第58章  血塗られた丘




「港に攻撃空母2隻、イージス艦4隻、巡洋艦4隻、駆逐艦12隻ですか。ドックの中に整備中の艦が何隻居るか分かりませんが。足付きの姿もありませんね」

 港が見下ろせる高台の上から入港している艦艇の数を数えるフィリス・サイフォン。一応彼女らの仕事は偵察任務である。だからフィリスはボールペンを手にして手帳に色々書き込んでいたりするのである。

「わあー、すごく見晴らしが良いですね、ここ」
「ああ、プラントじゃこんな開けた景色は不可能だからな」
「……空軍基地らしいところに大型輸送機が多数着陸してますね。積み込んでるのはMSでしょうか。どこかに部隊を移動するつもりですね」

 背後で樹木の陰に腰を降ろしている男女がいるが、気にしてはいけない。
 軍の動きをひたすらにチェックするフィリスさん。何となく書いているペンが微妙に震えているがやはり気にしてはいけない。

「隊長、お昼ですけど、どれにしますか?」
「ピクニック気分だな、エルフィ。何処でこんなに弁当を買い揃えてきたんだ?」
「えへへ、途中のお弁当屋さんです。戦時下なんでちょっと高かったですけど、品揃えはそれなりでしたよ」
「戦時下なのに良く売ってたな」
「砂糖とか、一部の物資は配給制になってるそうですけど」
「…………」

 ビシリ、という音を立ててフィリスの額に血管が浮き上がった。手帳にはなにやら文字ではない変な幾何学模様が幾つも描かれている。

「これは中々おいしいな」
「本当ですね。戦時下で物資不足だと聞いてましたけど、その分工夫で勝負してます」
「こんなにのんびりしたのも久しぶりだな。本当にエルフィには感謝してるよ」
「そんな、隊長……」
「…………」

 バキリっ、という音を立ててフィリスの手の中でボールペンが圧し折れた。その音にアスランとエルフィが驚いてフィリスの方を見る。

「あ、いけません。つい折ってしまいました」
「フィ、フィリス、驚かさないでくれ」
「どうしたんですかフィリスさん、手の中でボールペンを握り潰すなんて」

 本当に驚いたという顔で惚けた事を言ってくれる2人に、フィリスの笑顔が露骨に引き攣った。

「こ、この人たちは……」

 どうやらアスランまでエルフィの天然に侵食されてしまっているらしいと悟り、フィリスはガックリと肩を落としてしまった。エルフィも真面目でとても良い娘なのだが、ちょっと天然ボケなのが問題なのだ。何時もなら微笑ましいこの性格も、こう背後にほんわか空間を作り出されていてはムカついてもくる。しかもエルフィに悪意は欠片も無いので尚更性質が悪い。
 何となく怪しげなマスク被って黒ミサのような集会を開いている上官たちに共感を感じそうになってしまい、フィリスは深い自己嫌悪に囚われてしまった。

「はあ、こんな事だったらエルフィさん1人に任せるんでした」

 フィリス・サイフォン。1人身なのを今日ほど恨めしく思ったことはなかった。だが探そうにも丁度良い相手も周囲には見当たらないので、当分彼女に春は来そうにも無かった。世の中とは不公平に出来ているのである。



 

 同時刻、地球周回軌道に入ろうとするザフト艦隊があった。地球上空の制宙権は連合とザフトで伯仲しており、ポアズを母港とするザフト艦隊と月面を母港とする連合艦隊が小部隊を編成してひたすら小競り合いを繰り返しており、今回ものこの打撃部隊に思われたが、よく観察すると編成が少々おかしかった。ローラシア級巡洋艦4隻と、降下船母艦1隻で艦隊を編成しているのだ。些か中途半端な戦力であるが、これは敵艦隊を狙った打撃部隊ではなく、どこかへの強襲降下を目的とした攻略部隊の編成である。降下船の中にはおなじみのジンやシグーのほかにも、ようやく引き渡しが始まった新型量産機ゲイツも少数だが含まれている。
 もっとも、このような弱体な編成では連合のパトロール部隊に発見されたらたちまち叩き潰されてしまうだろう。この部隊を率いている指揮官は何時敵に見つかるかとヒヤヒヤしながら部隊をここまで引っ張ってきていたのだが、内心ではこんな任務を押し付けてきた上官にも、こんな作戦を提案してきた奴にも怨嗟の言葉を投げつけている。

「くそっ、なんて任務だ。たった5隻で最前線を単独行動なんて、自殺行為だぞ」
「艦長、余りそういう事を言われない方がよろしいのでは。もしジュール議員辺りの耳に入ったらただじゃ済みませんよ」
「言われなくても分かってる、誰に密告されるか分からないからな」

