「 筆と書 」

 六.現代の筆の原料と、古筆の原料調査

 当時の技術水準、熟練度は前記した通りと推測されるが、原料の質や種類、産地はどのようであっただろうか。 場合によっては、現在以上に上質の原料が入手できたとも考えられる。

 現在の筆の原料は、大半が国産と中国産であり、その他一部がカナダ産、モンゴル産を使用している。 また、原料には、家畜の毛を使用するものと、野生動物を捕獲し、その毛を使用するものとがある。 前者の代表は、中国産は羊毛で、動物は山羊。日本産は馬である。

 昔の筆は、その大半が狸を使用していたというのが通説である。 ではなぜ狸かというと、狸の皮は昔、鍛冶屋が使うフイゴとして、 早ければ中国の戦国時代から使用していたことが、推測されるため、 毛は副産物として、比較的容易に入手できたと考えられるからである。

 現在でも、多くの野生動物の毛を使用するのであるが、 野生動物の場合、筆の原料にするために捕獲することはまずない。 つまり、他の目的で捕獲され、その副産物が筆の原料になるのである。 イタチやテンの場合、毛皮のコートなどの為に捕獲されるため、主目的として使用されない尾の部分に限り、 筆に使用されるし、玉毛もまた、三味線の皮の副産物である。

 毛の品質の観点から検証を行うと、中国より輸入されている原料は、 一部上質な羊毛とイタチ(製毛されているものもある)以外ほとんどの場合、 かなりの程度まで製毛されている。そのため、火のしかけ以前の工程が省略できる。 その反面毛先が傷み、また、選別することができない。

 それに対して、国内で製毛されている原料や、国産原料は中国の物ほどに製毛されていないため、 製造工程の省略はできないが、毛先の傷みが少なく、選別することが可能である。

 古筆の通説として挙げられている、問題の狸はどうであろうか。 中国の狸(北京狸)はやや材質が落ち、さらに、毛先の傷みが激しい。 狸は産地によってかなり毛質が違うが、現在、日本狸は白狸・黒狸・黄狸・尾狸などに分けられ、 その狸の種類や毛質、体の部分によって狸屋といわれる製毛業者が製毛する。 そして、原料商を通じて購入するため、狸の産地を特定するのは不可能である。 原料商の話によれば、東北地方の狸が最高とのことである。 また、現在狸屋と呼ばれる、日本の製毛業者は一名しかおらず、それも内職程度ということで、まことにお寒い限りである。

 現在、狸の筆は真書や面相などを除き、一般にはまぜ毛と呼ばれる馬毛とまぜ、腰に鹿毛を入れて作っている。 このような製法を行わず、馬毛を筆先に入れない場合、特別上質の狸を使用しないと筆の先が割れてしまうためである。

 古筆を再現するにあたり、空海が自身の書を書く際、直接中国で筆を買い求めたことも考えられる為、 原料としていろいろな種類の原毛を試し、どの毛が古筆の再現に最も適切か調べてみた。

 狸(国産)・玉毛(国産)・イタチ(中国)・白真(鹿毛でおそらく国産)・馬毛(国産)・羊毛(中国)の 以上六種の毛を現在の製法で、先出しの毫をそのまま芯立てして、紙を巻いて書いてみた。 すると、最も柔らかい馬毛の筆のみが「風信帖」を書くことが可能のように思われた。

 そこで、この馬毛の材質や製造方法を色々変えてみた結果、 「風信帖」を書くことが可能と考えられる筆ができた。 しかし、これは通説の狸とは全く違うものである。

 馬毛は細く柔らかいが、墨含みが悪いため比較的線質は硬く出る。 だが、それは毛質が柔らかいので単に書けるという事であって、筆の動きに必然性がない。 また、「風信雲書」の「雲」から「書」へつながる所がどうしても遅れてしまうし、筆が返らない。 したがって、やはり※10 通説通り、狸ではないかと思い、古筆の再現の原料として、狸を集中的に調べてみることにした。



※10 空海が入唐中筆の製法を学び、酒井名の清川(坂名井清川)に これを伝え作らせ、嵯峨天皇に奉献した筆の毛は狸と記録がある。








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