「 筆と書 」

 五.古典時代の筆の生産体系

 西暦八〇〇年頃の筆の生産体制は、どのようであったのだろうか。 筆に限らず、専門技術を必要とする手工業品は支配者の自己需要を目的として、 ※8官営工房を設置し、そこで生産された。

 技術水準の程度(レベル)はどのようであったのだろうか。道具については現在と比べ、かなり質が落ちると想定される。 しかし、生産性を無視すれば十分使用に耐えうるだろう。 この時代に、官営工房で働く総数が十ないし二十名程度と推測される労働者は、品部・雑戸と呼ばれる半奴隷的人間であった。 奴隷又はそれに近い状態の人間に労働意欲があるとは思えない。 また、江戸時代の吉田藩で、筆師が一名であったということ、 地方に国学、中央に大学があったが、圧倒的多数の文盲であったということから考えても、 それほど※9多くの需要があるとは考え難く、 熟練度もかなり低いと思われる。さらに、筆の検査は非常に難しく、検査を行うことによる技術の向上もあまり期待できない。 以上の事から、技術水準はかなり低いと推測される。



※8 八二二(弘仁一三)年の官符から造筆丁の存在を知ることができる。

※9 昭和初期、筆の生産の最盛期には、この時代の一千倍程度の生産があったと思われる。








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