 忌々しいが、軍の内部には評議会の力関係がそのまま影響している。シーゲルの力が弱くなればパトリック派の軍人が重用され、クルーゼのような男が幅を利かせるようになっている。そして今、ザフト内部で何故か勢力を伸ばしているのがエザリア・ジュールを中心とするジュール派で、パトリックが議長職を兼任した為に軍政面をエザリアが代行するようになった事が影響している。
 戦況が優勢ならば、パトリック1人でも問題を捌き切れたかもしれない。だが、いまや戦況は拮抗してきており、これまで問題とならなかった事が問題と扱われるようになったのだ。そうなると1人で処理するのは不可能となり、責任を分散する必要が生じた。この責任の分担先がエザリアだったわけだ。
 そして現在、ザフトの上層部ではパトリック派とエザリア派の対立が静かに、だが深刻な問題へと発展していた。パトリックがそれに気付いてくれればまだ解決の道も開けるのだろうが、パトリックはまだ事態の深刻さに気付いてはいないため、ザフト内部に軋みを生じさせていたりするのだ。自国に批判的な事を口にして、それを理由に罷免された隊長が出るなどという事件も起きている。
 今回のこの艦隊はマーケット作戦の支援任務らしいのだが、命令を出したのはザフト上層部ではなく、エザリア・ジュールであるらしい。エザリアは軍政面を代行しているのであって軍令に権限は持たないはずなのだが、ザフトの持つ組織系統の曖昧さゆえにこんな違反がまかり通ってしまっているのだ。急造な上に階級も無いという軍隊なので、責任の所在も明確でない問題ありまくり組織の弊害がまともに出てしまっている。

 このパトリックとエザリアに別れているのがプラント強行派で、これとは別にシーゲルを中心とする穏健派や、中立派なども存在する。この中立派はどっちつかずの態度を見せているが、穏健派には密かに強行派以上の過激集団であるラクス派があって水面下で暗躍していたりするので、プラント内はかなり物騒な状態になっていると言える。
 だが、一番不幸なのはこれ等の派閥争いに加わっていない無派閥の軍人達だろう。無派閥は実直、もしくは欲が少ないだけに全ての勢力から使い倒されてしまう。今回の部隊もエザリア、いや、その裏にいるクルーゼの目的の為にこんな無茶をさせられているのだから。




 

 孤立した東アジア第4軍を救出するべく救出部隊の編成に入ったサザーランドだったが、とりあえず負傷者の救助と増援部隊を急ぎ第4軍に送る事にした。これは輸送機部隊で運ばれ、直接第4軍の勢力圏内に届けられる予定だ。空輸だけにそれ程の大部隊は後れないので、選ばれたのは最大戦力であるアルフレット指揮下のMS部隊となった。
 命令を受けたアルフレットは部下の中から実戦経験を持つ者と、新兵の中でも成績優秀な者を選んで2個中隊を編成した。他にもアークエンジェル隊からキラが混じっている。アルフレットはどうしようか迷ったのだが、新兵3人とキラ1人ならキラの方が戦力になるのは確実なので、サザーランドとマリューの許可を取り付けた上で同行させたのだ。はっきり言ってしまうと、アルフレットの指揮下には戦えるパイロットはまだ少ない。
 実戦部隊2個中隊の他にも支援部隊として整備中隊が同行し、電力供給車やMSキャリアー、ビームエネルギー運搬車などのMS部隊を維持するのに欠かせない装備を持って来てくれる。良く勘違いされるが、MSのビームライフルはビームであってレーザーではないので、ビームエネルギーは消耗したら補充しなければ撃てない。
 この部隊を運んだのは大型VTOL輸送機のユニオンで、1機当たり1機のMSか60tの物資を運ぶことが出来る。MSは本来は少々過積載といえるが、何とか運ぶ事が出来る。
 この輸送機部隊を護衛したのはアークエンジェル隊から特別参加したフラガとキースを特別に含んでいるマドラス駐留の第88航空隊で、サンダーセプターとスカイグラスパーの混成部隊だった。そのパイロット達は全員やたらと腕が良いようで、途中で遭遇したラプターの編隊を軽々と駆逐して輸送機部隊を無事に第4軍の勢力圏下に送り届けている。
 第4軍と合流したアルフレット隊は早速MSと物資を搬出し、運んできたMSの点検と補給を始めた。2個中隊あるので、とりあえず1個中隊だけでも即応可能にしておかなくてはならないのだ。
 整備班が忙しそうに走り回る中で、パイロットスーツを着たキラが第2中隊を任されているボーマンと一緒に機材の間を歩いていた。

「何と言うか、忙しそうですね」
「それはまあな。最前線に出てきたんだし、急いで戦闘体制を取らないと」
「アークエンジェルだと、こんなに慌しくは無かったんですけど」
「あれはMSの運用を前提に建造されてるからな。設備が整ってるから楽なのさ。でも、ここには作業台も満足に無いんだ。整備兵の苦労は相当な物さ」

