第43章  舞台の裏側

 


 大西洋連邦首都ワシントン。ザフトの最優先攻撃目標であり、最も遠い戦略の要所でもある。過去に幾度か軌道上からの強襲降下を試みた事もあるが、強力な防空隊と地上部隊に悉く撃破されている。このワシントンにあるホワイトハウスには、連邦大統領の職にある地球連合を事実上動かしている地球上最大の権力者、ロナルド・ササンドラがいる。
 彼の執務室には軍や政府の高官が集まり、テーブルに向かいながら現在の情勢を話し合っていた。ササンドラは白髪こそ目立つものの、高い知性と鋭い眼光を持つ油断ならない人物として知られている。

「さて、ザフトはいよいよ自分達の限界を無視して攻勢に出てきたわけだが、軍部はこれをどの辺りで食い止められると見ているのかな?」

 ササンドラの問いに、統合参謀本部議長グレン・ダルハート大将が数枚の書類と多数の写真をテーブルの上に広げる。その写真は全てジャングルが写された航空写真で、高速で撮影されたものであるらしく粒子がかなり粗いのが問題だが、何が写っているかはかろうじて確認できる。

「これがアジアと南米のザフト侵攻軍です。大半は戦車と装甲車、重砲で、ジンとシグー、ザウートの数は余り多くはありません。バクゥの姿はほとんど無いです。また、最近になって姿を見せるようになった新型機、ゲイツという名称のようですが、これもほとんど姿を見せていません」

 大統領は写真を手に取り、それをじっと見つめた。

「ふむ、MSの姿が少ないか」
「はい、これまでザフトはMSを正面に立て、戦車などは補助兵器として後方の確保に使うのが常だったのですが、今回は戦車を正面に立て、MSを出し惜しんでいるようです」

 戦力的には大きく劣っているザフトは、MSの優位に全てを託すしかない。戦車戦では数十倍の戦力差があるので、真っ向から勝負する事は出来ないのだ。加えてジャングルはMSにとっては最悪の土地で、ただでさえ低い稼働率が更に低下してしまう。機械的に単純な戦車や装甲車の方が使い易いのだ。

「仮に、ザフトがこのまま侵攻を続行したとして、軍はどの辺りが行動限界点だと思うかね?」

 大統領の質問に対し、ダルハートは国防長官マクナマラと幾つか言葉を交わし、立ち上がって壁にかけられた地図の前に立った。

「敵はラプラタ川河口から北上してきており、現在はブラジルのカンポグランデからサンタクルスの間、およそ500キロの防衛線でぶつかっておりますが、低地であるカルンバが突破されそうでして、カンポグランデからカルンバの間の部隊は逐次後方のクヤバに後退させ、最終的にはポルトベリヨで決戦を挑むべく準備を進めています。彼らの拠点ははるか彼方のオーストラリア大陸であり、ここに達するまでに補給線が限界を超えるものと判断しております」」

 ダルハートの説明に、大統領顧問のセレンソンが右手を挙げて質問をしてきた。

「議長、南方の敵に対する対処は分かりましたが、アマゾン河口から上陸した敵にはどう対処するのです?」
「そちらは、敵は空港のあるヘレンを占領し、河に囲まれたマラジョ島を占領して防御を固めておりますが、こちらもマカバ、カメタの2都市を拠点として全力で封じ込めを行っています。こちらには現在投入可能なMSの大半が投入されており、ザフト軍を海に蹴落とそうと全力を上げています」
「なるほど」

