第76章  時の流れの中で




 調整体。そう呼ばれた戦闘兵器が作られた事がある。それは遺伝子操作技術が暴走して歯止めが利かなくなった研究所において、自らの技術がいずれ自分達に牙を向く日が来る事を予感した一部の研究者がそれを止められるだけの力を持った兵器を、自分達を守る為の剣を作り上げようとした。
 それは人類の未来を憂慮した上での行為であり、表面だけを見れば非難される研究ではなかったかもしれない。また、この研究が開始されたという事は、当時の研究者たちが自分たちの研究が狂気のレベルに達しているという事を認識していたという証左でもあり、その事は喜ぶべき事であっただろう。人は最悪の事態に達する前に引き返そうとしていたのだから。
 だが、そんな事情は研究の犠牲となった者たちには関係の無い事である。その研究は確かに将来の脅威に備えたものではあっただろうし、大多数を救うための研究であっただろうが、犠牲となったごく少数にとっては容認できる筈の無い行為である。
 そして、その犠牲者達が今、16年の時を超えて再会するという幸運に恵まれる事となった。

 セカンドと呼ばれた女性、エレン・コナーズは警戒心を向き出しにしてキースを睨みつけていた。自分をその通しナンバーで呼ぶという事は、目の前の青年はメンデルの関係者だという事になるのだから当然だろう。
だがしかし、目の前の青年は何故か困惑と嬉しさが混濁した、何とも表現し難い表情をしているではないか。一体この青年は何者なのだろうか。

「貴方は、誰ですか?」
「……まあ、俺もでかくなったし、分からないのも無理は無いか」

 エレンの言葉にキースはわずかばかりの寂しさと浮かべた後、小さく頷いて自己紹介をした。

「俺は大西洋連邦軍大尉のキーエンス・バゥアーだ。昔はセブンと呼ばれてたけどね」
「……セブンって、まさか、じゃ貴方は」
「ああ、久しぶりだね。今はエレン・コナーズと名乗っているそうじゃないか」

 呆然としているエレンに向ってキースはゆっくりと右手を差し出した。その手とキースの顔の間を何度も視線を往復させていたエレンは、信じられないような顔付きのままにキースの右手を両手で握り締めた。

「そんな、だって、あの研究所の惨状で生きてる筈が……」
「ま、色々あってね。研究所のバゥアー技師が襲撃から逃げる時に連れ出してくれたんだ。おかげで今こうしてる」
「本当に、本当にセブンなの。幻とかじゃなくて?」
「本当だって、信じてくれよ。しかし、会えて嬉しいよ。俺も生きてるのは俺だけかと思ってたからな」

 彼女が自分の事を信じられないのも無理はないとキース自身が良く理解している。もし自分が彼女の立場だったらやはり信じるのは難しいだろう。エレンはあの当時の面影をまだ残しているから分かるが、自分は当時まだ10歳前だったはずなのだから。実は自分の年齢が22歳というのも戸籍上のものに過ぎず、実際に幾つなのかは不明なのだ。
 結局キースはエレンのいくつかの質問に丁寧に答えていくことで何とか信じてもらう事が出来たのだが、信じて貰えたら貰えたで今度は抱きつかれるわ首絞められるわで大変であった。
 それでも何とかエレンが落ち着きを取り戻した後でキースは彼女のために用意されたステージとも呼べない木箱を積み上げただけの舞台の傍に案内され、ここで歌うのだと教えられた。

「ここで歌うって、これってステージでも何でもないだろ。もっとちゃんとした設備を用意すれば良いだろうに」

 キースの問いは当然ものものだったろう。世界的にある程度名を知られた歌手が歌う舞台としては、これは余りにもお粗末過ぎる。幾らなんでも失礼ではないかと思ったのだ。
 だが、エレンはキースの疑問に笑顔で首を横に振っていた。

「そんな事はないわセブン、じゃ無いわね、キースで良かったかしら?」
「ああ、キーエンス・バゥアーだが、知り合いはキースって呼ぶからそれで良い」
「そう、じゃあキースで」