 初めてアークエンジェル以外の部隊と行動を共にした為、キラはこれまでの常識との差にショックを受けていた。まさか、他の部隊ではこんなにMSの整備に苦労していたなんて。
 キラ自身は遂にこれまで使っていたGAT−X105が廃棄処分とされてしまい、代替として量産型のGAT−105Dストライクを支給され、アルフレットのG型と同じく空戦パック装備でここに持ってこられている。D型はX型を格段に改良した実戦モデルで、バッテリー容量からにパイロットの操作性とレスポンスの向上、整備性などの改善が行われている。これをテストしたキラは本当に同じストライクかと疑ってしまったほどだ。

「ところで、アルフレット少佐は?」
「少佐は軍団司令部さ。到着の報告と、現在の戦況を聞きに行ったらしい」
「そうですか」

 まあ、居たら居たでまた何言われるか分からないので、静かで良いかもしれない。などと不謹慎な事を考えていると、持って来たコンテナの山の向こう側にとんでもない光景を見てしまった。その余りの衝撃にキラが足を止めてしまう。
 いきなりキラが足を止めたのをみて、ボーマンも足を止めた。

「どうした?」
「あ、あれ……」

 キラは震える指で自分の見たものを指差し、それを追ったボーマンはキラが見た物を知って眉を潜めた。それは野戦病院と、収容しきれずに野晒しにされている負傷者の大群であった。

「酷い戦いだったらしいからな。負傷者は2万人に達するそうだ」
「に、2万人、ですか……」
「死者は1万、重傷者は3千だそうだ。無様な戦いをしたものさ」

 ボーマンの声は酷く苦々しい。大西洋連邦の第10軍と呼吸を合わせて撤退すれば退けただろうに、判断を誤ったためにこんな犠牲を出してしまっている。兵士の命など軍にしてみれば安い物ではあるが、それでもこの数は無視できない。
 並べられている数え切れない負傷者にキラがガタガタと震えているのを見て、ボーマンは少し意外に思った。

「なんだ、負傷者を見るのは初めてか?」
「い、いえ、そんな事は無いんですが……こんなに沢山見たのは初めてです」
「そうか。君はアークエンジェルでずっと戦っていたんだったな。それじゃあ仕方が無いか」
「どういう事ですか?」
「アークエンジェル隊の武勇伝は有名だからな。『負け知らずのアークエンジェル』と言えば、何処の戦線でも知らない奴は居ないよ。何しろ宣伝放送で散々流されたからな」
「せ、宣伝、ですか?」
「そうそう。やっぱりエンディミオンの鷹ムウ・ラ・フラガ少佐とか、エメラルドの死神キーエンス・バゥアーといった有名な人たちは色眼鏡がかかるからな。エースパイロットと聞くとみんな憧れるもんさ」
「…………」
「どうしたヤマト少尉、いきなり立ち止まって顔を右手で押さえたりして?」
「いえ、ちょっと眩暈が」

 エース。それは多数の敵機を1人で叩き落す優れたパイロットに飲み与えられる最強の称号。その名は聞く者に確証のない幻想を抱かせてしまう。実はそのエンディミオンの鷹と呼ばれる男が女性関係で人には語れぬ情けない過去を山ほど抱えていたり、エメラルドの死神と呼ばれる男が元ブルコスで趣味が妙に年寄りぽかったりするのだが、そんな事を知らない人たちは彼らの名に憧れを抱いてしまう。そして現実の彼らと会った時、その現実とのギャップに苦しむのだ。
 キラも行く先々でこのイメージばかりが先行した評価を耳にしており、その都度現実を教えてやろうかという誘惑に駆られていたりするのだ。実はフレイも真紅の戦乙女としてフラガやキースと一緒に報道されており、紅一点扱いで、何故か画面に可憐だとかの可愛い表現が出ることがある。その実体はポケットからハリセンでも何でも取り出せるツッコミ娘で、感情の起伏が激しくて扱い難いことこの上ないのだが、やはり人々はその実体を知らない。

「世の中、何か間違ってますよね」
「……何か、悩みでもあるのか?」
「ええ、こう色々と、人間関係とか自分の人生とか。最近の女の子って逞しいなあとか……」
「そうか、君も苦労してるんだな」

 妹にボコボコにされている身として、何故かキラの悩みに感じ入る物があったボーマンはうんうんと頷いていた。それを見たキラが意外そうな顔でボーマンを見上げている。

「あの、中尉もそんな経験が?」
「ああ、俺にも妹が居てね。まあ外見は美人なんだが、これが腕っ節は強いわ性格はガサツだわで。外見に騙される馬鹿は多いんだけどな」
「……身につまされる話です」