 セレンソンは納得して頷いた。連合はこれまで投入していたデュエルやバスターに変わって戦時量産型のGAT−01Aストライクダガーを実戦に投入するようになり、質だけでなく量的にもザフトMSに対抗するのが可能となってきている。ビーム兵器を装備し、ジンやシグーに勝つ事を前提に作られたダガーは基本性能が高く、扱い易いのが特徴となっている。本機の投入で連合軍はジンに対して概ね優勢に戦闘を進めることが可能となっているのだが、まだ数が十分に揃ってはいなかった。
 アマゾン川から上陸したザフト軍にしてみればまさに青天の霹靂で、これまで1つの戦場に数機程度でしか運用されなかった連合MSが数十機も出てきたのを見てパニックを起こしている。最初の遭遇戦では侵攻してきたザフト装甲部隊に対し、迎撃に出てきた連合の部隊には見慣れた戦車や装甲車、自走砲、デュエルやバスター、ストライクと共に大量のストライクダガーが投入され、ジンやシグーを主力とする侵攻部隊は数で勝る連合MS隊と戦車隊にいいように惨敗したのである。
 この時ザフト軍は連合のMSの大軍にひるんだという事もあるが、連合MS部隊の展開速度がジンやシグーを上回っていた事も大きい。特にストライクダガーの移動速度はジンを上回っており、ダガー隊が自分達を包囲するのを食い止められなかったのだ。
 この時、ザフト軍を率いていたポール・フィードラー司令はシグーのコクピットで十数機のダガーが素早く動き回り、ビームを撃って来るのを見て罵声を上げている。

「ナチュラルは何時の間にあんな量産機を作っていたんだ!?」

 デュエルやバスター、ストライクといった機体群が少数とはいえ戦線に投入され、その高い性能でジンやシグーを圧倒しているのは知っていたが、まさかこんなに早く量産型を、しかもこれほど多数投入してくるとは思っていなかったのだ。しかも火力、機動性共に明らかにジンを上回っている。
 これがダガーが大規模に運用された最初の例となり、以後少しずつ数を増やしているダガーはアマゾン川河口に展開するザフト軍に目に見える圧力をかけ続けている。
 そして、南方の反抗の拠点となる予定のポルトベリヨにもMS部隊が編成されつつあり、着実に反撃の体制は整っていた。

 本来ならザフトは連合の補給線を叩くべきだったのだが、そもそもこの南米攻略戦の最終目標がパナマ基地であり、南米攻略戦はその足掛かりに過ぎないのだから仕方が無い。直接パナマを叩けるだけの戦力があるなら最初からそうしている。パナマにはマスドライバーがあり、強力な守備隊も駐屯しているので容易には手が出せない戦略拠点となっているのである。それに、大西洋連邦本土からすぐに航空部隊が駆けつけてくる。
 軍はいずれ反撃に出られると確信しており、南米のザフト軍は遠からず壊滅するだろうと断言している。大統領もスタッフもその言葉に特に異論は挟んでいない。スタッフでなくとも、これだけ条件が整えば勝てるというのは用意に想像がつくからだ。

「ザフト軍の弱体化は、月基地から行われている通商破壊戦も影響しているようです。月のキング提督からは、先月だけで60隻を越える輸送艦を仕留めたという報告が来ています」

 マクナマラの報告に、大統領が頷く。

「キングは良くやっているようだな。さしあたり月基地には補給戦寸断を強化するように指示を出すように。必要ならば物資の割り当てを増やしても良い」
「ですが、そうなりますと当面の主要戦線である南米と南アジアが危なくなりますが?」

 セレンソンが口を挟んだが、それにダルハートが答えた。

「補給線を寸断すれば敵は放っておいても干上がります。前線部隊からのレポートを読みますと、MSとは想像以上に整備に手間が掛かるようで、弾薬や推進剤、消耗部品を常に補給し続けなくてはまともに動かす事も出来ないという代物のようです」
「それは、精密機械ですから戦車のようにはいかないでしょうが、相手はコーディネイターですぞ。我々よりも保守、整備が容易かもしれません」
「開発チームの報告では、ダガーはジンよりも保守、整備性に配慮した作りだという事です。前線部隊からもこれまでのデュエルやバスター、ストライクに較べて整備し易く、稼働率も高いと好評だとかで。ザフトMSは性能を追求する余り、機械的にはむしろ信頼性に欠けているそうです。技術者の話では、天才肌が良く陥る机上のプランを実現させたような機体だとか」