 エレンはそうことわった後で、キースの問いに答えだした。

「そこに観客がいれば、聞きたいと言ってくれる人がいるなら、そこが私のステージよ」
「でも、そんなんじゃお金が入らないだろ?」
「勿論、普通の仕事で歌うならそれなりの金銭は貰ってるわ。でもこれはお仕事じゃない。私がやりたくてやっている事なのよ」
「やりたくて、やっている事?」

 エレンの言葉にキースは首を捻ってしまった。エレンは慈善事業がしたかったのだろうかと思ってしまたのだ。しかし、それにしては他の作業を手伝っている様子はない。見た所ここを設営しているのは彼女と難民たちのようなのだが。

「ボランティアがしたいって訳でも無さそうだが?」
「少し違うわね。私はただ、私の歌が少しでも苦しんでる人たちの生きる助けになれば良い、と思ってやってるだけよ。それに、これは私の先生の信条でもあるの」
「先生?」
「ええ、私はメンデルが襲われた後、地球に逃げ込んだのよ。でも戸籍も何にもない私には仕事なんて無くてね。最初のうちはここの人たちみたいにあっちこっちを流離ってたのよ。それも紛争地隊をね」

 キースがバゥアー家に引き取られていた頃、エレンは身一つで地球の紛争地帯で生きてきたというのだ。これは流石のキースも驚かずにはいられなかった。

「私が生き残れたのは、メンデルで訓練されてた人殺しの技術のおかげ。ゲリラに雇われてその日の食事を手に入れたり、戦争で廃墟になった村から食料を探したりして必死に生きてたわ」
「それが、何で今は歌手に?」
「そんな生活をしてる時に、難民のキャンプで歌ってる人に出会ったのよ。その人は別に有名でも何でもなかったけど、みんな足を止めて聞き入ってた。それが私と先生の出会いだったわ」

 昔を思い出しているのか、妙に懐かしそうな顔をするエレン。

「そこで私も聞き入っててね。それが切っ掛けだったんだろうな。私もあんなふうに歌えたら良いなって思ったのよ」
「それで、弟子入りしたっての?」
「まあね」

 何て強引でその場の勢いで動く奴だとキースは呆れてしまたが、その結果として今のエレンがあるのだから、その選択は間違っていなかったのだろう。

「しかし、よくその先生ってのも受け入れてくれたな?」
「先生の返事も結構凄かったわよ。やる気があるのなら付いてくるといい、なんて言ったのよ」
「どういう性格してるんだか」

 押しかけるエレンもエレンだが、それをそんな台詞で受け入れた先生とやらもかなり無茶苦茶な人物であるようだ。多分類は友を呼ぶという奴だろう。まさかエレンの才能を見ただけで見抜いたわけではあるまいし。

「それで、今は先生を見習って自分も苦しんでる人のために歌っているって訳か?」
「まあ、それも理由の1つ」
「1つ?」

 他に何があるのかとキースが問うと、エレンは妙にさっぱりした顔で空を見上げた。

「これはね、私の復讐でもあるの。私を勝手に改造してくれた人でなしどもに対するね」
「復讐? 歌を歌うことがか?」
「ええ、そうよ。人を殺す為に作られた私が人を助ける為に武器を使わず歌を歌って、苦しんでる人を少しでも助けようとしてる。こんな皮肉な話が他にある?」

 キースの問いになんとも楽しそうに話すエレン。それを聞かされたキースはこの女性の性格を改めて思い出し、頭痛を堪えるように額を押さえた。確かにそれは復讐になるのかもしれないが、それで良いのだろうかと思ってしまう。
 しかし、同じ復讐でも自分やフレイが選んだ手段よりは余程まともなのかもしれない。武器を使って敵を滅ぼそうとするより、彼女のやり方の方が多分正しいだろう。

「凄いんだな、エレンは」
「うん、何が?」
「いや、何でもない」

 キースの呟きを聞いたエレンが不思議そうな顔でキースを見たが、キースはそれには答えなかった。こんな恥かしい感想を口に出来るわけが無い。
 2人が舞台を前にそんな事を話していたら、なにやら荷物を運んでいた10歳くらいの女の子がこちらに駆け寄ってきた。誰かと思ってみていると、その女の子はキースにちょっと怯えたような目を向けた後、キースから距離を取るように回り道をしてエレンのスカートにガシっとしがみ付いた。