 フレイとカガリですっかり若者の幻想を打ち砕かれてしまっているキラとしては、その騙された馬鹿に親近感さえ感じてしまっていたりする。実はキラ自身も随分擦れてきているのだが、人間とは自分の事は分からない生き物なのである。




 

 暫く味方部隊の状態を見回っていたキラとボーマンは、予想以上に大きな被害を受けている事に衝撃を受けながら仮設の詰め所まで戻ってきた。驚いたことに車両と呼べるものはほとんど残ってなく、僅かに物資を積んだトラックと機動病院車が何故か沢山残っているくらいだ。どうやら軍所有の機動病院車を全てここに集中させているらしい。これで重傷者を治療しつつ、軽傷者や助かりそうに無い者を野戦病院に回している。
 この野戦病院を見てきた2人はそれぞれに暗い表情をしている。特にキラは血の気が失せ、足元も覚束ない様子でフラフラと歩いている。
 詰め所には既にアルフレットが戻ってきていて、戻ってきた2人を見て声をかけようとしたのだが、様子がおかしいキラを見てボーマンに何があったのかを問いかけた。ボーマンは少し躊躇ったものの、近くの野戦病院を見てしまったのだと答えた。それを聞いてアルフレットは顔を顰め、困った顔でキラを見る。

「何を見てきた?」

 アルフレットの問いに、キラはそこで見た来たものを語った。四肢を失くした者、千切れた腕や指をまだ繋がるとでも思っているのか、大事そうに持っている者。痛みを堪えきれずに大声で喚く者。そして既に見限られ、死を待つだけとなっている者。
 無限とさえ感じる死者の群れの中を白衣を着た衛生兵や軍医が走り回っていたが、負傷者の数に対して彼らの人数は余りにも少なすぎるようだった。
 治療が間に合わない者、致命傷を負っており、もはや手の施しようのない者が1人、また1人と見ている中で息絶えていく。そして、命の火が消えかけている者に縋りついて呼びかける仲間、既に死んでしまった戦友に泣いている者たち。
 そして、死んだ者はもはや人としては扱われなかった。余裕があれば、人数が少なければ墓を作って弔う事も出来ただろう。孤立した状況でなければ死体袋に入れられ、本国に送ることも出来たかもしれない。だがここは敵の包囲下であり、死者と負傷者は数え切れないほどに居る。医薬品も医者も数は足りず、衛生環境は最悪に近い。そんな状況下で死者を放置しておくことは出来ないのだ。
 死んだ将兵は認識章だけ残して工作車両が掘った大穴に纏めて放り込まれていた。地面に次々に放り込まれていく死体を見て、キラの精神は瞬く間に擦り切れてしまったのだ。しかもその死体には自分と同年代の少年少女の姿も多かった。中には使う予定の無くなった車両用の燃料で焼かれている死体もあったが、大半は物のように穴に放り込まれていたのだ。残酷と言われるかもしれないが、衛生問題を考えれば処理してしまうしかない。本当は焼くのが一番なのだが、全ての死体を焼くだけの燃料などありはしない。人間とは燃え難いのだ。
 穴に放り込まれる予定で積み上げられた死体の山の前で泣き崩れる少女兵が居る。運ばれてきた死体から認識票や遺品を剥ぎ取って袋に入れる少年兵が居る。地面に両膝を付いて嘔吐している少年兵が居る。死んだ戦友の前で泣き崩れる少年兵を慰めている30前ほどのベテランも居る。
 何の予備知識もなく、いきなりこんな地獄に足を踏み入れれば普通の人間なら感性が磨耗し尽くして平静を失うだろう。キラが心身喪失しかけているのも無理は無い。場数を踏んでいるボーマンでもかなり参っているくらいだ。

 話の途中からキラは半泣き状態になり、話し終わる頃にはもう泣き出す寸前という状態になっていた。戦場神経症にかかった兵士に見られる軽い精神錯乱状態なのだろう。どうにも情緒不安定で、このままではとても使い物になりそうも無い。
 だが、アルフレットはキラを下がらせるつもりは無かった。精神錯乱状態だろうがなんだろうが、自分達がここから生きてマドラスに戻るには救援軍が到着するまで防衛するしかないのである。貴重なストライクに乗り、数々の修羅場を潜ってきた歴戦のパイロットを外す余裕などあるわけが無い。例えまともに戦えなくても、ストライクなら弾避けくらいにはなるのだ。

「坊主、悪いが戦うのが嫌だとは言わせねえぞ。戦わなけりゃここで死ぬことになるんだからな」
「……わ、分かってますよ」
「分かって無くてもコクピットに放り込むから、まあ良いけどな。それじゃあ、ちょっと付き合え。これから第16師団司令部に行くから」
「はあ、何で俺たちが?」