 -天災肌、という部分に参列者から失笑が起きる。コーディネイターにはその気があることは割と有名だからだ。だが、悲しい事にこの手のコスト高騰、整備性無視、稼働率最悪という素晴らしい製品は割と世の中に溢れていたりする。Xナンバー5機の量産シリーズにもこの傾向は見られ、その使え無さを改善したのがダガーなのである。まあ、性能が良くても動かないでは洒落にもならないわけで、ダガーを渡された部隊はデュエルやバスターよりも使い易いと喜ばれている。
 ジンやシグーは宇宙で使う事を前提に開発されていた為か、埃っぽい地上では稼働率が悪い。ザウートはその可変機構が災いし、自走砲的な運用が多い。そもそも歩行性が最悪なので歩かせる必要が無いのだ。バクゥは機動力が高く、結構使い易い機体として評価が高いのだが、4速歩行MSという特殊性が災いして操縦に癖があり、他のMSとは部品の共有率が低いので数は少ない。
 結局、MSの数の少なさと稼働率の低さを偽なう為に戦車や装甲車、航空機が量産されており、MSが確保した後方で占領地の維持に当たっている。

 だが、この形は既に崩壊の兆しを見せており、ザフトは占領地域が広がるに連れて戦線に十分な数のMSを回せなくなっており、通常兵器主体だった連合を攻めきれなくなっていたのである。南米攻略戦でも高地に縦深陣地を構築して対抗する連合軍を攻めあぐね、連合軍は遅滞戦術を駆使しながら少しずつ後方に下がる事が出来ていたのだ。

「ザフトはすでに行動限界点を超えていると統合参謀本部では判断しております。南米、南アジアの両方でザフトは全面攻勢に出ていますが、南アジアではザフト第4軍が北部から押し込んでいますが、ヒンズークシ山脈は越えられないでしょう。インドに来るには相当の時間が掛かると思われます」
「ふむ、押し込まれた部隊はドゥシャンベに集結しているのだったな?」
「その通りであります。現在は例のアークエンジェル隊も加わっている筈ですが」
「ほう、アークエンジェル隊」

 大統領が何故かそこに興味を示す。ダルハートもマクナマラも不思議そうに大統領を見ているが、大統領は別に説明をしたりはせず、戦局に関する話はまた新しい動きが起きたらしようと言って参列者を帰させた。残るのは大統領顧問のセレンソンだけである。

「大統領、アークエンジェルが、何か?」
「ふむ、君も知らないのかね。ヘンリー・スチュワートが面白い話を持ってきたのだ」
「ヘンリー・スチュワート。あのフリージャーナリストの、ですか?」

 セレンソンが首を捻る。ヘンリー・スチュワートはフリージャーナリストとして世界中を飛び回っている男だが、些か曰くつきの出生を抱えてもいる。元々は資産家の息子で、両親の残した財産の大半を何故か遺伝子研究に寄付したというとんでもない事をしている。彼が何を考えてそんな事をしたのかは未だに謎とされており、本人もその理由を明かしてはいない。彼は手元に残した資金を使って世界中を飛び回り、ナチュラルとコーディネイターの対立の歴史をずっと報道し続けている。今の戦争でも戦火の中を飛び回り、両軍の真実を報道し続けている。両軍の犯した戦争犯罪を幾度も記事にするなどの無茶をしており、厄介者としても知られている。
 このヘンリー・ステュワートと大統領は知り合いで、幾度か面白い情報を貰ってもいる。今回もその類の情報を貰ったのだろうか。

「アークエンジェルだが、アルスター君の娘が乗っているそうだな」
「そのようです。軍の方では広告塔として利用しているようですが、MSで戦果も上げているとか」
「他にも色々と面白い連中が乗り込んでいるらしい。ヨーロッパにアークエンジェルが立ち寄った時に面白い人物を見かけたそうだ」
「面白い人物、ですか?」

 問いかけるセレンソンを見て薄く笑う大統領。彼にはこうやって部下をからかって遊ぶ悪癖がある。

「オーブのレニドル・キサカ一佐と、カガリ・ユラ・アスハを見たと言ってきたのだよ」
「カガリ・ユラ・アスハ!? あのオーブの獅子の令嬢ですか!?」

 オーブは小国ではあるが、現在では数少ない中立国であり、マスドライバーの存在もあってそれなりの影響力を持っている。その国の代表の息女が大西洋連邦の戦艦に乗っているなどということが分かれば国際問題である。
 もっとも、セレンソンの危惧は既にはるか過去にするべき問題で、カガリはゲリラなどに参加してザフトに損害を与えているので、アークエンジェルに乗っていなくても十分に国際問題を起こしている。
 大統領はテーブルから自分のデスクに戻り、引き出しから1つの紙の束を取り出した。

