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賀茂神社
京都の賀茂別雷神社より勧請して創建したといわれ、創立は白雉元年(650)天平元年(729)寿永3年(1184)と3つの説がある。境内には、御神木と称される樹齢1000年以上の「くすの巨木」があったが、今は名残をとどめているだけである。天正元年(1573)徳川家康が「野田の合戦」で敗れ、逃げる途中 御神木の空洞にて難をまぬがれたと伝えられる。
4月第2土曜日、日曜日には、春の祭事があり 氏子を中心として大旗参進、藤四郎、御頭神事、獅子舞、金的中行事(弓道)、競馬等多様の行事がある。 -
神山古墳
賀茂神社の太鼓橋を渡って、北に100mはどすすむと右手にある。
6世紀前後に造られ、直径28m高さ3.5mの円墳では県下有数の大きさを誇っている。昭和48年3月、市の史跡に指定された。 -
賀茂しょうぶ園
9900㎡の広さの中、6月はじめから中旬頃まで江戸系、伊勢系、肥後系合わせて約300種、約37,000株の花を楽しむことができます。花しょうぶ祭り期間中には、フォトコンテスト等のイベントを開催、日没から21時時までライトアップ。土日のみ豊橋駅より臨時直行バスが運行されます。
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山本晴幸生誕の地の石碑
2007年度のNHK大河ドラマ「風林火山」の主役、山本勘助は賀茂の地で生まれています。本願寺近くの鶴巻地区には、大正4年(1915年)に愛知県が建てた「山本晴幸生誕の地」の石碑があります。勘助は20年近く武者修行を行った後、甲斐の国を目指しました。。勘助と始めて対面した武田信玄は、居並ぶ重臣の前で勘助に沢山の禄高を与え、更に自分の名の一字を与え、以降、勘助晴幸と名乗ることを命じました。(武田信玄は、名を晴信といった)勘助は軍略に秀でただけでなく、記憶力も優れ、城を築く術も心得ていました。又、家来を支配するには「慈悲」の心が大切であることを信玄に進言し、徐々に信玄の片腕となり、武田軍を率いる24武将の一人となりました。
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本願寺
医王山本願寺の創立は不明ですが、元は天台宗の古刹であったと思われます。開山の弧雲玄峯大和尚の時曹洞宗寺院に再興改宗され、豊川妙厳寺末寺となったものと思われます。
墓地内に武田信玄の軍司山本勘助の父母の碑と称する墓があり、その側に後世建てた山本家歴代の墓があり、中央に「天徳院武山道鬼大居士」と勘助の法名が刻んであります。 -
竹尾君紀功碑
賀茂用水を含めた牟呂用水の完成に尽力した竹尾彦九郎は、天保10年8月10日に賀茂町字城屋敷で生まれました。彦九郎は、賀茂・金沢・八名井の三ヶ村の有力者と用水路の開発を話し合い、豊川の水を引く計画を立て、賀茂用水を含めた牟呂用水の完成に貢献しました。用水開発の他にも、農民の生活向上の為、農業改良運動にも取り組み、明治17年7月に報徳社事業(二宮尊徳が唱えた農村改良運動)を広めるため、「賀茂報徳社」を設立しました。明治45年3月に賀茂小学校の校庭の一角に賀茂報徳社と賀茂村民によって「竹尾君紀功碑」が建てられました。