 ボーマンが素っ頓狂な声を上げてアルフレットに講義したが、アルフレットは困った顔で右手で頭を掻き出した。

「いや、それがな。今動けそうなのがお前らくらいしかいねえんだな」
「何でです?」
「まあ、理由は坊主と同じだよ。いや、坊主のがまだマシだな。死体の山見てどいつもこいつも腰抜かしちまいやがった。たく、新米警官でももう少し度胸が据わってるぜ」

 ようするに、それだけ軍人が少なくなったということだ。アルフレットのような戦前から訓練を積み、開戦から実戦経験を積んできたような軍人はめっきりと少なくなってしまった。今では軍の中で大勢を占めるのはキラやフレイのようなエセ軍人ばかりになっている。いや、その中ではキラやフレイはまだマシな部類に入る。2人はヨーロッパでは市街戦に巻き込まれて逃げ回った経験があり、多くの死体を目の当たりにした事があるからだ。他にも自分がザフト歩兵から逃げ回った経験もある。それらが無ければキラも完全に役立たずになっていたかもしれない。

「他に連れてきたベテランは全員他の仕事言いつけちまったんで、出払ってるんだよ。それでまあ、この忙しい時に今までどこかをほっつき歩いてた小隊長に同行願おうと思ってるわけだ」
「は、ははははは……」

 今までどこかをほっつき歩いてたボーマン中尉はアルフレットの非難の視線に愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。ちなみに、キラに拒否権は無い。




 

 アルフレットに連れて行かれたのは他のに較べて二回り程大きな天幕で、入り口には歩哨が立っていた。その中にはくたびれた顔の中年の将官が1人と佐官が4人居て、なんとも暗い雰囲気で地図を眺めている。それはキラから見ても負け犬の顔をしていた。

「マドラス駐留MS隊隊長を務めております、アルフレット・リンクス少佐であります」
「第1中隊、第2小隊隊長のボーマン・オルセン中尉であります」
「ア、 アークエンジェル隊所属、キラ・ヤマト少尉です」

 他の2人に較べるとまるで様になっていない敬礼をするキラ。だが、そこに居る高級士官たちにはそんな些細な事を気にするような余裕は残されていなかった。

「挨拶はいらんよ。楽にしたまえ」

 師団長は答えるのもおっくるうだと言いたげに左手を軽く上げ、ドサリとパイプ椅子に腰を降ろした。

「君か、サザーランドが貴重なMSを集中配備した部隊をまとめている司令は?」
「は、そうであります」
「それで、そのパイロット達にはこんな子供まで居るわけか。MSとやらは何時から子供の玩具になったのかね?」

 師団長の目に憤りと妬みの色が浮かんでいる。数十機のMSを集中配備されたアルフレットの部隊はインド方面軍の切り札とも言える最強戦力であり、そこのパイロット達は日々訓練に励んでいる。だが、それは同時に最強の部隊が後方の安全な場所に温存されていると言うことだ。これだけのMSがあれば自分達がこんな惨めな境遇に追い込まれることも無かったのだとこの師団長は思っているに違いない。
 だが、アルフレットはその事に付いては何も言わなかった。この師団が全滅状態に追い込まれているのは確かに同情するが、MSの戦略的運用に関しては自分には責任も権限も無いからだ。
 むしろ、大西洋連邦第10軍が撤退に成功している事を考えれば、全ての責任は東アジア第4軍を率いていたソン・ツー・リン大将にあると言える。

「我々はこの7月6日にザフトの攻撃を受け、後退を余儀なくされた。その後第4軍司令部の作戦に従って失地回復の為に反抗に出たのだが、結果は……我々の敗北に終わった」
「半日、たった半日の戦闘で3千人が戦死したんだ!」

 師団長が地図の置かれている長机に両手を叩きつけて叫んだ。それを参謀たちが慌てて押さえ込んでいる。
 この司令官と参謀達を見て、アルフレットは情けなくなってしまった。こんな連中に率いられて戦死した若い兵士達がいっそ哀れにさえ思う。軍団司令部の連中も頼りにならないという印象を受けていたのだが、こんな指揮官に率いられたのでは戦力がもう1個師団あったとしても同じ結果に終わっただろう。これではまさに負けるべくして負けたと言うしかない。
 アルフレットが脳内妄想で自分と参謀達を殴り倒している事を知る由も無い師団長は、アルフレットにとんでもない命令を出してきた。

「少佐、君の仕事は我が軍が脱出する為の退路を切り開くことだ」
「はぁ? ちょっと待ってください。我々は救出部隊が敵部隊を突破して退路を作るまでの間、第4軍と共にここを守備するのが任務ですよ!?」
「少佐、ここは最前線で、指揮官は私だ。君は我が軍への救援部隊ではないのかね?」
「救援部隊ではありますが、うちの部隊の指揮権はマドラス司令部にあります。そりゃ多少の独断専行は認められるでしょうがね」
「なら独断専行してくれたまえ。既に我々は残存戦闘車両を結集して敵戦線に穴を開ける準備に入っているのだ」
「そんな、無茶ですよ。やるならせめて救出部隊の攻撃がある程度成功した時にするべきです。今やっても無駄死にするだけですよ!」