「ママ、この人だあれ?」
「この人はね、私の大切な友達よ。まだ話があるから、歌うのはもう少し待っててちょうだい」
「うん、分かった」

 エレンに言われた女の子は大きく頷くとまたとてとてと舞台のほうに走って行ってしまった。その後姿を見送ったエレンは改めてキースを見たが、キースは何故かポカンとした顔でこっちを食い入るように見ていた。

「どうかした、キース?」
「……お、お、お前、結婚してたのか!?」
「どういう意味よ、それは?」
「い、いや、あんたを貰ってくれる様な物好きがこの世に居るとは、俄かに信じにくブボラッ!」

 最後まで言い終わる事さえ出来ず、キースはエレンの打ち上げた右肘に顎を強打されて無様に地面を転がってしまった。

「まったく、少し見ない間に随分と口が悪くなったのね。昔はもっと口数が少ない良い子だったわよ」
「せ、世間の荒波に揉まれてれば、そりゃ口も悪くなるって」

 上半身を起こして顎を擦りながらキースは言い返した。あの一撃を受けて平然と起き上がるのだからキースの強度も大したものであろう。そしてよいしょっと掛け声を入れて立ち上がると、またエレンの隣まで歩いていった。

「酷いな、今のはかなり効いたぞ」
「その割には平気そうじゃない。私、結構本気で入れたのよ?」
「そんなんでよく結婚できたな。相手の男に同情したくなってきたぞ」
「う〜ん、結婚しては無いんだけどね。あの娘の父親の顔、私には分からないもの」
「は? 分からない?」
「まあね。だってあの娘、ゲリラ時代にどこかの兵士に襲われて出来た子供だもの」

 あっさりと話しているが、聞いているキースにしてみれば無茶苦茶な話としか思えない内容だ。そんな出鱈目な話が昔話のように出てくるというのだから、彼女がどれほど過酷な環境に置かれていたのかはキースには想像し難いものがある。

「ああ、同情はいらないわよ。もう昔の話しだしね」
「……まあ、本人がそう言うんなら、そうするが」
「そうして頂戴。辛気臭いのは嫌いだから。それに、あの娘は私の大切な娘には違いないんだからね」
「その事を、あの娘は知ってるのか?」
「まだ話してないわ。もう少し大きくなってから教えようと思ってる」

 流石にそこまで無茶な事はしてなかったらしいと知り、キースはホッとしてしまった。流石にあんな子供がそんな無茶苦茶な出生で悩むなんてのは可哀想としか思えない。
 エレンはこの話はこれで終りとばかりにキースの隣から1歩踏み出し、ステージの方へと歩いていこうとした。どうやら歌を歌うつもりになったようだと判断してキースは邪魔しないように隅っこで聞いていようかと思ったのだが、ふと何かを思い出したようにエレンが振り返ってキースに声をかけてきた。

「あ、そうそう、1つ言い忘れてた」
「ん、何を?」
「最後の1人にも私は会ったことがあるわよ。エイト、覚えてるでしょ」
「エイトって、あいつも生きてるのか?」
「ええ。今はユーレクって名乗ってて、傭兵家業をしてるそうよ」
「傭兵、ねえ。じゃあ、どこかで俺も戦ってるのかもな。でもあいつは確かまだ20前の筈だが、そんなんで雇ってもらえたのか?」

 勿論キースはユーレクがどういう存在かは知っている。あれは下手をしなくてもキラ以上の化け物だ。当時別部署で研究されていた戦闘用コーディネイターの技術と、自分達で培われた強化人間の技術を融合させた、理論上では比較対照が存在しないほどの化け物なのだ。もしエイト、ユーレクと戦ったら自分など相手にもなりはすまい。
 だが、ユーレクはエイトというナンバーが示す通り、キースより若い筈である。そんな男が傭兵家業なぞ始めても雇ってくれる物好きはいるのだろうか。キースはそう思ったのだが、エレンは酷く気落ちした表情で頭を左右に振っていた。