「見てみたまえ」
「はあ」

 渡された書類に目を通していくセレンソン。だが、読み勧めるうちにその顔色は急激に変わっていった。

「これは、プラントからの講和の申し込みではないですか!?」
「そう。それもオーブの公使経由で評議会議長、パトリック・ザラの密命を帯びたプラント大使館の武官が持ち込んできたものだ」
「パトリック・ザラがですか?」
「彼はプラント独立運動の立役者の1人だ。些か強引な所はあるが、その政治手腕は誰もが認めるものだよ。この戦争をここで終わらせようと考えたのだろうな」

 大統領は椅子に座り、両瞼を指で押す。そして顔を上げると、世界地図に顔を向けた。

「パトリックはザフトの限界を知っているのだよ。彼はこれまでの戦果を材料にこの戦争にケリをつけようとしているのだ」
「プラントは、もう疲弊しきっていると?」
「元々、プラントの人口は2000万程度だ。この数で地球全土を制圧するなど夢物語でしかないだろう。パトリックにしてみればプラントの独立とコーディネイターの生命と立場の保証が得られるのなら、これまでの占領地域全てを手放しても惜しくは無い筈だ。彼は最初から全てを欲していたわけではない」

 セレンソンは大統領の話を聞きながらも書類に目を通していく。そこにはプラントから提案された講和の条件から講和への道筋、さらには予想される妨害までが記されている。しかし、セレンソンはその提案内容には失笑を浮かべてしまった。

「今更、随分と都合の良い内容を出してきましたな。まさかザフトの維持を我々が許すとでも思っているのでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「大統領?」

 じっと考え込んでいる大統領にセレンソンが怪訝そうな声をかける。大統領はそれにすぐには答えずに黙考し続けていたのだが、眼を開けると強い意志を感じさせる目でセレンソンを見てきた。

「私も、パトリック・ザラと同じ考えではある。何処かでこの戦争は終わらせなくてはならない」
「ですが、このような条件では国民が納得しません。それにブルーコスモスの妨害も予想されます!」

 セレンソンには大統領の考えは無茶だと考えたが、大統領はじっとセレンソンを見ている。どうやらその意思を変えるつもりは無いどころか、自分に何かさせるつもりらしい。

「補佐官、だから君にこの事を話したのだよ。このプラントからの交渉、私はこのまま継続する価値があると考えた。勿論条件をそのまま飲むつもりは無いが、交渉を打ち切るつもりは無いよ」
「ですが、それでは大統領の身さえ危険です!」
「折角開いた外交ルートを自ら閉ざしてどうする。戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは簡単ではないのだぞ。相手が引いてくれたレールを無碍にする事は無い」

 終戦への道を開こうとする大統領の考えに、セレンソンは正直迷った。大西洋連邦にはブルーコスモス細胞が入り込んでおり、その勢力は強大だ。その目を盗んで交渉を進め、講和に持っていくなど至難と言うしかない。
 しかし、戦争は終わらせる方が遙かに難しいというのは紛れも無い事実である。戦争というものには際限なく拡大する力学があり、長期戦になると戦火が拡大するというのも別に司令官が望んでやっているわけではないのだ。司令官が望んでいなくとも、戦線は作戦の必要に応じて拡大され、敵がそれに対応して更に拡大していく。そういうものなのである。

「大統領、どうしても、この話を進めると?」
「進める。君にはこの話を取り纏めてもらう。くれぐれも主戦派やブルーコスモスには内密にな」
「ですが、プラントでパトリック・ザラが失脚する可能性も高いですな。そうなれば全ては水泡に帰しますが?」
「その時はパトリック・ザラを助けてやれば良い。それで恩を売って、交渉を有利に持っていくことも出来るだろう。いずれにせよ、彼は大筋で我々と合意できる存在だ。今、彼を失う事は出来ない」
「・・・・・・分かりました。信頼できる者を集めて密かに行動を起こしましょう」