 とんでもない事を言い出す師団長にアルフレットは慌てて反対意見を出したが、冷静な判断力を何処まで残しているか不明の師団長や参謀達に何処まで通じるかは微妙である。たかだか24機のMSが加わったくらいで戦局を変えられるのなら誰も苦労はしないというのに。
 このアルフレットと16師団司令部との討論を眺めていたキラは、隣にいるボーマンに小声で問い掛けた。

「あの、この人たち本当に偉い軍人さんなんですか? 今までに会った人たちに較べると随分と情けなく見えるんですけど?」
「今までに会ってきた人たちって?」
「ハルバートン提督と、クライスラー少将と、コリンズ大将と、サザーランド大佐とネルソン大佐にドミノフ大佐ですけど」
「……ハルバートン提督やクライスラー少将やサザーランド大佐と較べるなよ。あの人たちは実力でその名を知られてる人たちだぞ」
「そうなんですか?」

 軍人の知名度などまるで興味が無かったキラはぜんぜん知らないのだが、ハルバートンやサザーランドはザフトに憎まれているほどに著名な軍人である。この2人のせいでザフトの侵攻計画は大幅に狂わされていると言ってもいい。クライスラーはカスタフ作戦を初めとする幾つかの作戦で重要な役割を果すなど、実戦部隊指揮官として名を馳せている。
 彼らが直接指揮をしていれば、わざわざキラたちが出てくるような事態にはならなかっただろう。しかし、今回はクルーゼが有能だったと言うよりもこの師団長達が無能だったと言う方が正しいに違いない。

 



 

 結局今日の話し合いではアルフレットが折れなかった為に突破口を開く為の攻勢作戦などという無謀極まりない攻撃は回避されたが、明日以降はどうなるか分からない。それに攻勢以前に敵が攻撃してくれば否応無く迎撃しなくてはならないのだ。
 全てはサザーランドが編成している救出部隊がどれだけ早くここに到達してくれるかにかかっているのだが、この辺りの問題で夢を見るには彼らは余りにも現実を知りすぎている。それ以前にクルーゼは必ず攻撃を仕掛けてくるだろう。その規模によっては自分達も第4軍と共に全滅するしかない。
 しかし、想像に反してクルーゼはせいぜい重砲を思い出したように飛ばしてくるくらいで、MSを先頭に押し立てての本格的な攻勢は仕掛けては来なかった。最も頑張っていたのは空軍で、両軍の航空部隊が熾烈な空戦を繰り返している。互いに制空権を求めて戦闘機を繰り出しあっており、この方面のザフト軍としては限界を超えているのではないかと思えるような消耗戦が行われている。
 だが、空の状況に反して地上は穏やかなもので、アルフレットたちは寧ろ拍子抜けすることになる。

 クルーゼが来ないことは良い事だ。と普段なら思うのだろうが、今回はちょっと違った。キラはまたしても変な人にからまれていたのだ。見た感じがくたびれたコートに安物の帽子を被った、全身茶色ずくめのかなり怪しい人である。

「やあ、君達がマドラスのMS隊?」
「は、はい」

 キラは何でまたこんなこんな人に話しかけられるのだろうかと我が身の不幸を呪ったが、そんな事で相手がどっかに行ってくれる筈も無く、男はキラに笑顔で話しかけてきた。

「ああ、僕は従軍記者のヘンリー・ステュワートというんだ。何処にでも居る自称ジャーナリストだよ」
「自分でそういう事言わないで下さい」
「僕は正直者なんだよ。なんたって何時でも何処でも真実を伝えるのが僕の理想だからね。僕にかかれば軍の機密事項からプラント評議会議長のスキャンダルまで何でも3流ゴシップ記事のネタにして見せるよ」
「……あの、そういう事をすると色々問題になりません?」
「勿論なるさ。先代の大洋州連合の国防次官の贈賄をすっぱ抜いた時は慌てて大洋州連合から逃げ出したからねえ」

 はっはっはととても楽しそうに話してくれるこの男に、キラはこの上ない危険な匂いを嗅ぎ取ってしまった。そう、この男は自分の命をルーレットのチップにして楽しめる危険人物だ。
 このヘンリー・ステュワートと名乗った男はひとしきり笑った後、何やら手帳を取り出してキラに幾つか質問をしてきた。