「驚かないでほしいんだけど、ユーレクはね、私が見た時は30歳を超えたくらいに見えたわ」
「……30過ぎって、それじゃああいつ、成長抑制剤は使ってないのか?」
「らしいわ。生きるだけ生きて、どこかでの垂れ死ぬ。そんな生き方が自分にはふさわしいって言ってたから、薬に頼って寿命を少しでも延ばそうなんて考えてないんでしょうね」

 なんとも刹那的な生き方だ。キースには理解し難かったが、それが彼の選んだ生き方だと言うのならば自分にはどうしようもない。それに何より、自分はユーレクとは会った事も無いのだから。
 エレンはそれだけ言うと、それまでの憂鬱そうな表情を改め、それまでの明るい表情を作ってキースに歌を聴いていってくれるのかを聞いてきた。キースはそれに頷く事で答え、エレンは嬉しそうに頷いてステージの方へと歩いていってしまう。それを見送ったキースは空を見上げ、高くなってきた太陽から降り注ぐ光に眩しそうに目を細めた。

「今日は、暑くなりそうだな」


 


 

 日が高くなってきた頃になって、キラはフレイが入院している軍病院へとやってきた。アークエンジェルを出たのが10時くらいであったから、ここに来るまでに何処かをウロウロしていたのだろうか。だが、病院の敷地に入ろうとしたキラはそこで守衛に止められてしまった。

「ああ、勝手に入らないで。ここは一応軍の施設なんだから」
「あ、でも、知り合いがここに入院してるんですが」
「面会希望者かね。事前の申請は?」
「そういうのって、必要なんですか?」
「まあ一応規則だからな。戦争なんか無ければそこまで煩く言う事も無いんだろうが、こんな御時世だからな」

 守衛の言葉にキラはガッカリして肩を落としてしまった。それを見た守衛がなんともすまなそうな顔をしたのが更にキラを暗澹たる気持ちにさせてしまう。この守衛も別にキラの意地悪をしたくてこんな事を言っているわけではないのだ。
 それで仕方なく引き返そうかと踵を返したキラに、守衛がちょっと待つように声をかけてきた。

「待ちたまえ。今ちょっと入れて良いかどうか確認を取ってみる」
「良いんですか?」
「聞くだけなら構わんさ。もしかしたら入れてもらえるかもしれんし、状態くらいは確かめられる」

 そう言って守衛は誰に面会に来たのかを問い質し、キラの答えを聞いた後電話を取ってどこかと話し始めた。キラはそれを暫し戸惑い気味に見ていたのだが、その時背後で靴音が聞こえてきたので振り返ってみると、そこには40歳くらいに見えるカーディガンを羽織った女性が花束と紙袋を手に立っていた。
 どうやら病院に見舞いに来たようだと悟ったキラは慌てて守衛の前から退いた。女性はキラに小さく頭を下げて守衛の前に立とうとしたのだが、それより早く話が終わったらしい守衛がキラに済まなそうに声をかけてきた。

「悪いな、中に入れてもらえそうも無い。君が尋ねてたフレイっていう女の子は意識は取り戻して、今は一般病棟に移ってるらしい。せめて誰か保障してくれる人でも一緒に居れば良いんだけどな」
「いえ、手続きをしてなかったのはこっちですし、また出直してきます」

 そう言ってキラは病院を後にしようとしたが、それを女性の声が呼び止めた。

「貴方、フレイ・アルスターさんに用事があったの?」
「え?」

 問われてキラは驚いた顔でその女性を見た。その女性はニコニコと微笑を浮かべてはいるのだが、何故かキラにはまるで品定めでもされているかのような違和感が付き纏ってしまっている。

「君の名前は?」
「え、ええと。キラ・ヤマトですけど」
「まあ、貴方がキラ君なの?」
「は?」

 何でこの人は自分を知ってるのだ。そういう疑問が頭の中を過ぎる。まさかまた最高のコーディネイター繋がりなのかといささか警戒してしまったが、相手から出てきた答えはキラの意表を突くものであった。