 セレンソンが請け負ってくれた。これが、大西洋連邦がプラントとの講和する意思を初めて見せた瞬間であった。

 

 


 そして、プラントでもパトリックは動いていた。強行派でありながら自ら講和へと動き出した彼には信頼できる味方がまだ居ない。彼もまたササンドラ大統領と同じく、全てを秘密裏に進める必要があったのである。
 ただ、彼には今でこそ敵対しているものの、友人であり、能力も信頼に値するシーゲル・クラインがいる。いずれは彼と意見をすり合わせ、穏健派を味方につける事を考えてはいた。
 そして今、彼の執務室を1人の議員が訪れていた。司法委員のパーネル・ジュセックである。パトリック、シーゲルとは旧知の仲で、2人の間を取り持とうと努力してくれている。ジュセックは執務室に入ってくると、親しげにパトリックに声をかけてきた。

「どうしたパトリック、私に話とは?」
「うむ、忙しいところをすまんなジュセック」

 パトリックは書類整理の手を休めると、執務机から立ち上がってソファーへと移り、ジュセックにも向かい合う席を勧めた。その勧めに従ってジュセックも腰を降ろし、パトリックと向かい合う。

「それで、用とは?」
「実はな、お前には話しておこうと思っている事があるのだ」
「また、随分と深刻そうだな。議長職に嫌気が差したのか?」
「からかうなジュセック。この時期に投げ出せると思うか?」

 不機嫌そうに顔を顰めるパトリック。ジュセックはパトリックの真面目ぶりに苦笑を浮かべながらも、変な事を言ったと謝った。

「では、何を話したいというのだ?」
「実はな、私は連合と講和を進めている」
「講和だと? だがお前は」
「ああ、強行派の頭目と見做されている。勿論この話はまだ秘密で、知っている者は信用の置けるごく一部の者だけだ」

 パトリックの話は、ジュセックには予想外なものであった。強行派の最右翼、鉄の意志を持って戦争を遂行している筈の男が、まさか自ら講和を言い出すとは。しかし、こんな話を自分にするのはおかしい。パトリックも講和を望んでいるのなら、穏健派に協力を求めるべきだろうに。

「だが、どうしてそんな事を私に言う。それならシーゲルらに言えば良いではないか?」
「シーゲルにも私が講和の意思を持っていることは話してある。だが、シーゲルは甘い所がある男だ。今の段階ではあいつは頼れん」

 勿論、シーゲルが無能というわけではない。彼には指導者として十分な才幹と器量がある。ただ、彼は決断を躊躇う傾向があり、秘密を隠し通すことも得意ではない。そういう意味では彼は平時の人材であり、有事の人材とは言えなかった。

「それに、シーゲルを巻き込みたくはない。もし私に何かあれば、私の後を任せられるのは奴だけだ」
「では、何故私にこんな事を話すのだ?」
「私だけの力では事を進めようにも限界がある。だが穏健派をこの段階で協力者にするわけにもいかん。そうなると能力にも人格にも信頼が置ける者となると、私にはお前しかいなかったのだ」

 そう言ってパトリックは頭を下げた。それを見てジュゼックは腕を組み、じっと考え込んでしまう。パトリックの言うとおり、確かに穏健派を下手に巻き込めば事態が明るみに出るかもしれない。いずれは表に出さねばならないだろうが、それは今すぐではない筈だ。
 それに、あのパトリックが自分を頼っているのだ。断る事はジュゼックには出来なかった。

「分かった。私などがどれほど力になれるか分からないが、力を貸そう」
「ジュゼック、すまん」

 また頭を下げるパトリック。ジュゼックは止めてくれと言い、パトリックに自分は何をすればいいのかを尋ねた。パトリックはジュゼックの問いに対し、何とも奇妙な答えを返している。

「今の段階では、まだやってもらう事はないな。大西洋連邦からの返事待ちだ」
「どういう事だ?」
「ササンドラ大統領は私の話しを聞いてくれるだろう。彼とはまだ互いに今の地位につく前に幾度か話した事があるが、話の分からない男ではなかった。物事を解決する手段を武力だけに限るような近視眼でもない」
「大西洋連邦は交渉を継続してくると?」
「してくるだろうな。だが、向こうにも戦争を終わらせたくない連中や、ブルーコスモスが居る。一足飛びに話が進む事はないだろう」