「君は確か、キラ・ヤマト君だよね?」
「そうですが、どうしてそれを?」
「取材のネタになりそうなものは一通り調べてあるんだ。君の事も勿論調べてあるよ。育ての両親とヘリオポリスに移住してたけど、ザフトの攻撃で成り行きでストライクを乗り回していたんだってねえ」
「ええ、まあ」
「流石はヒビキ博士の作り出したコーディネイターの最高傑作だけの事はあるよ。何の訓練も無しにあのクルーゼ隊を追い払えるなんてさ。いやあ、科学の発展は怖いよねえ」

 ヘラヘラと笑いながら聞かないことまでペラペラと喋る煩い男だが、その中に聞き捨てなら無い単語が混じっていることにキラは気付いた。そしてコーディネイターの最高傑作、それはアズラエルが口にした最高のコーディネイターのことではないのか。

「あ、あの、ちょっと良いですか?」
「何かな?」
「そのコーディネイターの最高傑作という話を、もう少し詳しく教えてくれませんか。それと僕にどういう関係があるんです?」

 このキラの質問に、ヘンリーは訝しげな顔になった。予想外の事を聞かれた、とでも言うのだろうか。

「あれ、君は自分の事を知らないのかい?」
「はい。僕の出生に、何があるって言うんですか!?」
「ふうん。こりゃ、ヤマト夫妻は真実を墓場まで持っていく気だったのかねい。こりゃちょっと予想外だったよ」

 少し困った顔でどうしたものかとブツブツ呟き続ける。最初はそれをどうしたものかと見ていたキラだったが、その顔にだんだん邪悪な笑みを浮かんでくるのを見て、すぐに逃げなかった事を激しく後悔することになった。

「そうだ、ここはひとつ、取引といかない?」
「と、取引?」
「僕は君の質問に答えられる限り答えてあげるよん。変わりに、君は僕の質問に全部答えること。どうかねい?」

 そう言ってニッコリと笑ってくれるヘンリー氏であったが、言動が余りにも怪しいので、キラにはただ警戒心を煽るものとしか映らなかったりする。
 この男こそヘンリー・スチュワート。大西洋連邦の大統領からプラントの議長にまでコネを持つ、とんでもなく顔の広い自称ジャーナリストである。




 

 このクルーゼの奇異にさえ思える動きは、完全に予定された行動である。クルーゼにしてみればここで第4軍を壊滅させても良いのだが、それよりもインド全体を攻略して自分の発言権を強化したかったのだ。それには第4軍などという小物ではなく、インド軍集団を撃破、ないしは無力化する必要があるのだ。
 そう、クルーゼの目標はマドラスの攻略、ないしは破壊である。

 諜報員からマドラスから相当数の兵力、とりわけMS部隊が動いた事を知らされたクルーゼは笑みを隠し切れなかった。これでマドラスの防衛力は激減したことになる。とりわけ厄介な相手であるリンクス少佐やフラガ、キースといったエースが移動したことは実にありがたい。もっとも、キースとフラガは何かあったら大急ぎで戻ってきそうではあるが。

「上手く行ったようだな。第4軍という餌でどれだけの大魚が釣れるかと思っていたが、思っていたよりは大漁なようだ」
「クルーゼ隊長、モラシム隊長に総攻撃の指示を出しますか?」
「アスランがまだマドラスから戻っていない。それに弱体化したとはいえ、戦力はまだ多いだろう。数を減らす程度の攻撃は許可するが、総攻撃は他の部隊が揃うまで待たせろ」

 できればもう少し引きずり出し、マドラスに蓄積された物資を強奪してしまいたい。ザフトは慢性的な物資不足に悩まされており、特に南米と南アジアでの同時攻勢では常にギリギリの綱渡りを強いられている。クルーゼが攻勢に出ない理由には、壊れたMSや車両が部品不足で直せない事や、弾薬が底をついているという笑えない現実もあるのだ。補給無しで山脈越えして、そのまま2個軍を敗走させたのだから圧勝とは言えるだろうが、実態は蝋燭が燃え尽きる前の最後の輝きでしかない。
 ここでマドラスに積み上げられているであろう大量の物資を強奪できれば、それは来るべきオペレーション・スピットブレイクの助けとなるばかりか、自分たちの笑えない現状を打開することも可能となるだろう。多分マドラスにはマーケット作戦の為に用意された物資の総量を越える量の物資が備蓄されている。
プラントは所詮人口2千万であり、プラントは100基しかない。しかもそのうちの1つは破壊されている。ここで生産された物資を地球まで運んできて最前線へ送らなくてはならないのだ。勿論親プラント国家の大洋州連合などの協力はあるが、これ等の国家はエネルギー問題でたいした生産力を持ってはいない。ようするに生産力で著しく劣っている側が長大な補給戦を維持するという最悪の状態なのだ。
これに対して大西洋連邦やユーラシア連邦、東アジア共和国は短い補給線で大量の物資を運ぶだけで済む。船舶量も違うので瞬く間に物資が集められるのだ。