「いえね、アルからアークエンジェルにとっても面白くてからかい甲斐がある男の子が居るって聞かされてたのよ」
「アル?」
「アルフレット・リンクス。マドラスで会ったでしょう?」

 女性の出した名前にキラは吃驚仰天してしまった。まさか、あのアルフレット少佐の関係者だと言うのだろうか。頭の中にもはやトラウマも含めて刻み込まれているアルフレットの豪快な性格を思い出したキラは、知らず知らずのうちに身震いしてしまっていた。

「あ、この男の子の事は私の同行者という事で処理できるかしら?」
「それは出来ますが、クローカー博士のお知り合いで?」
「私の知り合いって言うより、私の亭主の知り合いなのよ。私が一緒に居るなら別に問題は無いんでしょう?」
「そりゃまあ、クローカー博士が一緒というなら構わないですが、余りこういうのは止してくださいよ」
「ええ、何度もやるつもりは無いわよ。明日からはちゃんと許可を貰ってきてもらうわ」
「それでしたら」

 そう言って守衛は女性に名札のような物を2つ渡し、受け取った女性はその内の1つをキラに差し出してきた。

「これを付けておきなさい。でないと、中に入った途端警備員に捕まって詰め所で詰問されるから」
「け、結構厳しいんですね」
「一応軍の施設だもの。これでもかなり緩い方なのよ」

 他国の基地になんか入ったことはないキラなのでその辺りの事はよく分からないのだが、逆らっても何の得もしないことは確かなので言われたとおりのその名札を胸に付けた。それを見て女性は後に付いてくるように言い、キラの先を歩いていってしまう。キラは慌ててその後を追っていき、ようやく病院に入る事が出来た。
 病院の中は軍病院というだけあって軍服を着た人間が多かったが、それ以外は普通の病院と差は感じさせなかった。まあ軍服を着た人がウロウロしていたら普通の病院なら客が何事かと驚くだろうから、これで良いのかもしれないが。
 辺りをきょろきょろと見ているキラが可笑しいのか、クローカーが苦笑混じりに聞いてきた。

「病院が珍しい?」
「あ、いえ、そういうんじゃなくて、軍病院って言っても普通の病院だなあっと思って」
「それはそうよ。病院なんてやる事は何処でも同じだもの。でも、軍病院の医師は良い腕よ」
「……軍医の腕が良いのは分かりますよ」
 
 クローカーの言葉にキラも頷く。これまでの戦場でキラも多くの死者や負傷者を目の当たりにし、彼らを助けようと必死に頑張る軍医の姿も見てきた。その手際の良さは素人のキラから見ても大したものだと思ってしまうほどだった。

「ところで、あの、ええと……」

 クローカーに何か聞こうとしたは良いが、名前を思い出せずにそこで止まってしまった。その様子を見たくローカーはくすりと笑みをこぼすと、改めて自己紹介をしてくれた。

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はクローカー、クローカー・リンクスよ。モルゲンレーテで働いてる技術者なの」
「そうですか。僕はキラ・ヤマト、大西洋連邦のパイロットです」

 自己紹介をしてキラは改めてクローカーに聞いた。どうして自分を入れてくれたのかと。それに対してクローカーはキラやフレイの事はアルフレットから良く聞いていたし、映像も見たから知っていたからだと答えてくれた。それを聞かされたキラはアルフレットが自分をどういうふうに紹介したのか非常に気になったのだが、聞いてもクローカーは教えてくれそうではなかった。
 そして、暫く歩いた2人はようやくフレイの病室へとやってくる事が出来た。扉をノックし、中から声が聞こえたのを確認してキラが扉を開けると、そこにはベッドの上で上半身を起こしてボールペンを片手にクロスワードをやっているフレイの姿があった。

「…………」

 てっきり重症でベッドの上で動けないでいると思っていたキラは硬直してしまった。何でこんなに元気そうなのだろうか。たしか、アークエンジェルで手当てをしていた時は早く病院に運ばないと命に関わるほどの怪我だったはずなのだが。
 フレイはボールペンを動かす手を止めて扉の方を見やり、そこに何故か立ち尽くしているキラを見て首を傾げてしまった。