 お互いに国内の継戦派や過激主義者に注意しながらこの話を進めなくてはならない。そうなると自然と交渉の手段も限られるし、人員も少数で進めるほかない。交渉がある程度軌道に乗り、本交渉に持っていくまでにどれほどの時間がかかり、どれだけの犠牲が出るんか。それを考えると頭の痛い話だが、進めなくてはならない。戦争が長引けばそれだけ犠牲も増えるからだ。
 しかし、ジュセックにはどうしても聞いておきたいことがあった。パトリックは妻をナチュラルに殺されており、その事が彼を地球侵攻に向けたはずなのに、どうして今になって講和を考えたのだろう。

「パトリック。お前はどうしていきなり講和など考えたのだ。レノアさんの事でナチュラルを憎んでいたお前が?」
「無論、レノアの事を許した訳ではない。だが、あれは敵討ちを望むような女ではない。それに・・・・・・」
「それに?」

 複雑な表情で言葉を切ったパトリックに、ジュセックは続きを促す。パトリックは内の葛藤を鎮めるのに些かの時を擁したが、胸の内に澱んでいる感情を溜息と共に吐き出すと、前に感じた事をジュセックに語った。

「レノアはナチュラルの女性を友人としていた。アスランも地球で捕虜にした敵兵と話して、ナチュラルをいろいろ知る事ができたと手紙で言ってきた。レノアの墓の前でその事を考えていたら、何となくレノアに叱られた気がしてな。私もいつの間にかこれまでの戦いの意味を見失っていたと気付かされたよ。我々がこれまで頑張ってきたのはナチュラルを打倒したかったからではなく、子供や孫に安心して暮らせる世界を残す為だったのだから」

 亡き妻を思い出したのか、パトリックの表情には僅かな寂寥が見られる。ジュセックはパトリックの話を聞いて大きく頷き、彼に全面的に協力する事を改めて約束したのだ。

 

 


 クルーゼがドゥシャンベ攻略の準備を整える中、街にいる部隊は脱出の準備を進めていた。街の周囲を手持ちの地雷全てを使った地雷源とし、使い道のない航空用爆弾も仕掛け罠として埋設し、遠隔操作で爆発させる事が出来るようにしている。
 対立しながらもネルソンとドミノフの予想は一致しており、自分達の脱出準備を敵は気付いており、必ず仕掛けてくると考えて出来る限りの防戦態勢を整えていたのだ。
 防衛線は3重に敷かれており、それぞれにあるだけの戦車と火砲、歩兵を配置して外側からの防御は考えられる限りの準備を整えている。たとえザフトが総力を挙げて挑んできても簡単には突破される事は無いと断言できるだけの防御陣地だ。
 この陣地構築にはストライクとデュエルも大いに貢献しており、MSの作業機械としての有用性を証明している。だが、MSを見る兵士達の視線には明らかな違いがあった。トールやフレイの乗るデュエルは歓迎されていたのだが、ストライクが来ると露骨な嫌悪感を向けてくるのだ。その理由は簡単で、ストライクのパイロットがコーディネイターだからである。
 作業を手伝うキラを見た兵士は嫌悪に顔を顰め、その場に居ないかのように無視していく。中にははっきりと罵倒していく者もおり、銃口が向けられる気配を感じたのも1度や2度ではない。ここにきてキラは、友軍から殺されるかもしれないという現実に直面する事になった。

 アークエンジェルに戻るまではストライクのコクピットから出る事も出来なくなったキラは、これまで耐えてきた精神的な負担にいよいよ耐えられなくなってきていた。元々孤独を恐れるタイプであり、それが完全に孤立してしまったのだから無理もないのだが。
 キラが追い詰められている事にフラガとキースは気付いていた。キラの症状は新兵の陥る戦争神経症に近いものであり、2人はそんな新兵を飽きる位に見てきたからだ。ストライクから降りて来るキラの表情を見て、2人はすぐにキラの球状を悟っていたのである。
 食堂でコーヒーを前にテーブル席で向かい合うように座った2人は、不味い軍用配給コーヒーの香りを楽しみつつ、キラに付いて話し出した。