 本来ならこんな条件で長期戦をやるなどという発想が間違っている。プラントとしては短期決戦以外に戦略は無い筈だが、和平交渉を纏められず、講和の時期を逸したままにここまで来てしまったのだ。プラントが攻められた側だということを考慮すれば同情の余地はあるが、地球に侵攻してしまった時点で泥沼になることを予想できなかったのは失態と言うしかないだろう。それだけの戦力があるなら地球周辺の制宙権を完璧にし、宇宙に上がってくる連合軍をひたすらもぐら叩きのように叩き続けたほうがマシだったろう。
 地球に降下したザフトは地上のマスドライバー基地を次々に攻略、ないしは破壊していったが、地上には当然ながら膨大な地上軍が存在し、宇宙では無敵を誇ったMSも地上では航空攻撃に撃破されてしまう。また、MSの装甲は戦車砲には耐えられず、二次元的にしか動けないMSは戦車に対して絶対的優位は確保できなかった。
 地上で消耗を重ねたザフトは、それでもマスドライバー基地を押さえるために戦線を拡大していき、さらに確保したマスドライバーを安全にする為に周辺地域を制圧する必要に迫られてまた戦線を拡大させていくという悪循環に陥ってしまった。
 そして一度拡大した戦線を縮小するのは容易ではない。それは膨大な流血を支払って得た支配地域であり、自分から放棄するなど冗談ではないとザフトは主張している。パトリックたちプラント指導部にしてみればこれ等の占領地域などに意味は無いので、マスドライバーを破壊して戦力を他の戦線に回したい所なのだが、今では広がった戦線の全てで連合軍との衝突が起きており、兵を引くタイミングも難しいのが現実だ。

 もっとも、クルーゼ個人としては現在の混沌とした世界情勢は望む所なので、現状に不満は無かったりする。戦力バランスが既に連合に傾いていることも理解はしているが、それを誰かに教えてやるつもりも無い。彼がマドラスを叩こうとしているのは、たんに戦力バランスを調整する為である。戦力のバランスが取れていれば戦局は混沌とし、戦争は更に長引くのだから。
 彼自身は周囲からパトリック議長派と見られており、パトリック自身もクルーゼを信頼しているのだが、既に彼はエザリアと繋がっており、パトリックに対しては敵対関係となっている。パトリックとエザリアは同じ強行派に属しているが、戦争の終わらせ方で対立しているのだ。強行派も穏健派も形はともかく、とりあえず早く終わらせたいと考えている点ではまだ地球連合の方が意見が纏まっているのかもしれない。
 
「補給部隊は何時ごろ到着する?」
「予定通りでしたら、3日後には」
「それまでにマドラスから更に兵力を引き離したい所だが、余り贅沢も言えんか。補給が届き次第、牽制をはじめさせろ」
「ですが、そう上手くいくでしょうか?」
「上手くいくかではない。成功させるのだよ」

 不安を見せる部下に、クルーゼは冷笑混じりに答えた。まあ、ここまできてしまえばそう簡単にマドラスまで戻れるものではない。こっちは時間さえ稼いでいれば良いのだ。

「あとは、モラシム隊の健闘に期待するとしようか」

 アルフレット率いるMS部隊が欠けていれば、マドラスを攻略するのはさほどの難事ではないとクルーゼは考えている。それだけの戦力がモラシムの元には集っているのだから。




人物紹介

ヘンリー・ステュワート 男性 42歳
 恐らく本作においてかなり上位に食い込むであろう変人。自称フリージャーナリストで、その知識量だけは桁外れ。だが、その知識を愉快犯的に使うため、毎度毎度碌な事をしない。実はメンデルコロニーの研究の出資者の1人で、キラの事を良く知っている人物でもある。その実家はかなりの資産家。ただ、かなりの放蕩者で、メンデルへの出資も親の資産を食い潰して行っていたりする。



後書き

ジム改 折角戦場に行ったのに戦いは起きないのでした。
カガリ 変わりに、こっちの方が危なそうなんだけど。
ジム改 大丈夫だ。マドラスにはまだトールがいる。
カガリ …………
ジム改 なんだ、その沈黙は?
カガリ いや、ディアッカやニコルにも負けそうだからさ。
ジム改 その2人は雑魚基準にされるほど弱いのかい。
カガリ 違うのか?
ジム改 いや、一応強い筈なんだが。
カガリ フレイにボコられたり、フラガにボコられてるし。
ジム改 ……否定できんな。
カガリ でも、キースもフラガもキラもいない今なら、私が大活躍することも十分可能だな。
ジム改 カガリ、悪いがアサルトライフルじゃMSは倒せないんだ。
カガリ MS寄越せよ!

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