「あの、どうかした、キラ?」
「……フ、フ、フレイ、元気そうだね」
「ええ、まあ……」

 何でそんな事を聞いてくるのか分からないフレイはどうしたのかとキラに問いかけようとして、その背後に見知らぬ女性がいるのに気付いた。

「キラ、その人は誰?」
「え、ああ、この人はね」

 問われたキラがクローカーを紹介しようとしたが、それには及ばないと視線でキラを制したクローカーは病室に入ると自分で自己紹介をしてきた。

「初めましてフレイさん。私はクローカー・リンクス。あの人から、私のことは聞いていると思うけど」
「……あ、もしかして、アルフレット少佐の奥さんですか?」
「ええそう。貴女の事はアルから何度も聞かされていたわ。一度会ってみたいとは思ってたけど、まさかこんな所で会うことになるなんて」

 軍病院に入院している兵士を見舞いに来るのが最初の出会いでは、流石に苦笑するしかない。フレイもそれについては同感なのかクスクスと笑っている。そしてフレイは視線をキラに転じた。

「キラ、いい加減中に入ったら?」

 この時、キラはまだ扉を開けたまま動いていなかったりする。相変わらず気持ちを切り替えるのが遅い男だ。

 結局の所、フレイは出血多量ではあったが、血管の傷さえ塞げば後は大した事は無かったらしい。アークエンジェルの軍医が焦っていたのもフレイの出血を止められなかったのが原因だったそうだ。
 ただ全身の数箇所で骨にヒビがはいっていたり突き刺さった破片の傷が深かったりと決して軽傷と言えるレベルでもなく、フレイは全治3週間を言い渡されていた。3週間もあればアークエンジェルは悠々と目的地であるアラスカまで到達できるので、そこでキラたちが除隊する事を考えればフレイがここで降りても余り変わりはしない。どうせここから先にはザフトの有力部隊はいないのだ。
 そういう判断が働いたのだろうか。フレイには既にオーブ軍を通じてマリューから軍からの除籍が伝えられていた。アラスカの本部はかなり難色を示したらしいが、重傷者を連れて行くことも出来ないので結局は了承されたらしい。
 この事をフレイから伝えられたキラは少し戸惑っていた。だが、フレイが辛そうな顔で謝ってきたので今度は少し慌ててしまっている。

「ごめんなさい。最初に軍に飛び込んで、みんなを巻き込んだ私が、一番最初に軍から抜けちゃうなんて、ずるいよね……」

 これはフレイがずっと気に病んでいたことだ。こんな戦争にみんなを巻き込んだのは間違いなく自分なのだという負い目がずっと彼女にはあったから。でも、キラはフレイの除隊をむしろ素直に喜んでいた。

「ずるくなんて無いよ。むしろ、これで良かったんだと思う」
「なん、で?」
「だって、オーブにいればもう戦う事もないんだし、僕もフレイが危ない所に行かないから安心できる。それに、君にはやっぱり戦場は似合わないよ」
「でも……」
「きっと、サイも同じ事言うと思うよ。フレイはオーブに残って体を治して、僕たちが帰ってくるのを待っててよ」
「キラ……」
「僕たちもアークエンジェルをアラスカに届けたら、ちゃんと戻ってくるからさ」

 これはキラの本心だ。フレイが撃破されたのを見たとき、キラは言い知れぬ恐怖に支配されてしまったのだから。もうあんな思いをするのは2度と御免だと考えているキラにしてみれば、安全なオーブでフレイが待っていてくれるならその方がずっと嬉しいのだ。それに、フレイが強いのは認めているのだが、やはり女の子が戦場でMSに乗っているというのはキラにはおかしいと思える。
 フレイはこのキラの言葉にコクリと頷きはしたが、表情が晴れることは無かった。やはり先に脱落してしまう者の負い目というものがあるのだろう。

 結局この日、フレイがキラに対して笑顔を見せることは無く、やがて医師の診察の時間が来てキラは追い出されてしまうことになった。何故かクローカーは留まることが出来たのだが、立場が弱いキラは今日は大人しく引き上げるしかなかったのである。