「それで、俺達はどうしたら良いと思う、キース?」
「どうって言われても、俺達は軍医でもカウンセラーでもないですからね。やれる事と言えば邪魔にならないよう後送するくらいですが」
「後送ね。ここから何処に後送するの?」

 フラガの問いに、キースは肩を竦めてしまった。そんなこと自分が教えて欲しい位なのだ。

「キラを囲んでる状況は悪くなる一方です。まあ連中にしてみれば今まで自分達を散々苦しめてきた連中の仲間、という事なんでしょうし、それを否定する事も出来ないわけですが」
「俺達がネルソン大佐に直訴して上官権限を振りかざせば、キラを悪く言う奴は抑えられるんだがな」
「それも手ですが・・・・・・」

 はっきり言って、それは最悪の手段だ。上官命令を使えば部下は必ず従う。兵士とは上官命令に絶対服従するように洗脳されているからだ。ネルソンでなくとも、フラガが命令をすれば兵士達は表向きは大人しくなるだろう。だが、それは表向きの事であり、キラの評価が変わるわけではない。
 それに、キラを最も追い詰めているヘリオポリスの友人達との軋轢は解決のしようがない。彼らに上官権限を振りかざす意思が2人には最初から無かったのだ。

「サイとカズィ、ミリアリアははっきりとキラを恐れていますよ。フレイは恐れている訳は無いんですが、やはり一線を引いてます。気にしてないのはトールくらいでしょう」
「そりゃあ、2人の間にはしこりが残ってるだろうな。フレイが一歩引くのは仕方ない。だが、となると期待できそうなのはトールくらいかな」
「他力本願ですか。連合屈指のエースMA乗りも落ちぶれましたねえ」

 やれやれと苦笑しながらコーヒーを啜るキースを、フラガはジロリと睨み付けた。

「お前だって同じだろう?」
「俺は良いんですよ、屈指のエースじゃないですから」

 そう言って楽しそうに笑おうとしたキースだったが、フラガがその笑いに水を差した。

「だが、連合軍最高のシップエースだろう?」
「・・・・・・・・・そう来ましたか」

 フラガにしてやられた事を認めたのか、キースは渋面を作ってコーヒーをテーブルに置いた。逆にフラガは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている。

「まあ、トールに任せるしかないか」
「子供の喧嘩に大人が口を出すな、ですか?」
「フレイの時もトールは色々やってたんだろ。なら今度も自分で動くだろうさ」
「俺達は助けを求められたら動けば良いと?」
「そういう事。大人があれこれ言っても子供は聞きゃしないよ」
「それで良いんですかねえ」

 何だか悟ってるような事を言うフラガにキースはやや眉を顰めたが、キースにも出来る事はないので結局黙ってしまう。最後に自分を救えるのは自分自身しかいないという事をキースは知っていたからだ。フレイは確かに多くの人に助けられはしたが、それでも自力で自分を立ち直らせてきた。キラもそれが出来ると今は期待するしかない。

 そして、2人の想像に違う事無くトールは動き回っていた。休憩時を狙ってサイを捕まえ、無理やり人気の無いウィングにまで引っ張ってきて話をしていた。

「サイ、どういうつもりなんだよ」
「どうって、何がさ?」
「キラの事だ。カズィもミリィも、何で避けたりするんだよ?」

 トールに詰め寄られたサイは顔を逸らせたが、それはかえってトールの怒りを煽ってしまう。トールはサイの胸倉を掴み上げると、そのまま壁に押し付けた。

「サイ、まさかお前まで!?」
「・・・・・・仕方ないさ、あのキラを見れば、誰だって怖くなるよ」

 サイはザフトMSを蹴散らしていくストライクの姿を今でもはっきりと思い出す事が出来る。あの悪魔のようなキラの戦いぶりと、その凄まじい強さを見れば誰でも震え上がってしまうだろう。現に艦橋で見ていた全員が今でもキラを恐れている。
 サイはトールの手を力任せに振り払って自らを解放すると、今度は逆に自分からトールに問いかけた。

