もある。

 「真草千字文」 再現古筆の原料は狸毛。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 文字の末画の後に見られる、露を垂らしたような小さな点々や、「虎爪」と呼ばれる特徴的な線質は、 狸毛の斜筆で偶然出る線質である。


虞世南(五五八〜六三八)

 「孔子廟堂碑」 再現古筆の原料は上質の狸毛。先は斜めの紙巻筆にて臨書。


欧陽詢(五五七〜六四二)

 「九成宮醴泉銘」 再現古筆の原料は上質の狸毛。先は斜めの紙巻筆にて臨書。


チョ遂良(五九六〜六五八)

 「孟法師碑」 再現古筆の原料は上質の狸毛。先は斜めの紙巻筆。 虞世南の孔子廊堂碑、欧陽詢の九成宮醴泉銘と同じ筆で臨書。

 「イン符経」 再現古筆の原料は尾狸。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 比較的文字が大きいため、尾狸を使用。 イン符経には、「之」という文字が二十七回も書かれているが、全て違うように書いていると思われる。 先が斜めの筆を使用すると書いた本人であっても、全く同じような文字を書くことが非常に難しいということが良く解る。


孫過庭(六四八〜七〇三)

 「書譜」 再現古筆の原料は上質の狸毛。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 書譜は王羲之の模刻本よりも王羲之の書に近いと言われている。 書譜の筆使いに断筆とか節筆とか言う言葉があるが、これらは斜めの筆の特徴である。


顔真卿(七〇九〜七八五)

 「多宝塔碑」 再現古筆の原料は狸毛。先は斜めの紙巻筆にて臨書。 多宝塔碑は円筆と伝わっているが、臨書した結果を見ると、その伝来自体、懐疑的に受け止めざるを得ない。 先が斜めの筆で円筆や方筆などということ自体に疑問を感じざるを得ない。


 さまざまな調査した結果、古典の臨書の対象となっている書は日本も中国も 古筆の原料は狸毛で先は斜めの紙巻筆が主流であるという結果を得ることができた。

 先が斜めの筆は、一定の向きで連続して文字を書くと先が割れやすい為、 時々筆の軸を回して字を書いたことが推測される、 つまり、筆の表と裏、左右の計四種類の線を出すことが可能なのである。 故に古典に同じような線質が連続して書かれていることが少ないのも納得でき、 付け加えるのであれば、狸の筆は、イタチや玉毛の筆と比べると、線質が自然と変化しやすいという特徴も合わせ持っている。 以上のことから、故人らが特別な書き方をしていたわけではなく、全ては「筆が悪いため工夫した結果出た線質」であると考えられる。








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