 そして、アスランたちはようやく地球への降下軌道近くまでやって来ていた。激減した船団は残された補給物資と人員だけでも地球に届けようと危険を冒して地球圏までやってきたのだ。ただ、アスランとニコルだけは往還シャトルでオーブの宇宙港に降りる事になっているので、途中で別れる事になっていた。オルマト号はその為に船団から離れ、わざわざオーブへの降下軌道まで連合の目を掻い潜りながらやってきたのである。
 そのシャトルがオルマト号からの発進準備を終えるまでの間、アスランとニコルはオルマト号のクルー達と別れの挨拶を交していた。アスランはダナン船長と握手を交し、彼の操艦の腕を褒め称えていた。

「見事な操艦でしたダナン船長、貴方でなければ、我々はここまで来れなかった」
「いえいえ、お客様を安全に目的地までお送りする。それが私たちの仕事ですから」
「出来れば、帰る時もこの船で帰りたいですね」
「その時は終戦後の復員船である事を願いますよ。正直、連合の監視網を掻い潜ってデプリの中を航行するのは疲れますからな」

 そう、ここに来るまでにオルトマ号は連合とザフトの戦争デプリが漂う宙域をわざわざ選んで航行してきたのだ。普通はそんな所を通るのは自殺行為なのだが、オルトマ号クルーの卓越した操艦技術と民間船時代からのこの辺りの航路への慣れがこの無茶を可能としていた。こんな真似はザフトの戦艦乗りにはできない。
 アスランと握手していた手を離したダナンは懐からコーンパイプを取り出して火をつけると、大きく吸い込んで煙を満喫した後、ゆっくりと吐き出した。

「ふう、やはり仕事をやり終えた後の一服は格別です」
「船長、またこんな所でタバコ吸って!」

 直ぐにユーファが見咎めてきたが、それをアスランがまあまあと制した。

「良いじゃないか。あんな無茶をやってくれた後なんだ。タバコくらい大目に見てやってくれないか?」
「ザラ隊長、そういう態度が規則が破られる第一歩なんです!」
「いや、だからそこまで杓子定義にしなくても……」

 まるでエルフィみたいに生真面目なユーファに、アスランはすっかりたじたじになってしまっていた。なお、ターゲットから外されたダナンはその隙にさっさとパイプの中のタバコを全て灰にしてしまっていたりする。今回はダナンの逃げ切りで終わったようだった。
 これを見たユーファが矛先をアスランからまたダナンに移したおかげでアスランは何とか虎口を脱することが出来たのだが、今度は別の強敵の襲撃を受ける事になった。

「ザラ隊長、今度会うときはもっと腕を上げてますから!」
「うおっ、ル、ルナマリアか!」

 ユーファが離れたと思ったら今度はルナマリアに絡まれているアスラン。実は女性の扱いが苦手なアスランは押しの強いルナマリアが大の苦手であったりする。

「こ、今度って、君はこれからカーペンタリアで訓練を受けて、前線に行くんだろう。俺とはここでお別れだと思うんだが?」
「大丈夫、部隊の志願先をザラ隊にすれば問題無しです!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれえ!」

 確かに訓練を終えたパイロットには配属先を志願で決めることがある程度可能だ。どうせならその兵士が戦いたい部隊に送った方がやる気にもなってくれるので、多少は我侭を聞いてくれる面もある。まあ追い詰められてる時はそんな事いってられない場合が殆どなのだが。
 もしルナマリアがザラ隊を志願してそれが受け入れられた場合、ザラ隊にまた女の子が入ってくる事になる。そうなると彼の部下の半数が女の子という異常な編成になってしまうではないか。

『俺は、俺は、もう周りを男だけで固めさせてくれ〜〜〜!』

 ルナマリアに詰め寄られながら、アスランは心の中で魂の絶叫を放っていた。傍から見れば羨ましい状態にも見えるのだが、少なくともアスラン自身はとても困り果てていた。




 この後オルマト号クルーや新兵達に見送られてアスランとニコルは往還シャトルでオーブ宇宙港を目指して離れていった。それを見送っているルナマリアは余裕の態度を崩してはいない。それを見て彼女と同じ赤服を着ていた長めの金髪の同僚が話しかけてきた。