「なあトール、トールはどうしてキラが怖くないんだ?」
「どうしてって、キラは良い奴だって、サイも知ってるだろ?」

 トールの答えにサイはなるほどと頷き、そして自らを嘲笑った。トールの答えは馬鹿馬鹿しいほどに綺麗でかっこいいものだが、それを最後まで貫ける者は少ない。自分もキラの味方のつもりだったのだが、結局トールほどには友人を信じる事は出来ていなかった。いや、フレイを奪われたと感じた時に、自分はキラとの違いを知ってしまったのだから。

「トールは、強いんだな」
「はあ、何言ってるんだよ?」
「いや、何でもないよ。忘れてくれ」

 サイ小さく頭を左右に振ると、まだ迷いを見せる目でトールを見た。

「もう少し、考えさせてくれないかな。トールの言ってる事は正しいとは思うけど、俺はまだキラを信じられない」
「サイ、だけど・・・・・・」
「それに、ミリィたちはどうするんだ? ミリィもカズィも、キラを避けてる」

 サイの問いにはトールも顔を顰めてしまう。自分はキラを信じているからサイたちが怖がる理由が理解できないのだが、3人ともキラを心底怖がっている。いや、アークエンジェルの中でもキラを怖がって居ないのは本当にごく僅かになってしまった。自分の知る限りではパイロットとマードックくらいだろう。
 トールが力を失ったのを見て、サイはウィングから出て艦内に戻ろうとしている。その背中にトールは声をかけようとしたが、かける言葉が浮かばず、開けかけた口を閉ざしてしまう。その間にサイは艦内に消え、トールは向け所を無くした苛立ちを拳に乗せて壁に叩きつけた。

 ウィングから聞こえてきた打撃音にサイは拳を握り締め、その場から早足に立ち去っていく。自分がトールに責められているような気がしたから。

「分かってるさ、キラが良い奴だなんてことは。でも仕方ないじゃないか。あいつと俺達は違うんだからさ」

 アークエンジェルに乗り込んで以来、幾度と無く見せ付けられてきたキラと自分の圧倒的な能力差。そして遂には同じコーディネイターを蹴散らしてしまうほどの強さまで見せ付けてくれた。あれを見て、平然としていられる方がおかしいとサイは思う。
 サイは知らないことであったが、キラは確かに普通ではない。今の時点でそれを知る者はほんの一握りの人物だけであり、それに手をかけているカガリだけである。サイが怖がっているのはキラの持つ異常な能力が故だが、カガリには他にもキラと自分の間にある不可思議な繋がりに対する不安もあったのだ。

 

 キラに対する拭う事の出来ない不安を多くの者が抱える中、アークエンジェルはクルーゼと再び激突することになる。マーケット作戦に参加する部隊の中でも最精鋭と言われる第4軍を相手に、連合軍は果たして勝てるのだろうか。

 


後書き
ジム改 戦争の裏側で行われるもう1つの戦争、それは平和への道の模索だった
カガリ なんつうか、馬鹿馬鹿しい話だよな
ジム改 前線で戦う兵士にしてみればふざけた話だね
カガリ お互いに戦争やめようって考えてるのに、何でまだ戦ってるんだよ?
ジム改 どうやって終わらせるかがまだ決まってないから
カガリ そんなもん、停戦して話し合えば良いのに
ジム改 それは予備交渉が纏まって、本交渉に入る段階になって初めてやれる事だよ
カガリ それが纏まるまでに、後何人死ぬんだよ?
ジム改 沢山。でも交渉が纏まらなければ更に多くの人が死ぬ
カガリ ・・・・・・嫌な話だよな
ジム改 しかも、こういう交渉を良く思わない連中ってのが国内には居るものでね
カガリ ブルコスとか、強行派とかか?
ジム改 そう。ばれたら必ず妨害される。だから交渉は水面下で慎重に進める必要がある
カガリ そして長引く分死ぬ奴も増えるのか
ジム改 だから指導者ってのは大変なのだ
カガリ 私はそんな苦労背負い込みたくないなあ
ジム改 諦めろ、嫌でも背負い込んでもらうから
カガリ 一寸待て、どういう意味だそれは!?




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