「ルナ、本当にアスラン・ザラを追いかけるのか?」
「当然、私は一度決めたら最後まで追いかけるわよ」
「……やれやれ」

 その同僚は呆れたように小さく溜息を漏らし、踵を返して居住ブロックへ戻ろうとした。その後をルナマリアも追っていく。

「だが、ザラ隊に行きたいならもっと腕を上げないと無理だろう?」
「大丈夫よ。きっと何とかなるわ」
「毎度の事だが、その根拠の無い自信は何処から沸いて来るんだか」

 とりあえず、アスランの受難はまだまだ続くようであった。


 一方、地球に向けて降下しているアスランは、ようやく安堵したかのように深い深い溜息をついた後、窓から外に広がる地球の空を見た。

「地球か、なんだか久しぶりだな」
「ええ、前にカーペンタリアを立ってからそんなにたってないのに、もう随分時間が経ったみたいに感じます」
「帰ったらきっと書類で一杯なんだろうな。イザークたちが処理出来てるとは思えないし」
「あははは、案外新人のシホさんに押し付けて逃げ回っていたりするかもしれないですね」
「ニコル、冗談に聞こえないぞ」

 そうは言いながらもアスランは笑っていた。もっとも、それが半分くらい当たっているとは流石に思わなかったのだが。
 暫く笑っていたアスランはまた窓の外に視線を戻した。既に視界には雲が出てくるようになっており、だいぶ地上が近くなってきたのが分かる。だがその時、アスランは雲海の上を何かが飛んでいるのに気付いた。一瞬迎撃に上がってきた戦闘機かと思ったのだが、良く見るとそれは戦闘機、いや、飛行機ではなかった。
 それは角が生えた馬の様な生き物8頭に引っ張られている大きな橇であった。その橇には白い大きな塊が乗せられており、全身赤ずくめの人間が乗ってムチを振り回している。その速度は音速の2倍に達している。あれは一体なんなのだ。いや、分かっている。だが頭の中にある常識がその答えを激しく拒絶している。まさか、そんな馬鹿な話があるわけがない。まさか、あれはあの年末の1日で世界中の家に不法侵入して子供の部屋に忍び込むというあの伝説の……

「アスラン、どうしたんですアスラン?」

 ニコルに肩を揺さぶられてアスランはハッと我に返り、驚いてニコルを振り返った。

「な、なんだニコル?」
「いえ、なんだかアスランの様子がおかしかったものですから」
「そうか……いや、まだ疲れが取れてないだけだろう」
「そうですか? じゃあ、みんなと合流したら一眠りすると良いですよ」
「そんな暇があれば良いんだが」

 そう言ってアスランは苦笑を浮かべ、もう一度窓の外を見た。そこにはもう、あの妙な何かは見えなかった。



後書き

ジム改 ああ、今回は平和だった。
カガリ つうか、ユーレクって何?
ジム改 本作最強の化け物。前からそう言ってるではないか。
カガリ 金払えばオーブでも雇えるかなあ。
ジム改 金払えばね。
カガリ フレイはなんだか落ち込んでるし。
ジム改 まあ、ねえ。
カガリ 何より私がまた影も形も無い!
ジム改 まあその辺は気にするな。
カガリ 気にするわい。自国に帰ったのに何で影も形も無い!?
ジム改 それは仕様という奴だ。
カガリ 説明になってねえだろうがあ!
ジム改 はっはっは、気にするな。
カガリ くそっ、やはりアスランと絡まないと出番がもらえないのか?!
ジム改 いや、でもアスランって回りが女の子だらけだから、お前が入っても目立たない気が。
カガリ …………。
ジム改 あ、あのカガリさん、そんな妙に赤茶けてる釘バットなど持ち出して何処に行く気?
カガリ いや、ちょっとアスランの所にな。
ジム改 ああ、行ってしまった。では次回、オーブにやってきたイザークたちはアスランたちを出迎える準備を始める。そんな中で買出しに出かける男女がいた。そしてカガリもまた……、第77章「それは運命の出会いなの?」にご期待ください。

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